ドレスデンの戦い
ロシア軍公式報告



 ドレスデンの戦いに関するロシア軍公式報告
 (ペテルブルク新聞付録、9月14日付)

 連合軍によるボヘミアからザクセンへの移動の主要目的は、敵の主要戦力をシュレジエンからザクセンへ引き付け、そしてブランデンブルクにいるスウェーデン皇太子の軍がケムニッツからライプツィヒ街道の連絡路上に布陣した後に、背後のシュレジエンに残されたブリュッヒャー将軍の軍の双方とともに敵部隊の敗北を助けることにあった。
 ドレスデン前面に主力軍が到着した後、敵の強さを確認し、我々の計画が敵の背後への攻撃にあることを示すため、ドレスデンに対する強力な偵察が命じられた。26日にそれは成功裏に実施され、その際にヴィトゲンシュタイン伯の軍団は大砲4門を奪った。夕方、戦力8万人の敵が町から出撃し、町の砲兵隊に守られながら立ちはだかった。この日、サン=シールを増援するためナポレオン自身が全親衛隊、及びラトゥール=モーブールの予備胸甲騎兵とともに到着したことを捕虜が明かした。
 翌日、敵は我々の陣地の様々な地点を何度か攻撃したが、あらゆる場所で撃退された。夕方、彼らは親衛隊で我らの右側面を攻撃したが、グロドノ・ユサール連隊とプロイセンのユサール連隊によってこれも押し戻された。この際には500人の捕虜を得た。夜にかけて彼らは市壁へと後退した。ヴァンダンム軍団とヴィクトール軍団がケーニヒシュタイン近くでエルベを渡り、その行動によってテプリッツ街道を脅かしていることを知った元帥シュヴァルツェンベルク公は、全軍で右側への側面移動を行ってザクセンとボヘミアを隔てる隘路の背後に布陣し、これらの狭い街道を通る敵の行軍を待ち構える必要があると感じた。

Europäische Annalen, Jahrgang 1816 Zweyter Band. p328-329


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