アウステルリッツ
プルジェブイシェフスキーの報告



 プルジェブイシェフスキー中将の報告

 皇帝陛下へ

 プルジェブイシェフスキー中将の報告書

 アウステルリッツの戦いの間、総指揮官ゴレニシェフ=クツーゾフ歩兵将軍から第3縦隊に与えられた計画に沿って敵を破り渡河点を完全に確保したところで、私はあらゆる努力にもかかわらず完全に包囲されました。低く不利な陣で最も恐ろしい敵の砲撃に7時間も耐え、多くの部下を一部は戦死、他は負傷で失い、残されたものも凶暴な三方向からの散弾で混乱状態に陥り、弾薬尽き増援の望みもない中で、(私と我が兵たちは)最後に敵の手で捕らえられるまで、皇帝陛下の臣下に求められる通り最後まで戦いました。
 陛下に今まで報告することができませんでしたが、私はこの件に関する報告を提出し、陛下の情け深い配慮のために、戦いで完全な成功を達成できなかったものの陛下に対する確固とした忠誠を後世に伝えた皇帝陛下の兵たちによる忍耐を描き出すことが私の義務だと考えています。

 プルジェブイシェフスキー中将

 1806年7月11/23日

 リュネヴィル

 アウステルリッツの戦いにおける
 第3縦隊の戦闘に関する報告

 1805年11月20日朝7時頃、総指揮官ゴレニシェフ=クツーゾフ歩兵将軍の計画に従い第3縦隊はプラッツ村近くの野営地を発し、村を通過してオーストリアの縦隊嚮導の案内で道路に沿うのではなく耕作地を渡って前進しましたが、溝ばかりだったため我々の砲兵を動かす道をつくるため3回も工兵が作業することを強いられました。
 第3縦隊はすぐに嚮導によって縦隊の渡河点と指定されたゾコルニッツ城に接近しました。城は谷間にあり、石壁によって守られその地域を見下ろす高地に囲まれていました。砲撃距離まで前進したところで私は多くの敵戦力が右側面の高地と近くにあるゾコルニッツ城に隣接する谷底の湿地を渡って行軍しているのに気づきました。私はすぐ我が縦隊に、分隊ごとに前進し小隊単位で再配置して、必要なら移動を容易にするため各連隊を深い縦隊に配置するよう命じました。
 私は前衛部隊を指揮していたミュラー少将を、彼の第7猟兵連隊の残った2個大隊と伴に重要な地点を占拠しゾコルニッツ城からフランス軍を追い払うために派出し、(ミュラーは)際立った活力と勇気でこれを達成して敵を(城から)追い払いました。
 しかし、敵の砲兵隊が突然城近くの高地に現れ猛烈な砲撃を始めました。ミュラー少将は負傷しましたが、敵を追撃していると優勢な敵戦力に遭遇したと私に知らせてきました。私はすぐにシトリック少将のガリツク連隊と伴にそこへ移動し、彼らは際立った活力で敵を撃退し現在の陣を守ることをとても容易にしてくれました。しかし私の縦隊は引き続き開けた土地に晒されており、敵の砲撃を避けるため私は兵たちに城自体に移動するよう命じ、(付近の)敵戦力が増加するのを観察しながら自身でナルヴァ及びブティルスク連隊を率いて城を通りました。私は中将ヴィンプフェン男爵に対し、アゾフ及びポドルスク連隊と伴に新たな命令があるまで予備としてとどまるよう命じました。
 その間、私は敵が高い丘に沿ってプラッツ村へ前進し、私と中将ランジェロン伯の縦隊の背後に現れたことを知りました。私は予備部隊に敵の動きを追尾して我々の背後を守るよう命じ、総指揮官に伝令を派遣しました。その間、私は城の左側面にあるゾコルニッツ村から敵を追い払い第2縦隊との連絡線を開くために敵部隊を攻撃しました。この方面で成功を収め敵を打ち負かしたところ、第2縦隊の一部とオーストリア軍騎馬砲兵がゾコルニッツ村へ退却し、我が左側面からさらに多くの敵兵を引き連れてきました。
 かくして私は既に三方から包囲され、予備の2個連隊は背後から優勢な敵戦力に攻撃されていましたが多くの損害を蒙りながらも未だ長い間決然と戦っていました。最後に敵騎兵が突撃して予備部隊を壊走させました。中将ヴィンプフェン男爵自身は負傷し捕虜になりました。
 私は敵から激しく圧力を受け絶えず激しく継続的な散弾射撃下に置かれて、多くが死傷し残る(兵力)も混乱していました。伝令を出したにもかかわらず、私は何の情報も受け取りませんでした。朝7時から午後4時までひっきりなしに交戦していた多くの兵たちには弾薬が残されていませんでした。私は計画に従って退却する他なく、オーストリアの嚮導は我が兵を救い出すために好適な土地を右側面に見つけ出せるだろうと確約しました。私は兵が混乱していることを隠し、あらゆる将来の困難を克服し主力軍に合流するべく部隊を再編するため、丘の麓にある湿地に沿って行軍するよう命じました。しかし、敵の砲撃が我々の追撃を続けたため、我が将軍、幕僚及び高級将校による兵を再編しようとするあらゆる努力は無駄だったことが明らかになりました。我々が城からしばらく離れたところで敵の騎兵が我が兵に突撃したため、兵はさらに混乱し敵に捕まりました。

 プルジェブイシェフスキー中将

 Napoleon Series "Memoirs from the Russian Archives"


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