アウステルリッツ
ダヴーの報告



 ダヴー元帥からベルティエ元帥への報告

 陸軍大臣、参謀長宛て

 メーニッツ、共和暦14年霜月11日(1805年12月2日)

 元帥閣下に謹んでご報告を致します。今朝5時、陛下にかわってあなたが私へ伝えた命令に従ってフリアン師団はライゲルンの陣を発しました。移動中にテルニッツの第3歩兵連隊が攻撃を受けたとの情報を得て私は師団をそこへ差し向けました。第3連隊が実に素晴らしい抵抗の後に去ることを余儀なくされた村は、第108連隊と第15軽歩兵連隊の一部中隊の先頭にたったウードル将軍によって攻撃され占領されましたが、兵力に勝る敵に再度奪われました。
 敵はゾコルニッツから砲兵と伴に現れ我が軍を包むように機動しました。私はすぐに師団所属の5個連隊を梯形に並べその村を攻撃しました。村は何度も持ち主を変え、敵は最後にはそこに12門から15門の大砲を持ち込みました。最初の攻撃で我々は大砲3門を奪いました。
 我が部隊はほぼ終日、正面及び側面の極めて強力な部隊と戦わなければなりませんでした。
 全部隊はとても激しい砲火の下で冷静に行動し、敵と何度も入り乱れました。敵は多くの損害を蒙りました。
 私は将軍と大佐全員を賞賛します。彼らは全員、乗馬が殺されるか傷を負うかしました。フリアン将軍は4頭の乗馬が死傷しました。
 さらに極めてよく任務を果たし負傷した副指揮官マレも賞賛に値します。
 極めて優秀な参謀長ドルタンヌ将軍もとても助けになりました。彼は見事な冷静さを示しながら絶えず部隊の再編に努めていました。
 副指揮官エロも完璧に補佐してくれました。
 午後にはフリアン師団は第4軍団の兵と戦っているいくつかの歩兵及び騎兵大隊を包囲するためメルニッツ[メーニッツ]に向かいました。脱出路を失ったこの敵部隊の一部は第4軍団の兵によって湖に追い込まれていました。
 この日、第48連隊と第108連隊はいくつかの軍旗を奪いました。
 ブールシエール将軍は麾下の竜騎兵師団と伴に我が右翼を完璧に守り、その機動と何度かの突撃によって敵を牽制し続けました。
 特に名をあげた士官と兵士たちについてはいずれ閣下にお知らせいたします。
 捕虜になったロシア兵は500人から600人だけでした。不実な一人の佐官は一度は武器を捨てながら第108連隊に対して再びそれを取り上げたため、兵士たちの義憤と激情を刺激しました。
 戦場と村、家々は死体に覆われました。

 Gallica "Correspondance du maréchal Davout, tome premier" p192-195


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