1797年



 この年、開戦当初からフランスと戦い続けてきたオーストリアとの講和が成立した。すでに同盟の大半が1795年に脱落していたが、このカンポ・フォルミオ条約によって第一次対仏大同盟は完全に崩れ去った。大陸には平和が訪れ、英仏海峡の対岸に頑張っている「不実なアルビオン」を除きフランスと戦火を交えようとする国は姿を消した。

 革命を起こし欧州の孤児となっていたフランス共和国が、かつて絶対君主ルイ14世ですら成し得なかった「自然国境」の獲得に成功したのだ。祖国も憲法も、外国勢力の侵略からは完全に守られた。革命によって政治の現場に動員された多くの市民たちが、結果的にその数で敵を圧倒したのが勝因だ。その意味では革命こそが戦争を勝利に導いたと言える。

 だが、周辺の国々がフランスの持つ「数の暴力」の実態に気づくのはまだしばらく後のことだった。その理由の一端はフランス自身にもある。モンターニュ派の下で実施された国家総動員体制は、あくまで祖国が危機に晒されている期間に限った臨時的な措置だった。フランスに勝利をもたらした数の力は、このころから少しずつ衰えていく。


・1797年/戦線

[ライン戦線] [イタリア戦線] [アイルランド遠征] [植民地戦争]


・1797年/年表

2月19日ローマ教皇と講和、アヴィニヨンなどを割譲
4月17日レオーベンの和約
6月15日リグリア共和国成立
7月9日チサルピナ共和国成立
9月4日フリュクティドールのクーデター
10月17日カンポ・フォルミオ条約調印、フランスとオーストリアが講和
12月28日ローマで反フランス暴動



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