「クライマーの会」ヒストリー 更新日 2009年10月18日
●2000年までの歩み (文中敬称略)
1988〜1994 鳳来の初期開拓時代。 1994年8月 「岩と雪」165号にハイカラ、鬼、ガンコ、ひょうたん、まねき猫、日陰岩、奥の院、烏帽子岩、パラダイスが発表される(カラーグラフと巻末「日本100岩場」)。 1995年8月 「日本フリークライミングルート集」(赤本)に再録。掲載エリアは同じ。 1996年10月 「フリーファン」16号に栃ノ木沢エリア(小屋裏、ゆきずり、影の大物など)、治山水、ウエーブロックが発表される。軍艦岩は未発表。 1998年5月 「Rock&Snow」1号にハイカラ岩の最新ルートが発表される。 1998年11月 「Rock&Snow」2号に乳岩峡左岸エリアが発表される。 1999年8月 「Rock&Snow」5号に軍艦岩、パラダイス、奥の院、まねき猫からセレクトしたクライミングガイドと、栃ノ木沢周辺の詳細なアプローチ図が掲載される。 1999年秋 「人が急にたくさん来るようになって、管理人のかたが『大勢の人が山に上がっていくので何事かと思った』と驚いていたようだ」(岡崎市管財課のお話) 2000年4月 パラダイス、鬼石などで糞尿の問題、栃ノ木沢方面および乳岩口駐車場でクライマーによる長時間駐車の問題などを、地元関係者やキャンプ場管理人から指摘された。 このころ 栃ノ木沢旧車止め手前の道路脇の駐車で、岡崎市有林から材木を運ぶために来た4トン車が進入できず引き返した。 5月 ゴールデンウィーク期間中に、全国から多くのクライマーが鳳来を訪れた。 6月6日 斎藤修らがボルダリング中に、立入禁止の看板が設置されるとキャンプ場管理人から知らされた。 6月8日
「栃木沢方面の入山禁止の可能性について」の文書が、「Climbing Bears in Nissin」(日進市スポーツセンターのクライマーたちのWebサイト)その他に発表される。しばらく栃ノ木沢方面への入山を控えることと、トイレ問題について周囲に啓蒙することを訴えた。 6月13日
若林伸一郎の呼びかけにより、約20名のクライマーが鬼石、ひょうたん、ガンコ、栃ノ木沢周辺などのエリアを清掃。すべての岩場で用便、ペーパーが放置されており、鬼石は特にひどく汚されていた。 6月14日 名古屋の田中氏が単独でオレンジ周辺を清掃した。 6月15日 岡崎市有林に「許可者以外立入禁止」の看板が設置された。 6月16日 立入禁止看板設置の情報が、前記サイトなどで報じられた。 乳岩峡方面への立入禁止措置の波及を防ぐため、斎藤が川合区長さんを訪ねる。乳岩の駐車場の件で役場に相談しようと思っていたと言われた。 6月20日 保科雅則、鳳来町商工観光課の課長、副課長さんと話し合う。町としては、地元とトラブルのないようにやってくれればとくに問題はないとのことだった。 6月21日 小山田大が、単独で、影の大物、ハイカラ岩のフィックスと残置を回収した。 6月22日 保科からの依頼を受けて、日本フリークライミング協会から岡崎市に電話してもらった。 7月1日 鈴木邦治が、単独で小屋裏、影の大物の残置物を回収した。 7月2日 斎藤、保科、若林が、駐車場問題の解決策について川合区長さんと話し合い、駐車場売店のご主人とも駐車場や看板設置などについて話した。 ガンコ岩で一斗缶に入った糞便を処理し、残置ヌンチャクを回収した。 7月5日 保科が管理するBBS「やくたあもにゃあ掲示板」に、野村仁(Rock&Snow編集者)が謝罪文を投稿。雑誌責任と鳳来問題に関する論争が起こった。 7月9日 栃ノ木沢方面、女郎岩、鬼石、亀淵沢の残置物の回収を約20名で行なう。鬼石の残置物を勝手に回収したことは、のちに一部クライマーの反発をまねいた。 ガンコ岩の終了点整備&ボルト打ち替えに着手した。 この週末、乳岩峡での駐車状況が悪いことが報告され、関係者の間に危機感がつのった。 7月10日 小粥康正、保科で、鳳来町役場と森林組合を訪問。商工観光課で、乳岩駐車場に設置する看板の許可をもらった。 鳳来町の黄柳野高校探検部(顧問・成瀬先生)が運動への参加を表明した。 7月16日 保科が発起人となり、鳳来町・借家でクライマーの話し合いを提案。同時に毎月2回・日曜日の鳳来活動への参加者を募った。 7月20日 第1回鳳来会議で約7時間にわたる話し合いを行なった(鳳来町川合区の借家、23名参加)。「鳳来湖の岩場を愛するクライマーの会」発足。東北〜四国にわたるクライマーの連絡網と、鳳来問題メーリングリストを設置した。 7月30日 鳳来ボランティア会議を開催し、新たに「岩場美化委員会」(代表・池田晃久)が発足した。同委員会はクライマーの自主ボランティアによって、ビラ配りと駐車場の誘導、岩場周囲の清掃、ボルトチェック、ボルト打ち換え、ボルトのペインティング、終了点の交換、フィックスロープの撤去等を行なう。 8月12日 ブッポウ・ウォールで鳳来町主催の親子クライミング教室を開催。参加者9組20名あまり。(中日新聞の取材あり) 8月27日 第1回岩場清掃を実施。参加者47名。(「山と溪谷」誌に記事掲載) 8月30日 愛知県民の森にて鳳来に来るクライマーの親睦会を行なった。参加者43名。 9月初め 岩場美化委員会、ガンコの約7割を整備終了。鬼石にも着手した。 9月4日 第1回クライマーズネット愛知の会合が行なわれた(日進市スポーツセンター会議室)。愛知県のクライマー11名と「愛する会」より若林が出席。発起人は宗宮誠祐、高木豊、松岡尚子。栃ノ木沢の岩場(禁止区域を除く)の早期開放を求める意見が出された。 9月上旬 「フリーファン」(日本フリークライミング協会<JFA>会報)30号で鳳来の動きが報じられた。 9月13日 鳳来問題MLで、若林が秋のシーズンまでにパラダイス、治山水等の開放を提案した。 9月14日
〜9月末パラダイス、治山水等の開放について鳳来問題MLで論争となる。開放の前に駐車場問題を解決し、支点整備を行ない、地主の許可を得るべきだという意見が多かった。 9月28日 藤田耕史(東海山岳会)が、パラダイスの整備着手を提案し立候補した。 9月30日 小川山(長野県川上村)の清掃イベントに鳳来クライマーが多数参加した。 10月3日 宗宮・松岡・若林がクライマーを代表して岡崎市管財課を訪問。クライマー側から謝罪と事情説明をした。 10月10日 保科が、第2回清掃(11/12)へ向けて地元参加を呼びかけるチラシを提案。 10月15日 ブッポウ・ウォールでスポーツクライミング講習会を開催(宗宮)。 第2回鳳来会議(鳳来町開発センター2階研修室)。会員以外にも広く参加を呼びかけて、総勢31名が参加。パラダイス、治山水などの開放に向けての活動を確認した。 会議の後、鳳来湖キャンプ場管理人を南裏・大西・若林で訪問。キャンプ場への駐車許可を願い出るが断られた。 10月16日
以後第2回会議で話されなかった清掃への地元参加呼びかけについて、MLで消極的な意見が続出。この結果、10月23日に地元参加見送りを決めた。 10月18日 木織隆生(クラックス)、議事録の一部公開、また岡崎市有林と栃ノ木沢エリアについて情報公開を提案。野村、有料の『鳳来通信』など提案。 10月20日
〜11月10日情報公開・情報発信の方法と倫理をめぐる論争が起こった。 10月20日
〜11月初め岩場整備活動と傷害保険の問題についてMLで論争。岩場美化委員会のJFAへの吸収合併案にまで発展した。 10月23日 保科が、「愛する会」HPで岡崎市有林への立入禁止に関する文言を訂正した。 10月24日 宗宮誠祐が、会の基本方針(活動目的、意思決定、位置付けなど)に関して議案を提起。 10月29日 ブッポウ・ウォール利用認定試験が行なわれた(宗宮)。 若林が川合区長さんを訪問、乳岩駐車場に立てる看板原案について了承を得た。 10月30日 NHKから11/12の清掃に対し取材申込みがあった。同じころ山と溪谷社からも取材申込みがあり、座談会への協力を要請された。 10月31日 やくたあもにゃあの服部が、永禮宛の手紙にて会の活動方向に対する疑念を表明した。 10月末
〜11月初め「連絡係として何を連絡するべきかわからない」との意見が続出。会の連絡体制見直しが課題となった。 11月3日 北嶋敏明が、第3回会議の議題として「代表委員制」を提案した。 松岡尚子が、MLにおいて運動の方向性に対する疑問を表明した。 11月5日 高橋洋祐が、MLにおいて上記松岡の意見に対し返答した。 若林が、看板設置の件で川合区長さんと相談のおり、パラダイス、治山水への入山再開を申し出る。次の区会で話をしてもらえることになった。 11月11日 川合区役員の皆さんが恒例行事として財産区の山を視察。その後の寄り合いに保科、若林が出席し、役員の方々と懇談した。 第3回鳳来会議(鳳来町の細川小学校跡地、19時〜24時)。黄柳野高校探検部の生徒5名と、北海道、神奈川、関西のクライマーら計27名、NHKの取材スタッフ2名が参加。会の組織を見直して、代表委員体制と新しい連絡網を作った。 11月12日 第2回岩場清掃に推定90名のクライマーが集まった。NHK、岳人、東海日日新聞が取材。 若林が川合区長さんを訪問、「治山水、パラダイス」の岩場の使用について了承を得る。岩場使用の際、火事、クライミングの事故、マナー(主に用便)の3点について約束した。 12月3日 川合区長・大原氏立合いのもと、乳岩駐車場にクライマー向けの看板を設置した。 12月4日
「愛する会」公式サイトを[http://webs.to/horai-climb/]に移設。管理担当者は野村。 栃ノ木沢方面のクライミング再開に関して、代表委員MLにて広く意見を募集した。 12月上旬 「岳人」2001年1月号に、鳳来の現状が掲載された。 「フリーファン」31号で、鳳来のその後の状況が伝えられた。 12月12日 NHK「クローズアップ現代」で、鳳来クライマーの状況の一端が放映された。