いや、なんてことないんスよ…
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 3 あなた(台風)とわたしはすれ違い

ということで台風をやり過ごすために鹿児島で豪遊しまして、翌日起きたら見事な台風一過。今日は夜の9時に福岡空港にいればいいという条件だけですので、もう少し鹿児島でいろんなネタを潰していくことにしましょう。


鹿児島市内から車で1時間ほど向かった先は…


またも(←不謹慎な!)平和祈念館。


今回は吹上浜にある万世特攻平和祈念館に来ています。開館は1993(平成5)年、吹上浜沖に水没した零式水上偵察機を引き上げたことが契機となって作られたものです。


内部は思いっきり撮影禁止ですんで全く写真がないんですが、知覧よりはずっと抑制が利いていて個人的にはこっちの方が好感が持てます。でも未だ地元の方々にとってはこれらは歴史となっていないため冷静な議論は難しいと思います。僕らの世代が泉下の住人となってようやくそれは果たせるのかも知れません。そして内部の様子はこんな感じ
因みにここは堀北真希も訪れています(動画)。 CXのドキュメンタリーでの訪問なんですが、知覧でなく万世を選んだ意図は一体何だったんたのか。

そして一行は第二次大戦からもう少し時代を下って起こったある事件の場所へと向かいます。




んで途中あまりに気持ちがいいので車を止めて写真を撮りました。台風一過の空ってこんな空のことを言うんです。もの凄い気持ちが良い青空と雲です。これで近くにパトカーさえいなきゃってホントに思います。尾行されてんのか?


我々の来たかったところはこんなぬるいサイクリングロードじゃないんですが…


ここは1984年まで通っていた鹿児島交通枕崎線(南薩鉄道)吹上浜駅跡で、現在バス停になっています。


勘の良い方はお分かりかも知れませんがここ吹上浜の駅は1978年に2名の男女が北朝鮮によって拉致されたとされる場所です。


何故か再び土砂降りになりましたがイトウ君無謀にも海岸まで写真撮りに行きました。国士たる彼は一体何を思うのか…


あやしいあやしい人見つけたらすぐ110番」という立て看板がこの地で起こった事を想像させます。



海はそれぞれ場所によって全然表情が違います向いている方角、海岸線の形、どんな海でも見飽きることがありません。それが只便所を借りるためだけに立ち寄った駐車場から眺めた海であってもです。

さて車は熊本で借りましたので、返しに熊本まで行かなきゃいけませんが、まだ中途半端に時間があります。何処に行こうかと3人で色々と思案しまして、向かった先はこちら…


結局熊本市内に帰ってきまして、田原坂に代表される西南戦争だけじゃなく、もう一つ明治初期の士族の反乱ものを見に行きました。それがここ桜山神社に資料館がある「神風連の乱」です。

神風連の乱は西南戦争の前年1876(明治9)年に敬神党が起こした帯刀禁止令、散髪令に端を発した士族の反乱です。この反乱を気に明治政府に対して不満を持っていた士族の反乱が相次ぎ、そしてそれらの集大成とも言える翌年の西南戦争に繋がっていきます。


神風連の乱を起こした敬神党は勤皇派の一派であり熊本出身の徳富蘇峰は彼らを「保守的清教徒」と呼んだそうな。神道系の考え方を持っていたようですが、極端な勤皇ぶりはどちらかというと神道とは馴染まず、キリスト教やイスラム教的香りを放っています。


てな訳で、毎度毎度の写真撮影禁止。三島由紀夫も晩年この神風連に興味を持っていたようです。神道、勤皇というキーワードと世の中を自分たちの思うように改めようとする姿勢に共感を覚えていたようです。むむぅ…


首領、太田黒伴雄以下123名の墓があります。


この神社は1913年に建立。ということはこれらのお墓は当時のものじゃないって事?
兎にも角にもなかなか濃いものを見せて貰って色々と考えされられることしきりであります。

そしてこれは帰ろうとしてるときにたまたま発見したんですが、 神風連の資料館のある桜山神社から目と鼻の先にゃ熊本大学がありまして、こちらにはナンバースクールと呼ばれた旧制高校、第五高の校舎が現存しております。これは行かねば。


煉瓦造りの校舎といえば、05年末に見に行った江田島の海軍兵学校校舎が1893年の竣工でこちらが1887年と6年ほどお兄さんです。流石に軍ほどはお金使わせて貰えなかったのか、煉瓦の質は一段落ちます。




赤い煉瓦が緑の芝生と青い空に映えて非常に格好いい。


長年使われているおかげで階段もすっかり磨り減ってしまっています。



こっちの建物は同じ年に完成した化学実験場です。


これらの建物についてはボクはもう一つあまりに個人的な思い出があります。大学1年生当時、高校の頃から好きだった女の子が熊本大学に進学し、最初の夏休みに追いかけていったことがあります。その時、結局本懐は達成出来なかったんですが、今回通った学食や校舎の前、門を半ベソかきながら通ってまして、その辺りの記憶がイチイチ僕の柔らかいところをチクチクと刺してきます。そうなるともう建築を楽しむという高尚な趣味から完全に離れて、若い頃の青臭い記憶でもんどり打ってるだけの状態となってて同行者二人からは完全にキモい奴扱いですよ。ふんっ、お前らには分かるまい、この気持ち。
で、更にこの話には続きがありまして、大学三年の時の地理学の調査合宿の時に再度リベンジしまして(執着しすぎじゃね?)、完全にフラれたのもこの辺りだったりもします。畜生ーっ!


そんな甘酸っぱい記憶を台無しにするようにジョージ君は蚊に喰われまくりです。あまりにツラそうなんでそろそろ退散することにしましょうかね。チッ、興を削ぐ奴め。

今回帰りの飛行機は福岡空港からですので、熊本で借りた車を返して福岡まで行かねばなりません。とはいえまだ電車までは時間あります。じゃぁもう少し悪ふざけしましょうかね。


この辺のことはあまり多くは語りません。大学3年の春休み、この近所の旅館に泊まり込んで人文地理学の調査合宿を行ってました。毎日、調査に行って貰ってくる、馬刺、辛子蓮根、日本酒、みかんブランデーでしこたま飲んでたことしか憶えてません。あ、その他にほぼ一生分の鱈の干物を食ったことは憶えてます。このホテルのネーミングはあまりにインパクトが強すぎたのでその後もずーっとネタにしてたんですが、まだあるとは十年一日どころか、ねぇ?


ここについては完全ノーコメントで。 大学4年生の時に政経法ゼミ室で僕に詳細を聞いた奴だけが笑えるネタということでひとつ宜しくお願いします。多田、憶えてる?


地元の先輩に聞いてた博多の焼き鳥といえばココの「権兵衛館」です。鶏皮が有名な店らしいです。


兎に角着席。熊本でウダウダしてたのと最後は適当にラーメンでもと考えてたのであまり時間ありません。残り時間なんと45分!おかげで我々折角旨いもので酒を呑もうとしてるのに目がリラックスしてません。


まずは頼むのは鶏皮。初心者らしく1人2本ずつ頼みましたが、周りの人たちは10本単位で頼んでいる様子。いやそんな量頼んでも全然OKな旨さでした。


これ何だっけ?これも鶏皮っぽいんですがお店のWebだとこれはゴンゾーというものだったんじゃないかと。すんません、うろ覚えで… ( TДT)


大豆の唐揚げって珍しいもの頼みましたが、これがビール加速装置でして、もうウマウマです。


手羽先も当然のように旨いです。



これなんだっけ?小エビの天麩羅だったと思います。


僅か45分間しか居られないというのにこの串の本数。しかも他にも皿ものとか頼んでますからかなりのハイペースでしたな。


しかも〆に焼きおにぎりまで… 3人で4コと微妙に数が合いませんが、誰が2コ喰ったかは推して知るべしです。 それにしても朝は鹿児島にいて、昼に熊本でネタこなして、晩飯は博多でってどうでしょう班並の移動距離と無茶な詰め込みです。

最後の最後で、もの凄い個人的なネタに収束していく様が、この旅は俺に大人になれと言ってるのかの如くでいやはやなんともであります。

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頁02 桃色の空

頁03 朝鹿児島、昼間熊本、夜博多

 

 

 

 

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