特殊潜航艇 戦史

 

特別攻撃隊

特殊潜航艇を使用した作戦に用いられた「特別攻撃隊」の名称は、後の体当りを目的とした特攻とは

違い、全ての作戦は決死ではあっても必死ではなく、攻撃終了後には搭乗員の回収が計画されていた。

第一次攻撃隊に参加した潜水艦5隻は収容予定海域で待機していたが、特殊潜航艇は一隻も帰って

来なかった。

 

第二次攻撃隊(マダガスカル)の攻撃では、2名の搭乗員が攻撃終了後に上陸して収容地点に向かっ

たが、途中で敵と遭遇し戦闘の後に戦死。

 

略史

昭和 9年  月  日 最初の試作艇が完成

昭和13年  月  日 母艦「千代田」完成

昭和15年 4月  日 第二次試作艇が完成(甲型)

昭和15年10月  日 製造訓令

昭和15年11月  日 搭乗員の訓練開始/広島県倉橋島P基地

昭和16年 1月  日 特殊潜航艇の投下訓練開始/倉橋島、三机湾

昭和16年12月 8日 第一次特別攻撃隊、ハワイ真珠湾攻撃に参加(5隻)

               戦死9名、捕虜1名

 

第一次特別攻撃隊

出撃日

母艦

艇長

艇付

攻撃地

状況

161208

伊22潜

大尉 岩佐 直治

一曹 佐々木直吉

米 布哇真珠湾

攻撃後 未帰還

161208

伊16潜

中尉 横山 正治

二曹 上田   定

米 布哇真珠湾

攻撃後 未帰還

161208

伊18潜

中尉 古野 繁實

一曹 横山 薫範

米 布哇真珠湾

攻撃後 未帰還

161208

伊20潜

少尉 広尾  

二曹 片山 義雄

米 布哇真珠湾

攻撃後 未帰還

161208

伊24潜

少尉 酒巻 和男

二曹 稲垣  

米 布哇真珠湾

座礁、1名捕虜

  

ハワイ・オアフ島に座礁した酒巻艇      アメリカ軍に引き上げられた潜航艇(戦後、日本に返還

 

昭和17年 5月30日 第二次特別攻撃隊、マダガスカル攻撃に参加(2隻)

               戦死4名

昭和17年 5月31日 第二次特別攻撃隊、シドニー湾攻撃に参加(3隻)

               戦死6名

 

第二次特別攻撃隊 甲先遣支隊

出撃日

母艦

艇長

艇付

攻撃地

攻撃地

170530

伊20潜

大尉 秋枝 三郎

一曹 竹本 正巳

英領マダガスカル

攻撃後 未帰還

170530

伊16潜

少尉 岩瀬 勝輔

二曹 高田 高三

英領マダガスカル

攻撃後 未帰還

 

第二次特別攻撃隊 東方先遣支隊

出撃日

母艦

艇長

艇付

攻撃地

攻撃地

170531

伊22潜

大尉 松尾 敬宇

二曹 都竹 正雄

濠 シドニー軍港

攻撃後 未帰還

170531

伊24潜

中尉 伴   勝久

一曹 芦辺  

濠 シドニー軍港

攻撃後 未帰還

170531

伊27潜

大尉 中馬 兼四

一曹 大森  

濠 シドニー軍港

攻撃後 未帰還

  

練習中の第二次攻撃隊                    オーストラリア軍に引き上げられた松尾

 

昭和17年 7月  日 キスカ島派遣部隊進出

昭和17年 9月  日 ガダルカナル島攻撃に参加(8隻)

昭和18年 7月  日 乙型試作

昭和18年 9月  日 丙型完成

昭和18年11月  日 ラバウル方面に進出(5隻)

昭和19年 1月  日 ハルマヘラ方面に進出(1隻)

昭和19年 4月  日 トラック島方面に進出(5隻)

昭和19年 8月  日 セブ島方面に進出(8隻)

昭和19年 8月  日 ダバオ方面に進出(2隻)

昭和19年 8月  日 父島方面に進出(3隻)

昭和19年 9月  日 沖縄方面に進出(8隻)

昭和20年 1月  日 高雄方面に進出(2隻)

昭和20年 3月  日 特攻戦隊令発布/大浦崎、小豆島に突撃隊を配置

大浦崎P基地ああああ

 

ガダルカナル甲潜水部隊

出撃日

母艦

攻撃地

戦果

攻撃後の状況

171107

伊20潜

ルンガ泊地

輸送船一隻 魚雷命中

 注水処分

171111

伊16潜

ルンガ泊地

駆逐艦一隻 轟沈?

 注水処分

171119

伊20潜

 故障、注水処分

171123

伊24潜

ツラギ港

 攻撃ほとんど確実

 消息不明

171127

伊16潜

ルンガ泊地

 輸送船一隻 陸上部隊報告

 消息不明

171202

伊20潜

ルンガ岬

 輸送船一隻 魚雷命中

 注水処分

171206

伊24潜

ツラギ港

 攻撃ほとんど確実

 消息不明

171213

伊16潜

ルンガ岬

 駆逐艦一隻 狙うも命中せず

 注水処分

 

セブ甲標的隊

出撃日

攻撃地

戦果

攻撃後の状況

191208

オルモック湾

駆逐艦一隻 撃沈

191218

シキホール島

輸送船二隻 撃沈

200103

ミンダナオ海

駆逐艦一隻 撃沈

200105

ミンダナオ海

駆逐艦一隻、その他一隻 撃沈

200105

ミンダナオ海

輸送船一隻 撃沈

200105

ミンダナオ海

巡洋艦一隻 撃沈

 未帰還

200125

輸送船二隻 撃沈

200125

水上機母艦一隻 撃沈

200125

輸送船一隻 撃沈

200213

ミンダナオ海

駆逐艦一隻 撃沈

200221

ミンダナオ海

巡洋艦一隻 撃沈

200317

ミンダナオ海

輸送船二隻 撃沈

200321

ミンダナオ海

輸送船一隻 撃沈

200323

ミンダナオ海

輸送船一隻 撃沈

 

占領要地派遣、港湾局地防備

出撃日

艇数

出撃地

戦果等

17.07

10

キスカ島

 特筆すべき戦果が無いまま撤退

18.11

 5

ラバウル

 一隻のみ到着、濠軍に引渡し

19.01

 1

ハルマヘラ

 見方の誤爆により破損、自沈処分

19.04

 5

トラック島

 二隻のみ到着、サイパン戦にて戦死

19.08

 8

セブ島

 セブ甲標的隊 参照

19.08

 2

ダバオ

 特に作戦することなく終戦

19.08

 3

父島

 特に作戦することなく終戦

19.09

 8

沖縄

 中途から陸戦に移行、八重岳の戦闘で大部分が玉砕

20.01

 2

マニラ

 一名戦死、終戦時中国軍により接収

 

 

昭和20年 5月28日 丁型が正式に兵器として採用(蛟龍)

昭和20年 8月15日 大東亜戦争終戦

 

丁型(蛟龍)

特攻兵器の指定を受け、約500隻が完成していた。本土決戦に備えて内海の突撃隊に配備が計画

されたが、物資の欠乏や頻発する空襲なとせにより基地の設営が進まず、出撃の機会を得ないまま

終戦。

 

終戦時の甲標的丁型(蛟龍)編成

部隊名

艇数

配備地

第一特攻戦隊

 4  

下田

第五特攻戦隊

 7  

佐伯

第六特攻戦隊

24  

橘湾

第八特攻戦隊

 4  

鹿児島

第十特攻戦隊

 

佐伯

第101突撃隊

 6  

第102突撃隊

 6  

奄美大島隊

 1  

舞鶴突撃隊

 6  

大浦突撃隊

104  

小豆島突撃隊

29  

 

終戦後のキスカ島

 

  終戦後の呉海軍工廠第4ドック

 

特殊潜航艇

更新日:2009/09/06