故地探訪 P基地

 

県立水産海洋技術センター、大浦崎公園

広島県安芸郡音戸町

隊員達が訓練に励んだ倉橋の海

 

  

P基地の遺構

 

  

P基地の遺構

 

特攻基地大浦崎(P基地)の碑

碑文

昭和17年10月極秘裏に工場の建設が始められ、翌18年3月創業開始これが特殊潜航艇(甲標的)製作

専門の呉海軍工廠分工場であった。また時を同じうして搭乗員の養成が始められ、受講者は艇長、艇付、

合わせて2600名、内戦死者は439柱に及んだ。

当基地の任務は甲標的の生産、搭乗員の養成、特攻兵器の研究開発で、昭和20年になると甲標的丁型

(蛟龍)の完成をみ、一方回天(人間魚雷)も実用段階に達して、来るべき本土決戦に備えたが、同年8月

15日終戦を迎えて基地は廃止され、現在では平和な公園、町民いこいの場所となっている。

平成4年2月 建立

 

波多見八幡山神社

広島県安芸郡音戸町

境内より倉橋湾を望む

 

嗚呼特殊潜航艇の碑

碑文

昭和十六年十二月太平洋に戦端開くや長躯してハワイ軍港に潜入 米艦隊主力を強襲して緒戦を飾れるは

我が特殊潜航艇甲標的なり即ち特別攻撃隊の初とす 次で西にマダガスカル 南はシドニーに遠征 英濠艦

隊を震撼せしめ全軍の士気大いに振う 更にキスカに ソロモンに転戦して戦局を支え 特運筒また前線の

補給に挺身す 時に部隊は基地をここ大浦崎に設け訓練また死生の間に進むも 戦勢ようやく利あらず敵軍

しきりに我が近海を侵す 我隊これを各地に迎え撃ち ミンダナオに 沖縄に蛟龍の戦果見るべきあり 回天

またこの地に発して奮迅し 海龍ともども本土決戦に備う 二十年八月遂に兵を収め戦没並びに殉職の英霊

三百余柱を数う 戦友ここに相計り その勇魂を仰慕し 特殊潜潜航の偉功をたたえて後世に伝う

 

  

嗚呼特殊潜航艇の碑                                  特潜会奉納玉垣  

 

拝殿内陣 長井第二特攻戦隊司令官筆の額

 

  

マダガスカル島ディエゴワレス港銘板(中)

碑文

日本海軍特殊潜航艇二勇士 一九四二年六月三日この地にて戦死す

説明版

この銘版は1942年5月30日マダガスカル島ディエゴワレス港所在英国艦攻撃成功後、上陸、山中を

踏破し母潜水艦を望む丘に到達しながら英軍に発見され戦死した特殊潜航艇搭乗員を偲び建立された

碑のもので、長年風波に曝され老朽甚だしく新品と交換され日本へ送られた初代銘板です。

 

特殊潜航艇

更新日:2006/11/03