久世龍郎

海軍一等飛行兵曹

 

戦時中、飯塚市は空襲を免れたが、北九州市(八幡・小倉等)の空襲に向う米軍機が上空を飛び交った。

 終戦一週間前の昭和20年8月8日、三四三海軍航空隊所属の久世龍郎一等兵曹は、八幡市街の空襲

向かうB29重爆撃機の大編隊を迎え撃つため長崎大村基地を発進し、飯塚市の上空で単機交戦したが

空中戦を繰り広げた末に撃墜されこの地に墜落し戦死。

少年飛行兵の死を悼んだ墜落地点にお住まいの人々が板の墓標を立て菩提を弔った。

昭和36年から飯塚市内の海軍OBらが墓標の前で慰霊祭を始め、昭和48年には地元企業などが墓標

を石碑に建て替えた。

 

「三四三空隊誌」より

紅顔可憐な少年でした。散髪屋で頭の上に長い毛を残して、分隊長これは長生きに通じるまじないです、

といって大笑いしました。茶目で美少年で、頭の切れる人柄は、飛行隊全員に可愛がられました。

八月八日壮烈な戦死を遂げました。しかしあなたの雄々しい尽忠の精神と、純真に生きた一生は、私には

忘れられない印象です。どうか故郷の森で安らかにお眠り下さい。ご冥福を祈ります。

 

鯰田地区

福岡県飯塚市

故海軍一等飛行兵曹 久世龍郎君之碑

碑文

□時 昭和二十年八月八日 世界第二次大戦末期 米軍戦爆連合大編隊北九州に飛襲せし時

第三四三海軍航空隊所属一等兵曹 久世龍郎(三重県津市出身)は 若干十八才の身を以って

単機大村基地を発進 鯰田上空にて敢然敵大編隊に突入し熾烈なる空中戦を交え この地にて

國土防衛に□□□□ 依って茲に石に刻み彼の霊を弔うと共に世界の平和を祈念する

昭和四十八年十二月 三菱鉱業セメント株式会社

 

本土防空

更新日:2009/08/16