回天特別攻撃隊
基地回天隊 第一回天隊
(沖縄県 沖縄本島)
第一回天隊(第18号輸送艦/沖縄本島)
昭和20年 3月13日 光出発
昭和20年 3月18日 沖縄・慶良間列島海域にて沈没
艦長
大槻 勝 大尉
. 昭和20年 3月18日 戦死
回天搭乗員
河合 不死男 中尉・海兵72期
. 昭和20年 3月30日 慶良間基地付近に戦死(推定)
遺詠
散る花の二度とは咲かじ若桜 散りて護らん九重の庭
春なれば散りし桜もにおうなり げにうたかたの花と散るとも
七生報國
生死辛酸不足論 明鏡止水唯此贍 君詔豈辞水火中 七生報國極天
堀田 耕之祐 少尉・予備 4期/京都大学
. 昭和20年 3月30日 輸送艦にて進出の途次敵潜水艦の攻撃を受け戦死(推定)
田中 金之助 二曹・水雷科
. 昭和20年 3月18日 輸送艦にて進出の途次敵潜水艦の攻撃を受け戦死(推定)
遺詠
軽き身に重きつとめで果報なり 砕かで止まじ醜の醜艦
日の本の我も男と歌われん 何処の海の波に砕け散るとも
新野 守夫 二曹・水雷科
. 昭和20年 6月14日 沖縄本島の戦闘に於いて戦死(推定)
伊東 祐之 二飛曹・甲飛13期/土浦空
. 昭和20年 3月18日 輸送艦にて進出の途次敵潜水艦の攻撃を受け戦死(推定)
遺詠
菊水の流れを慕う若桜 梓の弓と征きて還らじ
猪熊 房蔵 二飛曹・甲飛13期/土浦空
. 昭和20年 3月24日 輸送艦にて進出の途次敵潜水艦の攻撃を受け戦死(推定)
遺詠
身は一つ千々に砕きて醜千人 殺し殺すもなおあき足らじ
益良夫のあと見む心つぎつぎに うけつぎ来りて我もまた征く
赤近 忠三 二飛曹・甲飛13期/土浦空
. 昭和20年 6月14日 沖縄本島の戦闘に於いて戦死(推定)
遺詠
踏み越えん道は険しく荊莉なれど 砕かで止まず醜の醜草
荒浪と砕けてかえらぬ身にしあれど 寄せてかえさん御代の弥栄
弾丸はつき太刀は砕けて傷重く 喰糧なきも撃ちてし止まん大君につくさむ心荒海と 寄せては砕かむ醜の醜草
若桜ニ度とは散らじ男なら かくこそ散らん玉と砕けて
. 秋来なば魁け散らん桐の葉も 名利を捨てて実をばとるなり
基地整備員
吉田 洸 中尉
. 昭和20年 6月13日 沖縄/斬込隊に参加し戦死(推定)
樽井 辰雄 兵曹長
. 昭和20年 3月15日 東支那海に於いて輸送艦沈没の際戦死(推定)
横尾 喜三郎 上曹
. 昭和20年 6月26日 沖縄本島に於いて戦死(推定)
富永 一喜 水長
. 昭和20年 6月14日 沖縄本島の戦闘に於いて戦死(推定)
基地要員
島田 昌 軍医中尉・昭和医専
. 昭和20年 6月13日 沖縄/斬込隊に参加し戦死(推定)
河田 直好 機関曹長昭和20年 6月13日
. 沖縄にて敵上陸軍と交戦中戦死
中島 芳男 機関曹長
. 昭和20年 3月18日 輸送艦にて進出の途次敵潜水艦の攻撃を受け戦死(推定)
第一回天隊 メモ
昭和20年3月13日、7名の回天搭乗員が基地要員120名とともに第18号輸送艦に便乗して光基地を出撃。
沖縄に入港直前の3月18日未明、那覇北西の粟国島付近で米国潜水艦スプリンガ―から3度に亘り魚雷8本
の攻撃を受け、輸送艦は1時間もの交戦ののち沈没した。
便乗中の第一回天隊は127名、第18号輸送艦輸送艦の乗員225名、両方とも名簿が無く氏名の調査に長い
年月がかかったが、輸送艦については乗組員全員の氏名住所を明らかになった。
しかし第一回天隊員は僅か14名が判明したに留まり、且つ戦死の期日・場所ともまちまちであり確証は無い。
調査は今なお続いている。
記録
. 小灘利春(兵72、第二回天隊長、元全国回天会々長)
. 第一回天隊の戦闘
資料
奥津城
河合不死男/愛知県渥美郡田原町 郷中墓地
伊東祐之/岩手県盛岡市 永祥院 猪熊房蔵/神奈川県鎌倉市 鎌倉霊園
更新日:2010/09/13