海軍兵学校  七十三期

 

海軍兵学校七十三期生の戦没者は284名。

敗色濃い昭和19年後半から敗戦まで、最も悲惨な戦いの矢面に立ち、生命を賭して祖国を護った殉国の志士

の集まりである。

 

入校

昭和16年12月1日、904名が入校。戦時体制下のため父兄の参列は許されなかった。

入校後1週間目の12月8日、入校教育の最中に連合艦隊がハワイ真珠湾を強襲、米英との戦闘状態に突入した。

12月8日以降は、小生を無き者と思ってください

これがクラス全員の決意であった。

 

在校

年を経るに従い、戦局はますます悪化するとともに、訓練は苛烈の度を加えていった。

  

73期の在校期間は2年4ヶ月に短縮されることとなり、卒業は昭和19年3月に予定された。

昭和18年12月1日、75期3,480名が入校し、73期は卒業までの4ヶ月間で四倍もの三号生徒に

海軍兵学校の伝統を受け継いだ。

日本は危急存亡の時に来ている。

俺達は太平洋に出て大いに暴れるから、貴様達は俺達の屍を乗り越えて来い

73期が海軍兵学校各期のなかで「最も獰猛なクラス」と言われた所以はここにあった。

 

卒業

昭和19年3月22日、898名が卒業。

卒業式は高松宮殿下ご臨場のもとに執り行われたが、入校式同様に父兄の参列は許されなかった。

死地に赴かんとする卒業生達の覇気が生徒館に充満して異様な雰囲気を醸し出していた。

「卒業おめでとう」という言葉は誰一人として言わなかった。

止めどもなく涌き出る涙にむせんだ激情ほとばしる卒業式であった。

昭和19年 3月22日 海軍兵学校73期生の卒業式を報じる新聞

 

練習巡洋艦「香椎」「鹿島」に乗艦して大阪に上陸、列車に乗り継いで伊勢神宮に参拝の後、約一週間の

休暇が与えられた。

卒業と同時に前線に配属され祖国に殉ぜんとする若武者たちが、肉親にそれとなく最後の別れを告げる

ための休暇であった。

 

出陣

昭和19年3月31日、東京品川の海軍経理学校に集合。

4月1日、海軍機関学校54期、海軍経理学校34期のコレスとともに海軍省へ伺候。

4月2日、宮中に参内して天皇陛下に拝謁。その後それぞれの配属先へと別れた。

    

昭和19年 4月 2日 嶋田海軍大臣伺候、昭和19年 4月 2日 大元帥陛下拝謁  を伝える新聞記事

 

艦船要員

艦船要員400名のうち、第一機動部隊へ配属される300名は、呉に入港中の戦艦「大和」に乗り組み、

5月1日にシンガポール南方のリンガ泊地へ到着。各艦に配乗され、航海士・砲術士、通信士、電測士、

甲板士官などの配置についた。

他の100名も横須賀、舞鶴、大湊の軍港から配属艦船に向かった。

 

昭和19年6月19〜20日   あ号作戦(マリアナ沖海戦)

昭和19年9月 1日        海軍少尉任官        

昭和19年10月23〜25日  捷一号作戦(比島沖海戦)

昭和20年 4月 7日      天一号作戦(水上特攻)  .

 

生き残った73期の艦船要員は故郷に帰る事なく、新編成「回天」「海竜」「震洋」などの特別攻撃隊に配属

された。

 

航空要員

航空要員500名は第四十二期飛行学生として霞ヶ浦航空隊に入隊した。8月31日、練習機教程終了。

9月1日、海軍少尉任官、実用機教程に入った。

夏頃まで教官だった関 行男大尉(70期)は、10月25日、神風特別攻撃隊敷島隊の隊長として敵艦 に

体当りした。

教え子へ 「教え子よ 散れ山桜 此の如くに」

 

10月末、航空燃料の枯渇により飛行学生の飛行停止が命じられた。

昭和20年2月28日、教程半ばにして飛行学生修了、実戦部隊に配属された。

 

昭和20年4月1日、「菊水一号作戦」が発動され特攻隊編成。

激戦四ヶ月、燃料不足による練度不足を、若さと殉国の精神で補い戦いつづけた。

 

鎮魂

海軍兵学校を繰上卒業し国難に馳せ参じてから僅か一年五ヶ月、短い戦歴に対して損失は大きかった。

海軍兵学校七十三期生の卒業生902名のうち、戦没者284名。

20〜21才、余りにも短い生涯であった。

祖国に捧げた青春、この時代の典型を見る思いがする。

 

戦没年月 人数 備考
昭和19年  5月  
 6月 25 あ号作戦(マリアナ沖海戦)
 7月  
 8月  
 9月 10  
10月 65 捷一号作戦(比島沖海戦)
11月 23  
12月  
昭和20年  1月  
 2月  
 3月  
 4月 33 天一号作戦(水上特攻、神風特別攻撃隊)  
 5月 29  
 6月 13  
 7月  
 8月 27 終戦後の公務死・戦病死を含む
 9月    
10月 自決、戦病死
11月 公務死(機雷掃海艇)
12月    
昭和21年 10月 戦病死
昭和23年  2月 戦病死
合計 284  

 

海兵73期

更新日:2008/01/06