仁井 喜司雄
海軍大尉
略歴
大正 年 月 日 福岡県直方市出身
昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃
昭和19年 3月22日 海軍兵学校卒業(73期)
昭和 年 月 日 百里航空隊
昭和 年 月 日 攻撃第五飛行隊(木更津)
昭和20年 3月20日 哨戒任務中に敵機と交戦し戦死(享年21歳)
厚生省掩護局 戦死認定書
昭和二十年五月三十日、一一一五鹿島灘付近洋上哨戒の任務を帯び流星一一型に搭乗、木更津基地を発進、
一一五〇神の池五〇度五〇海里付近の洋上まで連絡ありたるも爾後消息を断ち行方不明となる
同三十日、一二一五頃同地点付近において僚機がB−24と交戦せる事実、最近の鹿島灘のB−24の跳梁状況
等に鑑み、之と交戦、被弾自爆戦死を遂げたるものと認定致候
海軍航空軍人某
昭和20年 5月30日、仁井中尉の搭乗する流星は鹿島灘付近の洋上哨戒のため木更津基地を発進、その後
敵艦載機と交戦となり機上にて壮烈な戦死を遂げた。中尉の遺体は鹿島灘から太平洋を漂流して、半月後の六
月十九日に茨城県の大洗海岸(大貫海岸)に漂着した。
当初は無縁仏として処理されたが、地元の関根美喜之介氏のご陰徳により、氏が私財を投じて建立した「無名
戦没二勇士之墓」に「海軍航空軍人某」として、先に同海岸へ漂着した陸軍飛行隊戦没者とともに葬られ、関根
家によって供養が続けられた。
昭和53年、中尉のご遺族の手紙に端を発して海兵73期々友の手によって調査が行われ、この戦史に埋もれた
事実が判明した。
西光院
茨城県東茨城郡大洗町
左(石碑):無名戦没二勇士之墓、右(五輪塔):施主/海軍兵学校同期生
碑文
昭和二十年四月十七日漂着 空覚道勝居士 陸軍航空軍人某
昭和二十年六月十九日漂着 観空道円居士 海軍航空軍人某
更新日:2006/10/09