だるまさんとは何者だ!Q&A

「だるまさんとは何者だ!」早わかりミニミニ辞典 全日本だるま研究会編より  (戻る) (次ページへ)

Q1 だるまには手足があるのかないのか

Q2.どうして張り子だるまは赤いのか

Q3.縁起だるまの目はどうして白いのか

Q4.だるまの眉毛とひげには意味があるのか

Q5.姫だるまが誕生したわけは?

Q6.起き上がり小坊師から起上りだるまへ

Q7.酒胡子〜不倒翁〜起上り小坊師

Q8.面壁九年の座禅をした達磨さん
A.だるまさんはたくさんありますが、みんな、形や表情が違っています。しかし内に宿している心は同じです。その心はお釈迦様の台8代目にあたる達磨大師の精神を引きついでいるのです。達磨大師(5〜6世紀頃の人)は南インドの香至国の第3皇子といわれています。小さいときから仏心が篤く、台27祖の般若多羅について仏教を修得し、法灯を継ぎました。そして中国へ広めるために海路を広州へと渡り、梁の武帝に召されて、仏法についての問答をしました。けれども達磨の言葉は武帝に理解してもらえず、”機熟せず”と達磨はさらに揚子江を渡って洛陽の東方、嵩山少林寺に向かっています。このとき河を渡る姿が「葦葉渡航図」として描かれています。嵩山は中国五嶽の一つで、山腹にある洞窟に座って、有名な「面壁九年」修行をしました。後世、江戸の庶民が壁に向かって9年間も座禅三昧、沈思黙考しておれば、ひげはのび、足は腐り、手も用をなさず、起き上がりだるまのような姿になったであろうと、想像しても不思議ではないでしょう。達磨大師の教えはのちに日本に渡り、禅宗の開祖となって広められました。とくに江戸中期に現れた白隠禅師(1,685〜1,768)無学な庶民にもわかりやすい言葉と戯画によって説法して歩きました。,

Q7.酒胡子〜不倒翁〜起上り小坊師

A.張子(紙を張り重ねたもの)は中国が元祖です。唐の時代(616〜906)は中国文化が華やかに開いたときで、その頃、酒宴で酒をすすめる道具の一つに酒胡子と呼ばれる玩具がありました。その形は尻のとがったコマのようなものでクルクルと廻り、倒れた方向にいた人が何か芸をする決まりなのです。それから500年ほど経った明代に移る頃、日本で室町時代のはじめに、酒胡子が「不倒翁」と呼ばれる張子の玩具に変身して登場しました。不倒翁とは老いてもますます元気な意で長寿をあらわします。室町幕府はその頃、中国との貿易を盛んに行いました。渡航した日本の人たちは軽いものなので、不倒翁をみやげものとして持ち帰ってきたのでしょう。転ばしてもすぐ起き上がるおもしろい動作から、都の人たちは翁を子ども向けのかわいらしい姿に作り代えてしまったのです。それが起上り小坊師です。子どもの成長を願う親の心にもピッタリ合い、おもちゃとして大流行しました。これが江戸へ運ばれて、千変万化・融通無碍の活躍をする起上りだるまへと発展していくのです。

Q6.起き上がり小坊師から起上りだるまへ

A.戦国時代が終わって徳川幕府300年の泰平の時代に移ります。京の都で作られた張り子の起き上がり小坊師は子供のみやげものとして江戸に伝わってきます。才知にたけた江戸の住人たちは、転んでもすぐ起きあがるかわいい小坊師の顔に、墨でひげをいたずら書きしたら、何と話にきいている偉いお坊さんの達磨大師に似ているではありませんか。それが日本中の誰もが知っているだるまさんの発端です。赤い衣を着ているのは坊さんがまとう朱衣を真似たのでしょう。起きあがる姿は病気平癒への願いが込められています。さらに朱色は疱瘡に効き目があるといわれ、子供の病気見舞いの手みやげに格好の品となりました。そして一つご利益がつくと、それを連想していわく因縁をこしらえ”七転び八起き”の縁起をかつぎ、子孫繁栄、商売繁盛など日本人の心の支えとなっただるまは頼れる尊像としてさまざまな分野に担ぎだされて八面六臂の活躍をし、広く庶民の信仰心を集めています。だるまは歳の市や初市を初め社寺の縁日で売られます。そして目を入れる風習がはじまり、1年毎の一廻り大きいだるまに買い代える慣習もできて、ますます広がっていきました。それはすべて禅宗の始祖達磨大師の化身として見立てられているからであります。

Q5.姫だるまが誕生したわけは?

 だるまはインドの偉大な僧侶・達磨大師をモデルにしているので、性別すれば男性である、と言えるでしょう。しかし日本各地には、かわいらしい女(姫)だるまがたくさん作られています。その代表的なものは熊本県竹田の「姫だるま」です。これは”今から300年前、貧しい武士の家でのこと、ある雪の降る寒い夜、いじわるな姑に追い出された綾という名の嫁が2日2晩、納屋に潜んで餓えと寒さに耐え、凍え死ぬ直前に夫に助けられました。急を聞いて駆けつけた姑も嫁の家を思う心にしばし涙にくれ、自らの行いを反省し、以後一家は平和に暮らした”という話をもとに、この嫁の忍耐強さになぞらえて作られたといわれています。他には、半太夫という遊女が、”だるまは九年面壁だか私達遊女は苦界十年だ”といった言葉をもとに、画家の英一蝶が半身遊女の顔をしただるまを描き、それを元にして作ったのが「姫だるま」である、という説もあります。また、金沢の「八幡起上がりや松山の「姫だるま」は八幡神社の祭神である応神天皇産着姿になぞらえて作られたそうです。「加賀八幡起上がり」は江戸時代から”タンスにしまっておけば女や子供の衣服が増える”といって婦女子に愛好されています。さらに”子供の誕生日に健やかな成長を祈って贈られる”という風習もあります。
Q4.だるまの眉毛とひげには意味があるのか

 一般に縁起だるまの顔には太く、勢いのある立派な眉とひげが描かれています。代表的な産地・群馬県の高崎だるまの眉は鶴を、ひげは亀をデフォルメして描いたものです。またひげは松を意味し、目の回りの円い枠は竹を、鼻の穴は梅を意味しているともいいます。また、だるまの腹や脇に縁起の良い意味の言葉が書き込まれ、まことにめでた尽くしです。福神、宝船から鶴亀、松竹梅で長寿をを祝い、開運招福、千客万来、商売繁盛、子孫繁栄などと美辞麗句を並べたてて盛り上げます。これが江戸時代から伝わるだるま売りの、庶民の幸せを願う口上です。ところでだるまの眉やひげは、ふつう職人さんが筆で1つ1つ丁寧に描きますが、だるまの種類の中には、実際に眉やひげを生やして男性美を強調した”ひげだるま”も作られています。「多摩だるま」(東京)「平塚だるま」(神奈川)「松本だるま」(長野)、「静岡だるま」(静岡)などは、特徴のあるひげだるまとして有名です。

Q3.縁起だるまの目はどうして白いのか

A 
だるまはもともと、目が描かれていました。しかしだるま市(主に関東)などにでる縁起物の張り子だるまは目の色が白色のまま売られています。そして縁起だるまは”買ったとき本人またはお坊さんが墨で片目を描き、1年後に掛けた願い事がかなっていたらもう片方の白目にも黒目を描いて、両目を開け、だるまを買った市の寺に戻して焚き上げていただく。そしてまた前年より一回り大きいだるまを買い換える”という風習があります。縁起だるまに目が描かれない理由は、達磨大師が蒿山少林寺の洞窟で修行中に眠くなって困った。「この目があるからまぶたがふさがるのだ」と目をむしり取ってしまっただどという豪快な説もありますが、実際にはだるまは売買されるときに顔の善し悪しを重視され、数多い中には目の描き方がまずいものもあります。すると売れ残ってしまうので、それならばいっそのこと白い目のまま売って、お客さんに自分で目を描いてもらえばよいというアイデアが生まれたのです。”だるまに願いを込めて自分で目を描く”さらに”縁起だるまは1年で買い換える”・・・こうした優れたアイデアにより、だるまさんが庶民の信頼を得て人気が高まり、江戸時代から今日まで絶えることなく、年々、数百万個という大ロングセラー商品となっているのです。

Q2.どうして張り子だるまは赤いのか

 誰もが知っている張り子の起きあがりだるまは赤い色をしていますが、これは達磨大師が着ていた僧衣の色(最高位の僧侶がまとう色)が赤だったからです。そして、だるまの全面に描かれている金色の模様は袈裟を意味しています。
 ところで江戸時代の終わり頃にはだるまは”疱瘡除け”のまじないとして庶民に重宝されました。疱瘡は、いまは予防されていますが、昔は子供の頃には誰でも一度はかかる病気で、高熱をだし、苦しまねばなりません。そして人類の長い体験から”赤い色は病を治す”という言い伝えがあって、赤い色をしただるまは、怖くて赤い顔をした鍾馗さまなどといっしょに、疱瘡を除けるシンボルとしてもてはやされたのです。事実、赤い色が疱瘡に効果があることは、のちに医学的にも実証されています。

 なおだるまは赤い色ばかりではありません。例えば甲府の「子持ちだるま」は養蚕の繁栄や、子供のすこやかな育ちを願って白い色をしています。最近ではこの他にも黒や緑など様々な色をしたものがあり、パンダ模様をした「パンダだるま」(神奈川県川崎大師)虎模様の「(阪神)タイガースだるま」(京都市長岡市)などユニークなものも作られています。 


Q1 だるまには手足があるのかないのか

 ふつうのだるまには手足が見えていません。これは元々だるまは達磨大師が座禅している姿をもとに作られたからですが、一説には「達磨大師が少林寺洞窟内で壁に向かって9年間、座禅をしていたから足が退化してしまい、ついでに手も邪魔だから切ってしまった」という乱暴ないい伝えもあります。とにもかくにも、この手足が衣に隠れただるまさんが倒れてもすぐ起きあがる姿に、庶民は江戸の昔から勇気づけられ、励まされてきたのです。
  ところが数多いだるまの中には手足が描かれたり、見えるのもいくつかあります。静岡の「森大黒起きあがりだるま」には手足らしきものが描かれており、また浜松の「酒買いだるま」や岡山の「百々だるま」には立派な手足がついています。まただるまのすべてが座ったものばかりでなく、石だるまや土だるまの中には立った姿勢のものもたくさん見られます。

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