
懐かしのテレビラジオ録音コレクション
テレビ局名アナウンス・放送開始終了音楽集

NETテレビ(現・テレビ朝日)の受信確認証(ベリカード)
私は中学生だった1974年から75年にかけて、テレビ局の一日の放送開始・終了時の音楽や局名アナウンス(ステーションコール)を録音することに凝っていました。NHK・民放各局の録音が多数手元に残っていますが、自宅があった京都市と、母の実家があった長野市とで録音収集したものの一部を以下に掲げます。「再生」をクリックしてお聴き下さい。
局名アナウンス(WAVE形式、各40〜60KB程度)
局名 | コールサイン | 受信場所 | コメント | |
東京12チャンネル | JOTX-TV | 長野市 | 現在の「テレビ東京」(1981年改称) | 再生 |
NETテレビ | JOEX-TV | 長野市 | 現在の「テレビ朝日」(1977年改称) | 再生 |
NHK大阪テレビジョン | JOBK-TV | 京都市 | | 再生 |
NHK大阪教育テレビジョン | JOBB-TV | 京都市 | | 再生 |
NHK京都テレビジョン | JOOK-TV | 京都市 | | 再生 |
NHK大阪テレビジョン放送試験局 | JO4W-TV | 京都市 | 1970年から75年にかけて開設されていたUHF14チャンネルの実験局 | 再生 |
NHK東京テレビジョン | JOAK-TV | 長野市 | | 再生 |
NHK東京テレビジョン放送試験局 | JO2W-TV | 長野市 | 大阪の放送試験局と同時期に開設されていた。関東地方のUHF局の電波を長野で受信するのは無謀だが、雑音の中にかすかに男声で「JO2W-TV、こちらはNHK東京テレビジョン放送試験局」と聞こえる。 | 再生 |
NHK長野テレビジョン | JONK-TV | 長野市 | | 再生 |
NHK長野教育テレビジョン | JONB-TV | 長野市 | | 再生 |
NHK神戸総合テレビジョン | JOPP-TV | 京都市 | 木造平屋の自宅屋根に上りUHFアンテナを神戸の方向に向け受信。おかげで京都のUHF局を受信できなくなり親に叱られた、思い出のある録音。 | 再生 |
放送開始・終了音楽集(WAVE形式、各70~100KB程度)
テレビ大阪以外は1974〜77年にかけて録音したものです。ホームページ容量の制約等のため、各曲とも冒頭10秒程度ずつのご提供にとどめさせていただくことをご容赦下さい。
関東
- 日本テレビ(放送開始・終了同じ)【再生】
→昭和28年の開局以来のマスコットである鳩のアニメーションで有名です。
- 東京放送(TBS)放送開始【再生】
- 東京放送(TBS)放送終了【再生】
- フジテレビ 放送開始【再生】
→富士山の全景を微速度撮影した幻想的な映像でした。曲は「夢」です。
- NETテレビ(現・テレビ朝日)放送開始【再生】
- NETテレビ(現・テレビ朝日)放送終了【再生】
- テレビ朝日 放送開始【再生】
→1977年4月1日に録音した、テレビ朝日の記念すべき局名改称第一声です。
関西
- 毎日放送(MBS)放送開始【再生】
→ファンファーレと共にマイクロウェーブ鉄塔が徐々に大写しになるシーンは、個人的に思い入れがあります。
- 毎日放送(MBS)放送終了【再生】
- 朝日放送(ABC)放送開始【再生】
→真鍋博的なイラストが使われているオープニングでした。
- 朝日放送(ABC)放送終了【再生】
- 関西テレビ(KTV)放送開始【再生】
→ヘリコプターからの大阪城とテレビ局舎の映像がオーバーラップする、活気のある映像でした。
- 関西テレビ(KTV)放送終了【再生】
- 読売テレビ(YTV)(放送開始・終了同じ)【再生】
→洋画劇場風の音楽に乗せてコンピュータグラフィックのような文字列が踊る印象的なアニメーションでした。
- テレビ大阪(TVO)(放送開始・終了同じ)【再生】
→1982年3月録音。同年4月に開局した同局の試験放送時代のオープニングです。
- サンテレビ(SUN)放送開始【再生】
- サンテレビ(SUN)放送終了【再生】
- 近畿放送(KBS、現・京都放送)放送開始【再生】
- 近畿放送(KBS、現・京都放送)放送終了【再生】
信越
- 信越放送(SBC)放送開始【再生】
→長野県民が愛唱する県歌「信濃の国」が使われていました。
- 信越放送(SBC)放送終了【再生】
- 長野放送(NBS)放送開始【再生】
- 長野放送(NBS)放送終了【再生】
電力節減に伴う臨時の措置として....(WAVE形式、各100~200KB程度)
1974年当時、中東戦争に伴うオイルショック(石油危機)により、高度成長を驀進していた日本経済にブレーキがかかり、物価の高騰や、トイレットペーパーに代表されるモノ不足が深刻となりました。新聞はページ数が削減され、テレビ放送は放送時間の短縮が図られました。当時のNHKは、総合テレビ、教育テレビ、UHF試験局の放送終了を23時台に繰り上げたのみならず、平日の昼間には放送休止時間を設けていました。昼間の放送休止は約1時間で、総合テレビと教育テレビの休止時間をずらし、どちらか一方は放送されているように配慮されていたようです。
- NHK UHF試験放送終了アナウンス【再生】
「電力節減に伴う臨時の措置として、NHKのUHFテレビジョン試験放送は放送時間を短縮し、今日の放送はこれをもって終わらせていただきます....」
- NHK総合テレビ 放送終了アナウンス【再生】
「電力節減に伴う臨時の措置として、NHKの総合テレビジョンは放送時間を短縮し、今日の放送はこれをもって終わらせていただきます....」
- NHK教育テレビ 放送終了アナウンス【再生】
「電力節減に伴う臨時の措置として、NHKの教育テレビジョンは放送時間を短縮し、今日の放送はこれをもって終わらせていただきます....」
- NHK総合テレビ 昼間放送休止開始アナウンス【再生】
「電力節減に伴う臨時の措置として、総合テレビジョンの放送は4時25分まで休ませていただきます....」
- NHK総合テレビ 昼間放送休止終了アナウンス【再生】
「お待たせいたしました。NHK総合テレビジョンの放送を再び始めます....」
- NHK教育テレビ 昼間放送休止開始アナウンス【再生】
「電力節減に伴う臨時の措置として、教育テレビジョンの放送は5時半まで休ませていただきます....」
- NHK教育テレビ 昼間放送休止終了アナウンス【再生】
「お待たせいたしました。NHK教育テレビジョンの放送を再び始めます....」
NHK UHF試験局
NHKは、1970〜75年に東京と大阪で14チャンネルのUHF試験局を運用していました(東京 JO2W-TV、大阪 JO4W-TV)。プログラムは、夕方までは総合テレビと同一でしたが、夜間は教育テレビの番組が混在していました。特徴的だったのは、その日の朝の連続テレビ小説が夜に再放送されていたことです。ホームビデオが普及していなかった当時、これは重宝されただろうと思われます。なお、東京の試験局のチャンネル(14ch)は、MXTV(東京メトロポリタンテレビ)に受け継がれています。
- さようならUHF試験局(WAVE形式、468KB)【再生】
1975年4月7日に閉局した際の最後のアナウンスです。
「NHKでは、東京と大阪で行なっております14チャンネルのUHF試験放送を、明日から休止させていただきます....」
おまけ
- NET→テレビ朝日 局名変更予告CM(WAVE形式、104KB)【再生】
→1977年3月放送。声は黒柳徹子さんです。当時すでに人気番組「徹子の部屋」が放送されていて、黒柳さんはNETの看板タレントでした。
- 毎日放送社長新年挨拶・ネットチェンジ予告【再生】
→1975年元旦の放送開始時の社長挨拶です。大阪の毎日放送と朝日放送は元々、それぞれ東京のNET(現・テレビ朝日)とTBSの系列でしたが、同年4月1日にその関係が逆になり、今日に至っています。この社長挨拶では、そのことが予告されています。(原録音は長編のため関係部分のみに編集してあります)
両局のネットチェンジのいきさつについては、Wikipediaの「毎日放送」および「朝日放送」の項目に詳しく書かれています。
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