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米軍立川基地の残骸

1999年5月14日開設
2009年9月26日最終更新

東京都立川市と昭島市とにまたがって存在した米軍立川基地は、1977年(昭和52年)に日本に返還されました。跡地の大半は国営昭和記念公園、立川広域防災基地、陸上自衛隊立川駐屯地東部方面航空隊などに転用されましたが、昭島市域内のJR青梅線東中神駅北側に広がる跡地は、なぜか未転用のまま今日まで放置され、草ぼうぼうの状態で鉄柵で囲われたままになっています。私が東中神駅北側の住宅地に転居してきたのが1997年夏。返還から既に20年も経っていたのに、周囲には米軍が駐留していた頃の名残が随所に見られました。この珍しい不思議な風景は、記録に残しておきたいと感じさせるものでした。 ところが私が転居してきてから僅か2年弱の間に、中神側線の線路撤去、バス停「ランドリーゲート」の名称変更など、基地の名残は確実に消える方向にあります。また昭島市による東中神駅北側の再開発計画が具体的に動き出しており(※)、消えるピッチは上がっていくものと思われます。

(※)東中神駅北側の基地跡地に、都内などに点在する医療刑務所や少年院など9施設を移転・集約させる計画を、法務省が2007年9月7日に発表しました。この「国際法務総合センター」(仮称)構想について、法務省大臣官房長が昭島市長に行った説明はこちら(昭島市作成文書・自治会回覧用)の通りです。

沖縄の例を持ち出すまでもなく、米軍基地は地元にとっては一般に迷惑な存在であり、立川基地でも砂川闘争のような激しい時代もあったそうです。また同じ昭島市内には、村上龍の小説「限りなく透明に近いブルー」の舞台にもなった米軍横田基地が今も活動しています。しかし私のような「よそ者」は、基地の名残を単なる珍しい風景としてカメラを向ける対象にしてしまいます。こんな私は平和しか知らない不謹慎者なのかもしれません。

本ページは、東中神駅周辺に見られる立川基地の残骸を追った記録です。

地図

邸宅跡

邸宅跡?

昭和記念公園の昭島口ゲートを出てすぐ北側の未転用地に、廃虚となった邸宅らしきものが残されています。


タンクローリ

タンクローリ?

上記邸宅と道路を隔てた向かい側に、タンクローリと思われる金属物体が傾いたまま放置されています。天井には星が描かれており、明らかに米軍関係のものでしょう。(このタンクローリは撤去され、今はもうありません:2009年9月記)


中神側線

中神側線

JR青梅線中神駅から立川基地まで敷設されていた引込線の跡です。線路はほぼ全線に渡って永く放置されていましたが、残念ながら(?)つい先日(1998年)に全面撤去され、跡地は舗装されて何の変哲もない歩行者道路になってしまいました。線路撤去直前に私が全線を踏破して撮影した写真を、別のホームページ「我が家の近所の鉄道廃線跡」の中に載せてありますので、ご参照下さい。立川基地の残骸の中では最大級といっていいものでした。


西立川駅プラットフォーム跡

西立川駅プラットフォーム跡

JR青梅線西立川駅の青梅寄りに、線路の北側に沿って廃プラットフォームと廃線路が草に埋もれて放置されています。青梅線の車窓からも柵越しによく見えます。前述の中神駅もこの西立川駅も現在は静かな旅客駅ですが、基地があった頃はおそらく貨物扱いもしていた大きな駅だったのでしょう。


ランドリーゲート ランドリーゲート煙突

バス停「ランドリーゲート」(現「富士見通り」)

立川基地跡地の西端に沿って走る富士見通りに、「ランドリーゲート」という奇妙な名前のバス停が最近まで存在していました。このバス停は、鉄柵で囲われた未転用地に面した何も無い場所にありますが、立川基地があった頃にゲート(基地の出入門)があった場所で、そのゲートの脇には兵士の衣類を洗濯する工場が建っていたのだそうです。立川基地が返還されてゲート自体が無くなった後も、昔の名前がバス停として20年間も使われ続けていたことは奇跡的といえます。しかしこのバス停は惜しくも(?)、1998年11月27日の多摩都市モノレールの開業に伴う周辺地域のバス路線・時刻表の改正に合わせて、「富士見通り」というありふれた名前に変わってしまいました。左写真のバス停は改称後のものですが、「富士見通り」の文字はシールで貼られており、ごく最近に改称されたことがわかります。バス停名のシールの右端には「ランドリーゲート」の「ト」の一部がはみ出しています。右写真は同バス停付近の様子で、旧陸軍航空工廠時代の洗濯工場ボイラー煙突が今も残っています。

●昭島市役所あて公聴はがき(滝沢修、2000年1月提案)
「ランドリーゲートが存在した場所を示す説明板の設置を望む」

[要旨]松任谷由実の歌に登場し、全国のユーミンファンの訪問スポットにもなっているランドリーゲート跡に、昭島市による説明板を設置することを提案する。

●昭島市役所からの電話回答(担当:島田氏、2000年2月4日)

ランドリーゲートは戦前の陸軍の時代から洗濯工場が存在し、米軍が接収した後も操業を引き継いだ場所である。松任谷由実の名は知っていたが、ランドリーゲートにまつわる歌がありファンに知られている場所だとは知らなかった。平成13年度から始まる昭島市の第4次総合基本計画の中で、「歴史の散歩道」として市内の歴史的名所に碑を立てる予定があるが、立てる場所の一つとしてランドリーゲートを加えることを検討したい。

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