---えどめぇるまがじん---

〜開かれた秘境への誘い〜
江戸老舗探訪記
その六「石鍋商店」(東京・王子)

<取材・文:福島 朋子>



72_くず餅メイン

 
 江戸の後期から庶民のおやつとして親しまれてきた「くず餅」。実はこれ、江戸発祥の嗜好品で、東京以外の場所では、あまり知られていないようです。「くず餅」という名前から、「葛」が使われているのかと思いきや、原料は小麦粉。しかも仕込みから店頭に並ぶまで優に2年はかかる発酵食品だというのだから驚きです。今回はそんな奥深い「くず餅」を江戸の製法そのままに作り続ける、東京・王子の「石鍋商店」さんを訪ねてきました。

48_秀子1さん
石鍋 秀子さん
今年80歳になるという秀子さんだが、その記憶力は若い者顔負け。「北区史を考える会」に所属し、地元の歴史にまつわる研究文なども発表している。
「くず餅」は発酵食品!?
 「関西の人は『くず餅』って言ったら、葛粉を練って蒸かしたものだと思っていますよ。関西は『葛きり』を好んで食べる場所ですからね。こっちで言う『くず餅』なんて食べないの。『くず餅』はやっぱり江戸のものですよね」
 と「石鍋商店」四代目現店主のお母上、秀子さんが言うように、「くず餅」は江戸から外にはあまり出たことのない食べ物だったらしい。こちとら、江戸っ子! とまではいかなくても東京生まれの東京育ちだから、じいさまの好物としてお相伴にあずかる、なんてことはしょっちゅうあった。だから当然のごとく「くず餅」と言えば冒頭写真のような乳白色のソレを思い浮かべるのだが、地方に行ってしまうと、この江戸バージョン「くず餅」を知らない人も意外に多いようだ。
 また、知っていたとしても、「くず餅」が小麦粉の澱粉(デンプン)からできている発酵食品だと知る人は、それほど多くないかもしれない。そこでまず、「くず餅」の歴史から紹介しよう。
 「くず餅」というのは、こちらの店の商品名がそうであるように、漢字で「久寿餅」と書くのが正解。この字を見れば、葛が原料の「葛餅」との混同も減るのではないだろうか。
 言い伝えによると、天保(1830〜1840年)の頃、偶然雨に濡れてしまった小麦粉を樽に入れて忘れていた「久兵衛」という江戸の人が、翌年の飢饉の際にその小麦を思い出し、蒸して食べてみたのが始まりという。この「久兵衛」さんの「久」の一文字と無病長寿を祈願して「久寿餅」と呼ばれるようになったのだとか……。
 1年も小麦粉を放置する……なんていうくだりからわかるように、「くず餅」はかなりの時間を要して作られる発酵食品なのである。
 「『くず餅』が発酵食品だなんて知らなかった、という方がよくいらっしゃいますけど、本当に作るのが難しいものなんですよ。気温や気圧に出来が左右されますし、菌が入ってる生き物ですからね、それはデリケートな食べ物なんです」
 なるほど、では実際にその製造過程を教えてもらうとしよう。

2年越しの「久寿餅」作り
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石鍋商店 四代目店主
石鍋 和夫氏
ロッククライミングが趣味という和夫氏は、生死が隣り合わせになる厳しい世界に身を置いてきた山男らしく、菓子作りにおいても妥協がない。
 小麦粉は大きく分けると、澱粉と蛋白質(グルテン)の二つの要素から成り立っている。「くず餅」にはそのうちの澱粉だけが必要であり、もう一方の蛋白質は邪魔者となる。なんだか贅沢……と思いきや、実は「麩」の原料となるのが小麦のグルテンであり、焼麩屋ではこのグルテンだけを抽出し、澱粉は無用の産物となる。そこで、世の中よくしたもので、澱粉を焼麩屋から引き取ってくるところから、「くず餅」作りはスタートする。さすがエコロジー都市と呼ばれた江戸生まれの食べ物。無駄なことは決してしないのだ。
 そして、とにかく長いのが原料の澱粉を寝かせる時間だ。「くず餅」は澱粉を寝かせ、発酵させることで独特なモチモチした食感を作り出す。しかも、その発酵期間は1年半〜2年も要するというから驚きだ。
 石鍋商店では、焼麩業者から1年程度木樽で寝かせた澱粉をもらい受け、裏の倉庫にあるこれまた巨大な木樽で、さらに半年〜1年ほど寝かせる。ちなみに、この焼麩業者も自製の麩にこだわり、良質な小麦を使用しているため、当然澱粉も質が良いものになる。
 発酵させた原料は「1年もの」や「2年もの」に分け、これを作る時期の気候等を考慮して攪拌タンク内でブレンドする。もちろん、この加減は経験のたまもの。分量は決まっておらず、職人の勘の世界だ。
 その後、タンクに水を入れて満水にし、最低10時間程度置くと澱粉が沈殿するので、上澄み液を流し捨てる。
 水を入れて沈殿させ上澄み液を捨てるこの作業は、酸味や発酵臭を取り除くため。2年も発酵させた澱粉の臭いは強烈なもので、この「攪拌、満水、沈殿、上澄み液を捨てる」という作業は合計3回も行う。つまり、この作業だけでも丸々30時間はかかるというわけだ。
タンク1・14_流し込み・20_蒸し・02_蒸籠くず餅
01 攪拌タンクのイメージ。今ではだいたい3回くらいの水の取り替えで済んでいるが、昔はタンクのサイズが小さかったため、5回はやっていたという。02 60度の湯で糊状にした澱粉を蒸籠に流し込む。03 強力な蒸気で一気に蒸かす。和菓子の世界では考えられないほど強い蒸気のため、慣れないと大やけどをするそうだ。04 出来上がった「久寿餅」は蒸籠から「すだれ」にあけた状態で粗熱をとる。
 しかも、この作業、水を取り替え過ぎるとコシのない「くず餅」となってしまうから、その見極めも非常に難しいものなのだ。
 次の工程では、タンクから取り出した澱粉に湯を入れ、もったりとした糊状にする。それを蒸籠(せいろ)に流して高圧の蒸気を当てて蒸す。
 この蒸す瞬間というのがまた職人の腕の見せ所であると言う。
 「同じ時間、同じ温度で蒸かしたからといって均一な物ができるわけじゃないんですよ。その日の温度、湿度などが影響して、一時として同じようにはいかない。だから色とか指で押した感覚で判断しながら蒸かしあげます」(四代目店主 和夫氏)
 こうして、状態を丹念に見ながら蒸かしあげられた「くず餅」は蒸籠に入れられたまま常温でしばし冷まされ、やっとおみやげ用の大きさに切り分けられて石鍋商店の「久寿餅」になるのだ。

12_パッケージ開き

02_パッケージ
「久寿餅」 500円(2人前)
これだけ手がかかっていて、2人前500円は泣かせてくれる……。こちらの「久寿餅」は真空パックなどせず、薄いビニールにくるまれ、紙のパッケージに詰められている。常連さんは買って帰ったら、すぐ食べるものだとか。
 
くず餅は食感が命!
 気の遠くなるような手の込んだ「くず餅」作りだが、そのこだわりは後述するとして、このあたりで「久寿餅」をいただいてみることにしよう。
 この石鍋商店では、お店で1人前を頼むと三角に切られた「久寿餅」が気前よく7枚盛られてくる。ここにきなこをかけ、さらに黒蜜をタラーリとたらして、いただく。
 大きな口を開けて、まずは一切れを噛んでみる。むむむむむっ、けっこうな厚みがあるものを口の中で噛み切るのだが、その感触がたまらない! ムチムチと弾力があり、決して硬くはないのだけれど、ぷりぷりと歯を押し返すような力強い食感が迫る! うわっ、本物の「くず餅」とはこんなに弾力があるもんなのか、と思わず唸ってしまう。
 「そうなの、何よりも『くず餅』は食感を楽しむためのものなんですよ」(秀子さん)
 だから、冷蔵庫で冷やしすぎるのはもってのほかだと言う。もちろんこちらの「久寿餅」は、保存料など入れていないし、食感を損なうからと真空パックにも入れていない。だからおみやげとして持ち帰ったら、もつのはせいぜい2日。思わず冷蔵庫に入れてしまいたくなるが、食べる前に、野菜室に30分から1時間、硬くならないようにタオルや新聞にくるんで冷やすのが限度。なんともデリケートなものだ。
 「江戸の人なんて買って置いとくことなんてしなかったでしょう。よく『橋ひとつ渡っても味が落ちる』と言われたくらい。真空パックにすれば4、5日は持つんだろうけど、味が落ちるし、ウチはこうして昔ながら、その日作ったものをその日に食べてもらえるように、少しずつ作っているんですよ」(秀子さん)
 正直これまで、「くず餅」は家にあれば食べる、という感覚であったが、ここの「久寿餅」なら、わざわざ買い求めにきてしまうだろう。明らかに子供の頃によく食べていた「くず餅」とは違う。この違いは何からくるのだろうか?

22_木樽
2tほど入る木製の樽。身長151cmの記者では台を使ってもなかなか中を覗くことはできなかった。昔は杉の木を使用していたが、これだけ大きな樽を作るためには樹齢100年以上の木が必要で、現在では伐採が難しく、椹(さわら)を使用。
26_木樽中
澱粉を長期間寝かせているため、かなりの発酵臭がある。要は田舎にあった汲み取り式トイレの臭い? これが、あれほど美味しい「くず餅」になるとは……。納豆同様、初めて食べた人は勇気がいったことだろう。
 
こだわりは道具にまで……
 まず注目しなければいけないのが、じっくりと澱粉を寝かせる樽である。この樽、石鍋商店ではあくまでも木製にこだわっていた。
 「今はね、ステンレスの樽を使っているところもあるみたいだけど、やっぱりウチは使いたくないね。発酵度合いが上の部分と下の部分で全然違ってしまうからね。木は、呼吸してるでしょう。『くず餅』ってね、菌が作る生物だから、樽だって呼吸をしている木製じゃないとダメなんですよ」(和夫氏)
 見てほしい、写真の木樽を。これは石鍋商店の木樽だが、その立派なこと。だいたい2tは入るというが、この樽のメンテナンスがまた大変なのだ。表面に見える「タガ」などは、本当は鉄製の方が強度はあるが、ここではすべて竹製のため、弱くなるとバチンと弾けることがあるそうだ。実際、石鍋商店にはもう一つ木樽があるのだが、現在、専門の職人の元で梁直しの修理中。すでに作業は終わっていて引き取りにいかなければならないそうだが、多忙のため、まだ取りにいけないらしい。
 「運送屋さんに頼んで運んでもらえば、って言うんですけど、息子がね、ダメだって。『無理を言って職人さんに直してもらっているんだから、自分が出向かなきゃ失礼になる』ってね。あれも相当な頑固者です(笑)」(秀子さん)
 なるほど、四代目は道具にかける愛情や職人に対する礼儀には確固たるものがある。「くず餅」の粗熱をとる時に使う「すだれ」という道具も、今ではほとんど作る技術を持つ人がいないそうだが、四代目はなんとかこれを作れる職人を探し出し、頼み込んで作ってもらったのだという。
 「木樽を作る人でも、すだれをつくる人でも、職人はみな『明日は1cmでも上に行こう』と思ってますからね。そういう人と話しているとお互いにわかるんですよ。だから無理を言っても、なんとか作ってもらえる。もちろん、自分でもある程度は道具の作り方を勉強しました。だって、ある程度わかってる人と、まったくわからない人だったら、相手の職人さんだって心意気が違ってくるじゃないですか」
 原料にこだわり、道具にこだわり、絶え間なく技術を磨く。だからこそ、あの「久寿餅」の食感を今に残せているのだろう。
 四代目は言う。「『くず餅』なんて本当に難しいものだ」と。「とんでもない世界に入ってしまったと思う」と。
 「『くず餅』を蒸かして最後にあげる時は、今でも一瞬、迷うんです。10年やればある程度はわかるんだけど、微妙な加減が難しい。あの最後のあげる瞬間というのは、集中していますね、冗談はちょっと言えない(笑)。でもその一瞬一瞬、気が抜けないところがまた好きなんでしょうね。『くず餅』を作るなんて果てしなく続く修行のようなもの。でも、どっかたまらない部分があって、ランニング・ハイじゃないけど毎日毎日、それを続けている感じですね」
 これほどまでに手がかかる「くず餅」作り。そこには、江戸の製法をそのままに残す厳しさと職人の情熱がいい具合に合わさって「久寿餅」を守り続けていた。決して儲かる仕事でもないだろうが、手前勝手な客の一人としては、「この味を残してください」と祈るしかない。どうか、このまま走り続けて欲しいと、切に願う次第であった。

04_酒まん割
41酒まん群&02_酒まん単
酒まんじゅう
 120円(1個)
和夫氏が2年もの間試行錯誤を繰り返し、5年前より売り始めた本物の「酒まんじゅう」。よく観光地などで見る酒まんじゅうは、酒粕で香り付けし、ベーキングパウダーで膨らませてしまうのだが、こちらは純粋に酒母(もと:酵母を純粋に大量培養したもの)で膨らませている。まだまだ研究中と言うが、ほのかな酒の香りがなんとも優しくて美味しい。
13_あんみつ横
あんみつ
 360円(1カップ)
こだわりの「かんてん」に、富良野産のイキのいい「豆」、トマトとほうれんそうで着色した「ぎゅうひ」に、缶詰とはまったく違う瑞々しいシロップ浸けの「さくらんぼ」などなど、石鍋商店さんでは「久寿餅」以外の商品でもこだわりが満載。
44_天草
神津島産天草
 最上級の天草と言われる神津島産の「晒(さら)し」。このほか3種ほどの天草をブレンドし、「かんてん」と「ところてん」が作られる。この天草で約5000個の「あんみつ」が作れるという。
22_ところてんあり
ところてん
 180円(1カップ)
「かんてん」と同じ素材を使っているので、「ところてん」としてはちょっと食感が硬め。しっかりとした歯触りがこれはこれで、また美味。「ところてん」はカップ以外でもおみやげ用に3人前、5人前と、お店でにゅるにゅると突き出してくれます。


93_店舗外観



石鍋商店
創業は秀子さんの祖父の頃で明治20年代。しかしながら、「久寿餅」の製法は江戸の当時のまま。

創業:明治20年代
住所:東京都北区岸町1-5-10
電話番号:03-3908-3165

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