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2017年8月1日 (金)  【宇佐美コロニヘーヴPJ】宇佐美湾を見はらすスウェーデン式週末農園

前回の更新から1年8カ月ぶりです。

体調を崩し、会社にも行けなくなり退職してからちょうど1年経ち、ようやく身体も日常レベルでは復活したような気がする。

そんなわけで宇佐美の開拓もそろそろ再開したいところだ。

そういえば、1年前に職場から回収して植えたヤシの木はどうなっているだろう?と心配しながら訪問すると140坪の土地全体がほぼつる性の植物(クズ)に覆われている

嫌な予感は当たっていた。ヤシの木は固い根元のヤシの実を残して枯れ果てていた。ああ、1度でも見に来ることができていれば、、、ただ、故郷のハワイで見た海を最期に見ることができたと思うのでそれだけは良かったと思いながら合掌。

約9年の生涯を終えたヤシの木の意思を継ぐため、またヤシを買ってきたい。

ともかくもう一度土地を整備しないと、と思いながらコツコツと草を鎌で切り払い、、ユンボを発見した。

さっそくユンボのエンジンをかけると何と一発始動!ディーゼルエンジンの底力を見た。そしてイラストを描いてみた。道は造成済み。9年前に買った『イェンスの畑のある週末』という本を読み返してみると近いイメージがあったので、コロニヘーヴPJと名付けてみました。

2016年1月1日 (金)  【開拓地新規】宇佐美湾を見晴らす絶景土地・温泉付きを取得

この数十年、リゾート不動産のチェックを楽しみにしている。

ずっと気になっていた宇佐美の温泉付きの土地があった。広さは約140坪ほどで、稲取に比べるとあまりに小さいが、インフラが整っているから違う魅力がある。

熱海から稲取までは国道135号を薬60キロほど南下する距離がある。

宇佐美は熱海から十数キロメートル南下した宇佐美湾から少し山の中に入ったところだ。

いわゆる別荘地で、リタイア後の老夫婦が暮らしている別荘が多く、静かなところであるが、電気、水道、温泉、海と全てがそろっている所がポイント。駅に近いところから開発が始まりその後、次第に奥地の開発が進み、駅から6キロも離れたところを分譲中だが、ここは2.5キロで近い。

数年前から出ていたこの物件は売れずに、少しずつ値段が下がり、あるとき一気に下がった。冗談じゃないかという価格だったが、不動産屋に問い合わせてみると、間違いはないらしい。その後半年ほどしてみてみると、今度は値上げしていた。

思い切って、以前問い合わせをしたものだが、その時の価格で売ってくれないか?と交渉したところ、承諾の返事がきた。これは縁と思い即購入。不動産を見ないで買ったのは初めてだ。

土地を実際に見てみると、斜面だけど、なかなか良い土地だ。くずが絡まった土地を10時間ほどかけてきれいにすると、地面が見えてきた。さっそくユンボを運んで土地を造成し始めるが、慎重に慎重に。小さな小屋でも建ててみようかと思うが、興味のある方はご連絡ください。

2015年9月22日 (月)  15年目で成就、最大の難所”ガレ場”開通

健康上の理由で開拓は休止でしたが、そろりと開始。この連休は1日のみ伊豆滞在できることとなった。そこで久しぶりに土地の周辺や復旧した旧街道を見回ると、かなり落石がたまっていたので、整備することを決意した。

ガレ場の前に到達し、いつもなら引き返すのだが、今日はなぜか、「そういえば伊豆大島近海地震で崩れたときに、石の観音様があったが埋もれてしまったと灯台守の子孫の方が言っていたな」との思いがよぎり、岩場を点検してみた。

伊豆の海岸沿い、ペリー来航の際には吉田松陰が通ったという旧街道の友路峠、難所と言われたこの東浦路のこの辺りは旧稲取灯台が建設され、茶屋があったところだ。

15年前にこの街道沿いの山を手に入れたときには、ケモノ道と岩の崩落現場しかなかった。約40年前の伊豆大島近海地震で旧国道やトンネルもろとも崩れた場所だからだ。

初めは人力、後にミニユンボを手に入れてコツコツ道を修復するところから始めた復旧作業も岩場のところに来ると断念し、周囲の岩を1つ1つユンボで運んでどかすことぐらいしかできなかった。

途中、ユンボ転落の大事故を経て、近年は細々と道の整備を続けていたが、3年前には大木が倒れ、ユンボも通行不能になっていた。では、なぜ今回、開通できたか?それは15年の歳月のおかげが大きいと思う。以前は見上げる範囲に岩がゴロゴロと重なって連なり、今にも落ちてきそうだった。開拓マップイラストの右下”ガレ場”をご覧ください。また実際に途中の岩を動かすと隣の岩が動きずり落ちてきたのだった。

あらためて今見てみると、草や直径15センチほどの木々が生えてうっそうとした感じになっている。斜面の岩もほとんど見えないほどになっていた。

もちろん、ユンボで移動した岩は100個にもなるが、100キロから200キロ程度のかわいいもので、数トンもある大岩達は変わらず存在しているが、”止まった”のである。10年前は浮き岩(不安定で落ちそうな岩)を大木にロープで自分の身体を結んで、数多く落としたことが懐かしい。

大岩が6個ほど重なり、全部で10数トンはある塊をゆっくり手で吟味して、少しの緩みを発見した。もしかすると最近の長雨と年月のせいで動いたのかもしれないが、「これは今日動かしてしまおう。」と思った。

慎重に手で小さめの石を動かし、写真右下の3トンほどありそうな岩はユンボのショベルで少しずつ押す。すると、少し回転したので、ゆっくりとさらに回転させ、上の石が崩れてこないのを確認して下に落とした。さらに2トン級、1トン級の岩を落とし、一番下の5トンはありそうな岩はユンボが乗ってもびくともしなかったので、そのまま道になってもらった。耳を澄まし、目を凝らし、集中力でなんとか終了。落とした岩が散らばっているが、日帰りなので時間が無く、本日はここまでとした。ここをもし通行される場合は、慎重に周囲の動向に気を配りながら、足早に通り過ぎてほしい。

帰宅してメガネを外した途端に、ビンと音がしてメガネのフレームが割れた。作業中はこらえてくれてありがとう。

2014年5月5日〜3日間  GWで一気に作る、見晴らしウッドデッキ

今回は近年で珍しく2泊3日の時間がとれたので、もう10年近く放置していたウッドデッキ材を使って見晴らし台を作る計画を実行。

作る場所は小屋の前の斜面にせりだすように、構想は数年前から練ってあった。

骨組みについては、当初の計画は移送してきた古民家の構造材だったが、こちらは10年も経ってもう使うことが難しく、伊豆の温暖な気候ではすぐに朽ちてしまうだろう。そんなわけで小屋建設の足場で使った鉄パイプで作ることに。

朝日の前に起き、海からの日の出を見てからの作業はすがすがしい。

作業の前にレコロというコマ撮り専用カメラを小屋の下にある大木の10メートルくらいの高さに設置して3日間を連続記録した。3日間の記録動画(2分42秒)はこちら

孟宗竹を切りだす作業が結構ハードだったので、最後は時間切れで、骨組みとウリンのデッキは固定まではできたが、サイドの竹デッキは一部持ち越しとなった。

2012年9月2日 (日)  山で失くした眼鏡、9年ぶりの帰還

「青春とメガネは2度と帰ってこない」をご参照ください。
この中で、平成15年に眼鏡を伊東で作ったことがある記録というのが、このメガネを失くした時のことです。

 調べてみると、かれこれ9年前のことになりますが、開拓地の下に面している街道の土の上にこのメガネを見つけた時にはびっくりしました。

 はじめはなんかメガネのようだな?と思い目を近づけるとびっくり。この10メートルくらい上の土地に生えていた木に登って枝を切っていたときにハプニングで眼鏡が飛び落ちて、必死で探した記憶がよみがえりました。

レンズは曇っているが、ほとんど無傷です。今までこの道を車やユンボで何度も通ったのに、、。今置いたような感じです。

 おそらく、何年もかけて、大雨の時などに少しずつ山の斜面を流れてきたに違いありません。

 おりしも2日前御の金曜日にPC作業専用に新しいメガネをオーダーしたばかりなのに、、、。でも嬉しかったです。

 ユンボはキャタピラー交換のためカバーのボルトを外したり、いろいろやってみましたが、メガネレンチが折れて、時間切れで断念。コマツに出張修理依頼となりました。

2012年1月17日 (土)  今年初めての開拓地訪問 好天

伊豆急行に乗って楽々と現地へ。
 朝の気温は低かったが、好天で伊豆七島が良く見える。
昨年の最後は10月7日だったのでちょうど3カ月ぶり。小屋は無事でほっとしたものの、小屋横の高さ15mくらいの大木が倒れていた。おそらく台風の影響だろう。
 
旧街道も竹や木が多く倒れていて誰も通行できない状態だったので、1時間ほどかけて整備した。小屋にはヤマネ君が木の実を蓄えていたのでそっとしておき、屋根に積もった落ち葉などを清掃。

 嬉しかったのは、土地の中にあるミカンに実が10個ほどなっていたこと。
10年程前に自生しているのを発見し、ユズだと思い、周囲の木を切って日光に当たるようにししたが、実が付かなかった。
 初めて見た実はユズではなく、ハッサクのようだ。
 

2011年5月6日 (金)  久々の視察でタケノコ

久しぶりの視察は小屋の扉を開いて中をちらっと見て終わり。
何しろ時間が無い。
しかし、タケノコはにょきにょき生えているので、資材倉庫からショベルを取り出してあわてて掘ると全て途中で折れてしまった。
仕方が無いので、皮としっぽを落として小さな4本を持ち帰ることに。

2011年2月26日 (土)  仕事始めは欲張らず

 まずは車に積んできた大きな荷物のビニールシートを取って、断熱材を出す。Y君は慣れたもので、タッカーで壁板にコンコンとリズミカルに付けていく。 
 
 一方で、私は檜の壁板を車に積んできた台付の電動丸ノコで寸法通りに切断し、Y君に手渡す。さすがに器用なだけあってせっせと釘打ちどんどん進む。
 さて、ちょっとチェックしてみようと、3分の1ほど終わったころ、よく見てみると、今まで貼った板の長さがが全て10センチほど短くてこのままだと柱が出たままになり、仕上げの見栄えが悪くなる。

 「うーん剥がした板はもう使えないし、、、でもまだ予備があるから足りそうだ。」と、やり直しを決意し、そこからは快調に1面終了。

 もう一つの課題だった曲がった電柱は、ユンボも使って垂直に立て直し電柱の頭と小屋とを直径3センチの極太ワイヤーで連結。

 14時過ぎには作業を切り上げ、温泉入ってゆっくり帰ろうと伊豆高原へ。そのあとは渋滞に巻き込まれてしまった。

2011年2月26日 (土)  大島を見ながら、手元もよく見て

 空は青く、海も青い。眼前には大島を見ながら、手元もよく見て檜壁板を電動丸ノコで切断。結構切れが良いのだが、綺麗にカットできる仕上げ用の薄い歯をセットしているために、少しでも曲がると止まってしまう。
 
 キックバックで手が危ないので慎重に作業。とにかく気持ちが良い。

2011年2月26日 (土)  今年の仕事はじめは稲取港の朝市から

3カ月ぶりの伊豆開拓。
 河津桜が満開の今頃、伊豆の海岸線道路はは大渋滞となるので、4時半に家を出発。首都高環状線はまだ混んでいない。東名高速への合流地点で少し混み始めたが、その後は海老名で吉野家牛丼、小田原厚木道路で快調に。

 港の朝市は8時だというのに、人だかりで無料のあら汁には行列ができていた。毎度のことだが、感謝しながら金目鯛のあら汁をいただく。
 
 みかんが10個100円と安いので買い、ワサビ漬けも。

2010年11月28日 (日)  今年はここまで、一面の壁の板張り完成

今日は5時半出発→9時着、朝市であら汁飲んで、さんま寿司とげんなり寿司セットを弁当に。
 沼津回りで帰りたいというY君の希望にそって、2時前に現地を出発して河津、修善寺経由で東名へ。
 案の定、渋滞にはまり、やっと入った東名は3カ所で事故、50キロ以上の大渋滞に。へとへとで、結局6時間半かかって帰宅。

2010年11月28日 (日)  檜の羽目板、下から順々に

手先が器用なY君の協力で正確に、淡々と作業は進む。
 

2010年11月28日 (日)  内装、断熱材を下地に貼り付け

断熱材を実家に保管すること10年程経っただろうか。
 いよいよ使う時が来た。タッカーでガンガン張る。
山ではイノシシ狩りの鉄砲の音がこだまする。

2010年11月28日 (日)  扉から正面に海、そして大島が浮かぶ

今日は海面が波立ち、大島は見えないが、冬場はくっきりと島が浮かび上がる。

2010年11月28日 (日)  ようやく、ここまで形になってきた

小屋の正面扉も取り付けてようやく形になってきた。
この小屋の前面は斜面になっているので、そこにせり出す形でウッドデッキを作成予定。

2010年11月28日 (日)  初公開! 開拓地写真

今年は本当に色々あった年です。開拓は少しだけしか進みませんでした。
 今回が年内の開拓納めになりそうなので、写真を一挙公開します。

2010年11月3日 (水)  久しぶり、内壁板張り、着々と

2カ月ぶりのお許しが出て、友人のY君の都合もあったため、伊豆へ。
 5時半発で、板橋本町でY君を拾い、首都高、中央環状線、東名を快調に3時間で現地へ。
 今日のテーマは壁の板張り。既に国産ヒノキの壁板を購入済みで、車の左側に積載して180cm×10cm×18枚×4束運搬。
 サイズを合わせ、真ちゅう釘にて1枚1枚はめ合わせながら柱に固定。
お昼は「金目の煮付けが食べたい!」リクエストで近場の食事処へ。
 作業を開始し床から天井まで、一セット完了したので、3時には帰途へ。
温泉、高原ビール購入、厚木の渋滞を30分ほど我慢し、いつもの時間には家に到着。

2009年11月28日 (土)  のらりんくらりんの畑仕事2

ブロッコリーの苗はグングン育って、中心部を見るとあっブロッコリーが!

2009年11月28日 (土)  のらりんくらりんの畑仕事1

この前、畝作って蒔いていた小松菜の種がいっせいに発芽したね。
 緑のじゅうたんのよう。