2002年8月16日ホームページ開設からはや2年!伊豆開拓記を中心にアップしています。私の相棒はコマツPC−03というユンボです。重量は約800キロと工事現場によくあるものより、かなり小さいですが、約10馬力。私の感じでは、10人分ぐらいの力持ちです。毎月2回ぐらい現地に通っていますが、行くたびに季節の移り変わりを感じます。時間があるときは近所の温泉につかってから帰りますが気持ちいいものです。構想イラストをアップしましたが、まだまだです。

台風それて快晴、一人静かに土留めの工事
朝5時半発、今日は環八経由で首都高速をパス。距離が短い分到着時間はいつもと同じ。鉄パイプ4本を仕入れ現地に向かう。アジサイとベゴニヤとインパチェンスを植える。眠い目をこすりながら作業に専念し、土留めを3箇所作る。先日大雨の際に崩れたところは斜面の道に水の通り道を造ったおかげで無事。先日幅が狭くて引っかかった道を拡幅開拓地の全貌イラストをアップ。
2004年07月05日 00時23分41秒

開始から1年8ヶ月、ようやく石積み完成
今日は伊豆に行こうかどうか朝まで迷っていた。定期点検のため人目につきやすい駐車場にユンボを置きっ放しにしてあったが、コマツから点検終了の連絡があり、山にしまわねばと思っていたからだ。台風6号が近づいていることもあり、眠たい目をこすりながら5時半に起床、まだ2時間半しか寝ていなかった。初めて新幹線を使って熱海まで快適な旅だ。熱海からは伊豆急のパノラマビューでうとうと、、、。今日は手ぶらで来たのだが、ユンボもリフレッシュしたので石積みの仕上げに入る。最後に残っていた2個の巨石を転がして形を見極め、歯抜けになっていたスペースにはめ込む。欠けていたパズルの最後のピースのようにぴったりはまって感激!2002年10月28日から始めた第一小屋建設予定地の石積みもこれで終了。土地をならしてまたしばらく放置後いよいよ基礎工事に着手できる態勢が整った。石を数えてみたら出ているもので70個埋めたものを合わせると80個を超えるだろう。1個平均200キロぐらいありそうだから総重量は大変なものだ。しばし見入る。
2004年06月20日 22時12分21秒

今季最高の天気、懸案の小屋背面土留めの杭打ち
5時50分発、9時半ケイヨーD2着 鉄パイプ購入後10時半現地到着。快晴で日差しがまぶしいが木陰は程よく涼しい。今日の助っ人は父、到着するなり、頭痛でダウン、コールマンのリラックスチェアーでお休み。午後になっても回復しないので、結局一人で黙々と土留めの準備をする。鉄パイプの打ち込みの際にパイプを押さえる役目のみ父にやってもらう。以前に切り倒したクヌギなどの木(直径25センチ、3メートル平均)を長さを整えた上で、パイプの間にユンボを使って落とし込んでいく。最後に無粋なパイプに竹をすっぽり被せて出来上がり。
2004年06月06日 23時00分53秒

天気予報外れて快晴、涼しい風に作業はかどる
天気が良さそうだったので、朝5時半過ぎに出発。空はもう明るく、首都高速には車が多くなっている。今日のメインの仕事は窓ガラスの運搬。近所でビルのリフォームが始まり、工務店のおじさんに交渉して鉄網入りの窓ガラス6枚と透明のガラス2枚をを無料でいただいた。鉄網入りの窓ガラスは1枚で20キロ近くあり、車の後部にすべて積んで運んだものの、現地までは一輪車で数回に分け、さらに道を登る際には2枚ずつにして慎重に運んだのだが、急坂の途中では何度も止まってしまった。斜面には伊東で購入した芝生を植えてみた。次にユンボのメンテナンス。オイル交換を初めて行ったが、オイルがとても汚れていたので、しばらく運転後に再交換した。海が青くきれいで気持ちがよかったが、地元の老人が話しかけてきたので、土地の水事情などを話したところ、飲むことが可能な湧き水がすぐ近くにあるとわかったのでうれしかった。
2004年05月16日 22時03分40秒

天気は崩れそう、予定早め3日帰宅で合宿終了
2日、おじさんにいただいたサザエを七輪で焼いていたが、炭の火力が弱いので、火の番に任せてちょっと散歩。このあとよく焼けたサザエのつぼ焼きと買い出した刺身、海老をおかずに外ご飯。 3日、降雨のせいで開発した道づたいに水の流れた跡があり溝ができている。崩れた斜面を改修するために木で作った杭を斜面にハンマーで打ち込み、竹を渡して土留めを作った。雨が降っている中をレインコートを着ての作業であった。
2004年05月16日 21時43分09秒

G.W合宿はまずまずの好天、車道開通!
4月30日早朝から作業開始。車からモンキーバイクをおろし、開拓地入りをしようとした途端、道を倒木が完全ブロックしていた。近くの老人の話では、道脇にそびえていた幹の直径が50センチ以上ある巨木が、先日の強風でたおれたらしい。早速チェンソーで太い枝を切り離し、ユンボで道脇に移動した。 今回は全体の道幅を更に拡大し、車を初めて乗り入れてみた。開拓開始から2年半にしてようやく車が通った記念の瞬間だった。恐らく、1978年の伊豆近海地震で 道が崩落して以来のできごとのはずだと思うと、感慨深いものがあった。
2004年05月06日 23時57分50秒

竹の子収穫、気温27度で脱水気味
4月17日、熱海の宿を朝8時20分に出発して、到着は9時半ごろ。何のことはない、家を5時半に出たほうが到着時刻は早いのだ。昨夜は温泉につかりゆっくり寝られた分気分は爽快だが、父がキャンセルしたため一人だった。一息ついて竹林に入ると先週は目立たなかった竹の子(筍)があちらこちらに。きれいに整地してあるところはそのまま残しておいて、山の斜面にあるものを掘り出す。昼は海に降りて岩場で弁当をたべたが、風が強くて波しぶきをあびてしまった。遠くには巨大風車が勢いよく回っていた。帰り際に一際大きな竹の子を掘り出しもって帰った。 そうそう、家を追い出された柱サボテンを植えてロックガーデンを作った。
2004年04月19日 00時09分27秒

気温は初夏並み、竹の子お目覚め
本日4月10日は朝5時半出発。海老名SAでは恒例の吉野家へ行くが、メニューはといえば豚丼と味噌汁に変わっている。今日の作業は入り口までの道の拡幅。もともと2メートルぐらいの幅だった道20メートルを幅3メートルほどに広げた、これで車も通行可能だ。第一小屋建設予定地(斜め上から見る)の地面も少しずつ固くしまってきたようだ。梅雨を越すともっとしまるだろう。竹林には竹の子が顔を出し始めている。そろそろ竹の子BBQを企画しよう。
2004年04月12日 23時55分26秒

河津満開、開拓地の入り口を公開
2月27日は朝5時出発、やや首都高は混雑で、9時半に現地到着。両親を開拓地に案内し、今度は稲取の吊るし雛飾りを観に行く。去年に比べて会場も整備され、かわいい吊るし雛を堪能。早々と河津に向かう。川沿いに咲き誇る桜は今日が満開、菜の花の黄色とのコントラストが眩しいくらい。会社の知人に出会って立ち話をし始めた途端に「立ち話はあちらでお願いします」との声をかけられはっと振り返ると、出店の呼び込みだ。年々有名になり、観光客でごった返するようになると、出店も増加し、客の争奪戦が繰り広げられているようだ。感じが悪いが、1日1日にかける日銭商売の意気込みは伝わった。
2004年03月02日 21時26分28秒

河津の夜桜見物、お好みもんじゃ焼きは熱々
2月21日午前6時発、伊豆到着は10時。小屋建設の土地をならし、ユンボで巨石を3個ほど運搬する。日も暮れる頃河津へ到着。川に沿って並ぶ河津桜がライトアップされて、多くの見物客が散策している。まずはお好みもんじゃ焼きのにおいに釣られて列に並ぶ。熱々をフーフーいいながら頬張り今度は甘酒をすする。あー車でなかったらビールを飲みたいのに。ログハウス館でコーヒーを飲んで温泉に。貸切の露天風呂は広く、中で思う存分に泳ぎまくった。
2004年02月23日 23時39分04秒

冬の快晴、伊豆はぽかぽか
朝5時発8時着、久しぶりに行ってきました。今回は独りで作業。先日途中まで組み立てたヨド物置の完成と石積みの完成がテーマ。2時間ほどで組み立てが終わり、今度は石運び。1輪車にごろごろと転がっている石を入れて石積みの現場まで6回ほど運ぶ。最後はあまりに重すぎて坂道でぶちまけてしまい、転がってきた石にぶつかりそうになった。トップページにある写真のようにほぼ完成。さあそろそろ小屋の基礎でも作ろうかという段階。
2003年12月14日 23時21分09秒

アドベンチャーツアー決行 好天
7月5日いつものように、朝5時出発。現地には9時前に到着したので、漁港の朝市へ。その後現場へ戻って一仕事。好天に恵まれた中ツアー参加者を待っていたが、なかなか来ない。ようやくS君とW君がBMWのオープンカーで到着。現地を案内したあと、他の参加者の到着を待っていたが、昼過ぎになって1台の車でI君、T君、Eさん、Yさんが到着。本当は朝市にご招待したかったのだが、おわってしまったので、昼食に。その後現地案内を少ししていよいよ海へのルートにチャレンジ。あまり人が通らない上に、前日までの雨で少し滑りやすい。 ひゃあーひゃー言いいながら、時にはしりもちを着きながらはじめは土の道を、次第に岩場へと進む。最後にはYさんなど腰がひけまくっていたが何とか皆無事に磯へ到着。
2003年08月24日 22時46分18秒

道をひたすら延長、ほぼ端まで到達
6月20日、朝3時に起床、荷物を積んで4時出発。さすがに少し暗かったが、道路はガラガラで、なんと7時前に現地着。まずは、ユンボの整備するため、外装を分解して、グリスラインを清掃。燃料満タンにして、作業開始。岩場の下方向へ道をゆっくり造り始める。途中に相当に固い粘土層などもあったが、着実に前進。 ところが、最後の斜面で立ち往生。土が柔らかく、傾いたユンボの態勢が戻せない。仕方なく、バケットとアームを使って、10メートルぐらいの落差をずり下がって行き、下まで下りきって、登りの道を造りながら進んだ。下りながらの道造りは大変だが、登りの方が楽だ。今日だけで50メートルぐらい造成しただろうか。 日が暮れる7時ごろまで作業をして、いつものカフェに寄ったら、オーダーストップの時間で楽しみのコーヒーが飲めず、疲労感。高原の湯によって、一眠り後に帰宅。次は7月5日のアドベンチャーツアーだ。
2003年06月24日 04時21分43秒

鯛の釜飯、活イカ、アジの刺身
朝5時半スタート、首都高速の渋滞を間一髪でかわし、伊豆へ。あいにく曇り。今日はチェンソーオイルと燃料を持ってきたので、復活。 少し思いきりよく雑木をカット。地すべりなどが起きぬように、残す木の配置を考えながら作業。台風の影響で、次第に雨脚が強くなってきた。木肌はすべるし、メガネは曇る。へとへとになり、引き上げを決意、午後3時半出発し、以前見つけたお店に入り、座敷に上がる。鯛の釜飯は30分かかるので待ちながら、横になりウトウト。「どうぞごゆっくり」と店員のおばさんに言われて姿勢をなおし、イカの刺身をいただく。イカの肝をしょうゆにといてつけて食べると、新鮮な歯ごたえでおいしい。今さっきまで泳いでいたやつだ。げそは焼きで、アジの刺身も鮮度よし。目の前で火が消え、砂時計であと5分待ち、そろそろ釜飯もできあがり。だしが程よく効いて、おいしい!
2003年06月04日 23時22分54秒

沖縄のリゾート視察へ
5月25日に沖縄へ出発。 羽田発8:00の全日空便で那覇空港へは11時過ぎに到着。すかさずレンタカーで沖縄本島中央西側にある名護湾内の部瀬名岬を目指す。 人工的なリゾートではあるが、岬に沿って作られたきれいな砂浜の曲線は見事である。ここにはブセナテラスという巨大なホテルがあり、箱型の建築ではなく、雁行型で高さの変化にも富み、屋根はレンガ色のモザイク調、壁は明るい白色で周囲の景色にもとこみつつも際立った素敵な感じである。 ブセナテラス案内  海岸を散歩すると、砂は貝と珊瑚のかけらが主体の少し淡いオレンジ色を帯びたかんじで、波が打ち寄せたラインに沿って小さくカラフルな貝殻がたくさん集まっている。  小雨混じりのなかで、貝殻を拾った。
2003年05月28日 11時37分53秒

四国一周自転車ツーリングの夢潰える
時を同じくしてGW(5・4)父は埼玉を出発していた。構想10年、準備に半年、高級マウンテンバイクから、自転車専用バッグ、キャンプ用具一式、自炊用具など総計25キロの荷物を積んで、玄関を出た途端にハンドルがふらつき、母の「自炊道具は置いてきなさい。」とのアドバイスの元、荷重を20キロに減らして出たのだった。5月5日に私が伊豆から電話したときには「今小田原だよ」と元気そうだったが、その後通信が途絶えて、5月7日にようやくつながったときには、「おう、今もう家だよ」とのこと。耳を疑った。

父は横須賀の旧友に20年ぶりに再開するべく少し回り道をしていったのだが、友人の家にあがった途端、飼い犬に顔を噛みつかれた。(15歳の老犬で、人を噛んだことなどなかったらしい)その夜小田原まで自転車をこいで行くうちに頭痛とめまいがして、気が付くと犬に噛まれたところから雑菌がはいり、顔が腫れて、左目が見えなくなってきたそうな。翌朝急いで病院に行き、消毒をしたそうだが、もういてもたってもいられなくなり、小田原から一気に12時間も走りつづけ、実家に帰っていたのが真相だそうな。悪いことは重なるもので、家に後5キロ地点で段差にぶつかり転んだ挙句、自転車のタイヤがパンク、そこから1時間半も必死に押して帰ったそうだ。

私が見舞いに行ったときには顔中が腫れあがり、別人の顔をしていた。地元の医者いわく「激しい運動のせいで、ばい菌がひろがったのでしょう」。せっかくの夢が頓挫し、「おれには箱根は越えられないよ」と珍しく弱気な父をそっとしておかずにいられなかった。再び挑戦することを信じて。この続きはこちらへ

2003年05月12日 00時02分00秒

路造りも快調に、石積みも少し進む
GW最後の朝、テントから顔を出すと小雨がふっていた。止みそうなので、しばらく待機、程なく晴れてきて、すぐに作業に取り掛かる、路は最後の難関で、急坂をなるべく傾斜がゆるくなるよう大回りに路を造っていく、1トンぐらいの石がゴロゴロしている所なので、うまくそれらをかわしつつ、進む。10メートル進むのに2時間ぐらいかかった。

大きな岩風呂構想については先の日記に書いたが、温泉について新たな展開が。昨日、一昨日と入った温泉のおじさんが、「ドラム缶を持ってきたら、温泉あげるよ、ジャブジャブ捨ててるから」との話をしてくれた。まあ、あてになるか解らないが、本当なら、実現の期待大。さあて、岩に穴をあける道具でもそろえようか。 帰りは早めに出たが、真鶴道路は車が完全に立ち往生、脇をすり抜けているうちに反射板を蹴飛ばして壊してしまったが、気のせいだろう。

2003年05月11日 23時10分41秒

GW2日め、海へのルートを発見
以前から噂は聞いていたが、わからなかった海へ降りるルートを発見した。ゆずなどを植えた後で、地元の人にだいtだいの方向を聞き、山を分け入ると、確かに道がある。ここは海抜約120メートルなので、それをほとんど一気に降りて行くような感じだ。すぐに登山用のロープが張られているのを見つけ、つかまりながら下って行く。地元の釣り人が備えたようだ。ほどなく眼下に海が見えた、思わず叫ぶ。既に釣り人が先に。最後は岩の積み木のような道をロープで降りるとそこは絶好のプライペート磯だった。ダイバーがいた。「巻貝」が日光浴していた。登りは少々ハードだが、女性でも体育が4ならOKだろう。夜は竹の子ご飯とビールを地元のおば様にご馳走になり、その後竹林のテントで寝た。(5/4)
2003年05月11日 22時56分55秒

GW、漁港の祭りでイセエビの網焼き
待ちに待ったGW、今回は渋滞を予想してバイクで出かける。6時前に出発してすいすいと渋滞の東名を進む。30分以上前に出た兄の車を発見して、海老名で休憩。その間にまた先に行かれてしまい、追いかける。小田原厚木から真鶴道路が渋滞していて、この間に気がつかずに抜いてしまったらしいが、一気に現地まで、3時間半。そこから今度は漁港祭りへ行くと、景気のいい掛け声で生きているイセエビを売っていた。一番小さいサイズで1000円。1300、1500,1800,2000円、更に特大は測り売り。1300円のを一匹と2000円のを2匹買い、早速網で焼いてもらう。特に味付けなしでもおいしかったが、醤油をたらすとなおうまかった。(5/3)
2003年05月11日 22時42分37秒

久々の好天、ゆったり海をながめるが竹の子掘る
4月28日1週間ぶりの今回はGWの道路渋滞を避け、電車で現地へ。5時半に家を出て、鈍行で到着は9時半、ああ新幹線ならもっと早いのに。

先週ひょっこり顔を出していた竹の子はもう見上げるほどに伸びている。孟宗竹は驚異の成長スピード。中国の記録では1日に1メートル伸びたと言う話もあながち嘘ではないかも、などと考えながらもついつい竹の子を掘ってしまった。先週植えたミカンの木をみると、しゃんとしていて安心、わき目を摘む。周囲の木々のおかげで日当たりが悪いので伐採を決意。ノコギリで(いつも車にはチェンソーがつんであるのに、、)少しづつ木を切り、日当たりを確保。今日は見とおしポイントから海岸が良く見える。 6時に現地を出発した。 竹の子は竹の子ご飯とチンジャオロースーになりおいしくいただきました。

5月3,4,5また行きますのでよろしく。

2003年04月30日 00時15分26秒

竹の子ニョキニョキ、ザクザク 
豪雨の4月20日熱海へ、その日はあきらめ翌日21日に現地へ向かう途中に日が差してきた。今日のテーマはミカンの植樹。ネーブル、デコポン、小ミカンの3本の苗と肥料を途中で購入し、運ぶ。日当たりの良い南向きの土地をユンボで耕し穴を掘ったところに肥料を敷き、苗を植えた。路には竹の子が顔を出している。先日は全く見えなかったのに、まさに、雨後の竹の子という感じで、ちょっと竹林にはいるとここそこに頭をだしている。路の竹の子は邪魔なのでユンボでひと堀り、欲張らずに5本だけ持ちかえり、湯がいた。少しずつほりだし中の巨石はいい感じだ。この巨石をくりぬいて岩風呂を造る予定だが、重量は10トンぐらいありそうなのでまずは全部掘り出して水平にすることが先決だ。まあ1年くらいかかるかもしれない。竹の子はゴールデンウィーク過ぎまで取り放題。
2003年04月22日 00時34分04秒

徹夜で作業、もうヘロヘロ
3月28日は夜勤で、仕事を終えたのは午前2時半、その日は送別会があったので、まだ延々と続いているメンバーからの誘いもお断りして、会社前に駐車していたファミリアで休むまもなく首都高速の入り口へと向かった。 夜はスイスイと渋滞しらずで東名高速、小田原厚木道路、真鶴道路、熱海ビーチウェイを流して現地へ到着。まだ午前5時であったがほんの少し空が明るくなりつつあったので、寝るのを我慢して現場へ向かい、ユンボのキーを回す。 シュルン、シュルン、シュドゥドゥドゥドゥン、ドゥドゥドゥドゥと快調にエンジンが回り出してほっと一息。よーし、今日も頑張るぞ、と気合を入れながらも、見晴らし台に海を見にいく。天気があまり良くないのもあり、薄ぼんやりと太平洋の広がりを確認して作業開始。 午後2時半頃まで、急斜面の路の改造などにあけくれる。身体が急に動かなくなり、一休み。少し横になったら、さらに身体がだるくなり、花粉症のせいもあるのか、目も開かなくなってきた。午後4時になり,もう帰らねばと運転しようとするが、兄から「俺が車を運転してやるから寝てろ」と言われ、素直に従う。兄の車は奥様が運転して高原の湯という温泉に寄ったようだ。私はそのまま眠りつづけ、目が覚めた時に4時間も経っていたのに熱海にまだ到着していなかった。その後、自分で運転して、頭痛と眼痛をこらえて何とか家にたどりつき、死んだように眠った。翌日起きたのは午後4時だったが、やはり風邪をひいたようで、体調は最悪。20歳のときとは体力が違うことを実感、反省。 続く。
2003年04月03日 00時07分27秒

新しい車がやってきた。いざ伊豆へ
3月9日我が家にニューカーが、やってきた。親切な同僚のT氏が譲ってくれたのだ。コンパクトな紺色のファミリアハッチバック。クラウンの3分の2の重量でエンジンの排気量も3分の2。取りまわしが楽なので女性でも運転しやすそうなかわいい車だ。

3月21日に初めてこの車で伊豆へ。今日は兄が体調を崩し、急遽、父を誘う。朝5時に出発の予定が、7時になったおかげで、首都高速の大渋滞にはまる。そうだ、世間では3連休、悪いことに3箇所で事故のお知らせもボードに出ている。結局15時着となり、へとへと。休むまもなく日の有るうちに作業にとりかかるが、動きが今一つ緩慢だ。今日のテーマは石積みと小屋建設地の地ならし。まずは水平を出すためにバケツとビニール管で父に手伝ってもらうが、どうも私の意図が伝わらない。なんとか4箇所に竹を立てて基準線をつけ、そのレベルに合わせてユンボで土を移動し、小屋の広さの土地がほぼ完成した。次は基礎を石と枕木で造る予定。石は山に売るほどあるし、枕木は昨年既に搬入してある。ただ、頑丈な基礎を、自然にやさしく、コンクリートなしで作るのは大変そうだ。

2003年03月25日 09時46分15秒

雨の中、巨石を山から落とす
2月16日に兄のファミリーと伊豆へ。この日はとても寒く、子供達もぶるぶるふるえていたので、早めに引き上げてもらい、ひとり雨の中急斜面の岩場をよじ登っていった。土地の右端にあたるこの辺りは斜面に巨石がごろごろしている。今後の開拓のためにはこのあたりの安全を確保するために落ちそうな岩を安定する地点まで落としてしまうことが必要だ。斜面を点検していて驚いたのだが、1つ150キロくらいある岩が5個ほど集中して微妙なバランスで留まっている。これはなんとかして落とさねばと思い、近くの木を切り、棒を作って、てこの原理でようやく動かした。3つの岩が同時に動き出し、斜面をゴロンゴロンと転がり落ちて行く。約20メートル下方では枯れ木をバキバキとなぎ倒し、土にめり込んで止まった。これでしばらくは大丈夫。
2003年03月25日 09時26分52秒

クラウンの最期 今までありがとう
 先日予定通りに出かけたところ、東名高速東京料金所を出たところで、急にエンジンから異常音が、これはやばいと思い、追い越し車線から左端へ移動して走っていました。パーキングエリアの入り口がちょうど見えた途端にエンジンが停止して、ハンドルが重くなりました。祈る気持ちで惰性でパーキングへゆっくりと入ることが出来、ちょうどパーキングの入り口付近のスペースにぴたりと停止しました。結局これがクラウンの最期でしたが、走行距離は119119を示しており最後の力を振り絞ってパーキングエリアにたどり着いたことに感謝しました。このあと、4時間をロスするも、伊豆には代車でたどりついたのですが、ショックで気持ちが沈んでしまいました。
2003年01月26日

今度は削岩するぞ!
26日に現場へ行きます。今まで延長した道路を通って石積みに使う石を運びます。重さ50キロから200キロぐらいの石をたくさん集めて石垣を造る構想です。石積み作業には石の形を整える作業も必要になります。ちょうど浜崎あゆみCMのイメージです。 (工事現場編CMをクリック!)まさにこんなヘルメットをかぶって、大きなハンマーや削岩機で作業をする予定。
2003年01月21日 13時10分34秒

伊豆七島を見渡す絶景のポイントを造った
 今年は2日が仕事始め。現地に10時についたものの、正月とあって今回のメンバーはやる気なさげである。セブンイレブンで弁当を買い、すぐにも現場へ向かおうとすると、「伊豆まで来てこんな物食えない」とのたまう。しょうがないので、友人の石井君とともに車で出かける。漁港に車を停め、定食屋を探すがなかなかいいところがみつからず、またどこも11時開店とのんびりしている。ようやくひとまわりして、金目鯛料理専門店に入り、3人とも金目鯛の煮付け定食を注文。皮がとろけるようにおいしかった。 今日のテーマは見晴らし台を造ること。昨年掘り起こした1トン以上ある巨石の周囲をシャベルで掘り、動かそうとするが、なかなか、平面部を地面と平行に出来ない。狭い斜面で泥だらけになりながら、切り倒した太い木をテコにして全体重をかけるとやっと石が少しうきあがったので、すかさず、土や石や木を間に突っ込む。その作業を繰り返して、1時間ほどでうまく設置できた。 今度は視界を妨げている木々の枝を切り払う。太い枝は木に登ってのこぎりやチェンソーで切り、細い枝は、地上から枝切り鋸で落とす。3人で格闘すること3時間ほど、石に上がってみると、なんと伊豆七島が青い海に浮かび、船が見える。 
2003年01月08日 16時16分19秒

冬晴れ、青い海、いい気分 道はさらに20メートル
今回は朝5時発、期待通り、通勤渋滞を避けることができ、現地に8時着。父がまた頭痛でドタキャンしたので、今日も一人。海が青々としてあまりにきれいなので、先日切り開いた場所で、しばし横になって遠くの船を見やる。北風が強かったはずだが、現地はポカポカ。うまく風が来ない地形なのだろうか。この辺は北東の風がよくふいて、船が陸地側に流されるという話は聞いているが案外ここは木々が防いでくれているようだ。。先週造った道を更に延長。谷が怖いので、太い杭を5本用意し、チェンソーで先を尖らせた。杭打ちようの大きなハンマーでがつんがつんと打ち込む。地面は少し削ると石がごろごろ出てきた。次は戻って山の上方向に上る道を作ることに。途中でほとんど埋まっている巨大な石を発見して、苦闘の末掘り出す。1メートルかける1.5メートルくらいあり、ユンボでも少し動かすのがやっとなので、今度作戦を立てて、うまく動かしベンチにしようと思う。今日は早々と16時に出たが、帰りに同時多発的な事故渋滞にはまり、21時帰宅。
2002年12月18日 14時29分51秒

道を20メートル延長 最大の難所を突破
合計延長は約60メートルに  快晴。本日は行く予定の父が、頭痛でドタキャンしたため、ひとりで主に造成。PC03は今日も快調、坂道を下りながら、先日造った道をさらに整備していく。 最大の難所は7・80度の傾斜がありそうな谷際。ゆっくりゆっくり丁寧に掘りながら、踏み固めていく、もし落ちたら終わりだ。谷際に生えている細い木に伐採した木を横に渡し、一応の安全を確保しながら、土留めの役割も期待する。2時間ほどでなんとか20メートルほどの(幅約1メートル)道が完成、ただし、土が固まっていないので、自然に任せて、数週間ほおっておくことにする。雨が降ったりして、流れる部分は流れ、固まる部分は固まるであろう。自然の地形にはなるべく逆らわない。 6時発、首都高混雑10時着。17時現地発、20時半帰宅 竹も数本切り、4メートルにカットして集めておいた。
2002年12月03日 18時23分18秒

10月28-29日に石積みをしました
 今回は今まで集めておいた巨石(重さ約200キロ相当が5個、100キロ相当が10個、50キロ相当が20個)を積み上げて、石積みを造る。半年前に八重洲ブックセンターで購入した「石積みの秘法」を参考に挑戦。丸1日間かけて、父と2人で長さ約6メートル高さ約30センチから1.5メートルの石積みを造った。まだ2段ほどなので、今後また石を集めてつんでいく予定だ。今回の石の運搬と積み上げにはユンボが大活躍であった。
2002年11月06日 15時56分57秒

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