昨年、長年の夢だった自転車での四国1周ツーリングを成し遂げた父はどうやら今年、北海道ツーリングを夢見ているようです。この日記は私が父に代わって事実に忠実に聞き書きした日記です。

高知から土佐清水、宿毛へ
11日、頭痛の不安も消え去り、高知市内をまたうろうろ。12日足摺岬でキャンプ。13日土佐清水へ向かう頃には旅に出てから初めて雨に打たれたそうな。合羽を出したり、たたんだりの繰り返しが面倒だったらしいが、キャンプサイトはいい場所を発見。道の駅「宿毛」で、併設された公園にはバブルの置き土産か、屋根がついた立派な舞台があるのだが、イベントなどはほとんど行われておらず、今やお遍路さんの宿となっているそうな。今夜は舞台の上でどんな夢を見るのだろうか。
2003年10月16日 00時47分58秒

フェリーでもう帰ろうかな。高知にて
高知市内では予定通り、ビジネスホテルに泊まり、市内観光。金時イモを見つけ実家に送る。突然頭痛が襲う。「ああ、コーヒーを飲んだせいかも」こうなると一転弱気になり、ホテルに戻り安静に。「ここからフェリーで帰ろうかな。」と実家に電話し、9日はそのまま祈るように寝たそうな。10日朝起きると頭痛はさっていた。気分は再び盛り上がり、工事中の道路もなんのその、と通りすぎた途端タイヤがパンク。穴は補修したが、空気が入れられなくなったそうな。幸い通りがかりの人に自転車屋を教わり、トラックでかけつけてもらったそうだ(修理代1500円)が、パンクぐらい自分で直せなくてどうするのだろうか?中村の手前、クレという地点でテントサイトを探す。神社で許可をお願いしたら、海の近くの松林を紹介されそうな。「あそこは、岩畳で、派出所もあって安全だしトイレも有るよ」とな。
2003年10月13日 10時02分08秒

時計まわりに四国周遊開始、高知へ
徳島に上陸後、6日は阿波福井?(無人駅)の駅舎に宿泊。11時36分の終電を待って、テントを張ったそうな。7日は自転車に乗った、横浜出身のお遍路さんに出会い、川原のいいポイントを紹介してもらってまたテントだったそうな。その人は40キロはあろうかという家財道具を全て積載した50歳ぐらいの男性で、「私には家も無ければ何も無い」「ここ四国は1度回ったが再びまわっている」という身奇麗なホームレスのような人だったそうな。そして、8日、高知市内に入り桂浜の竜馬像を見たそうな。しかし、奈良の大仏のときと同様今回も特別なコメントはなかったが、本当に竜馬像だったのだろうか。コーヒーをまた一杯飲んだそうな。
2003年10月13日 09時45分55秒

10月4日夢にまで見た四国上陸
奈良から一路、和歌山の港を目指して走る。フェリー乗り場へ昼頃着いて、14時5分の徳島行きフェリーに乗ったそうな。17時に徳島港着、宿を探して走りまわるが日も暮れて20時に。仕方なく交番で「自転車を持ちこめる民宿のような所はありませんか」と聞く。かくして民宿に。今まで持病の頭痛を避けるために絶っていたビールを飲み、これまた頭痛の元になるコーヒーも一杯、気分が高揚しているようだ、明日が心配
2003年10月05日 21時48分38秒

奈良で見たのは本当にあの大仏様?
10月4日、伊賀上野から奈良への道のりはきつく、勾配のきつい道では自転車を押して歩いたそうな。奈良の東大寺に到着。何と今まで奈良の大仏を見たことがなかったらしい。今日までの旅路で絶対に目を放したことが無かった自慢の自転車から目を放し、外で売っていた焼きイモを食べながら大仏見学へ。感動したらしいが、大仏の大きさについての感想が無かったところをみると、何か他の仏像でも見て勘違いしたのではないだろうか。テント張りに自信がついたらしく、本日は川原の土手でまた野宿とな。
2003年10月05日 21時35分29秒

出発から1週間、やっとテントが立った
3日、桑名から国道25号で伊賀上野方面へ。道はあまり立派でなく、登り勾配がけっこうきつい。時速8キロをメーターで確認しつつなんとか進む。午後4時には適当なキャンプサイトを見つけ、ようやくテントを張れたそうな。通算走行距離は580キロ、疲れが出て足をマッサージしながらのツーリングだったそうで、休息日をもうけることをアドバイス、でも聞かないだろうな。四国上陸はまだまだ。
2003年10月04日 00時14分39秒

名古屋でおおまわり、夜はテントの練習
10月2日、今日は桑名の焼きハマグリ、昨日の反省を生かし無事に民宿を確保したそうな。テントのメーカーを調べてインターネットで組み立てを教えねば。父に電話すると、「テントのポールを自転車に括り付けたままで入り口においてきてしまったよ」しかし、今練習しなくていつするんだと説得し、電話で指示。やっと組み立てが出来そうになったが、途中でストップしたそうな。どうやら、ポールで障子に穴を開けてしまったらしい。今夜はゆっくりおやすみなさい。
2003年10月04日 00時06分39秒

しまった、また公園のベンチかな
昨晩9月30日は民宿に泊まれ、ほっと一息。早々と風呂に入り、ゆったりと、日記もつけられたそうな。おとといの公園のベンチが嘘のよう。さあ今日は浜名湖でうなぎでも食べよう。浜名湖でゆっくりうなぎを食べたため急ぐが、愛知県豊橋に入った頃は夕方。雰囲気が気に入らないので、先に進む。すっかり日が暮れて、また宿が無くなる。さて、テントを組み立てようと挑戦したが、やはり無駄だった。今日もベンチで寝るのか。しかし何故出発前にテントを張る練習をしなかったのだろう。後の祭だ。そうそう、あとで聞いたところによると、昼過ぎにあるお店の隣で「テントはらしてもらえますか」「どうぞ」の会話の後、テントを組み立て始めたのにうまくいかず、まさか日本1週しようかという自転車装備の旅人が「このテントどうやって張るのですかね」などと口が裂けても言えず、さりげなさを装って、移動したんだそうな。
2003年10月02日 00時00分45秒


越されぬ大井川、越せどもテント立たず
9月29日、今日も秋晴れ、焼津を通り藤枝市、島田市、越すに越されぬ大井川を越して、磐田市の手前の袋井まで。民宿を見つけ、そこのおばさんと立ち話をしたあと、今日1泊したいと申し出た途端「悪いわねぇ、今日はいっぱいなのよ」といとも簡単に断られたそうな。近くのホテルは敷居が高く、自転車持ちこみが出来そうに無いのでパス。結局道路脇に公園を見つけ、テントを組み立てにかかった。「あれ、どうやってくみたてるのだろう?」テントを支えるポールの組み方が解らない。母に電話→母が私に電話→父に電話。電話で指示不可能にて諦める。今夜は公園のベンチで寝袋にくるまり夜を明かすそうな。犬に襲われないこと祈るのみ。後で聞いたところでは、昼間にロードレーサーに乗ったスーパー老人(74歳)に出会い、「今100キロはしってきたけど走り足りないから、、いい道があるから案内してやるよ」と半ば強引に引っ張られ、必死でペダルを踏んで疲れたそうな。その老人はシニアの全国ロードレース入賞者で「俺なんてまだ仲間内ではまだひよっこだけど」などといっていたそうな。そんなら父は卵だろうか。
2003年09月30日 00時14分26秒

3回足つるも、箱根を越え一気に沼津へ
28日、朝から好調、箱根越えはきつく、途中足のふくらはぎが3回もつってしまう。何とか登りきった後は箱根峠から国道1号線で三島、清水町へと下りを快調にとばし、沼津を越え、富士川を渡る。沼津に泊まろうと思ったが、雰囲気が悪かったので、先へと進み富士川近くのビジネスホテルに泊まったそうな。
2003年09月29日 23時58分06秒

前回の最終到達点、小田原へ
27日昼間は国道1号線をせっせと走り、横浜に11時に到着。横須賀の旧友にはわき目もふらず、湘南を目指す。同日夜、前回のUターン地点である小田原に到達。安全を考えまずは民宿にとまったそうな。28日はいよいよ箱根越えだ。荷物の重さが気に掛かる。
2003年09月29日 23時48分08秒

父、再び四国を目指す(第1回)
GWの挫折からおよそ5ヶ月、父は再び自転車で四国を目指し旅立った。前回の失敗を生かして荷物を極力軽量化するはずだったが、出発の日の朝には結局前回と同じ20キロ近くにもなっていたそうだ。9月27日午前6時に私も見送る予定だったが、目覚ましが鳴らずあっさり寝過ごしたためかなわなかった。今回はきっと犬に気をつけていくだろう。しかし、箱根の峠を越えることができるのだろうか。家には母が独り残されることになったのだが、1枚の地図と行程表(四国までの大きな町の名前を線でむすんだだけのもの)が不安を物語っていた。
2003年09月28日 22時35分30秒

四国一周自転車ツーリングの夢潰える
時を同じくしてGW(5・4)父は埼玉を出発していた。構想10年、準備に半年、高級マウンテンバイクから、自転車専用バッグ、キャンプ用具一式、自炊用具など総計25キロの荷物を積んで、玄関を出た途端にハンドルがふらつき、母の「自炊道具は置いてきなさい。」とのアドバイスの元、荷重を20キロに減らして出たのだった。5月5日に私が伊豆から電話したときには「今小田原だよ」と元気そうだったが、その後通信が途絶えて、5月7日にようやくつながったときには、「おう、今もう家だよ」とのこと。耳を疑った。

父は横須賀の旧友に20年ぶりに再開するべく少し回り道をしていったのだが、友人の家にあがった途端、飼い犬に顔を噛みつかれた。(15歳の老犬で、人を噛んだことなどなかったらしい)その夜小田原まで自転車をこいで行くうちに頭痛とめまいがして、気が付くと犬に噛まれたところから雑菌がはいり、顔が腫れて、左目が見えなくなってきたそうな。翌朝急いで病院に行き、消毒をしたそうだが、もういてもたってもいられなくなり、小田原から一気に12時間も走りつづけ、実家に帰っていたのが真相だそうな。悪いことは重なるもので、家に後5キロ地点で段差にぶつかり転んだ挙句、自転車のタイヤがパンク、そこから1時間半も必死に押して帰ったそうだ。

私が見舞いに行ったときには顔中が腫れあがり、別人の顔をしていた。地元の医者いわく「激しい運動のせいで、ばい菌がひろがったのでしょう」。せっかくの夢が頓挫し、「おれには箱根は越えられないよ」と珍しく弱気な父をそっとしておかずにいられなかった。再び挑戦することを信じて。

2003年05月12日 00時02分00秒

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