I WISH 第一章
 ナンナが育ったレンスター王国は、彼女が幼い頃から戦乱の中にあった。ともに育った幼なじみのリーフ王子の両親であるレンスターの当主夫妻がイード砂漠の露と消えて既に十七年。トラキア王国のトラバント王、アルスターのブルーム王(彼は混乱に乗じて入り込んできたグランベルのフリージ家の人間である)に付け狙われながら何とかここまで長らえてきたのも、両者が互いに牽制しあってきた結果に過ぎない。座して死を待つよりはと企てた反乱も潰えて、わずかな手勢のみで敵の中に孤立してしまったのが一週間前のことである。
シレジアのレヴィン王の導きで城を脱出し、森に潜伏すること三日間。ようやくセリス皇子率いる解放軍と合流を果たし、アルスターのブルーム王を東のコノート城へ追放したのが昨日のことだ。レンスター軍を加えた解放軍は占拠したアルスター城に集結していた。
「リーフ王子、セリス様にはもうお会いになられましたか?」
大広間へと向かう廊下で、フィンがリーフに尋ねる。
「ああ、さっきご挨拶してきたよ。すごいな、僕と一つしか違わないのにもう解放軍のリーダーだなんて」
「私も先ほどお見受けしましたが、温厚なところなどはお父上似のようですね。リーフ様とはいとこにも当たられる方ですし、お父上同士はご親友でもあられました。よいご友人になられるとよいのですが」
「うん、僕も彼とはうまくやって行けそうな気がするよ。でも、彼とはどうかな……」
「彼……とは?」
「父上にはもう一人ご親友がおられたのだろう?確か、アグストリアの……」
「ノディオン王家のエルトシャン王のことですか?」
 その名に、口を挟まずにいたナンナはびくっと震えた。
「そうだ。その方の息子が、ダーナの街で偶然見つかって今このアルスターに来ているそうなんだ。確か名前が……そう、アレスと言ったかな」
「本当ですか?それはようございました」
 リーフが不意にくる、とナンナを振り返る。
「ナンナ、君の母上は確かそのエルトシャン王の妹君に当たるんだよね?」
「えっ?あ、ええ……そうですわ」
「よかったな。兄上に続いて今度はいとこ君にも会えるぞ」
「そう……ですね。母が生きていれば、とても喜んだと思います。母は、行方のしれなかったその方のことをとても心配していましたから……」
 言葉を選んで答えると、リーフが不思議そうな顔をする。
「何だ、うれしくないのか?もっと喜ぶかと思ったのに」
「いえ、そんな……ただ、実感がないだけですわ。どなたから話を聞かれたんですか?」
「セリス様にだよ。彼はとても腕の立つ傭兵で、ブルーム王を追い出してくれたのも彼なんだそうだ。黒い大きな剣をもっているからすぐにわかるってさ」
「それはノディオン王家に伝わる伝説の十二聖戦士の武器の一つ『ミストルティン』ですね。王が亡くなられた際に側近のものが形見として王妃の元へ運んだと聞いていましたが、無事に渡っていたようですね」
 ちなみに、ラケシスが受け取ったのは同じく家宝として大切にされてきた大地の剣である。それはナンナが今所持しているものにほかならない。
 二人の会話を聞き流して、ナンナは胸のロケットを握りしめた。母の形見であるそのロケットには、ある人物の肖像が収められている。そしてそれこそが長い間彼女を悩ませてきたあるコンプレックスの根源だった。
 大扉に駆け寄ったリーフが力を込めてそれを押しあけると、内部の喧噪が伝わってきた。
 正面に一段高い玉座がしつらえられている。そこに座っている年若い少年は確かに解放軍の若き盟主『光の皇子』セリスだ。傍らには彼の後見役でもある聖騎士オイフェが控えている。おもだった者は既に集合しており、あちこちで会話に花を咲かせていた。
「やあ、リーフ王子。よく来てくれたね」
 玉座のセリスが立ち上がって声をかけたことで、全員が彼らに気づいたようだ。
「セリス様、レンスター軍三名ただ今到着いたしました!遅くなり申しわけありません!」
「気にしなくていいよ。それより、レンスター城の様子はどう?」
「はい、幸いにも火を放たれた様子はなく安心しました」
「よかった、私も心配してたんだ」
 話に花が咲き始める。フィンも、オイフェを見つけて話に行ってしまった。一人残されたナンナが少し困ったようにたたずんでいると、再会を果たしたばかりの兄デルムッドが彼女を見つけて駆け寄ってきた。
「ああナンナ、ちょうどよかった。みんなに紹介するよ。イザークで一緒に旗揚げした奴等なんだ」
「……あ、デルムッド兄さま」
 返事もしないうちに引っ張っていかれた先にはイザークの解放戦士たちが集まっていた。
「みんな、紹介するよ。俺の妹で、ナンナだ。わけあって離れて暮らしてたんだけど、昨日やっと会えたんだ。これからなかよくしてやってくれよな」
「あ、あの……ナンナです。トルバドールで……今はレンスターにいます。時々こっちにも来ますんで、よろしくお願いします」
 ぺこり、と頭を下げる。
「へえ、デルムッドの妹にしちゃ美人じゃないか。あ、俺はスカサハ、こっちは双子の妹でラクチェって言うんだ」
「スカサハ、そういうたらしっぽいこと誰にでも言うんじゃないわよ。あ、私ラクチェよ。よろしくね、ナンナ」
「私はラナ、僧侶なの。私は足が遅くて全然みんなの回復が間に合わないから、あなたがいてくれると本当に助かるわ」
「俺はレスター、ラナの兄だ。よろしくな」
「皆さんイザークにいらしたんですか?」
 ナンナの質問に答えたのはラクチェである。
「ええ、そうよ。私とスカサハの母さまがイザークの出身だったから、オイフェさんがあたしたちを連れてってくれたの。シャナン様もそうよ。あ、シャナン様って言うのはイザークの王子様なんだけどね」
「あ、じゃあイードの神殿を突破したって言う……」
その時ドアが再び開き、周囲のざわめきが止まった。
「……何?」
「噂の人物が到着したみたいよ……ほら」
 ラクチェが指さした先を見て―――硬直した。
 黒い甲冑、光り輝く金の髪。黒いマントを翻して大股に歩く姿はきびきびとして隙がない。その顔は、ロケットの中の肖像にまさしく生き写しだ。
 周囲の注目もかまわずずかずかとセリスに歩み寄っていった彼―――アレスは、にこりともせずに言った。
「約束通り来たぞ。これで満足だろう」
「うん。ありがとう、アレス。これからもよろしく頼むよ」
 笑顔とともに差し出された手をじろりと一瞥する。そしてそれを握り返すこともなく、ふいっと身を翻してしまった。
「なんだ、あいつ。セリス様が握手を求めてるってのに無視しやがって」
「あれは、確か……ダーナで会ったとかいう」
 そんな声はナンナの耳には届いていない。彼女を我に返らせたのは兄デルムッドの一言である。
「ナンナ、ほら、行くぞ」
「えっ?……兄さま?」
「ほら、彼がアレスだ。俺たちのいとこ殿だよ。さ、挨拶に行こう」
「えっ、でも……」
 戸惑うというより躊躇して彼女は一歩下がった。
「どうした?ほら、早くしないと彼が行ってしまうよ」
「……兄さま、今はやめておいた方がいいと思うわ。機嫌悪そうだったし……それに」
 と、周囲をうかがう。彼の不敵な態度は周囲にあまり好意を持たれていないようだ。
「いや、でも……」
「兄さま、彼とはまた話す機会もあると思うわ。だから今はそっとしておきましょう」
「……そうだな、そうしようか」
 デルムッドもしぶしぶうなずく。そんな兄に微笑したナンナは胸を押さえた。
 ときめきや甘い予感とは程遠い、痛みすら伴うほどの衝撃。それが何を意味するのか、今の彼女にはまだわからない。はっきりしているのはただ一つ、それがあのいとこに関連しているということだけだった。
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