夢を見た。
幼いころの夢だ。グランベルの士官学校に入るためにノディオンを離れることになった兄を、泣きながら追いかけた。いくら走っても追いつくことができず、そのうちに石につまずいて転んでしまった。起き上がったときにはすでに彼の姿はどこにも見えず、父母が捜しに来るまでずっとそこで泣いていたのだ。
兄はもういなくなってしまったのだと……もう二度と逢えないのだと、そう思って毎日泣き暮らしていたあのころ。それほどに、あの兄の存在は自分のすべてだった。そしてそれは、今も変わっていない。
ラケシスが目を覚ましたのは見覚えのない部屋のベッドの上だった。気を失う前の状況との落差に戸惑い、すべては夢だったのかと虫のいいことを考えてみる。だがやはりそれは現実で、その証拠に目覚めた彼女に声をかけてきた者がいる。
「ラケシス?ああよかった、気がついたのね!」
「エスリン……?私、どうして……ここは……」
先ほどまで見ていた夢のせいだろうか。状況の整理ができない。エスリンは一瞬言葉に詰まったようだったが、やがて言いにくそうに口を開いた。
「……シルベール城の中よ。あの……落ち着いて聞いてね。あなたのお兄さまは……」
その先は、聞こえなかった。まるで耳が聞くことを拒否でもしたかのように。エスリンの口の動きだけがスローモーションのように見えた。
記憶が、フラッシュバックする。森を飛び出した瞬間に見た、兄の驚いたような顔。大地の剣を渡して微笑んだ表情。そして……一瞬だけ自分を抱きしめて走り去った後ろ姿。
「……ラケシス?」
気がつけば、全身が冷水を浴びたようにがたがたと震え始めていた。信じられない。信じたくない。でも、確認しなければ!
「ラケシス、だめよ!」
制止を振り切ってラケシスは部屋を飛び出した。
兄を訪ねて何度か訪れた城である。勝手知ったる内部を闇雲に走り、兄の姿を捜した。そしてついに大広間へと続く大きな扉の前までやってきた彼女はびくっと足を止めた。
扉の前にベオウルフが立っている。彼はすぐにラケシスに気づいたようで、ふっと顔を上げて彼女を見た。視線が一瞬絡みあい、どちらからともなくそらされる。
「……そこをどいて」
吐くように言葉を絞り出す。思っていたよりも冷静で、感情に欠ける声だ。
「見ない方がいい」
「それは私が決めることよ。どいて!」
阻むものは許さない。そんな強い意志に、ベオウルフはあっさりと折れた。
「……忠告はしたぞ」
彼の横をすり抜けて、ラケシスは扉を押し開けた。
広間の中央にしつらえられた柩が目に入った瞬間、足が震えた。それでも、何とか歩み寄っていく。
「……兄さま……?」
眠るように柩に横たわるエルトシャンの姿がそこにはあった。最後に逢ったときと同じ姿だ。違うことといえば血色を失った頬ともう二度と開かれない瞳か。
「兄さま、ラケシスですわ。起きて下さい。戦いはもう終わりました。シグルド様もキュアン様も、兄さまを待ってらっしゃいますわ」
手を伸ばし、頬に触れてみる。……氷のように冷たい。よく見れば、首の辺りに深紅の布が巻かれている。
「……どうして黙ってるんですの?ねえ……兄さま、返事をして下さい」
肩を揺すってみる。……違和感は決定的となった。
「───っ!」
声にならない悲鳴を上げて、ラケシスは後ずさった。兄は───首をはねられていたのだ。
「……だから見ないほうがいいと言ったんだ」
いつの間にか背後に来ていたベオウルフがそう言った瞬間、彼女の中で何かがはじけとんだ。
「……私の……せいなの……?」
「ラケシス?」
「あのとき……私がシャガール様を説得するように言ったりしたから……だからなの?だから、兄様は……!」
全身が冷水を浴びたようにがたがたと震え始める。
「ラケシス、それは違う!」
「違わない!私が……私が余計なことを言ったせいで、兄様は……!」
「ラケシス!」
乱暴に腕をつかまれ、引き起こされる。声にならない悲鳴をあげて、彼女はその場に崩れ落ちた。気を失う寸前、痛いくらいきつく抱きしめられたような気がしたのは気のせいだろうか。
再び目を覚ましたのは先刻の部屋のベッドの上で。枕許にはベオウルフがすわっていた。
現実感がない。意識がぼんやりとして、手に触れるものも感触がわからない。まるで身体全体が生きる力を失ってしまったかのようだ。
そうだ。失ってしまったのだ。あの兄が、自分のすべてだった。それを失ってここに残っているのは空っぽの抜け殻だけだ。どうすればいいのだろう。
ぼんやりと天井を見つめていると、彼女が目を覚ましたことに気づいたらしいベオウルフが声をかけてきた。
「……ラケシス、目が覚めたのなら支度をしろ。出発だ」
低い、事務的な声だった。その冷たさに思わず背筋が震えてしまうほどの。
「……行きたくないわ」
呟くように言った答えもまるっきり無視されてしまう。
「オーガヒルの海賊が動き出した。シグルド殿たちは先にもう出ている。大したことのない敵だが数が多い。全員で協力しなければまた近隣の村が……」
「行きたくないの。あなただけで行けばいいわ。もう……私のことは放っておいて」
喉が渇いている。声が干からびて、自分の声じゃないみたいだ。自分を見つめるベオウルフの視線が険しさを増したことに気づいたが、それすらも他人事のようだった。
「ラケシス……いいかげんにしないか」
「もう放っておいて!兄さまは亡くなったんだもの、あなたとはもう何の関係もないはずよ!」
叫んだ途端、手首をつかまれ引き起こされた。乾いた音を立てて頬を打たれ、衝撃が走る。
「いいかげんにしろと言っている!これは戦争なんだぞ!」
「……あなたに何がわかるっていうのよ……!」
「ああ、わからんな。子供のわがままにつき合っていられるほど俺は暇でも気長でもない」
「……!」
冷たく突き放されて。気がつけば、つかまれていない方の手で彼の頬を打っていた。
「あなたなんか大嫌いよ!もう出ていって!」
かなり大きな音がしたが、彼は微動だにしなかった。
「……嫌いでかまわねえが準備はしろよ。三十分後に出発するからな」
投げつけた枕が寸前で閉められたドアに当たって落ちた。
「何よっ……ベオウルフのバカッ、無神経!」
悲しむ時間すら与えてくれない男に、悪態をついてベッドに突っ伏した。
もうどうすればいいのかわからない。生きる力も意味も失ってしまった。気分もうつろで、何も思い浮かばない。ふと窓の外を見ると、森の向こうに切り立った崖とさらに遠くへと広がる海が見えた。……あそこから身を投げれば簡単に兄の後を追うことができる。生前の彼は、この城から見える森と海と空をとても愛していた。死に場所としてはふさわしいと言える。
ふらりと立ち上がったラケシスは、おぼつかない足取りのまま部屋を出ていった。
森は歩きにくく、木の根に何度も足を取られて転んだ。体のあちこちにすり傷ができたが、まだ痛みを感じることができる自分の身体に嫌悪感さえ覚える。唇を噛んで、彼女は歩き続けた。
しばらくして、静かな森が急に騒がしくなった。ある予感を覚えて、ラケシスははっと背後を見た。そこに現れたのは……
「……ベオウルフ……!?」
「ラケシス!何をしている、戻れ!この辺りはまだアグストリアの残党が潜んでいるんだぞ!」
「私のことは放っておいてって言ったでしょう!?もう私なんかどうなったっていいのよ!」
叫び返して、走り出した。どうしてだろう。何も感じなくなっているはずなのに、彼の気配に反応している自分がいる。彼の言葉に動揺している自分がいる。……まるで、兄に対していたときのように。
(そんなことっ……!)
思いを振り切るように走るが、藪に足を取られてうまく進めない。それに馬と徒歩では速度は比較のしようもなく、あっというまに追いつかれてしまった。
「ラケシス、俺の話を聞け!」
「いやよ、放して!兄さまのところに行くんだから!」
手首をつかまれて、闇雲に暴れた。だが解放してはもらえず、逆に木の幹に押えつけられてしまう。
「バカを言うな!あいつの最期の言葉を忘れたのか!?」
「……兄さまの……?」
「そうだ。あいつは死ぬな、って言ったんだぞ。その最期の約束をお前は破るつもりなのか!?」
「だ……って」
こらえ切れない涙があふれて頬を伝い落ちる。
「だって……兄さまは、私のすべてだったのよ……?兄さまがいなければ私は一人ぼっちだわ……一人はいやよ、もう生きていけない……!」
口に出せずにいた言葉をようやく吐き出す。すると彼は小さなため息をついて顔を覗き込むようにして言ったのだ。
「……何を言っている。お前は一人なんかじゃねえだろう?」
「……えっ?」
「お前の回りにはたくさんの仲間がいるじゃねえか。あいつらは何もお前がノディオンの王女だからって心配してるわけじゃねえんだぞ?エルトシャンが死んだからってお前を追い出したりは絶対にしねえ。今でもオーガヒルでお前を待ってるはずだ」
「仲……間?」
「そうだ。少しは理解したか?」
小さく頷く。そうだ。なぜ忘れていたのだろう。あの優しい人々はいつでも暖かく自分を迎えてくれた。あそこには確かに自分の居場所があったではないか。
「……そう……よね。私……どうかしてたわ」
ずいぶん成長したつもりだったが、これでは本当に兄がいなくなって毎日泣き暮らしていた子供の頃と変わらない。
そんな彼女の頭にぽんと手を置いたベオウルフはにやりと笑って言った。
「わかったんならいいさ。もう忘れるなよ。お前は一人じゃない。俺がいつでもお前を守ってやるから」
子供にするような仕種なのに、なぜかそれが心地好い。つられて微笑み返して、あることに気がつく。
「あ……でも」
「何だ?」
「……いいの?だって、兄さまはもう亡くなったのに……」
「あ?何のことだ」
「だから……約束はもう無効なんじゃないの?」
きょとんとして振り返ったベオウルフと目が合い、沈黙が流れる。しばらくして、彼女のいわんとすることを理解したベオウルフはがりがりと頭を掻いた。
「あーその、何だ……つまり、それはもういいんだよ」
「もういい?どういうことなの?」
「お前……それを俺に聞くのか?」
「え?」
噛み合わない会話に、ラケシスはきょとんと彼を見返した。
今度の沈黙を破ったのは、一瞬の風切り音だった。素早く反応したのはベオウルフで、彼はとっさにラケシスを腕に抱えるようにして横に飛んだ。
「きゃっ!」
わずかに遅れて彼らの立っていた背後の木に矢がつき刺さる。
「何?」
「ちっ……きやがったか。お前は隠れてろ!」
「でも……」
「その格好じゃ的になるのがおちだ!いいから隠れてろ!」
着のみ着のままで城を出てきたラケシスは剣はおろか甲冑すら身につけていなかった。こんなときに襲われでもしたらまず助からない。厳しい声でそう言ったベオウルフは彼女を木陰に突き放すようにして駆け出した。
「ベオウルフっ……!」
動き出した彼の後を追うように矢が次々と飛来する。その素早さから見て敵はスナイパーのようだ。
どう見ても分が悪い。森の中では動きが制限されるし、相手の位置はまだ特定できていない。何とかして接近戦に持ち込まなければ勝ち目はない。それには相手の位置を知ることが不可欠である。ラケシスは決意を固め、木陰を飛び出した。
「こっちよ!こっちを狙いなさい!」
「ばっ……ラケシス、何をしている!」
ベオウルフが慌てるが既に遅い。三本まとめて飛来した矢を彼女は辛うじてかわしきり、彼に向かって叫んだ。
「ベオウルフ、今よっ!」
その意図を悟り、彼は木陰の藪に飛び込んだ。わずかに間をおいて、藪の陰で血が飛び散る。
「やったあ!」
手をたたいて喜ぶ彼女に、藪からすり傷だらけで立ち上がったベオウルフが苦笑する。と、その時。
「……覚悟っ!」
その彼女の背後から、剣を振り上げた男が立ち上がったのだ!
その瞬間は、スローモーションのようだった。降り下ろされる剣が光を弾いてきらめき、瞳を射る。それを遮った一陣の影が、赤い霧を噴き上げて崩れ落ちる……!
「────っ!」
かろうじて踏み止どまった彼は返す剣で切りかかってきた男(フォーレストのようだった)を一撃の元に倒した。その手から、剣がゆっくりとこぼれ落ちる。
「い……やああぁっ!」
このときどう動いたのかは実はよく覚えていない。とにかく彼が倒れ伏す前に飛びつくようにして抱きとめたのは確かだ。力を失った彼の身体はひどく重くて、支え切れずに地面に座り込んでしまう。
「しっかりして!ねえ、目を開けてよ!」
何度も呼びかけると、大きな手がそっと背をなでてくれた。
「心配いらん……ちょっとドジを踏んだだけだ」
「バカ……あなたってバカよ!どうして私なんかのために、こんな……エルト兄さまはもういないのよ!約束に縛られることなんてないのにっ……!」
「……約束の……ためじゃ、ない……俺が、そうしたかったんだ」
「えっ……」
「お前は……生きる意味を、くれたから……な」
「……ベオウルフ……?ねえ……起きてよ!一人にしないって言ったじゃない!こんなのいやよぉ……っ!」
───後はもう無我夢中だった。ぐったりとなった彼の身体を馬に乗せてシルベール城に戻り、すぐにた彼の身体を馬に乗せてシルベール城に戻り、ライブの杖で傷をふさいだ。出血が多く危険な状態が続いたが、なかなか来ない自分たちを心配したらしいエスリンがワープの杖を使って駆けつけてくれたおかげで何とか助けることができた。しばらくは動かさないほうがいいだろうということで、二人は交代でベオウルフの看病をすることにしたのだが。
「ラケシス、先に休んでいて。ライブの杖をずっと使っていたんだもの、疲れたでしょう?」
「いえ……もう少し見ていたいの。ごめんなさいね、エスリン。私のわがままのせいで……」
「気にしないで。お兄さまにもちゃんと断ってあるから。それに……あんなことがあった後では仕方ないわ」
シグルドの名を聞いて心が痛む。彼の妻ディアドラはマディノ城制圧後辺りから行方不明なのだという。愛しい人を失って苦しんでいたのは自分だけではなかったのだ。この世で一番自分が不幸であるかのような顔をしていた自分が今になってとても恥ずかしくなってくる。……彼も、きっとあきれただろう。
「……ラケシス?」
顔を覗き込んできたエスリンが額に手を当てた。
「本当に大丈夫?顔色があまりよくないわよ」
「平気よ。こんなことくらいで弱音を吐いたらまたベオウルフに怒られちゃうもの」
彼の名が出たことで、エスリンは少し表情を改めた。
「……ずいぶんきついことも言ったかも知れないけど……彼、本当にあなたのことを心配してたのよ。わざと憎まれ役を買って出ただけなの」
「えっ?」
「これはキュアンから聞いたのだけど……こう言っていたそうよ。「憎むことで楽になるならそれでいい、だれかに全部ぶつければ少しは楽になるから」って」
オーガヒルの海賊が動き出したニュースはラケシスが倒れてすぐに入ったらしい。ラケシスを案じるシグルドに、ベオウルフは自分が後から連れて行くから大丈夫だと言って彼らを送り出した。ただ一人、大広間での二人のやり取りを偶然目撃したキュアンだけが彼の意図に気づいて正したのである。対する彼の言い分は、
「矛先が他人に向いているうちは余計なことを考えずにすむからな」
というものだった。ラケシスのように思い詰めるタイプは自分を責め始めると浮上できない。それでは苦しいだけだし、早く立ち直らせるには多少強引にでも怒りをぶつける対象を見つけたほうがいいのだ。そしてそれができるのは自分だけなのだと、彼は笑ってそう言ったのだった。
「……バカだわ。損だってわかってて自分でそんなことを言い出すなんて……」
「そうかもしれない。でも、彼はそういう人だわ」
不器用で、気が利かなくて。でも、いつでもまっすぐに見てくれたし、ぶつかっていけば受け止めてくれた。大好きなエルト兄さまとは全然違うけれど……でも、同じくらい自分を引き付けてしまう不思議な男。ラケシスは今ようやく自分の中に芽生え始めたものの存在を認めたのだった。
ベオウルフが目覚めたのはそれから一時間ほど後で、エスリンが包帯の代えを捜しに部屋を出ていたときである。
「ベオウルフ?よかった、気がついたのね」
「……ここは?」
「シルベール城よ。運ぶの、大変だったんだから」
「そうか……助かったのか。すまんな、重かったろう」
「ええ、とっても……と言いたいところだけど、やめておくわ。今回のことは私のせいなんだもの」
「ラケシス?」
不思議そうな彼の手を取って、頬を寄せる。
「……いろいろと、ごめんなさい。それと……ありがとう。あなたのおかげだわ」
素直に礼を言うと、ベオウルフは鼻の辺りをかきながら目をそらした。
「うむ、まあ……わかったんならそれでいいさ。だいたいお前は考えすぎるんだ。これからは苦しいことや辛いことは全部俺に吐き出せばいい。それで少しは楽になるんだからな」
「そうね……そうするわ。だから……これからも側にいてくれる?」
少し驚いたように見返してきたベオウルフは、いつものようににやりと笑って言ったのだった。
「ああ。お望みなら、一生でもな」
頬をなでていた手が首筋に回り、そのまま引き寄せられる。ラケシスは瞳を閉じて、そっと唇を寄せた。
* * *
「……ラケシス様?」
フィンの声に、ふっと我に返る。
あの後、戦いを逃れたシレジアで彼と結婚した。デルムッドが生まれたときは手放しで喜んでくれたものだ。幸せだったと、思う。三年前、あのバーハラの戦いで引き裂かれるまでは。
結局彼は最後まで兄との約束を守った。あの絶対不利の戦いの中でさえ自分を守り続け……最後は自分を逃がすために盾となり、そのまま生死不明となった。誰よりも大切だった人。なのに、大切なことだけは一度もわかってくれなかった。
「あの人……最後までわかってくれなかったわ。私は、本当に愛していたのに。兄さまの身代わりなんかじゃなかったのに……」
後悔があるとすれば、それだけだ。彼は兄の旧友だったというが、天上ではもう再会しただろうか?そんなことを思ったとき、小さな足音とともにドアが開いた。
「母さま!」
笑顔で駆け込んできた娘の姿に、彼女は微笑した。
「母さま見て、お花の冠!……あれ、どこか出かけるの?」
「ええ。あなたの兄さまを迎えに、イザークまでね」
「兄さま?」
「そうよ。楽しみにしていてね、必ず帰ってくるから」
「じゃあ、何かおみやげをもってきてくれる?」
「いいわよ。何がいい?」
「うーんとね……」
小首をかしげてきまじめに考え込む娘の微笑ましい姿にラケシスは苦笑した。
あの戦いの後、戦いを逃れてきたレンスターで生まれたナンナは文字通り彼の忘れ形見となった。真夏の空の色の瞳は父親譲り。羽の髪飾りは次には娘が生まれると確信していたその父親がわざわざ手作りしたものだ。この娘のためにも、早く長男を連れてきてやらなくてはならない。
「……では行ってきます。フィン、ナンナのことはお願いしますね」
そう言ったラケシスに、フィンは何か言いたげにしていたが結局口を閉ざした。
「……わかりました。もう止めませんから、なるべく早く戻って下さいね」
「ええ、もちろんよ」
そう答えた彼女は柔らかく微笑んでレンスターを後にしたのだった。
(終)