シグルド率いる軍がノディオン城に到着したのは早馬の連絡より少し早い翌日朝のことだった。昨日と同じように白銀の甲冑に身を包んだラケシスは、三人のパラディンと共に城門で彼等を出迎えた。
「シグルド様!」
兄の親友の姿を発見して呼びかけて、すぐに眉をしかめる。その隣に見覚えのある男を発見したせいだ。シグルドは彼女のそんな様子には気づかなかったようで、すぐに歩み寄ってきた。
「やあラケシス、無事で何よりだ。エルトシャンの留守中に君にもしものことがあったら私も彼に申し訳が立たないからね」
シグルドと会うのは三年前、兄の即位式の祝いの宴のとき以来だ。その穏やかな人となりはその頃とまったく変わっていない。年を経た分落ち着きを増したようで、グランベル国王から拝領したという銀の剣を携えた姿は歴戦の勇者の風格がある。思えば士官学校でも兄エルトシャンと剣技でまともに抗し得たのは彼一人であったというから、その強さたるや押して知るべしだろう。
何より、彼には人を安心させる誠実さがある。その誠実さこそは、人によくとっつきにくいといわれる兄と親友たり得た最大の理由に違いない。もっとも、なれないうちはぼんやりしているようにしか見えないのが難点だが。
ラケシスは微苦笑を隠すように優雅に一礼した。
「本当にありがとうございます。一時はどうなることかと思いましたが、皆様のおかげで何とか乗り切ることができました。兄に代わってお礼を申し上げます」
「エルトシャンはやはりアグスティに……?」
「はい。もはやアグストリアの諸侯はすべて敵に回ってしまいました。私一人の力ではとても兄を救い出すことはできません。シグルド様、どうか力をお貸し下さい」
「無論だ。他国に軍を入れるのは気が進まないが、今回ばかりはやむをえないからね。まもなくバーハラから正式に使いが来て進軍の許可が下りるはずだ。そうすれば、今度こそエルトシャンを助けに行けるよ」
「ありがとうございます!」
確約を得られたことでラケシスの表情がぱっと明るくなる。すると、今度はシグルドの方が微妙に表情を変えた。
「ところで……その格好だが、やはり君も……?」
言いにくそうにしている理由まではわからないが、言っている事はわかるので即答する。
「ええ、もちろん私も参戦するつもりですわ。それがどうかなさいましたの?」
「いや、私としては君にはこの城で待機していてほしいと思ってるんだが……」
「まあ、どうしてですの?皆様には兄を救い出す協力をしていただくのですし、私も一緒に行くのが当然ですわ」
「いや、しかし……」
「これでも剣は兄じきじきに教わったんですのよ。いざというときはライブの杖も使えますし、決して足手まといにはなりませんわ」
「姫様っ……」
クロスナイツたちがおろおろと声をかけ、シグルドが困ったように天を仰いだ、そのときだった。
「ぷっ……くくく……」
ぶしつけ、という表現がまさにぴったりの調子で思いきり吹き出したベオウルフを、ラケシスはきっと睨んだ。
「……何がおかしいんですの!?」
「くっ、くく……これが笑わずにいられるかよ。昨日はロングアーチの一撃でビビッてたくせに、戦いに参加しようなんざ片腹痛ぇってもんだ。シグルド公子、はっきり言ってやんなよ。足手まといはいらねえってさ」
「ベオウルフ……」
当人より先に爆発したのはもちろん血気盛んな長男である。
「……貴様ぁっ!恐れ多くもこのノディオン王国の姫君に対して暴言の数々、もはや許しがたい!このイーヴが叩き切ってくれるわっ!」
今度こそ本当に長剣を抜き放ったイーヴが切りかかろうとするのを、二人の弟がなんとか押しとどめる。
「やめないかイーヴ!シグルド公子の御前だぞ!」
「しかし……!」
暴言を吐かれた当の本人はというと、顔を真っ赤にして拳を握り締めていたがやがて押し殺した声を絞り出した。
「前にも言いましたけど……あなたって本当に失礼な方ね」
「俺ァ事実を言ってるだけだぜ」
「わかりました。私が足手まといでないことを証明できればよろしいのね?」
「……おい?」
ベオウルフの表情が訝しげに変わる。その胸にラケシスは持っていた皮手袋を投げつけ、言い放ったのだ。
「ノディオン王女ラケシスは今ここで傭兵ベオウルフに対し決闘を申し込みます!私が勝利した場合、今後私の行動に一切口出ししないと誓いなさい!」
「ひ、姫様っ!?」
その場にいた誰もが凍り付いてしまった。それはシグルドも同様で、とっさには言葉が出ない。その間に、手袋を拾い上げたベオウルフはにやりと笑って答えていた。
「……ああ、いいぜ。その代わり、俺が勝ったら俺の言うことも聞いてくれるんだろうな?」
「ええ、もちろん。騎士に二言はありませんわ」
「姫様っ!軽々しくそのようなことを約束されては……!」
三兄弟の悲鳴に近い声にも彼女はまったく耳を貸さない。
「シグルド様、立会人をお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「あ、ああ……」
「決まりですわ。では、中庭にいらしてくださいな。イーヴ、エヴァ、アルヴァ、他の方々を城の中へ案内して差し上げて」
「姫様っ!」
苛立ちを隠そうともしない声で叫んだイーヴは、振り返ったラケシスの据わりきった目を見てうっと息を呑んだ。
「な・に・か・用ですのっ!?」
「……いえ……」
こんな眼をした彼女には何を言っても無駄であることを骨身にしみて知っている心配性の長男であった。
相手の胸に手袋を投げつけるという行為は騎士の正式な決闘の申し込み方法である。相手が手袋を受け取った時点で決闘を了承したものとみなされ、以降は当事者以外の何者も口を挟むことを許されない。とはいえ、申し込んだ当人がまだ十六歳のしかも一国の王女で、相手が歴戦の傭兵であるとなれば周囲の興味を引かぬはずもなく、必然的に決闘の場に指定された中庭にはシグルド軍の面々をはじめ多くの人間が集まってきたのだった。
シグルドが決闘の立会人となったことにより、決闘はグランベル形式で行われることになった。当事者に一人ずつ助言者をつけ、どちらか一方が動けなくなるまで続けるのだ。ちなみに、真剣を用いることについてはクロスナイツたちが強硬に反対したため刃をつぶした訓練用の剣を用いることになっている。
ラケシスの助言についたのはレンスター王子キュアンだった。彼はデュークナイトで本来は槍が専門だが、剣の腕も人並み以上なのだ。
「よろしくお願いいたします、キュアン様」
礼儀正しく頭を下げたラケシスに、キュアンはにこりと笑って見せた。
「ああ。しかし、君も無茶なことを言い出したもんだな。イーヴたちが真っ青になってるぞ」
確かに、見物席の最前列に陣取った彼等の顔色は真っ青だ。それを見て申し訳ないと思いはしても、いまさら引っ込みがつかないというのが実情である。
「決意は変わらないんだね?」
「もちろんですわ。騎士に二言はなし、ですわよね?」
「ハハハ……頑固なところはエルトシャンにそっくりだな。その心意気に免じてひとつ作戦を授けてあげるよ」
からからと笑って、キュアンは小声で何事か耳打ちした。それに一つ頷き返して、ラケシスは剣を取り立ち上がった。
「ベオウルフは強いぞ。心してかかれよ!」
「はい!」
一方のベオウルフの助言者としてついたのはキュアンの部下であるレンスターの騎士見習フィンである。まだ十五歳でしかない彼が決闘の助言などできるはずもない。そんなフィンが助言者についた理由はただ一つ、シグルドやキュアンを除いて唯一まともに彼と会話した人間だったからである(クロスナイツたちはもちろん除外している)。
ラケシスが顔を上げたとき、こちらも何事か話していたようだった。誰に対しても礼儀正しい少年が珍しく顔をしかめて苦言を呈している。それを豪快に笑い飛ばして、ベオウルフも立ち上がった。
「両者、前へ!」
シグルドの声が凛と響く。ラケシスは剣を握る手に力をこめた。
ベオウルフと正面から向かい合う。戦う前から相手に飲まれないためにも、こんなとき視線をそらさないのは常識だ。負けまいと睨みつけようとして、ふと気づいた。彼の表情が、それまでになく真剣であることに。
「────無制限一本勝負、はじめっ!」
銅鑼の音が空気を震わせるのとほぼ同時に二人は飛び出した。甲高い金属音と共に火花が飛び散る。
「……速いっ!」
シアルフィの騎士ノイッシュが唸るように呟いた。
「あの姫様、なかなかやるな……」
同じくシアルフィの騎士アレクも感心している。
確かに、ラケシスの剣は速い。柔らかく手首を使って流れるように剣を繰り出してくる。体格が小さいというハンデを小回りが利くという利点に変えて、ひらりひらりと舞う様はそのたびに翻る薔薇色のマントとあいまってまるでワルツを踊っているようだ。
「でも……」
言いかけたシアルフィの重騎士アーダンの言葉の後半を、隣にいたイザークの王女アイラが引き取った。
「奴も、すべてかわしている」
そう。その変幻自在のラケシスの攻撃を、ベオウルフはすべて受け流しているのだ。ここまで彼はただの一合たりとも打ち込んではいない。
「……このままでは王女の負けだ」
エバンス城で剣闘士をしていたホリンが低く呟いたとき、剣を払われたラケシスはよろめきながら数歩下がった。肩で息をしながら、内心舌を巻いている。
(この人……本当に強い!)
兄に教わったあらゆる剣技を試したが、どれひとつ通用しない。体力が違うのはわかり切ったことだが、それでもあれだけの攻撃を受け止めて息一つ乱していないのは驚嘆に値する。圧倒的とも言える力の差を思い知らされて、ラケシスは唇を噛んだ。
「どうした、姫さん。もう降参かい?」
「……まだまだですわ!それに、私にはラケシスという名があります!そのような呼び方は失礼でしょう!」
からかうような調子に反射的に言い返した。だが、ベオウルフは動じた様子もなく言い放つ。
「あいにくだったな。俺は一人前と認めた相手以外は名前で呼ばねえことにしてんだ」
「何ですって!?」
頭の中がかあっと熱くなった次の瞬間、ラケシスは再び飛び出していた。脳裏に、キュアンの助言がよぎる。
(いいか、ラケシス。腕力の差は圧倒的なんだ。力勝負になりそうな場面は受け止めずに受け流せ。うまく流せれば、その後に隙ができる。そこにきり返しで打ち込むんだ!)
「やぁっ!」
気合をひとつ発して、彼女は剣を繰り出した。鈍い金属音と共にベオウルフが受け止め、押し返してくる。それを、彼女は刃の上を滑らせるようにして受け流した。
「っ!?」
その瞬間、小柄なラケシスの身体はいとも簡単に彼の懐に飛び込んでいた。ひどく驚いた様子のベオウルフの顔が間近にある。勝利を半ば確信し、剣を切り返そうとしたそのとき。
ぱっ、と鮮血が飛び散った。自分のものではない。切り返そうとした剣は少しも動かず、しかも何かぬるりとしたものが伝い落ちてくる。そろり、と視線を動かしたラケシスは、その光景に息を呑んだ。
ベオウルフの左手が剣の切っ先をつかんでいたのだ。いかに刃をつぶしてあるといってもバンデージを巻いた程度で受け止め切れるわけがない。当然、その左手からは真紅の鮮血が滴り落ちている。掌中の珠のように慈しみ育てられてきた彼女にはそれはあまりにも生々しい光景だった。
彼女を我に返らせたのは、そのベオウルフの低い声で。
「……すきあり、だ」
言葉が終わると同時に鳩尾に軽い衝撃が走った。当身を入れられたのだと気づく前に、彼女の意識は深い闇へと落ちていった。
彼女が次に目を覚ましたのは、自室のベッドの上だった。傍らには、リライブの杖を手にしたユングヴィ家のエーディン公女が座っていた。
「ラケシス様、お目覚めになられました?」
「……エーディン様……?私……いったい」
身体を起こそうとして白い手にそっと押し止められる。
「ああ、まだ無理はなさらないで。出発まではまだ時間もありますから……ね?」
微笑むと同時に豪奢な金の髪がふわり、とゆれる。さすがに当代一の美女と謳われるだけあって、同性の自分の眼から見てもまぶしいほどの美しさだ。皮肉なことに、先の戦いではその美貌が仇となってヴェルダン王国へさらわれる羽目になったらしいのだが。
おとなしく身を横たえたラケシスは、ようやく気を失う前のことを思い出してポツリと呟いた。
「……私、負けてしまいましたのね……」
「ええ。でもシグルド様もキュアン様も誉めていらっしゃいましたわ。さすがはエルトシャン様の妹君、今は荒削りだがすぐに強くなれるだろうと」
「でも、負けてしまっては意味がありませんわ」
小さく唇を噛む。これでノディオン残留はほぼ決定的だろう。シグルドたちに任せておけば兄は大丈夫なのだと、確信しつつも胸を占めるのは黒い不安である。シグルドを信用していないのではない。ただ、会いたいだけなのだ。一刻も早く兄の無事な姿を見たいだけなのだ。
そんなラケシスに、エーディンが再び微笑む。
「……そうでもなかったようですよ」
「えっ?」
怪訝にたずね返したそのとき、ノックの音がした。
「エーディン様、いらっしゃいますか?」
「ああ、ミデェール?どうぞ、あいていますから」
どことなく嬉しそうなエーディンの返答に、ドアが開く。入ってきたのはエーディンの側近でユングヴィ弓騎士団の一人ミデェールである。女性のようにやさしい顔立ちをした青年は礼儀正しく頭を下げて、言った。
「失礼いたします。先刻バーハラからの使者が到着しました。正式な進軍の許可が下りたようです」
「そう……いつ出発するの?」
「三日後の夕刻とのことです。軍のたてなおしに最低そのくらいはかかるだろうとのシグルド様の仰せで」
「そう……わかりました、ご苦労様。私達も準備をしておきますから、あなたもお下がりなさい」
「はい、では」
再び一礼して、ミデェールは部屋を後にした。一人事情のわからないラケシスはきょとん、とエーディンの横顔を見上げている。
「あの……エーディン様?お話がよく……」
「あなたにも同行の許可が下りたのですよ。前線に出ない、という条件付ですけれどね。私やエスリンと一緒に後方から援護をするように、とのことですわ」
「……本当に……?」
「ええ。彼の助言があったようです」
「彼?」
「ベオウルフさんですわ。あなたをここまで運んだのも彼ですのよ」
「えっ……」
脳裏に浮かんだのは、人を食ったようなあの腹立たしい態度だ。思わず顔をしかめるラケシスに、エーディンがくすくすと笑う。
「さあラケシス様、もうお休みになって。せっかく同行できるのに体が動かなくては何にもなりませんものね?」
優しく言われて、ラケシスも素直に頷いた。
「そうですね……ありがとうございます、エーディン様。私のことはどうぞラケシスと呼び捨てにしてください。これからは苦楽を共にするのですから」
「まあ、では私のこともエーディンと呼んでください。こんなよそゆきの言葉を使っていては疲れてしまいますわ」
顔を見合わせて、二人は微笑みあった。
エーディンが部屋を辞した後、ラケシスは目を閉じた。実を言うとこの数日間は気を張っていたせいかろくに眠っていないのだ。目を閉じると浮かんでくるのはいつもなら兄エルトシャンの優しい笑顔なのだが、この日ばかりはあの憎らしい傭兵の顔が焼きついたまま離れそうになかった。
翌朝、久しぶりの深い眠りから覚めたラケシスは自分からベオウルフの元を訪ねた。決闘の際の約束を果たすためである。
「約束だぁ?」
「ええ、そうですわ。あなたが勝った場合、あなたの言うことを何でも聞くという約束でしたわ」
「……それで、あんたはバカ正直にその約束を守りに来たわけか?」
呆れた、と言わんばかりのベオウルフにラケシスは胸を張って答えた。
「当然でしょう?約束を守るのは騎士として当たり前のことですわ。さあ、何でもおっしゃってください」
口ではそう言いながら、内心は何を言われるのか気が気ではない。実はここに来る前もクロスナイツたちに散々引き止められたのである。
「奴は騎士ではありません。金で人の命をやり取りする傭兵なのですよ。そのような輩との約束など守ることはございません!」
「そうですよ!もし貞操を要求されでもしたらどうするのです!」
長男イーヴの言い分はいくら何でもと思わずにはいられないものだったが、まったくないとも言いきれないのだ。彼のように『自由騎士』と呼ばれる輩には女性に手の早い者が多いとも聞く。彼がそうではないと誰が言えるだろう。それでもここにくることを決めたのは、ひとえにある決意のためだった。
「イーヴ、ノディオン王家の者は約束を破りません。それがたとえどんな些細なものであってもです。あなたは私に卑怯者になれというのですか?」
「そ、それは……」
「私は獅子王エルトシャンの妹として恥ずかしくない振る舞いをしたいの。心配は無用です」
「しかし、姫様……」
「余計な手出しはなりませんよ。いいですね」
さすがの三兄弟も彼女の固い決意にしぶしぶ引き下がったのだった。
ラケシスにしてみれば、幼い頃から結婚するなら兄のような人物と、と心に決めている。意に添わない相手に貞操を奪われるくらいなら自害して果てるくらいの気概は持ち合わせているつもりだ(実際、ハイラインのエリオット王子が相手のときはそうするつもりだった)。ただ、この男は無礼ではあるのだが何を言い出すかわからないところがある。それだけに、どうしても緊張してしまうのだ。
対するベオウルフはというと、傍目にもすぐにそれとわかる深いため息をついたかと思うとがりがりと頭を掻いた。そして、ようやく頭二つ分ほど低い位置にあるラケシスのあどけなさを残す顔を見返して、言ったのだった。
「……条件は二つだ。一つ、俺がいいと言うまで前線には絶対に出るな。特にこの間みたいな先走りは厳禁だ。一つ、これから起こることのすべてを全部自分の目で見届けろ。目をそらすことは許さねえからな」
ヘイゼルの瞳を軽く見開いて、ラケシスは彼を見返した。
「……それだけですの?」
「他に何があると思ってたんだ?」
真夏の空の色の瞳が見返してくる。
「だって……自由騎士は女性に手が早いのでしょう?」
そう言うと、ベオウルフはかっくりと肩を落とした。
「あのなあ……子供に手を出すほど飢えちゃいねえよ」
「まあ!私はもう十六歳です!子供じゃありませんわ!」
「ガキって言われてムキになんのはガキの証拠だよ」
あっさりと言い切られて、ぶうっと頬を膨らませる。
「……本当に失礼な方ね。ではどうすればあなたに一人前と認めていただけるの?」
彼女の問いに、ベオウルフは小さくため息をついてから答えた。
「そうだな……剣の勝負で俺から一本でも取れたら認めてやるよ。ちょうどいいから戦い方も教えてやる。あの腕前じゃ心もとないからな」
「まあ、これでもエルト兄さまやイーヴ達には筋がいいと誉められてますのに」
「筋は、な。血を見たくらいで固まってるようじゃお姫様のたしなみって奴でしかねえよ。あんたがこれから行くのは命のやり取りをする現場なんだぜ」
「それは、そうですけど……」
「前にも言ったよな。あんたには、この戦いの行く末を見届ける義務があるんだ。誰が死のうが、誰が裏切ろうがそのすべてを見届けなきゃならん。今のあんたはエルトシャンの代理なんだからな」
その言葉に引っかかるものを感じて、ラケシスは小首をかしげた。
「……あの」
「何だ?」
「あなたは……もしかしてエルト兄様のことをご存知なのですか?」
思い当たることがある。マッキリー城前で彼に連れ戻されたとき、彼に言われた言葉。あれは兄の言葉に酷似していた。それに、彼は今確かに兄のことを「エルトシャン」と呼び捨てにしたではないか。それは、ごく親しい者にしか許されない特権のはずだ。
思いがけない質問に、ベオウルフの方も微妙に表情を動かした。余計なことを言った、とでも言いたげなその顔に、確信を深める。
「ご存知なのですね?」
がりがり、と頭を掻いて。両手を上げた彼は、素直に白状した。
「……ああ。まあ、一応な」
「どこで知り合ったんですの?」
「アグスティの闘技場だ。一緒に酒を飲んで、しばらく旅をしたことがある。たしか三年前だったな」
「ではどうして最初にそのことを言ってくださらなかったの?」
「一国の王様と流れ者の傭兵が知り合いだなんて初対面で信じる奴がいるかよ。三つ子あたりにゃ首をしめられそうだぜ」
確かに、エルトシャンに心酔する彼等ならそのくらいはやるかもしれない。
「でも私、知らぬこととはいえ失礼なことを申し上げてしまいましたわ」
「いいってこった。下々のものに対しちゃあれが普通だろ。俺もエルトシャンから頼まれてたとはいえちっと強引だったからな」
「兄様が?」
「ああ。何かあったら妹を守ってやってくれってな。余計なおせっかいかとは思ったんだが」
「そんなことはありませんわ!あの時はあなたのおかげで助かったのですし……本当に申し訳ございません」
深深と頭を下げると、彼は苦笑したようだった。
「まあそうかしこまるなよ。俺はそういうのは苦手なんだ」
「……わかりましたわ。では、これから訓練場まで付き合ってくださいね」
「おいおい、これからすぐやるつもりか?」
「ええ、もちろん。他に予定はないのでしょう?」
ベオウルフが呆れたように肩をすくめる。
「わぁったよ。つきあってやらあ」
その返答に、にっこりと笑って見せたラケシスである。