Hello,again 第六章
 シャガール王、マディノ城にてついに挙兵。
その知らせを受けて最も落胆したのは言うまでもなくシグルドであった。この一年足らずというもの、何とかして親友との戦いを避けようと努力してきた結果がこれである。だが悲しいかな、生粋の軍人である彼には本国の命に逆らうすべはなく、否が応にも戦闘準備をせざるをえなかったのだった。
「……それで、ラケシスはなんて言ってんだ?」
 尋ねたベオウルフに、シグルドは小さく笑って答えた。
「出撃させてくれと言ってきたよ。自分が兄を説得するからとね」
 それはこの一年の間にラケシスが見せた成長の証とも言える。自分のことで精一杯だった少女はこの一年の間に他人を思いやれるまでになった。人の上に立つ者としての自覚を備え始めたのだろう。大人び始めた外見とともに内から発散するような神々しさはやはりその身に流れるヘズルの血を思わせる。だがそれはひどく危うさを含んだもののようにベオウルフには思えるのだ。
「まったく、たいしたものだよ。一年前からは想像もつかんがね」
 軽く肩をすくめてキュアンが言う。実はここはシグルドの部屋で、彼は次の戦いの相談のためにここを訪れていたのだった。そして、ベオウルフは司令官であるシグルドにある願い事をするためにここを訪れたのである。
「それでベオウルフ、君の願いとは?」
 穏やかに尋ねるシグルドに、一瞬迷う。この願いは、彼に対して残酷な決断を強いるものになる。だが、言わないわけには行かない。あの少女を守るために。
「そのことなんだが……俺に戦略に口を出す権利がないことはわかってる。その上で、あえて言わせてもらう。……ラケシスを戦いに参加させないでほしいんだ」
 予想通り、二人の顔に戸惑いの色が走る。先に口を開いたのはキュアンの方だった。
「なぜだ?この一年で彼女は十分に成長した。剣の腕も馬さばきももはや並みの騎士にも劣るまい。今や彼女は重要な戦力だ。その彼女をなぜはずさなくてはならない?」
「……相手がエルトシャンだからさ。あんたらも、あいつの性格はよく知ってるはずだぜ」
 誇り高きアグストリアの騎士。その誇りのために命すら捨てかねない、不器用な生き方しかできない男。
「確かに……あいつは頑固だからな。俺たちの言うことにも耳を貸すまいよ。しかし、だからこそラケシスの力が必要なのではないか?彼女が言う通り、エルトシャンもたった一人の妹の言うことになら……」
「……耳を貸さなかったら?」
 その一言に、キュアンがはっと口をつぐむ。ベオウルフは視線を伏せたまま続けた。
「もし戦いになったら……あいつを止められるのは同じ聖戦士の血をひくあんたたちだけだ。それを……あいつに見せるのか?」
 戦いの後。どちらが勝利したとしてもアグストリアは混乱の渦に巻き込まれる。その中で、兄を失った少女が身を寄せる場所はここしかない。だが、身を寄せるべき相手が兄を目の前で殺した人物だったとしたら?理屈で割り切れるほど心は簡単なものではない。たとえ頭ではわかっていても、果たして心はその衝撃に耐えられるかどうか。
 飲まれたような沈黙を破ったのは、シグルドのため息だった。
「……そうだな。わかった、ラケシスは城に残そう。エルトシャンのことは……私が何とかする」
「シグルド!しかし……」
「いや、キュアン、いいんだ。そこまで考えられなかった私にも落ち度のあることだからね。少し自分のことばかりに囚われすぎていたようだ。ベオウルフ、感謝するよ」
 頭を下げるシグルドに、ベオウルフはがりがりと頭を掻いた。
「……あやまらねえでくれよ。こいつは俺のエゴみてえなもんだ。そのせいであんたは親友と戦わにゃならんかも知れねえんだぜ」
「いや……もし本当にエルトシャンと戦わなければならないとすれば剣を交えるのは司令官である私の役目なんだよ。情けないが……今までその決心がつかなかったんだ。でも、その役目をラケシスに押し付けるわけには行かないからね」
 苦笑する。その透明な笑顔のなんと痛ましいことか。キュアンは痛みをこらえるように視線をそむけ、ベオウルフも唇をかむ。そこへ、ドアが開いて姿を現した人物は。
「あなた……」
 その腕に生まれて間もない赤子を抱きかかえた一人の女性。輝くばかりの美しさは子を産んで色あせるどころかますます輝きを増すかのようだ。ヴェルダンの森でそれまで誰にも心を動かすことのなかった司令官の心を一瞬にして掴んでしまった美貌の女性は、青銀の髪をなびかせて夫の元に駆け寄ってきた。
「ディアドラ」
 シグルドは微笑して妻を迎え入れる。
「城の中が騒がしいので気になって……また戦いなのですか?」
「ああ、そうなりそうだ。だが君は気にしなくていい」
「いいえ、私もお連れ下さいませ。あなたのお側を離れたくはないのです」
「いや、今度はだめだ。君には生まれたばかりのセリスがいるだろう?無理をしてはいけないよ。ただでさえ昨日まで熱を出していたのだし」
 彼女の産後の肥だちはあまりよいほうではなかった。どちらかと言えば悪い方で、この数日は微熱が下がらずに床に臥せっていたのだ。妻を案じたシグルドは忙しい公務の合間を縫って見舞いに訪れていた。
「でも……私、不安なのです。あなたのお側を離れてしまうと、このまま逢えなくなってしまうような気がして……」
 すがるように服地をつかむディアドラの白い手に、そっと手を添える。
「大丈夫だよ。君とセリスのことを思えば私は負ける気がしないんだ。きっと君の元に戻ってくるから……」
「シグルド様……」
「シャナンに城に残るように頼んである。あの子がいれば君も寂しくないだろう?」
 優しく抱きしめた妻の額に軽いキスを送ったシグルドは、妻の腕の中で眠る息子の頭を愛しげになでた。
 妻と子の存在がどれほどこの司令官の心を慰めたことだろう。この二人の存在がなければここまでこれなかったと思わざるをえないものがある。そしてそれはこのシグルド軍全体に言えることだった。妻の、子の、愛する者の存在こそが彼らを支えてきた。それはおそらく自分も同じなのだ。
 小さく息をついたベオウルフは、肩をすくめたキュアンと目配せを交し合い、部屋を後にした。
「まったく、万年新婚夫婦にも困ったものだな」
 苦笑するキュアンを、ベオウルフは呆れたように眺めやった。
「あんたに人のことが言えるのかい、キュアン王子?」
 もちろん、言えるわけがない。万年新婚夫婦を地で行っているのはキュアンとエスリンも同じなのだから。
 てれたように頭を掻いたキュアンがふっと表情を改める。
「しかし……君には礼を言わなければならないな。本当なら私が意見しなければならなかったことだったのに」
「いや……俺でよかったのさ。ついでと言っちゃ何だが、一つ頼まれちゃくれねえか?」
「何だ?」
「たいしたことじゃねえよ。あんたの部下をラケシスの護衛に貸してほしいのさ」
「フィンを?しかし、君は……」
 言いかけて、キュアンははっと息を呑んだ。
「まさか……!」
「ああは言ってたがよ……やっぱ、司令官を死なせるわけにゃいかねえだろ?」
「危険だ!エルトシャンはミストルティンを持っているんだぞ!?私やシグルドでも対抗しきれるかわからないのに……!」
「誤解すんなよ。俺は、あいつにもらった命を返しに行くだけだ。やっともらえたチャンスなんだから、邪魔しねえでくれよな」
 そうだ。もう決めたのだ。
 たとえ目の前で行われたわけではないにしろ、この二人のどちらかが兄を殺したとなればラケシスは苦しむだろう。ならば、自分が止めるしかないではないか。聖戦士の血に対抗できるとは思わないが、この命と引き換えになら一矢を報いることも可能だろう。
 エルトシャンは、死に場所を求めている。自分には、それを止める権利はない。だから、あの時もらったこの命を返しに行くのだ。命を賭けて、なんて柄ではないけれど、それで彼女の泣き顔を見ずにすむのなら……惜しくはない。
 決意を秘めたベオウルフの目を見て、キュアンは苦いものを飲み込んだような顔をして押し黙った。やがて、短い息を吐く。
「……わかった。フィンには伝えておくよ。だが、一つだけ忘れないでくれ」
「何だ?」
「誰も失いたくないのは、私もシグルドも同じだ。いや、この軍の誰もがそう思っているはずだ。……死んでいい人間など存在しない。だから……簡単に命を捨てないでくれよ」
 一瞬顔を見返して、ベオウルフは苦笑した。他でもない、傭兵に対してこんなことを言い出す人間は他にはいるまい。まあ、だからこそ自分も命を賭ける価値があるというものだが。
「……あんたもやっぱり司令官の親友だけあるよな。そういうとこ、よく似てるぜ。甘いって言われねえ?」
「父上にはよく言われたよ。だがこれは性分なものでね」
「ま、あんたらはそれでいいんだろうな。じゃあ、頼んだぜ」
 片手を挙げてその場を立ち去ったベオウルフである。

*   *   *

 翌日、シグルド軍は二手に分かれて進軍を開始することになった。出立前にシグルドから正式に後方待機を言い渡されていたラケシスは城の一室に引きこもり、ほとんど顔を見せなかった。
 ふと視線を感じた気がして、ベオウルフはふっと顔を上げた。城壁を見やるが、そこにラケシスの姿はない。
「……まあ、当然だよな」
 城に残るよう告げた時の表情は、今でも脳裏に焼きついている。とても傷ついたような顔をしていた。裏切られた、と思ったかもしれない。思い出すたびに胸は痛みを訴えてくるが、ベオウルフはそれを完全に押し殺した。確かに、裏切りかもしれない。自分は彼女の最愛の兄と刺し違える覚悟で戦おうとしているのだから。それでも、守りたいのだ。あの微笑を。穢れないその魂を。
 再び城に背を向けた拍子に、腰に佩いた剣ががしゃん、と音を立てた。長い傭兵生活をともにしてきた剣。何の銘もないが、自分にとってはどんな宝剣よりも価値がある。自分とともにすべてを見つめてきた鋼の剣の柄をなでて、ベオウルフは再び顔を上げた。
 出撃の銅鑼の音。期せずして上がる鬨の声。身体の奥底から奮い立たせるそれらの音の洪水に一瞬身をゆだねて、ベオウルフは愛馬の腹を蹴った。


 マディノ城の攻防は意外にあっけないものだった。城兵の士気は低く、シグルド軍を前にくもの子を散らすように逃げ惑う始末だった。シャガール王は早々に城を放棄し、唯一戦意を保って抗していた守備隊長のジャコバンもイザーク王女アイラの流星剣の前には敵ではなく、かくしてマディノ城は開戦からわずか半日で陥落したのである。
 圧勝に沸きあがる兵たちとは対照的に、シグルドの表情は重く沈みがちだった。城を捨てたシャガール王が向かった先はシルベール城。そこにはエルトシャンがいる。これまで状況を静観してきた彼もついに動かざるを得なくなったと言うことだ。それはすなわち親友との泥沼の死闘が始まることを意味している。
 そのシグルドにさらに追い討ちをかけるような報がもたらされたのは、夕刻のことだった。
「……ディアドラ様がいなくなっただと!?」
 思わず叫んだノイッシュの声に、食堂にいた全員が振り返った。
「本当なのか、アレク!?」
「ああ、残念ながら本当だ。アグスティ城に残っていたシャナンが早馬で知らせに来たらしい」
「馬鹿な……それで、セリス様は?」
「セリス様はご無事らしい。何でも、シグルド様に会いたいとおっしゃられて一人で城を出られたとか……」
「何てことだ……!」
 ノイッシュの嘆きはその場にいた全員に共通する思いだった。シグルドに近い者たちは皆彼がどれだけの思いを犠牲にして戦ってきたかよく知っている。その傷ついた心があの美しい妻によってどれだけ癒され支えられてきたことか。それだけに、つらい戦いを前にその最愛の妻を失ってしまった痛手は想像するに余りある。
 沈黙の中、ベオウルフは小さく息をついて席を立った。
「……噂話もけっこうだが、てめえのやることを忘れちゃいねえか?」
「……何だと?」
 投げかけられた言葉にノイッシュが気色ばむ。
「明日にゃまた戦場を移動するんだぜ。次の相手はアグストリア最強のクロスナイツだ。今日みてえな寄せ集めの兵どもとはわけが違う。こんなところで油を売ってる暇はねえと思うがな」
「貴様……我々を愚弄する気か!?」
「そんな暇なこと誰がやるかよ。こちとら金と生活がかかってるんでな。騎士道精神とやらに付き合ってる暇はねえってこった」
「きさまぁっ!」
 剣を鞘走らせかけたノイッシュの腕を慌ててアレクが止める。
「よせ、ノイッシュ!」
「離せ、アレク!こんな……こんな奴に我々の気持ちがわかってたまるか!」
「よさないか!今は仲間割れしてる場合じゃないだろう!?シグルド様が知られたらどれほど悲しまれるか……!」
 主君の名に、ノイッシュの手がぴたりと止まる。しばらく悔しげにベオウルフを睨みつけていたノイッシュは、やがて何も言わずに身を翻した。
「ノイッシュ!」
「……アレク、付き合え。剣の鍛錬に行く」
 そう言ったきり、ベオウルフには一顧だにくれず食堂を後にする。後に続いたアレクが小さく頭を下げて行くのを見て、ベオウルフは小さく笑った。
 シグルド軍は本当に人材に恵まれている。あれだけ忠誠心の厚い騎士もそうはいるまい。自分に対する反発も騎士としての純粋さからくるものだとわかるから、不快にも思わない。逆にいえば、自分のような異端分子が違和感なくここにいられることのほうが行幸なのだ。まったく、こればかりはシグルドに感謝せねばなるまい。
「……俺もずいぶん焼きが回ったもんだぜ」
 誰かのために、信じられる何かのために戦えることがこれほど幸せなことだとは思いもしなかった。この幸福感の中で死ねるのなら悪くはない。確実に迫りくる死地を前に、穏やかにそう思うベオウルフだった。
 そして二日後の早朝、運命のときはやってきた。
 大方の予想通り、エルトシャンは和平の交渉を拒否し、クロスナイツを率いて出撃してきた。決死の覚悟であることは整然と前進してくる姿からも一目瞭然で、さしもの歴戦の猛者たちもその威風堂々たる姿には圧迫感を覚えずにはいられなかった。
「やはり、戦わなくてはならないのか……!?」
 うめくようにキュアンが呟いた。シグルドが痛みをこらえるように一瞬目を閉じる。そこへ、エルトシャンの言上が響き渡った。
「我はノディオン城主、獅子王エルトシャンなり!このアグストリアの地を汚すグランベルの蛮徒どもよ、その身にわずかでも騎士の誇りが残っているのならかかってくるがいい!すべてこのミストルティンの錆に変えてくれるぞっ!」
 他を圧するその言上に、すぐに進み出られる者など存在しない。それほどまでにこの獅子王の名は手にした黒き魔剣の伝説とともにこのユグドラル全土に轟き渡っている。
「どうした、来ないのか?グランベルの聖騎士も臆病風に吹かれたか!!」
 主君を侮辱された怒りにノイッシュが飛び出しそうになるのをアレクが慌てて引き止める。その横をすり抜けて、ベオウルフは悠然と進み出ていった。
「少しは骨のある者がいたか……ん?」
 顔を識別したエルトシャンの顔色がさっと変わる。
「貴様……ベオウルフ!?」
「よお、エルトシャン。おまえにもらった命、返しに来たぜ」
「なぜ……貴様にはラケシスを預けたはずだぞ!どうしてここにっ……」
「おまえにしちゃ鈍いな。守るもんは身体だけとはかぎらないんだぜ!」
 ギイン、と鋭い音を立てて金属製の火花が飛び散った。それを合図に、激闘が開始された。
 幾多の激戦の中、その最前線で戦い生き残ってきたベオウルフの力は超一級のレベルにまで達していた。戦士としての力量だけならばエルトシャンにもさほど劣らないだろう。だが手にした武器には天と地ほどの差がある。かたや銘すらない鋼の剣、かたやユグドラル全土にその名を轟かせる伝説の魔剣ミストルティン。その埋めようのない差は、圧倒的な壁となって彼の前に立ちふさがった。
「剣を引け、ベオウルフ!まだわからんのか!」
「わかんねえのはてめえだろうが!あいつにとっちゃおまえのいない世界なんざ死んでるのと同じなんだぞ!?」
「だから貴様に後を頼んだのだろうが!」
「バカヤロウ、俺におまえの代わりが勤まるかよ!」
「代わりである必要などない!俺は自由騎士ベオウルフに我が妹を託したのだから!」
 叫んで、エルトシャンが黒き刃を一閃する。それはとっさに出したベオウルフの盾を打ち砕き、彼を馬上から叩き落した。
「……情けがあるなら、せめて誇り高き死を選ばせてくれ」
 全身を痛打した苦悶の中、必死に身体を起こそうとしたときにはエルトシャンはすでに馬の腹を蹴っている。
「……エルトシャン……!」
 遠ざかる背を、必死に追おうとするベオウルフの視界に司令官の姿が映った。
「やめろ、エルトシャン!この戦いに何の意味がある!」
 悲痛に響く、シグルドの叫び。
「黙れ、シグルド!もはや問答は無用だ!お前にこのミストルティンが受けられるか!」
 叫び返し、魔剣ミストルティンを振りかざすエルトシャン!
 その瞬間、だった。

「やめて――――っ!」

 翻る、薔薇色のマント。
 白銀の甲冑と、日に透ける金色の髪。
 黒き魔剣の前に割り込むようにして身をさらしたのは、間違いようもなくあのラケシスだった。
 黒い閃光が持ち主の妹を袈裟切りにする寸前でかろうじて止まり、静けさが戦場を支配する。それを破ったのは、呆然としたようにエルトシャンが呟いた言葉だった。
「……ラケシス、なぜ泣いている……?」
 ラケシスは涙をぬぐおうともせずに答えた。
「兄上がバカだからです!どうして……どうしてわかってくださらないのですか!?」
「無理を言うな。もはや戦うしかないのだ。ほかに手段はない。俺は、アグストリアの騎士として……」
「友を裏切ってまで戦うことが騎士の誇りなのですか!?」
「ラケシス……」
「兄上だっておわかりのはずです!シャガール様さえ剣を引いてくださればシグルド様には戦う意志はありません!シャガール様を説得できるのは兄上しかおられないのですよ!」
「…………」
「どうしても戦うというのなら、いっそその剣で私を切り捨てて下さい。そんな兄上は見たくありません」
 剣を捨て、両手を広げてミストルティンの前に立ちふさがるラケシス。周囲はただ息を呑んで見守っている。
 痛みをこらえるように目をそむけたエルトシャンの肩からすっと力が抜けた。金属音とともに、ミストルティンが鞘に収められる。
「兄上……?」
「……わかった。もう一度、陛下を説得してみよう。お前の言う通りだ。同じ命をかけるなら、不本意な戦にではなく友のために戦うのが騎士の生き方だろうから」
「兄上!」
 ぱっと表情を輝かせるラケシスに向かって小さく微笑んで。彼は、ミストルティンを鞘ごと腰から引き抜いて、言った。
「ラケシス……頼みがある。これを、レンスターにいるアレスに届けてくれないか」
「アレスに?義姉上にではなく?」
「そうだ。アレスが無事にミストルティンを継承できるよう見守ってやってほしいのだ」
「兄上……?」
「それと、これはお前にやろう」
 淡い緑色の光を放つ長剣を腰から引き抜く。
「これは、大地の剣!?……兄上、まさか!」
「俺に万が一のことがあれば、形見と思え。ラケシス、死ぬなよ!」
 一瞬、強く抱きしめて、突き放す。そのまま馬首を翻して走り出したエルトシャンを、ラケシスが慌てて追おうとする。
「ああっ、待って!エルト兄さま!」
 かろうじて身体が動いた。何とか走り出しかけた彼女の腕を掴んで引き止める。
「待て、行くな!」
「いやっ、放して!兄さまが……!」
「ラケシス、落ち着け!」
「放して!……エルト兄さまぁ!」
 闇雲に暴れるラケシスに小さく舌打ちして、ベオウルフは軽い当身を入れた。かくん、とくず折れた細い身体を抱きとめて、彼は痛みに耐えるようにエルトシャンの走り去った方向を眺めやった。
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