「ベオウルフ、今日こそ負けませんわよ!」
「ハハハ、こりねー姫さんだな……っておい、そりゃ銀の剣じゃねーか!どっから持ち出してきたんだ!?」
「シグルド様にお借りしましたの。同じ武器を使っていては力が違い過ぎますでしょ?」
「そりゃそうだが、実戦用じゃねーか。けがでもしたらどーすんだっ」
「あら、平気ですわ。ちゃんと私がライブの杖で治して差し上げます♪」
「そういう問題かーっ!」
……何とも笑い話のようなやり取りであるが、実はこれはノディオンを出て数日後の実話である。
出立前、ベオウルフがラケシスに対して示した条件は二つあった。一つは、自分がいいと言うまで前線に絶対に出ないこと。もう一つは、これから起こることのすべてを全部自分の目で見届けること。その条件を果すために必要と判断したラケシスは自ら剣の鍛錬の相手をしてくれるように申し出てきた。当然のことながらベオウルフのほうが圧倒的に強かったのだが、ラケシスは彼に負けたことがよほど悔しかったらしく、以来事あるごとに剣を持ち出しては挑んでくるのだ。
最初のうちは笑って受け流していたベオウルフも、さすがに銀の剣まで持ち出されると笑ってばかりもいられない。下手にけがでもさせようものならあの口うるさい三つ子パラディンに怒鳴り込まれてしまう。血気盛んな長男あたりなら剣を抜きかねない。
周囲ではこれはレクリエーションの一つと認識されているらしく、全員笑うばかりでだれも手を貸してくれそうにない。仕方なく、ベオウルフも半分本気で相手を始めた。
「ほらほら、左脇が甘い!そんなんじゃすぐ懐に入られちまうぞ!」
「わかってますわ!やあっ!」
「っとぉ、あぶねーあぶねー。並みの奴ならジエンドだが、まだまだ!」
ついには剣をからめ取るようにして弾き飛ばし、ようやく勝負がついた。
「一丁上がり、だ。なかなかいいとこつくようになってきたじゃねえか」
笑顔でそう言ったベオウルフに、ラケシスは荒い息をつきながら地面にへたり込んで答えた。
「でも、負けたのでは意味がありませんわ。ああっもう、どうして勝てないのかしら!」
「そりゃまあ、経験と実力の差だろ?こっちもこれで飯食ってんだから、そう簡単に負けるわけにゃいかねーんだよ」
不服そうに押し黙るラケシスの頭にぽん、と手をおいて、
「さて、約束だからな。マッキリー城攻略は後方で待機してろよ」
「……ずるいですわ。どうしていつも私は後方待機なんですの?このままじゃ兄さまに顔向けできませんわ」
いつもの文句に、苦笑する。そしていつもの答えを返してやった。
「だから言ったろ?俺から一本取ったら参加させてやるよ。そのくらいでなきゃとても身を守れねえからな」
「でも、皆さんは兄さまのために大変な思いをして前線で戦ってらっしゃるのに……心苦しいですわ」
「あのな、姫さん。俺たちゃ皆自分のできることをやってんだ。力自慢の奴あ前で戦うし、魔法を使える奴はそいつらをフォローする。今あんたにできることは何だ?」
「……何も……」
「つまりはそういうこった。後方ったってやることがねえわけじゃねえだろ?せっかくライブの杖が使えんだからエーディンやエスリンの手伝いをしてりゃいいじゃねえか。前で戦うばかりが能じゃねえんだぞ」
「……わかりました。でも、アグスティ城の攻略には私も絶対に参加しますからね」
「そいつぁまた俺との勝負の結果次第だな」
「まあ!今度こそ絶対に一本とって見せますわ!」
「意気込むのはいいんだが次は実戦用を使うのはなしだぞ。危なっかしくてかなわん」
そう言いおいて、銀の剣を拾いあげたベオウルフは、シグルドの元に向かった。
ちょうどキュアンとともに朝食を取っているところだったシグルドは、笑顔で言ったものである。
「やあ、おはよう。朝の儀式は無事終わったようだな」
「ったく、あんたのおかげでえらい目にあったぜ。安易にこんなもん貸すなよな」
「ハハハ、すまん、あんまり真剣に頼んでくるんで断り切れなかったんだ。それで、調子はどうだ?」
「さすがにエルトシャンの妹だけあって上達が早ぇぞ。でも、前線に連れてくにはまだまだだな」
「そうか。私としてもエルトシャンのいないところで彼女にけがはさせたくない。君がストッパー役になってくれて助かるよ」
「まあ、これも約束だからな……それで、マッキリーの攻略はどうすんだ?」
「うむ。今キュアンとも話していたんだが、クレメントのスリープの杖はディアドラのサイレスの杖で何とかなるとしてもやっぱりロングアーチ部隊がネックだな。あれに足止めされると前に進めないし……」
「先に倒そうにも奴等は崖の上だからな。遠回りするしか手段がないのが辛いところだ」
と、キュアンが口を挟む。
「ふーん。やっぱここは俺の出番か」
「どういう意味だ?」
「ロングアーチは俺がひきつけとくから、あんたらはその間に城を制圧しちまってくれや」
ベオウルフの申し出にシグルドは面食らい、キュアンがぽんと手を打った。
「なるほど……おとりってわけか」
「しかし、それでは君が危ないだろう?そんな危険なことをさせるわけには……」
「ロングアーチは命中率が低いし、連射もきかねえからな。あんたらが夕暮れ前までにとっとと城を乗っ取ってくれりゃすぐにカタはつくぜ」
「だが……」
「迷うこたあねえよ。こんなときのために俺がいるんじゃねえか。もたもたしてる暇はねえはずだぜ」
アグスティ城に幽閉されているエルトシャンを救い出すという目的がある以上、これ以上の時間を割くわけには行かない。そして、戦力と回避力を考えれば確かに彼がもっとも適任なのだ。
「……わかった。我々もなるべく急ぐようにするが、くれぐれも無理はしないでくれよ」
「まかせとけって。あんなへろへろロングアーチにやられるほど俺はマヌケじゃねえよ」
そう言ってにっと笑って見せたベオウルフである。
そして数時間後。ロングアーチの襲来は容赦なく彼らに襲いかかってきたのだった。
「おいでなすったぜ!シグルド公子、あの森の辺りが臨界点だ!あそこを越えればロングアーチは届かねえ!」
「わかった!皆聞いての通りだ、あの森まで全力で走れ!」
「はい!」
彼らは一斉に走り出した。その中で、みんなと一緒に走り出そうとしていたラケシスが一人身を翻すベオウルフを見て声をかけた。
「ベオウルフ!?どこへ行くんですの、そっちは逆ですわ!」
「決まってんだろ、仕事だよ!」
「仕事?いったい……」
立ち止まりかけた彼女をシグルドが連れていくのを見届けて、ベオウルフは馬を走らせた。
「さあて……ここからが正念場だな」
見晴らしのよいところに立つ。すると、すぐに巨大な矢が二本飛来した。手綱をさばいて軽々とよける。
ロングアーチは連射がきかない。次の矢が来るまで数分はかかるはずだ。これを数時間に渡って続けるのは正直言ってしんどいが、耐えるしかない。そんなことを思いながら、矢が放たれてくるはずの崖の方向に目を向けたとき。
「ベオウルフ殿!」
聞き覚えのある声だった。だが、聞こえるはずのない声でもあった。慌てて顔をそちらに向けたベオウルフは、そこに想像どおりの人物を見出して驚きの声を上げた。
「坊主!?おまえ、何で……」
レンスターの騎士見習フィンは、冑の下からにこりと微笑んで答えた。
「加勢に参りました。お一人では無理ですよ」
「バカ言ってんじゃねえよ。おまえにゃまだ無理だ。とっとともどんな」
「そういうわけには参りません」
「何だよ、ご主人様の命令か?」
「いいえ、これは私の意志です。キュアン様も了解してくださいました」
「だったらなおさらだ。ここはおまえの来るところじゃねえよ。とっとと帰れ」
冷たく言い放つ。だが、フィンにもひるむ様子はない。
「どうしてですか?一人よりも二人の方が効率はいいはずですよ」
「そういうことじゃねえ。これは俺の仕事だ。死ねない奴が来るところじゃねえんだよ」
「死ねない?」
「そうだろうが。ここは自分の命よりも大事なもんがある奴が来るところじゃねえ。わかったら戻れ!」
騎士は主君に絶対の忠誠を誓う。いってみれば、彼らの命は彼らのものであると同時に主君のものでもあるのだ。つまり、勝手に捨てることは許されない。目の前の少年は見習いとはいえ騎士であり、しかも随従する主君や周囲に期待を抱かせる才能の主なのだ。こんなところで死なせるわけには行かない。
だがフィンは頑として承知しなかった。頭一つ分以上高いベオウルフの顔を真っ直ぐに見返して、きっぱりと答えたのだ。
「あいにくですが、私は見習とはいえ騎士です。死地に置かれた味方を放って逃げるような教育は受けておりません」
「な……」
「今ここを離れることはレンスターの騎士は臆病者とのそしりを受けることになります。それは我慢なりません」
幼さを残した真っ直ぐな瞳に見返されて、ベオウルフは言葉を失った。
「……ちっ、しょうがねえな。自分の身は自分で守れよ。こっちも余裕はねえんだからな!」
捨て鉢にそう言った彼に、フィンはにこりと笑って見せた。
「もちろんです」
二人の孤独な戦いは二時間半に及んだ。ロングアーチが矢を放ってくるタイミングは一定ではない。つまり矢をよけるためには常に緊張していなくてはならないのであり、その極度の緊張感は彼らをひどく疲労させた。疲労は集中力の散漫につながる。時間がたつにつれて矢をよけきることは難しくなり、すでに彼らもいくつかの傷を負っていた。
「よぉ……平気か?」
短く尋ねると、ややあって返答が帰ってきた。
「はい……何とか」
ちらり、と視線を流す。フィンはよく頑張っていた。手綱さばきは流麗とは言いがたいが堅実で、致命傷を負うまでにはいたっていない。だが疲労はその気力をかなり蝕んでいるようで、視線に気づく気配もない。そろそろ限界が近いようだ。まあ、自分もあまり人のことは言えないのだが。
フィンには隠していたが、左わき腹の傷は想像以上に深いようでさっきから感覚がない。このままでは長く持たないのは明白で、気力だけでかろうじて身体を支えている状態である。
あたりは夕暮れを迎え、次第に暗くなってきている。暗くなって視界が悪くなれば、ロングアーチの放つ矢をかわす術はほとんどないに等しい。だからこそ暗くなる前に決着をつけるようにシグルドに進言したのだが、間に合わなかったのだろうか。
「おせえな……」
呟いたとたんに目眩を覚えた、そのとき。
「ベオウルフ殿!」
フィンの声にはっと我に返り、手綱をひいた。次の瞬間、風を切る音が頭上を通過する。全くの行倖で矢をよけることに成功したベオウルフはフィンに向かって苦笑いして見せた。
「……悪い、助かった」
「どう……いたしまして」
フィンも疲れ果てた様子で微笑する。極度の緊張状態の中で長くともに戦いつづけてきたためか、二人の間には奇妙な連帯感が生まれつつあった。
「しっかし……おまえも物好きな奴だな。騎士ってのぁ前線で剣を振り回してるだけでこんなこたあしねえもんだぜ」
軽口を叩くベオウルフにフィンが苦笑する。
「そういわれましても……私はキュアン様の教えに従っているだけですから」
「おまえの師匠はあのご主君か?」
「はい、そうです。幼いころに両親を亡くした私を王宮に引き取ってくださり、手ずから槍を教えてくださいました。私にとってはキュアン様は両親以上のお方なのです」
「ふーん……盲目的って奴か。おまえ、もちっと周りを見ろとか言われたことねえか?」
「え?」
まじめが悪いわけではない。だが視界の狭さは時に真理を見落とすことにもつながる。主君を信じてひたすらに従う姿はベオウルフから見ればひどく危ういものにしか見えない。
「例えば、だ。その大事なご主君がいなくなったらおまえはどうすんだ?」
「えっ……」
「ご主君大事もいいけどよ。それだけのために生きるのは感心しねえな。キュアン殿もそんなこたあ望んじゃいねえはずだぜ」
「ベオウルフ殿……?」
きょとん、と見返されて。ベオウルフはよけいなことを言った、というように顔をそむけた。
「……んでもねえ。ほら、集中しろ。そろそろまた来るぞ」
「あ、はい」
だが二人が再び崖に向き直ったとき、遠い空から聞き覚えのある鬨の声が聞こえてきた。
「あれは……」
呟いたベオウルフに、フィンがほっとしたようににこりと笑いかけた。
「どうやら決着がついたようですね」
「……そのようだな」
うなずく。安心した次の瞬間、くらリ、と視界が揺れた。
「ベオウルフ殿?」
「……なあ……頼みがあるんだが、いいか?」
「え?」
「マッキリーまで手綱をひいてってほしいんだが……もう身体が動きそうにねえんだ」
不審げに近づいてきたフィンはようやくベオウルフの怪我に気づいたらしく、ギョッとして駆け寄ってきた。
「まさかっ……その怪我、いつからなんですか!?」
「いつだっけなあ……忘れちまったよ、そんなこたあ」
「どうしてもっと早く言わなかったんですか!言ってくだされば……」
「どうにかなるもんでもねえだろ。ああ、もういいから早くしてくれや。俺は眠いんだよ。後は頼んだぜ、フィン」
ひらひらと手を振って、ことん、と頭を馬の首に預けた。そのまま、すうっと意識が遠くなる。
「……わかりました。マッキリーについたらすぐに手当しますから、それまで我慢してくださいね」
その返答は半分以上耳に入らなかった。意識を保つのも限界だったのだ。ようやく次に意識を取り戻したときには既にマッキリー城の一室のベッドの上に寝かされており、側にはライブの杖を持ったエスリンとシグルドがいたのだった。
「……よお、大将……その様子じゃあ、攻略は成功したみてえだな。早かったじゃねえか」
軽口を叩いたベオウルフに、シグルドはひどくつらそうな顔をした。
「ああ、君のおかげだ。だが、そのせいでこんなけがをさせてしまって……」
「気にすんなよ。俺たちゃこれが仕事だからな……っつ!」
「まだ傷口がふさがっていないのよ。無理をしないで……」
そう言うエスリンの額には玉のような汗が浮かんでいた。いかに彼女が優れたトルバドールであるといっても、治せる傷には限界があるのだ。つまりはそれほどの重傷であるということである。他人事のように考えたベオウルフに、シグルドがさらに言う。
「本当に……すまない、やはりあのような危険な作戦を取るべきではなかった……」
「気にしなさんなって。無事に城を制圧できたんだ、万事めでたしじゃねえか。……っつう……」
左わき腹に鈍痛が走る。思ったよりも傷は深いらしい。またしても他人事のように考えたとき、戸口に人の気配がした。
「お静かに、無理は禁物ですよ。エスリン、交代するわ」
穏やかな声とともに黄金の巻き毛が視界に揺れる。エーディンが現れたのだ。彼女はプリーストで手にしたリライブの杖はどんな重傷でもたちどころに癒してしまえるらしい。礼を言おうと顔を上げて、ベオウルフは戸口に立ち尽くしているラケシスに気がついた。
彼女の顔色は真っ青だった。手にはライブの杖を握り締めて、かすかに震えながら懸命に身体を支えている。無理もない。お城の奥で何不自由なく育てられてきたお姫様には今の自分はさぞむごく痛ましい姿に映っているのだろう。
近づいていったエスリンが彼女を促して部屋の外に出る。ベオウルフは目を閉じてエーディンの持つリライブの杖から発せられる癒しの光に身をゆだねた。
リライブの杖の力は絶大だったようで、左わき腹が訴えつづけていた鈍痛もすぐに楽になっていった。ベオウルフが再度目をあけると、杖をおろしたエーディンがにこりと微笑んで言った。
「もう大丈夫ですよ。でも、完全に治ったわけじゃありませんから無理はなさらないで下さいね」
「あ、ああ……ありがとうよ。助かったぜ」
「いいえ、どういたしまして。あなたは今度の戦いの最大の功労者ですもの」
「俺が?俺は何にもしてねえぞ」
「皆存じておりますわ。あなたの努力と犠牲がなければこの城は制圧できなかったことを」
迷いもなく言い切られて、少し呆然とする。今までにそんなことを言われたことがなかったからだ。自分は傭兵で。傭兵は金で雇われている分見捨てられることも少なくなかった。少々の犠牲を払ったとて当然と思われるのが関の山だったのだ。
この軍は本当に変わっている。そう思ったときには、エーディンは一礼して部屋を出て行くところだった。シグルドが律儀に頭を下げている。そんなシグルドの横顔を、指揮官らしくない人物だななどと思いながらベオウルフは見つめた。
確かに、不思議な人物である。個人の力は言うに及ばず、彼は指揮官としても実に優秀だった。剣を取れば聖戦士バルドの再来とまで言われた類稀な剣技を発揮し、一軍を指揮すれば負け知らず。にもかかわらず、その戦いぶりはどこか危うい。それはおそらく、彼自身が指揮官にしては前に出すぎるせいなのだろう。
「……あんた、変な人だよな。指揮官ってのぁもっと後ろの方でふんぞり返ってるもんだろ?」
率直なその問いに、シグルドは苦笑して答えてくれた。
「彼らは皆私のために戦いに巻き込まれたようなものだ。私のわがままでこんなところまで連れてきてしまった。なのに、私だけが安全なところでのうのうとしているわけには行かないよ」
優しい青の瞳がふとかげりを帯びる。
「弱気だと思うかもしれないが……私は失うのが怖いんだ。それでも、止まることはできないから……」
その姿を見て、ベオウルフはとある噂を思い出した。
シアルフィ家の現公子は武には長けているが政治的には無能である、と言うものだ。何がしかの悪意を含んだそれをまともに信じる気にはなれなかったが、本人を見ているとわかる。彼は、純粋すぎるのだ。特に政治的な駆け引きなどにはまず向かない。そんな彼だからこそ、これだけの傑出した人材が周囲に集まるのだろう。
「……まあ、いいんじゃねえの。でもよぉ、周りはもうちっと信用してやっていいと思うぜ?あんたに死なれちまったらどうにもなんねえんだからよ」
なんとなく口をついたそんな台詞に、シグルドが苦笑する。
「同じことをノイッシュにも言われたよ。信用していないわけじゃないんだが……」
「こいつは俺の持論だがな。指揮官の一番の使命ってのは、自分が生き残ることなんだと思うぜ。二番目が部下を生き残らせること。で、三番目は生き残れなかった部下のために泣いてやることだ」
「ベオウルフ……」
「こいつは自分のために泣いてくれる。そう思える指揮官の下でなら、兵隊は力を発揮できる。死んでも悔いはのこんねえ。あんたの部下たちだってそう思ってるはずさ」
忠誠なんて必要ない、ただ間違いなく働きさえすればいい。そんな雇い主を多く見て、それが当たり前だと思ってきた。だが、こんなのも悪くはない。ちょっとくすぐったいが、まあいいか、とも思ってしまう。
素直に話を聞いていたシグルドは、小さく笑って答えた。
「……そうだな。次からは気をつけることにしよう。では私はこのあたりで失礼するよ」
そのときドアがそっと開き、ラケシスがひょこりと顔を覗かせた。
「ラケシス、後は頼むよ」
「あ、はい……」
ぺこり、と頭を下げた彼女が顔を上げて向き直る。その顔色はやはり白かったが、幾分落ち着きを取り戻したようだ。そんなラケシスに、ベオウルフは片手を上げて言った。
「よお、お姫様。ちいとみっともねえとこ見せちまったな」
いつもの調子で言ってやると、少しほっとした様子で小走りに駆け寄ってくる。
「その分じゃ怪我はねえようだな」
「ずっと後方でしたもの。あるはずありませんわ」
「それもそうか。あんたのこったからまた先走って前に出てんのかと思ったぜ」
「……一応約束ですもの。集中しますから、少し静かにして下さる?」
心配ない。いつもどおりのラケシスだ。ベオウルフは苦笑して口を閉じた。
目を閉じて集中するラケシスの表情は真剣だ。聖なる光に包まれた姿は神々しくすらあり、まだ16歳という年齢を忘れさせてしまう。それは彼女の中の聖戦士の血のせいなのだろうなと考えたとき、ラケシスがふっと目を開けた。
「あまり無茶はしない方がいいぞ。あんたとあの二人じゃ元々の魔力が違うんだからな」
からかうようにそう言ってやると、少しだけ口を尖らせて睨んできた。
「無茶などしておりません。その言葉、そっくりあなたにお返しさせていただきますわ」
「ハッ、それもそうだ。こりゃ一本取られたな」
「ごまかさないで下さい。あなたにはいろいろと伺いたいことがあるんです」
「そりゃまたキツいな。で、何が聞きたいんだ?」
「どうしてこんな無茶をなさったの?」
少しだけ声音の変わった問いに、ベオウルフは眉を上げ、やがて真顔で答えた。
「……時間がなかったからさ。アグスティのシャガール王がいくらバカでも和平の切り札であるエルトシャンを殺すようなことはしないだろう。でも、殺さないだけで何をするかはわからん。奴の身の安全を考えれば一刻も早くマッキリーを攻略してシャガールにプレッシャーをかける必要があった。のんびりロングアーチを壊してる暇なんかなかったのさ」
「それにしても、自分から言い出すなんて……あんな戦い方をしていては命がいくつあっても足りませんわ。どうして囮役なんか引き受けたんですの?」
ラケシスの疑問に対する彼の答えは端的である。
「決まってる。他になり手がいなかったからさ」
「だからって、どうしてあなたが……」
「ああいうのは傭兵の仕事なんだよ。死んでも後腐れのない奴がやることなのさ」
それは彼女にとってはじめて聞く理屈である。
「後腐れって……」
「ここは死んじゃいけねえ奴が多いからな。消去法でいきゃあ残るのはいつだって俺たち傭兵だ。どうせ金だけのつながりだからな。見捨てたところで心が痛むわけもねえ」
身寄りもなく、帰るところもない。金で雇われただけの自分なら、たとえ死んだところで誰が悲しむわけでもない。結局は、消去法なのだ。誰が死んではいけないのか。考えていけば、最後に残るのはいつだって自分たち傭兵だ。はじめからわかっていれば、あきらめもつく。ベオウルフはそう考えている。
「そんな……シグルド様はそんな方ではありませんわ」
「そうだな。なんせ部下を傷つけたくないからって自分が真っ先に敵陣に突っ込んでいくような御仁だからな。ああいう優しい人間には自分から誰かを切り捨てるようなこたあ言えねえだろうし、だからなおのこと俺みてえのが言ってやんねえとならんのさ」
脳裏に浮かんだ指揮官の人のよさそうな笑顔に苦笑した。彼の言い分は世間一般で言う『甘ちゃん』でしかない。でもたぶん、彼はあれでいいのだ。よけいな心配は他の者がすればいい。彼はただ、その鬼神のような強さと人を和ませる優しさとで支えてくれれば十分だ。
「死んではいけない人とはどういう基準なんですの?」
「まず第一に、女がいる奴だな。次に帰るところや守るものがある奴、最後に実力のない奴、ってとこだ」
「まあ、それでは話が合いませんわ」
「は?」
「ですから、その条件ではあなたは死んではいけない方ということになりますわよね?」
ラケシスの言葉に、彼は目を瞬かせた。
「……何でそう思うんだ?」
「だって、あなたはエルト兄さまに私を守ると約束なさったのでしょう?それは、守る者がいるということではありませんの?」
このときの自分は、さぞかし間抜けな顔をしていたのだろう。後になってそんなことを考えてしまうほど、このときの彼女の言葉は彼にとって意外なものだったのだ。
「……私、何か変なこと言いました?」
「いや……確かに、そういう考え方もあるな。目からうろこが落ちたような気がするぜ」
それは本当に、本心からの言葉だった。だれからも切り捨てられ、見捨てられてきた自分の人生が初めて意味を持った瞬間だったのだ。