「……フン。バカな奴だ」
帰参したダナンの報告を受けたランゴバルトは、小さく鼻を鳴らして呟いた。
「義理や人情などで行動して何になる。生き残る術を自ら捨てるなど、愚の骨頂ではないか。その場で死んだほうがドズルの家名に泥を塗らぬだけまだましだったわ」
ぶつぶつと文句を言う父親を、ダナンがおもしろそうに眺めやる。
「では、いかがなさるので?」
率直なその問いに、ランゴバルトは髭だらけの顔をしかめて長男を睨んだ。
「決まっておろう。ドズル家の面汚しめが、このまま生かしておくわけには行かぬ」
「本気でそうおっしゃっていますか?」
「……何が言いたい」
「素直ではありませんな。髪の色から強情なところまで母上にそっくりだとおっしゃられたのは父上ではありませんか。今さら言うことを聞くと思われたわけでもありますまいに」
「…………」
「ご安心召されよ。レックスはきちんと自分の力で自分の道を歩んでおりますぞ」
「……そのようなこと、聞いた覚えはないわ」
顔をそむける父に、ダナンは笑みを浮かべたまま続ける。
「偵察部隊にあのような命令を下したのも今の実力を確かめるためでありましょう?まあ、ものの役には立ちませなんだが代わりにこの私めがしっかりと見届けてまいりましたぞ。力に頼らぬうまい戦い方を身につけておりました。やはり実戦が一番の上達の場であるようですな」
「……斧を持つものが力に頼らず何とする?」
「技が実に多彩になっておりました。あれならば剣を持つ者にも劣りますまい」
ランゴバルトがちらり、と視線を投げる。
「……剣士にも劣らぬ力を身につけていたと申すか?」
「はい。あの力、並みの騎士ではもはや叶いますまい」
「わがドズルが誇るグラオリッターに比肩すると申すのか?」
「間違いなく。何しろこの私をもってしても危うく一本とられるところでしたからな」
「何、おまえが?」
その瞬間、ランゴバルトの表情にわずかながら嬉しそうな色が掠めた。それを見たダナンがにっこりと笑うと、慌てたように表情を引き締めなおしてわざとらしく咳払いでごまかした。
「……もう、よろしいのではありませぬか?」
「……何がだ」
「もうすぐ冬が来ます。この先へ軍を進めるにはあまりよい季節とはいえませぬ。今回の出兵は正式な許可を得たものではなく、アズムール王もいったんは聖騎士の名を与えた者を討伐することに難色を示しておられると聞き及びます。ここは、引き際が肝心と思いますが」
ランゴバルトが黙り込む。この遠征は、確かに正式な許可を得たものではない。国王の承認なしに他国へ軍を進めることは大陸中を巻き込んだ全面戦争へと一歩を踏み出すことに他ならない。一国を欲してはいてもバーハラ王家への忠誠はいささかも変わるところのない彼にとって、それらの汚名はかぶるには耐えがたいものだった。
父子の間に不自然な沈黙が流れる。ダナンは口を開かない。ただ、父の言葉を待つ。
やがて。小さく息をついたランゴバルトは、ちらりと息子を見やった。
「……レプトールめが苦い顔をするであろうな」
「それは容易に想像がつきますな。しかし、あちらもティルテュ公女がおられることを考えればすぐには手出しもできますまい?」
むしろこちらの進言をこれはよしと受け入れる可能性が高い。
そう説くダナンに、ランゴバルトはフンと鼻を鳴らした。
「まあ、よいわ。今回のところはおまえの顔を立てるとしよう。……ところで」
不自然に言葉を切って、沈黙する。らしくないその所業に、ダナンは首をかしげた。
「父上、まだ何か?」
「……どうだったのだ?」
「は?」
「……見てきたのだろう。その、……レックスが惚れ込んだとかいう女の顔を」
一瞬、唖然として。ダナンは失笑をかろうじて堪えた。この強面の父でも息子が選んだ女のことはやはり気になるらしい。
「聞きたいですか?」
にやりと笑うと、ランゴバルトは顔をしかめた。
「もったいぶらずにさっさと言え。さもないとスワンチカを譲ってやらんぞ」
「子供のようなことをおっしゃいますな……なかなかの美女でしたぞ。ただし、体つきのほうは少々肉感が足りないようでしたが」
「珍しいな。奴もわしやおまえと同じでグラマー系が好みだったと記憶しているが」
「恐らくは……あの目でしょうな。女にしておくには惜しい、よい目をしておりました。このあたりは、父上の好みとよく似ておられるのではありませんか?」
レックスを産んでそのまま亡くなった彼の妻は、女だてらに斧を振り回しついにはグラオリッターの地位まで登りつめた強者だった。まだほんの幼い頃、ダナンも稽古の相手をしてもらったことがある。生まれたばかりの子供におもちゃ代わりに斧を与えるような剛毅な性格は、時としてこの強面の夫をすら言い負かすだけの力を持っていたのだ。
亡き妻を思い出したのか、ランゴバルトの表情がふっと緩んだ。
「……フン」
「いずれは我々の前に現れることになるやもしれませんな」
「その時までにあの横着者が口説き落とすことができるやら……見ものだわい」
「これは手厳しい」
顔を見合わせて笑いあう。
「では、御前失礼いたします」
「うむ」
最後は事務的な挨拶を残して、父と子は席を離れた。
***
この時は、まだ後の悲劇を知る由もなかったダナンである。
リューベック城で父ランゴバルトがスワンチカを所持していながらティルフィングを手にしたシグルドの軍に敗れたと彼が知ったのは、遠く離れたイザークの地でのことだった。これは他公爵の手が伸びる前にかの国を手に入れよという父の密命を受けての隠密行動だったのだが、さしもの彼も一時は全軍を放り出してグランベルへはせ参じようとしたほどの衝撃的な情報だった。それをかろうじて思いとどまったのは、後に届いた父の書状を目にした後のことである。
その後も破竹の勢いで勝ち進むシグルド軍の様子は逐一彼の元へと届けられた。中でも、常に先陣を切る長い髪の女剣士とその傍らで常に斧を振るっている騎士の姿はある種の畏怖と尊敬を持って語られた。
だが。砂漠のフィノーラ城を突破し、レプトール率いるフリージ軍をすら打ち破った彼らがバーハラ宮殿に程近い平原でまるでだまし討ちのような形で討ち取られたと知ったとき、彼ははっきりと悟ったのだ。自分たちが―――自分が、時流を見誤ったことを。
以来、ダナンは変わった。手中にしたイザーク王国を徹底的に蹂躙し、弾圧する一方で国中の富を居城であるリボーに集めて贅沢の限りを尽くした。質実剛健を旨とするドズル家の象徴とも言われた神器継承者のこの変わりように、周囲のものはあるいは眉をひそめあるいは声に出して諌めたが、それらの意見を彼が容れることはなかった。
彼は己の所業の意味を正確に理解していた。それがどれほど無辜の民を苦しめているか、よく知っていた。かつては最も嫌っていた『グランベルの宮殿のタヌキども』と同じようなことをしている自覚がはっきりとあった。それでも、本当の目的のためには手を抜くわけには行かなかった。
帝国は、憎まれねばならないのだ。憎まれて、恨まれて、その上で最も象徴的な形で倒されねばならないのだ。憎まれるべき存在は、善政を敷いてはならない。帝国の目を、この国に向けてはならない。この国の片隅で確かに育つ、希望の光を摘み取ってはならない。そのためだけに、彼は自身の手を汚しつづけた。
それから、17年。苦渋の日々は、ようやく終わろうとしている。
「ダナン陛下!」
悲鳴のような声をあげて転がり込んできた兵士が、息せき切って報告した。
「は、反乱軍が城門を破り場内に侵入しましたッ!ここも、もう……!」
傍らに控えていた大臣が耳打ちする。
「陛下、この上は一刻も早く御退避を……本国ドズルにお戻りなさいませ。あちらにはブリアン殿下率いる精鋭グラオリッターを始めまだ十分な兵力も整っております。そこへスワンチカを手にした陛下が加わればもはや鬼に金棒、このような小規模の反乱軍など敵ではありませぬ」
確かに、この男の言うことは正しいのだろう。だが、ダナンは不敵に笑った。
「貴様はわしがスワンチカなしではこの程度の反乱も抑えられぬほど落ちぶれたと申すか?」
大臣の顔色が一気に青ざめる。
「い、いえ、決してそのような……!」
「では貴様も斧を取れ。一人でも多くの反乱軍の首を取ってまいれ。その上でならその言葉、信用してやろうぞ」
「な、何を……!」
口をぱくぱくさせる大臣には見向きもせず、ダナンは声を張り上げた。
「誰か、甲冑を持て!大臣が出撃するそうじゃ!」
「へ、陛下ッ!」
「言い訳は無用!貴様もドズルの男ならその力、手にした斧にかけて証明して見せよ!」
愕然としながら、大臣はふらふらとその場を離れていった。
一呼吸置いて、ダナンは目の前に控える兵士に向き直った。
「ご苦労であった。さがるがよい」
「しかし、陛下……!」
「もうすぐここにも反乱軍が現れよう。貴様のその傷では盾にもならぬ。さがっておれ」
「陛下……!」
兵士が言葉を詰まらせたその時。
凄まじい撃砕音と共に巨大な扉が砕け散った。
飛び散る破片に一瞬視界をふさがれて、とっさに腕で目をかばう。
「おまえがダナン王か!」
まず響いたのは、まだ若い女の声だった。
ゆっくりと腕を下ろす。そこに、立っていたのは―――見覚えのある剣を手にした一人の女剣士だった。
「―――!」
一瞬あの海岸に時が戻ったのかと思った。それほどに、その少女(そう、それはまだ女性と呼べるほどには成熟していない少女だった)の顔立ちはあの時の女剣士によく似ていた。少女は油断なく剣を構えながら、名乗りをあげた。
「私はラクチェ、先のイザーク王マリクルの妹にして戦女神と謳われし剣士アイラの娘だ!私たちの国を土足で踏み荒らした罪、今こそ償ってもらうぞ!」
その言葉が脳内に染み込むまでには幾ばくかの時間が必要だった。そして、それが行き渡った瞬間にダナンの全身を包んだのは歓喜の鼓動だった。
何間違えようもない。何もかもがあの女剣士に生き写し。ただその瞳の色だけが、宝石をはめ込んだようなサファイアブルー―――それは、あの時道を別った弟に生き写しだった。
(レックスめ……やりおったか)
「何がおかしい!」
ラクチェと名乗った少女は厳しく糾弾の声をあげた。彼女にはわかるまい。この全身を包む歓喜の意味が。
「ふ、やっと現れおったか。わが弟をたぶらかした魔性の女の娘よ」
「何だと……?!」
「貴様をこの手で引き裂く日を待ちかねていたぞ」
不敵に笑い、立ち上がる。手にしたのは、あの日弟と刃を交えた銀の斧だ。
「我が斧を受けてみよ!」
「ちぃっ!」
「待て、ラクチェ!」
素早く飛び出そうとする少女を後ろから駆け込んできた少年が制する。
「スカサハ?!何で止めるのよ!」
「こいつに恨みがあるのはおまえだけじゃないんだ。先走るな」
その少年もまた少女によく似た面差しを持っていた。瞳は同じくサファイアブルー。双子だろうか。
そのあとに続いて入ってきたのは―――
「―――父上」
真紅のマントを翻し、手にはあの日刃を交えた勇者の斧を携えて。
彼の、息子がそこにいた。
「……ヨハンか。この裏切り者め、ドズルをつぶすつもりか?」
この息子が裏切ることはとうにわかっていた。そう仕向けたのだ。彼はイザークの地で蛮行を行う自軍の兵士を憂えていた。領地として与えたイザーク城周辺一帯に善政を敷き、税率を下げ、できうる限り人々のために尽くそうとしていた。本国で復活したロプト教団が主張する子供狩りに騎士の道に悖るとして真っ先に反対したのもこのヨハンだった。それゆえにこそその手に未来を託す道を選んだ父を、いつか理解する日はあるだろうか。
ヨハンは、父の言葉に苦渋の表情をみせた。
「父上……なぜ私の話を聞いてくださらなかったのだ。あなたは私の憧れであり、理想の存在だったはずだ。それが、なぜこのような……」
唇をかむ息子に、ダナンは口の端を吊り上げるようにして笑った。
「今さらそれを問うて何とする?」
「……わからない。ただ、信じたいだけなのかもしれない。父上が愚か者ではなかったということを……」
「口にしても詮無きことを……まだまだ甘いな。不肖の息子よ、答えが知りたくば斧を取れ。答えは刃を介してしか教えてやれぬ」
「父上……!」
斧を突き出し、ダナンは構えた。
「さあ、くるがよい!スワンチカがなくとも我が力は大陸最強!神器継承者の力、とくと思い知らせてくれるわ!」
あの日、弟と刃を交えたときと同じ歓喜が彼を包んでいた。
(end)