DIARY

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    下を向くのはやめ!   3月31日  2011
    偉そうに「覚悟の時」なんて書いたけど、
あれからずっと、気持ちが重く、うつむいて歩いていたように思う。
何かおいしいものを食べても、
なにか楽しいことをしようとしても、
後ろめたい思いがして、なかなか前に進めなかった。

    しかし、考えてみたら、
こんなことではいけない。
被災しなかった僕たちがうつむいてしまったら、
誰が東北の人達を支えるというのだ。
震災による大きな影響がなかった我々がすべきことは、
胸を張って元気に生きることである。
一緒に落ち込んでいたって、何も生まれてこない。
今は、下を向きたくても、下を向いてはいけない。
胸を張って、元気に生きていくことこそが
僕たちがすべきことである。

    そして、今まで以上に
いっぱい働いて、
いっぱい稼いで
いっぱい寄付して
いっぱいお金を使うことが必要なのだと思う。

    今度の休日診療所の出動も、
誰かに代わってもらわないで、ちゃんと自分で働くことにしよう。







    
覚悟の時   3月14日   2011
    もう長い間日記を更新してこなかった。
だいたいのことはもう言い終えたかな?
と思って、これ以上くどくするのはやめにしようと思っていた。

    今回はそうも行かなくなった。
僕は毎日、先祖や亡くなった母に
その日1日、家族みんなが無事で過ごせたことを
感謝するようにしている。
しかし、今回の大地震の時は、
素直に感謝することが後ろめたかった。
自分たちだけが無事であれば、それで良いとは
なんと身勝手な思いだろう。
きっと、無事であった僕たちには、
被災された人達の支えとなる義務があるのだと思い知った。

今、僕に何が出来るのかはわからない。
とりあえずは食料や水・毛布など
生きていくのに必要なモノの供給を援助することだろう。
そのための義援金を送ろうと思う。

しかし、それだけでは、まったく足りない。
被災した人達も、
若い人達は、やがて自立して生きていかなければいけない。
自立できない人達には、それなりの援助も必要である。
とにかく最低限必要なのは、生きていく場所を提供して
お金を提供することなのだと思う。
きっと、避難している人達が帰るべき場所の多くは、
水没したままだったり、危険な区域になっていると思われる。
帰る場所がなくなっていると思う。
いくら仮設住宅を造っても、あくまで仮設である。
いっそ、安全な場所にマンションと街を作って提供したらどうだろう。
国も土地くらいは提供したらいいと思う。
誰も、文句は言わないだろう。
そこには当然雇用も生まれるのだから、生活の糧も得られる。
そして、お金である。
仮に、5000世帯に1000万円ずつ義援金を渡そうと思えば、
必要なのは500億円である。2000万円なら1兆円である。
国民みんなが覚悟したら、出せない金額ではないと思う。

増税が無理なら、
例えば、所得に応じて所得の1%の寄付金を募れば、
全員ではなくてもかなりのヒトが寄付に応じるのではないだろうか。
みんな、きっと身を削ってでも手助けしたいと思っている。
所得が500万のヒトが1%の5万円を出すのは可能だろう。

今はそのくらいの覚悟が必要なときだと思う。

今はとりあえず使用目的の曖昧な義援金が必要なときであるが、
もう少し時間が経ったときには、
何に使われるのかわからない義援金ではなく、
はっきりと目的を明示した
(例えば「マンション建築」とか「個別世帯へ現金を渡す」など)
義援金が必要になると思う。
そういった使用目的がはっきりした義援金の受け入れ先が出来ればいいと思う。





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