DIARY

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      8月30日    2010
      
なんか違う
      数日前に、大学4回の青年と
ジムのジャグジーで話す機会があった。
まだ、就職が決まらなくて、あせっているとのことである。
たしかに、景気が悪く、就職難の時代である。
そういう意味では、今の若い人達は、かわいそうな気もする。
でも、だからといって、雇ってくれるところならどこでも良いのか?
・・・・かといって、食っていけなければ困るし・・・。

      思うに、彼のこの先の人生はまだまだ長い。
やりたくない仕事を選んで、しょうがなく仕事をしていっても、
いつかは嫌になるだろう。
きっと長続きはしないと思うし、たとえ長く続けられたとしても、
「君の人生は、それで良いのか?」と聞きたくなる。

      生活のために仕事をするのは、当たり前である。
仕事に生き甲斐を求める必要は無いとも思う。
でもやはり、
その仕事は人生の質に大きく関与することになると思う。

      いいアドバイスが出来る訳ではないが、
大学に行っている間に自分を磨くことが大切なように思う。
お金はなくとも、時間と自由があるのだから、
いろんなことが出来る。
何をするかも自分で見つけるしかないが、
人間力をつける良い機会だと思う。

      ちなみに、僕が企業の採用係であれば、
正社員になりたくて応募する若者は、
あまり積極的に採用しないと思う。
何をしたくて僕の会社に入りたいのか?
僕の会社に入って、どうなりたいのか?
その夢を問うと思う。

      それって、考えてみたら、
若い人達が少年少女の時に持っていた夢なのではないだろうか?
車のエンジンを作ってみたいとか、
おいしくて、心もホッとするようなケーキを作ってみたいとか・・・。

     こんなときだからこそ、忘れていた夢に立ち返って、
自分磨きをすることを忘れないでいて欲しいと思う。

     そんなこんなを、熱弁したあげくに、
ジャグジーにつかりすぎてフラフラになってしまった。






      8月28日    2010
      
神の領域
     今月になって、脳死の移植がずいぶんと増えた.。
僕自身は、死んだら、肉体はどうせ燃やしてしまうのだから、
それをもらうことで生きられるヒトにあげることには、抵抗はない。
それで幸せになれる人がいるのなら、
喜んで提供したいと思っている。

      その話とは別に、ふと疑問に思う。
人間は、どこまで神の領域に足を踏み入れるのだろうか?
そもそも、「神の領域」などは元々存在しないのか?

      たぶん、
江戸時代には、
盲腸(虫垂炎)は死んでしまう病気だったはずである。
現代では、虫垂炎で死んだら、医者は訴えられるだろう。
白血病でさえも、治る時代である。

     医学の進歩とともに、
死ぬしかなかった病気が、
当たり前のように治せるようになってきた。
この現象は、この先も続くのだろう。

     単純に考えれば、
それはありがたいことであり、問題がないように思える。
でも、本当にそうなのだろうか?

     すでに、決して少なくない人達が、
尊厳死宣言をしている。
チューブにつながれて生きているだけの生なら、
延命はしないで欲しい。
と考えるからである。

     一定以上の人生を生きて、
人生に納得された人達がその宣言をしても
多くの人達は、その選択を納得して受け入れることだろう。

     しかし、医学は、すべての患者に行き渡っている。
例えば、超未熟児の問題である。
日本小児科学会新生児委員会によれば、
500グラム以上の超低出生体重児の死亡率は
1980年の21%から2000年には4%に低下した。
そして、500グラム未満児では、その死亡率は
1985年は91%であったが、63%に低下した。
     この子達が救命されたことは喜ばしいことである。
救命されたこの子達に明るい未来が待っているのなら・・・。

500グラム以上の超低出生体重児が脳性麻痺を起こすのは、
1990年は12%だったが、
2000年には16%に増加した。
知能発達や身体発育遅延も同様である。
母数が増えて、パーセンテージが上がれば、
実数はかなり増加することになる。
この子達とその両親は、
その現実を受け入れて生きておられるのである。
医学が進歩したために、
患者・家族に大きな負担を押しつけてしまった現実があることを
無視してはいけないと思う。

      医学が進歩し、
その進歩が人々に幸せをもたらせてくれるのであれば、
本当に喜ばしいことであるが、
現実は、必ずしもそうではない。
しかし、我々医者には、線引きをするような資格はない。
先述の障害を抱えて生きておられる人達も、
幸せを感じて生きておられるのなら、
やはり喜ばしいことである。

      元々「神の領域」だったところに
人類が足を踏み入れて、
思い悩むこと自体が、
「神の選択」なのだろうか?
医学が進歩する過程で、避けては通れない問題であるが、
なぜか、避けられっぱなしでいるように思う。
もっとも、いくら議論をしても、結論が出ないといえば
確かにそうなのだけど・・・。





      8月12日    2010
      
セクスィー?
      10日の日記に、クラゲに刺された部位の写真を載せていた。
家内と娘に、「わいせつ物陳列罪」だとさんざん非難されて
削除することにした。
たしかに、パンツも写っているし、ずりおろしたズボンも・・・。

     僕の感覚は、そうとうおじさんになっているようだ。
まぁ、おじさんなんだけど・・・・。





      8月10日    2010
     
自分のことはわからないものだ
     先日の日曜日は、須磨海水浴場でトレーニングをした。
チームブレイブの第1回オープンウォーター練習会が行われて、
それに参加をしたのである。
朝6時に集合である。
さすがにこの時間から海水浴に来ている人はいない。
物好きな参加者は50人あまりであった。
練習内容
1.スタート練習
砂浜からスタートして海に飛び込むまでの、
浅瀬での走り方や、浅い海でのドルフィンスイムの練習。
フローティングスタートでの
スカーリング(じっとその場で浮いている)からのダッシュ練習。
2.泳法
目標のブイに向けてまっすぐに泳ぐ練習。
海の中は、プールのように線が入っていることはないので、
泳いでいる内にとんでもない方向に向いてしまうのである。
そのために、何回かに一回は、息継ぎのためではなく、
目標を確認するために前方に顔を上げる必要がある。
この目標も、ブイだけだと、波があって見えないことがあり、
できれば、ブイとその向こうの構造物(山だったり、ビルだったり)の
2点を設定した方が良い。
といったことを実践して、
何周か沖のブイ(遊泳可能区間を示すブイがいくつも浮いている)
を往復するのである。

   海の中は、あまり透明度が良いとは言えないが、
そんなに汚い海でもなかった。
泳いでいるときには魚の姿は見えなかったが、
クラゲらしき姿を何度か見かけたし、
実際に何カ所かクラゲにやられてしまった。
泳いでいる最中は、ちょっとチクッとした感じだけであった。
海から上がった後も、特に何も感じなかった。
症状は翌日から出てきた。
粋がって、ウェットスーツを着ないで、
ボックスタイプの短い海パンだけだったので、
太ももにしっかりと触肢の跡が2本くっきりと浮き出てきた。
他に、腕も何カ所か赤くスジ状にふくれあがっていた。


   自宅で、偉そうに
「海洋生物の毒は、蛋白で、熱に弱いから、
 熱いお湯で不活化する。」
と言って、湯飲みにお湯を入れて、かゆいところにあてがっていると
家族から、「あやしげな治療法だ」と批判された。

   確かに考えてみれば、
やっていることが、素人の域を出ていない。
自分のこととなると、客観的に判断出来ないモノだと改めて思った。

   医学的な考察をしてみると、
確かに海洋生物の毒は蛋白であり、熱で変成しやすい。
この処置は、クラゲに刺されてすぐに施すのが効果的である。
しかし、痛くなかったので、
毒による組織障害はあまりなかったと思われる。
翌日にかゆくなって赤く腫れたのは、
おそらく、クラゲの蛋白に対するアレルギー反応である。
すぐに起こらなかったことから、T型アレルギーではないと思う。
おそらく、皮疹の出るタイミングが少し早いが、
W型のT細胞性アレルギーが考えられる。
ツベルクリンも48時間後の判定だが、
24時間後にはかなり赤くなっていることがあるので、
矛盾はないと思う。
ということは、ステロイドを塗るのが効果的である。
ムヒはたぶんあまり効果がないはずである。
熱いお湯やタオルをあてがうと、
抗原蛋白の変成が起こるから、
それなりの効果は期待できるはずである。

   この治療法で、かゆみも皮疹もかなり改善してきた。





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