DIARY
6月26日 2009
お馬鹿な医者の闘病記
つくづく思ったが、
人間って奴は自分のことはちゃんと判断出来ないモノである。
診察室で、患者さんの訴えを聞いていて、
「そりゃぁ、その時点で明らかに病気だろう!」
「何でこんなになるまで様子を見るの!」
と突っ込みを入れたくなる
(入れてるけど・・・。)ことがよくある。
(責めているのではなくて突っ込んでいるだけだけど)
さて、
21日にトライアスロンが終わって、
節々が痛かったけど、
翌日には、軽い筋肉痛以外ほぼ復活して
無事に自宅に帰った。
もっとも、
帰りの飛行機は大変だった。
レースの時に「美しい」と思ったガスの風景は、
翌朝も同じだった。
このために、
福江島に来る飛行機が視界不良で着陸出来なくて
朝の飛行機は欠航になっていた。
僕たちが乗る予定の飛行機は2時過ぎであるが
予定通りに飛ぶかどうかはその時にならないと分からないと言われた。
しょうがないので、長崎までの高速艇の席を確保して
飛行機がくるのを待った。
飛行機は、一応、福岡から福江へは飛び立ったが
着陸予定時間が来ても降りてこない。
上空で旋回しているようである。
この飛行機に引き返されたら、アウトである。
思わず表に出てハラハラして上空を見るが、
雲しか見えない。
ジェットの音は聞こえない。
と思ったら、急に滑走路の向こうから飛行機が降りてきた。
風がきつくて、
風下から降りてくる飛行機の音が聞こえなかったようだ。
脱線したけど、
22日
無事に自宅について風呂に入る前に体重を量ると
あれだけ過酷なレースの後なのに、体重が増えている。
???と思ったが、いっぱい水を飲んだからかな?
と軽く考えていた。
(いっぱい水を飲んでも、
速やかに排泄されなければ、おかしいのだが)
少し、左足のむくみがきついように思ったが、
元々左足には静脈瘤があってよく浮腫むので
そのためだと思っていた。
23日
休診していたので、午前も午後も超忙しかった。
ずっと座りっぱなし。
夜に右足も浮腫んでいることに気がつく。
心不全だろうか?
でも、他の症状はない。
24日
両足のむくみが半端ではない。
心配になって血液検査をする。
心不全のマーカーも調べて見る。
昼に自転車で帰るときに
左の睾丸に痛みを感じる。
「ぶつけたのだろうか?」
(知らない間にぶつけて後で痛む。なんてことは
男なら分かると思うが、この場所に関してはまず無いと思う。)
それでも、昼休みにちょっとジョギングをしようとする馬鹿な私。
睾丸の痛みがあって、まともに走ることが出来ない。
ゆっくりと2km走ってあきらめる。
両足のむくみはさらにひどくなってパンパンになっている。
それでも、事態の重大性に気がつかない。
考えてみれば、
いつもの診察室で、
こんなことを訴えて誰かが受診したら
ある病気の疑いで、即入院を指示するはずなのに・・・。
一つ一つの症状をそれぞれ組み合わせて
整合性のある結論を導き出そうとする思考回路が
こと自分のことに関しては、働いていないのである。
それでも、さすがに痛いものだから
夜に風呂に入るときに、自分の睾丸をしっかりと観察する。
陰嚢水腫?精索静脈瘤?
「どちらかというと痛みがあるので後者か?」
「ペンライトで透かしてみようか?」
などと、まだ悠長に考えていたが、
さすがに心配になって、夜に布団の中で
足のむくみと組み合わせて考えた。
結論は、考えたくなかったが
「深部静脈血栓症」である。
これはえらい病気である。
下手すると死んじゃう。
静脈の血栓が心臓から肺に飛んで肺梗塞が起これば、
有名なエコノミークラス症候群である。
でも、きっと、発症したのは
帰りの飛行機ではなくて、長い外来だったように思う。
(もっとも、おそらく下肢静脈血栓より上の部位での病変だけど)
でも、まだ半信半疑。
(患者に対してなら、ほぼ確定しているのに、
自分自身にはまだ認めていない)
翌朝は、さすがに大変に心配になってきた。
まずは診断が必要。
早速、
MRA−VENO(MRIによる静脈の血管撮影)を予約
血液検査で、FDPとD-ダイマーも追加検査した。
しかしいずれも結果は後日である。
深部静脈血栓が出来て48時間以内であれば
血栓融解剤も効果が期待出来る。
最新の血栓融解剤アルテプラーゼは手に入りそうもない。
ウロキナーゼなら手に入ることが分かって、
業者の人に無理を言って届けてもらうことにした。
抗凝固剤のワーファリンも飲む必要がありそうだ。
しかも、緊急に効果が出る飲み方が必要である。
10mgを服用した。
大好きな納豆も当分は食べられない。
午後にウロキナーゼが届いたが、
自分で静注するのは、難しそうである。
看護婦さんに頼んでやってもらう。
それも24万単位と高用量である。
どうせ静注するのなら血栓部位で高濃度になるように
足からやってもらうように頼んだものの、
足は浮腫んでパンパンの状態で静脈が浮き出てこない。
それでも何とか、(なぜだか僕が)汗だくになって入れてもらった。
ウロキナーゼを静注して数分後から
足の張りが少しましになったような気がした。
でもまだ、分からない。
この日は約束のカンファランスがあって
もう遅刻の時間である。
急いで、大阪南医療センターに車で向かう。
着いた頃には、睾丸の痛みも少しましになったような感じがある。
夕方にMRA−VENOを受ける。
初めての検査であるが、検査中にいつの何か寝てしまった。
夜には明らかに足の浮腫が減っている。
そして今日
朝起きると睾丸の痛みは直接に触れない限りはなくなった。
下肢の浮腫も軽減傾向にある。
ワーファリンは5mg服用。
ウロキナーゼも足から静注してもらったが、
今日は血管は探しやすかった。
当分は納豆は抜きである。
さてさて、今後どうなることやら。
考えてみれば、母親にも静脈瘤があった。
おそらく遺伝的に、血栓症が出来やすい因子が存在しているのだろう。
プロテインC欠損やプロテインS欠損と呼ばれているようだが、
一度調べておく必要がありそうである。
いずれにしても、
このことは、子供達にも注意をしておいた方が良いようだ。
6月24日 2009
なんとか、かんとかアイアンマン
もっとも、相当柔らかい軟鉄マンだけど・・・
レース前は、目標12時間半、あわよくば12時間なんて考えていた。
幕を開けてみたら、とんだおごりであった。
アドレナリンはそんなに長くは出続けないのである。
そもそも、レース10日くらい前から、なんかがんばれない。
今までと同じ量の練習をこなすのがしんどかった。
「適応期」だろうと思ったが、
自信のなさのために練習量を減らすことが出来なかった。
それでも、1週間前からは、減らした。
しかし、何となくだるいままにレースを迎えることになった。
レースの前日に、
スタート会場の富江キャンプ村までバイクを預けに行った。
せっかくなので、途中から家内にレンタカーを運転してもらって
練習をかねて、僕はバイクで10kmほど走ることにした。
富江キャンプ村で待ち合わせである。
ルンルンでバイクを漕いでいったが、途中で道に迷って
キャンプ村のバイクチェック場には
キャンプ場のメイン道路から入らないで
キャンプ場の中の道から入った。
ところが、
家内はメイン道路に面した駐車場で僕を待ってくれていたため
なかなか僕が来ないから、
「パンクでもしたのか」と思って
引き返して探しに行ってくれた。
・・・・・つまり、はぐれた。
それだけなら何時かはまた合流出来るのだが、
バイクを預けるときに、
ランの時に使う靴なども預けることになっていた。
僕は、それをすっかり忘れていた。
受付は3時まで。バイクを預けたのが2時50分。
富江の会場から福江の宿まで車で40分はかかる。
ランギアーは福江でも受け付けてくれる。
だいたい、こういうところの受付は
厳密に3時で終わったりはしないのだが、
それでも、時間オーバーであるから気が焦る。
2カ所の駐車場を行ったり来たりして家内の車を探すが
いっこうに見あたらない。
炎天下のアスファルトはやけどしそうなほど暑くて、
裸足で走るのはかなり痛かった。
(バイクに乗るための靴は、
裏側にクリートというプラスチックの突起物があって
履いて走れなくはないが、クリートがすり減っていたんでしまうから
裸足で走り回った。)
やたらにいたいので、やけどしたかな?
と思って足の裏を見ると、
大きな水泡が左右の足の裏に出来ている。
この足で、フルマラソンを走るのは不可能ではないか?
そっと歩いても痛い。
やがて、家内の運転する車が駐車場に戻ってきたときは
さすがにプンプン状態である。
しかし、まぁ、訳を聞けば仕方がない。
よく、芸能人のマラソン参加ドキュメント番組などで
足に靴擦れが出来て、痛くて、途中からさらにひどくなる光景が
脳裏をよぎる。
「途中から、痛くなくなった」なんてことは一回も見たことがない。
お約束のように、どんどん痛くなって苦しむことになる。
暗澹たる思いで、足の裏に保護シールを貼って歩いてみたが、
やっぱり痛い。
それでもまぁ、やるだけやるしかない。
翌朝、3時に起床。
足の裏の痛みは少しはましになっている。
数時間でここまで良くなったのだから、ランが始まるまで
まだ半日近くあるから、そこに期待して準備を進める。
しかし、7時スタートなのに、何で4時半のバスに乗らにゃならんのだろう?
スタート会場では、バイクギアバックを自分の番号のところにかけて
バイクに空気を入れて、スポーツドリンクやパワーバーをセットして、
ウェットスーツとゴーグルを準備してじゅんびOK。
後は、持ってきた空気入れや、
履いてきた靴やTシャツをプレスイムバックに入れて
所定の場所に預けたら準備万端である。
それからスタートまで、長く退屈な時間が過ぎて、
試泳の時間が来た。
試泳でがんばってもしょうがないから、慣らし程度に200mくらい泳ぐ。
フローティングスタートなので行ったまま待ってもいいが、
スタートまで30分近くもそうしていたら体が冷え切ってしまう。
スタート時間が迫ってきて、また100m程沖に行く。
自己申告で、
3.8kmを70分以内で泳げる人が先頭グループ
その後ろに70-80分で泳ぐ人が第2グループ
という順番で順次並ぶのだが、どこがそのグループなのか
目印も何もない。
早そうな人の後ろに着く。
しかし、
スタートの合図でいっせいに泳ぎ出すと
ものすごいバトル状態になって
あっという間にその人を見失う。
まぁ、誰でも早い人であればそれでいいのだが、
誰かのすぐ後を泳いでいける状態ではない。
人が重なって泳いでいる状態である。
今までの経験では、
それでも200mも泳げば、そこそこにばらけてくるのだが、
今回は行けども行けどもずっとこの状態である。
コースは
沖に向かって泳いで、右に曲がって少し泳いで、
また右に曲がって戻ってくるという2等辺三角形のコースで
1900m泳いで一回陸に上がってもう一周することになっている。
僕は、この芋を洗うような集団の中で
ひたすらまっすぐに泳いでいたつもりなのに、
気がついたら、一周終わって陸に上がっていた。
2周目は混雑を避けようと思ったのに、
2周目も1周目よりは少しましな程度で同じ状態であった。
そして、2周目も、まっすぐに沖に向かって泳いでいたつもりなのに
ふと目を上げると陸に向かって泳いでいた。
今回は新品のトライアスロンシャツを着て出場した。
新品のシャツは
繊維が柔らかくて、シャツずれが起こりにくいはずだった。
確かに乳首は最後まで擦れて痛むことはなかった。
しかし、柔らかい繊維のシャツの端の加工はしっかりと硬かった。
泳いでいると、腕の内側がこのシャツの縫い目に当たって
上がったときにはすっかりシャツ擦れになっていた。
それも両側の腕で・・・。
スイムは思ったよりも好タイム(70分)で終了した。
これは上位を狙えるのではないか?
バイクへのトランジット場では、まだいっぱいバイクが架けてある。
サングラスをつけて、ヘルメットを症着して、
意気揚々とバイクコースへと出発した。
練習の時、いつもはバイクをこぎ出して10km程走ると
足が動くようになって坂もそこそこ走り抜けていけるが、
今回はどうもおかしい。
10kmも走ると次から次に抜かれていく。
これではいけないとついて行こうとするのだが、
上り坂で離されて、下り坂で追いつくが、
やがて置いていかれてしまう。
スイムが早かったので、
(スイムが早い集団は、だいたいはすべてが早い人の集団である。)
バイクになってから、
抜くことは無くて、ただひたすら抜かれていく。
成績表を見たら、スイムは240位、バイクは644位である。
400人近くに抜かれた計算である。
それでも、バイクのタイムは7時間7分28秒。
まぁ、こんなモノである。
それにしても、アップダウンが多いしんどいコースだった。
バイクに乗っている間に6本は、ドリンクボトルを交換した。
当然、何回かそれを出す必要があったが、
「尿意があって止まる」というより、
「尿意を理由にバイクを降りて休むために止まる」
と言った方が正確な様に思う。
7時間も自転車を漕ぐとおなかも空いてしまう。
パワージェルはとても甘くて、エネルギーが入った感じはするが
充実感に欠ける。
パワーバーは、結構食べたという感じがした。
でも食べにくいし、手がベタベタになる。
足の裏の水疱の痛みはバイクでは忘れていられたが、
脇のシャツ擦れは、擦れると飛び上がるほど痛む。
DHバーに掴まって前傾姿勢を取るとスピードは上がるが、
首が痛くって、ずっとその姿勢はとれない。
腰も足も首も、つらくって、もう嫌になってきたが
まだバイクのゴールは100kmも先である。
「ここでこの状態だから、もう、ランはリタイアしようか。」
などと、あらぬ考えが脳裏をかすめる。
それでもひたすら、バイクのゴールに向かって漕ぎ続ける。
しかし、漕いでも漕いでも、180kmは限りなく長い。
やっと150km。
残り、30kmである。
この距離はいつもちょっと練習する時の距離である。
そう自分に言い聞かせてみたが、
実質は、まだ1時間以上かかる。
時間のことは頭から振り払ってひたすら進む。
空っぽの頭で漕いでいると、
唐突にバイクのゴールが現れた。
「ああ、これでバイクから降りられる。」というのが正直な感想であった。
バイクを係の人に渡して、ランの着替えに移る。
着替え室は、混雑していたが運良く空いている椅子があった。
靴を履き替えて、ヘルメットを取って、グローブを外して、
帽子をかぶったらあっという間にランの準備が出来てしまった。
でも、まだ座っていたい。
しかし、次から来た人が椅子を探している。
しょうがないので、ランにスタートする。
走り出してみると、
足の裏の水疱の痛みはそんなにつらくない。
足も思ったより軽い。
思わず、ルンルンで走っていた。
しかし、脇が擦れて、痛くて腕が振れない。
2km程走って、「これはいけるかも・・・。」
と思ったが、後半にバテないように
当初の計画(フルマラソン4時間)どおり、
1km5分41秒のペースにスピードダウンした。
いつも練習の時は6kmくらい走ると、
足が軽くなって呼吸も楽になって
もっとスピードアップ出来るようになるが、
今回はどうも様子が違う。
6kmくらい走ったときに、逆に
「このペースでずっと走るのはしんどいかも・・・。」
と思えてきた。
そして、10kmを過ぎる頃には実際にしんどくなった。
まだ30kmも残っているのに・・・。
それでも、「21kmまではがんばろう」と思って
歩くよりはまし程度のスピードで走った。
そうして、やっとハーフの距離である。
21kmまでがんばったからといって、何も起こらなくて、
後半分の距離が待っていた。
エイドステーションは毎回立ち止まってエイドを受けた。
エアーサロンパスを馬鹿にしていたが、
使ってみると数kmはごまかして走ることが出来た。
でも、それも最初のうちだけだった。
目標は「日が暮れるまでのゴール」であったが、
ハーフを残して、日は傾いていた。
武家屋敷通りは、なかなかすてきな石畳の通りで
家内もそこで応援してくれた。
少し元気が出たが、少しだけだった。
天気は曇り時々雨で、
夕暮れの薄明かりの中に、
そして、しばらく経つと
おそい選手達のために用意された照明灯の明かりの中に
霧の向こうに
前の選手がひたすらゴールを目指して走っている姿が
ぼんやりと浮かび上がって。
なかなか美しい光景であった。
みんなが走っていてくれたら、そこそこがんばれるのだが、
一番つらいのが、歩いている選手に追いついたときである。
ぎりぎりで走っているので、つい歩きたくなってしまう。
何度もそういうことがあると、やがてつられて歩いてしまう。
エイドステーションで休むと、もう一回走り出すのがつらい。
それでも、ここまで来たら、ゴールに向けて進むしかない。
がんばって走っていると、前に背の高い外人が歩いている。
しかし、いくら走ってもなかなか追いつかない。
僕の走る速度と、彼の歩く速度には大きな差がないようである。
なさけない!
そういえば、リサ・スティッグマイアーも出場していたらしい。
彼女はスイムもバイクもランも僕より早かったので、
僕は見ることが出来なかった。
家内の話では、とても美人でかわいくて、
多くの人が「リサ−!」と応援していて、
「なぜ名前で応援しているのか?」といぶかって
彼女を見て納得したらしい。
他の選手が苦しそうに顔をゆがめて走っている中を
彼女だけは、
そのかわいい顔をゆがめることなく
かわいいままで走っていたのだそうだ。
顔をゆがめまくっていたに違いない僕も、
進んでいるうちにゴールが近くなった。
残り4kmになると、
「この距離は、「ちょっとランニング」と言って、楽に走れるいつもの距離だ」
と自分に言い聞かせて歩かないことを決めた。
歩かないためには、もうエイドステーションに寄ってはいけない。
「立ち止まったが最後、もう絶対に走れない」と思った。
残り4kmと2kmのエイドステーションには寄らないで
一気に走った。
最後の2kmは、なぜか足が動いてさっさと走ることが出来た。
武家屋敷通りに入ったら、もうすぐゴールだと思い込んでいたので、
最後の気力を振り絞って武家屋敷通りを走り抜けた。
武家屋敷通りの曲がり角を曲がったらそこにゴールが見えると信じて・・・。
ところが、武家屋敷通りの曲がり角を曲がると、
さらにコースが続いていて、
(考えてみたらまだ1km以上あったと思う。)
ゴールはいっこうに見えない。
大きな道を渡って、大通りを通ってさらに曲がって
また大きな通りを曲がって、
もう頭は真っ白である。
足もただ動いているだけ・・・。
やっと、見覚えのある武家門へ導かれた時は
「これでゴール!」と思った。
しかしそこには薄暗い道が延びていた。
係の人が、「あと少し、がんばれ!」と声をかけてくれる。
切れそうな気持ちを、この声援でつなぎ止めて道なりに走ると
やっとゴール会場らしきグランドが見えた。
今度こそゴールである。
会場の手前で、もう一人の選手に追いついたが
後ろに誰も来ていないことを確認して、
抜くのはやめてスピードを落とした。
この人のすぐ後ろでゴールしたので
ゴールのテープは切れなかったが
まぁ、そんなことはどうでもいい。
とにかくゴールである。
結局ランは5時間43分41秒もかかってしまった。
トータル
14時間1分17秒
まぁ、贅沢は言うまい。
とにかく、アイアンマンの仲間入りは果たせた訳だから。

6月10日 2009
アイアンマンへの道(その6:あと少し)
なんやかんやとやってきたが、
レースまでもう少ししかないようになった。
なんだか、がんばりすぎて少し疲れ気味になっていたので
練習は、疲れが出ない程度のメニューに変更しないといけない。
それでも、「長距離を走る練習が不十分」とか
「スピード練習が足りない。」とか思ってしまう。
それでも180kmのバイクは2回こなしたし、
42.195kmも2回走った。
もっとも、フルマラソンは2月以来走っていない。
でも、今さら何をやっても
そんなに急に新たなスタミナやスピードがつくわけがない。
ここは、あきらめて、
「楽しんで完走出来るレースになれば、それで善し」
とするしかない。
トラブルさえなければ、完走は出来そうである。
「あわよくば、ハワイのスロットルを獲得しよう」
なんて強欲なことを思うからいけない。
考えてみれば初めてのロングのトライアスロンである。
まずは楽しむことにしよう。
聞くところに寄ると、
五島は、あじや鯖は日本一おいしいのだそうである。
ビール片手に
商店街の屋台で食べる揚げたての魚介類を楽しむだけでも
十分に楽しみである。
(尿酸値が上がりそう〜)
というわけで今日は雨でもあるし、練習はオフ。
レースまでは、軽いメニューを心がけることにしよう。
来週のはじめにはバイクを輸送しないといけないから、
今週末には、軽くバイクの練習をしておこう。