DIARY
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5月23日 2009
追記
妊婦へのタミフル使用に関して
5月23日に判明したことを追記する。
産婦人科学会が重視したのはアメリカでの妊婦の死亡例である。
アメリカでの死亡例は、基礎疾患に喘息があり、
タミフルは重症化してから使用されているが
それにもかかわらず亡くなられている。
感染早期に使用されていないが、
使用しても亡くなられているわけだから、無効であったと言える。
早期に使ったら救命出来たという根拠にはならない。
この症例は早期から鎮痛解熱剤などが使われて(使用の有無は不明)
そのためにサイトカインストームがおこり重症化した可能性の方が
高いのではないだろうか。
PubMedのサマリーでは以下のような内容である。
患者A.4月15日、妊娠35週の33歳の女性が
前日から筋肉痛と乾性の咳、軽度の発熱の症状があるとの訴えで
産婦人科医を受診した。
この女性は、それまでは乾癬の既往歴と軽度の喘息があったが、
比較的元気で妊娠中用のビタミン剤以外は薬剤をなにも服用していなかった。
この女性は最近メキシコに旅行したことはなかった。
内科医のクリニックで実施された迅速検査ではインフルエンザ陽性であった。
4月19日、彼女は呼吸困難、発熱、痰を伴う咳が悪化したために救急病院を受診した。
重篤な呼吸窮迫があり、酸素飽和度は室内空気で約80%、呼吸数30回/分であった。
胸部レントゲンでは両側に結節状の浸潤影が認められた。
挿管が必要となり人工換気装置が装着された。
19日に緊急帝王切開が実施され、女児を出産。
出生1分後のapgarスコアは4であり、5分後は6であった。
児は元気でありその後退院し、帰宅した。
21日には、患者は呼吸窮迫症候群(ARDS)となった。
患者には28日からオセルタミビルが開始された。
また、広域スペクトルの抗生物質が用いられ、人工換気が継続された。5月4日に死亡した。
4月25日採取した鼻咽頭スワブのreal-time reverse transcription-polymerase chain reaction
(rRT-PCR)(San Antonio Metro Health Laboratoryで実施)による検査結果は、
タイピング不能のインフルエンザAウイルスを示していた。
この検体は、
CDCインフルエンザ部門のVirus Surveillance and Diagnostic Branch Laboratoryに送付され、
精密検査の結果、新型インフルエンザA(H1N1)かどうかの結論がでなかった。
4月30日に、繰り返し鼻咽頭スワブが採取され検査された結果、
CDCのrRT-PCRで「新型」インフルエンザA(H1N1)が陽性であった。
産婦人科学会は、
日本産婦人科医会のタミフル、リレンザの通知を変えることは致しません。
との回答であった。
根拠についても記載があったが
学術的な内容で話がややこしくなるから省略する。
要するに
動物実験をヒトにそのまま当てはめられない。という内容である。
しかし、
「ヒトでの適切な対照試験がなく、
ヒト常用量に近い用量で動物に毒性が出ている場合には、
動物実験データを重視する必要があります。」
と浜さんは反論している。
僕はその意見に賛成である。
どう考えても浜さんの意見の方が筋が通っているのである。
5月20日 2009
妊婦はタミフルを飲んではだめ!
とりあえずこの情報は
速やかに発信した方が良いと思ったので・・・。
結果として、「まじめに更新した日記」になってしまった。
(いいことなんだけど・・・)
数日前に産婦人科学会から、
「妊婦が新型インフルエンザに感染した時には、
妊婦は重症化しやすく、米国では死亡例もでているので、
タミフルなどの治療薬を推奨する。」
という旨のFaxをもらった。
「胎児は大丈夫なのか?」と思ったが、
学会のお墨付きなら、安全性は担保されているのだろうと
そのまま知識として頭にとどめていた。
早速今日、
「薬のチェック」の浜さんから
産婦人科学会宛にその見解を見直す様に申し入れをした。
とメールが届いた。
産婦人科学会宛の内容は以下のようなものである。
妊婦に対するタミフルの害は
見過ごすことができない重大なものであると考えます。
したがって、今回の通知の影響を考え、
その科学的理由を申し上げ、
是非とも、19日に出された通知を再検討され、
妊婦に対して
タミフルを使用することを中止していただくように
お願い申し上げます。
理由は以下の通りです。
1.胎児の4日間死亡(非生存)が用量依存的に有意に増加
胎児毒性のラットなどの実験で、(一部省略)
4日生存率(出生児のうち4日間生存できた割合%)が
対照群の98.7%に対して、
タミフル低用量群で 94.0%、
タミフル中用量群で 90.9%、
タミフル高用量群で 86.0%
と、用量依存的に低下しています。
(割合のlinear trend 解析で、p<0.00001でした)。
2.出生児の4日間死亡(非生存)は臨床用量相当量でも有意に増加
タミフルの低用量群は、フリー体オセルタミビルとして38mg/kgです。
これを体表面積換算すると、人では約6mg/kgに相当します。
妊娠前の体重が50kgの女性にとって、1日150mgは体重あたり3mg/kgですから、
6mg/kgは高々その2倍に過ぎません。
この用量を用いたところ、
出生児の4日間死亡率(非生存率)が約300匹中5.9%でした。
対照群の約300匹中1.3%に比較すると4倍以上の死亡率であったのです。
割合の差は有意でした(p=0.003)。
最低用量でも胎児、新生に対して安全用量ではなかったのです。
したがって安全量は決定されていませんし、
常用量である1日2カプセル(150mg)を妊婦に用いることは、
胎児・新生児に対して、ほぼ間違いなく毒性用量と言えます。
3.妊娠女性には非妊娠女性よりも、タミフルの毒性が強く現れる
オセルタミビル高用量群では、25匹の妊娠ラット中9匹(36%)が死亡しております。
これは、
一般成熟(妊娠していない)ラット4週間毒性試験における
1500mg/kg群の死亡率(雌12匹中誤投与で1匹死亡、雄12匹中0匹死亡)より有意に高い割合です。
また、2000mg/kgを2週間経口投与した試験における
死亡率(雌10匹中1匹死亡、雄10匹中誤投与で1匹死亡)よりも有意に高い割合です。
つまり、
タミフルは、非妊娠動物に対する毒性よりも、
妊娠動物に対する毒性の方が強いことを示しています。
妊娠中は胎児といういわば「異物」を体内に有している状態であり、
通常よりも種々のサイトカインが高レベルとなりえます。
特に分娩時には、
頚管が熟化し、プロスタグランディンレベルが(全身性に)高まり、
いわば強い炎症反応を有する状態となります。
この状態は、タミフル未変化体が毒性を示しやすくなる条件と一致しています。
4.タミフルは「インフルエンザ脳症」(インフルエンザの重症化)を予防しない
妊婦がインフルエンザのハイリスク者であるとしても、
インフルエンザの重症化は、サイトカインストームによるものであり、
タミフルやリレンザなどノイラミニダーゼ阻害剤は、
単に増殖したインフルエンザウイルスが細胞から離れるのを阻害するだけですから、
サイトカインストームを軽減するものではありません。
このことは、
横浜市立大学小児科の横田俊平教授も述べておられるとおりです。
5.タミフル服用時にはすでに病態形成が進行している
発熱をみてからオセルタミビルを服用した頃には、
軽症例ではウイルス量は減少し始め、
サイトカインストームが生じるような例では、
(これも横田教授が述べておられるように)すでに病態形成が進行しています。
したがって、
いずれにしても、病勢の減退や進行に、タミフルは影響を与えません。
6.ノイラミニダーゼ阻害で新生児の発達を障害する可能性も
むしろ、 ヒトのあらゆる細胞にあり、
生体膜成分の若返りに関係しているノイラミニダーゼを阻害することにより、
生体膜の老化を招き、
急速に発達すべき神経システムをはじめ生体のあらゆる組織の発育、
ひいては新生児の正常な発育が阻害される可能性があり得ます。
7.インフルエンザの重篤化の防止には解熱剤などを用いず安静を保つこと
タミフルを服用しても、
非ステロイド抗炎症剤を服用することにより、
タミフルによる症状軽減効果はなくなり、
タミフルを使用しない場合よりむしろ治癒が遅延する傾向さえあります。
解熱剤を用いず、安静を保つのが重要でしょう。
貴会におかれましたは、
くれぐれもこうしたタミフルの害を軽視することなく、
ご賢察いただきますよう、お願い申し上げます。
以上
という内容のものである。
僕はまったくその通りだと思う。
果たして、産婦人科学会がこの先
前言を撤回するのか?
我を張り通すのか?
興味を持って見守っていこうと思う。
いずれにしても、
僕は今まで通り妊婦に対してもタミフルは処方しない。
5月18日 2009
アイアンマンへの道(その5 トレイルラン)
アスファルトの道ばかり走ってないで
たまには山道を駆けるのも練習になるらしいので、
一徳坊山を走破することにした。
地図で見ると
加賀田から大矢船と南が丘を結ぶ橋の下を通って山道に入って
日野に抜ける約10kmくらいのコースである。
10kmでは短いので
南花台を一周してから加賀田に降りてコースに入ることにした。
当日は千代田小学校の検診もあったが、
検診が終わって3時半には出発出来た。
(また、例のごとく「途中で日が暮れたらどうしよう?」なんて
心配はどこかに行ってしまっていた。)
水と携帯電話とソイジョイとコンパスをウェストポーチに入れて
1時間もあれば十分だろうと、タカをくくって出発した。
天気は快晴で、そんなに暑くなくさわやかな日差しが注ぐ中を
加賀田に向かって降りていった。
ふと、「加賀田のどこから曲がっていくんだっけ?」と思って
地図を忘れたことに気がついた。
それでも、地元の人間なので何となく土地勘がある。
きっとこの道だと思った道を曲がって、
南が丘を目指して曲がりくねった道を上った。
道は予定通りに大矢船と南が丘を結ぶ橋の下をくぐっていた。
さらに進むと舗装道路はなくなって、
木の板に書かれた一徳坊山の道しるべを見つけた。
そこからは、本格的な山道で
「道」なのか小さなせせらぎのくぼみなのか分からないような
道だったり急な坂道だったりを走った。
道は険しいところもあって、
途中からは走ってはいられない急勾配が多くなった。
大分上がったところにまた道しるべがあった。
「一徳坊山:1時間20分」
と書かれている。
「ん?、ここから1時間20分?」
山頂から帰る時間を含めると日が暮れてしまう。
もっと早く着くことは確実だけど、どのくらい早く着けるのか?
そもそも地図がないので、
迷ったらタイムロスはかなり深刻な事態になってしまいそうである。
焦る気持ちを抑えながら、
スピードは緩めないで駆け上がるしかない。
途中からは、登っては尾根を下るような道が続き
登るたびに「山頂か?」と思うのだが、それらしき雰囲気はない。
それでも、道の分岐などには
例の道しるべがあって道は間違っていないことが分かる。
少し不安になった頃に、
山道が階段になって、そこを登ると「一徳坊山山頂」の文字
景色を見るのもそこそこに今度は日野に向けて下山を開始した。
今度は
来た道ではないもう一本の道を山頂から降りるのだが、
かなりの急勾配で、来たときのように走って降りられない。
足を踏み外すと急勾配を滑落しそうである。
一歩一歩慎重に降りていく。
やがて、普通の山道になるが、
道しるべは山頂への道を示しているが、
日野への道は書いていない。
日の当たっていない斜面の山道は薄暗く、
今にも日が暮れそうな気配がしている。
この道で良いのだろうか?
心配になりながら、走り降りていく。
それでも途中からは、
滝畑や日野の文字がある道しるべが出てきた。
時間もそんなに遅くはない。
何とか無事に日のあるうちに帰れそうである。
その後は、
無事に日野に出て、
浄水場を抜けて我が家にたどり着くことが出来た。
まだ太陽は高いところにあって日暮れには余裕があった。
走行距離:約15km、所要時間:約2時間
家から出て10分もしないところに、
こんなコースがあるとは、知らなかった。
なかなか楽しい山歩きのコースである。
お弁当を持って4時間くらいのピクニックが楽しめる。
この辺の、たぶんほとんどのヒトが知らないのだろうなぁ。
そういえば、加賀田から日野に出るまで
ヒトの姿はまったく見なかった。
5月15日 2009
本当に怖いインフルエンザは・・・
先日、従姉妹の皮膚科の先生が
「今問題になっているH1N1のインフルエンザなら、出向いていってでも、
もらいたいものだ。」
と言っていた。
僕も、騒ぎすぎだと思っていたが、
さすがに、一瞬「ん?」と思った。
彼女曰く
「弱毒のうちにもらって、免疫をつけておくのが一番」
とのこと。
まったくもってその通りだと思った。
もっとも、今の状態で僕がもらったら
周りも含めて隔離されて、
近所中がパニックになってしまうから
やっぱりもらえないなぁとも思った。
まぁ、いずれにしても
このH1N1は、騒ぐようなことではない。
ちょうど良いシミュレーションをしているということだろう。
もっと突っ込んで言わせてもらえば、
この先、鳥インフルエンザが流行するようになっても
そんなに騒ぐほどのことはないと思っている。
以下に「医薬ビジランスセンター」の浜さんの論文を
かいつまんで紹介する。
鳥インフルエンザは基本的にヒトには感染しにくい。
説明のために、ここで少し専門的な話を。
インフルエンザウィルスはH1N1というようにHAとNAで表されている。
簡単に言うと、
HAはヘモアグルチニンといって標的細胞にくっつくための鍵
NAはノイラミニダーゼといって感染した細胞から飛び出すための鍵
と考えてもらえばいいと思う。
Hで細胞にとりついて細胞内で増殖して、
Nでその細胞から飛び出す。
というわけである。
HAには16種類、NAには9種類が発見されている。
ヒトのHAはH1〜H3、NAはN1とN2が確認されている。
鳥のH5は特別な例外を除いてヒトには通常感染しない。
そして、一般には知られていないが、
同じH1どうしでも、鳥のウイルスはヒトには原則的には感染しない。
その理由は、鳥とヒトのシアル酸(SA)は立体異性体で、
受容体(galactose)への結合方法が異なるためである。
そのため、一部の例外を除いて原則的に相互に感染しない。
ただし、不顕性感染はある。(結合が少ないので程度が軽い。)
上述の理由で
鳥インフルエンザが
ヒトからヒトへのパンデミックを起こすことは考えにくい。
怖いのは
鳥インフルエンザの高病原性遺伝子が組み込まれた
ヒト型ウイルスによるパンデミックである。(後述)
これは「鳥インフルエンザウィルスのパンデミック」では決してない。
香港で流行したH5N1型鳥インフルエンザウイルスは、
通常のインフルエンザウイルスと異なり、
インターフェロンやTNF-αの抗ウイルス作用に対して
耐性を有していることが確認された。
これにはH5N1鳥インフルエンザウィルスの
NS1遺伝子が関与していると考えられる。
このH5N1鳥インフルエンザウイルスのNS1遺伝子を
H1N1ヒト型インフルエンザウイルスに組み込んで、ブタに感染させ、
通常のH1N1ヒト型インフルエンザウイルスを感染させたブタと比較した実験がある。
NS1を組み込んだヒト型ウイルスを感染させた方が、
ウイルス血症が著しく長期間続き、
発熱も長時間で体重減少も著しかった。
つまり通常のヒトのインフルエンザウィルスに
鳥インフルエンザの強毒性が組み込まれた訳である。
ところで、自然界で
インフルエンザウィルスが
このような強毒性を獲得することが
どのくらいの頻度で起こっているのだろうか?
前述のように
鳥インフルエンザは、Hは16種類、Nは9種類が発見されている。
理論的には144種類(16×9通り)の組み合わせがありうる。
鳥は1億年以上の歴史があるので、
Hが16種類ですべてであるとすると、Hの変異は約600万年に1回、
Nの変異は1000万年以上に1回ということになる。
ヒトの起源は、原人を含めると約180万年、
ホモ・サピエンスの起源はたかだか数十万年前(20?30万年)である。
この間にHは3種類、Nは2種類を獲得した。
人の起源を原人の歴史にとればHは60万年1種類、
ホモ・サピエンスの起源を20万年前とすれば、
7万年に1回の割合で大変異が生じたということになる。
鳥インフルエンザの遺伝子がヒト型に変化したとして、
1回の変異に数万年を要していることになる。
HやNの1〜3の型の変異は、
これほどの長い期間をかけなければ起きない変異のはずである。
このような変異がおこって
強毒性のインフルエンザがパンデミックを起こす可能性よりも
ヒトが作った強毒性のインフルエンザウィルスが
研究者に感染して、
実験室から表に出る可能性の方がはるかに高い。
人から人に普通に感染する高病原性鳥インフルエンザウィルスは
まだこの世に存在していないが、
ヒト型の、ヒトからヒトに簡単に感染するタイプの
強毒性インフルエンザウィルスは
すでに実験室で人工的に作られて存在しているのである。
おまけに
このインフルエンザウィルスにはタミフルは効果がない。
なぜなら
H5N1が高病原性を発揮する最も重要な因子がNS1であるなら
タミフルはこの部位には無関係だからである。
実際に、べトナムやタイでの鳥インフルエンザ感染者に
タミフルを2倍量使用しても効果がなかった。
というようなわけで、
(他にもいくつか記載していない「わけ」があるが)
僕は鳥インフルエンザに関してはあまり心配していない。
しかし、実験室のインフルエンザは、とっても心配している。
5月6日 2009
アイアンマンへの道(その4 石垣トライアスロン大会)
4月26日に石垣トライアスロン大会に出場した。
前回は完走目的だったが、
今回は少しでも順位を上げようと思っての出場だった。
25日に石垣に入ったが、時折雨が降る曇り空で
風もきつくて、半袖のTシャツでは寒いくらいであった。
大会の前日には試泳が出来るのだが、
「さすがにこんな天気では、誰も泳がないだろう」
と思いながら、
一応は、ウエットスーツの上にTシャツを羽織って
登野城漁港にバイクで向かった。
途中から見える海は鉛色で、風がビュ−ビュー吹いている。
もう、行かないでおこうかとも思ったが、
前日に少し泳いでおいた方が、体がよく動くので
「誰かが泳いでいたら、泳ごう。」と決めて赴いた。
ところが、漁港には思ったよりも大勢の
(たぶんどこか頭がおかしい)連中が、試泳をしていた。
心の中で「おまえら頭がおかしいよ!」と非難しつつ
しょうがないので、
Tシャツを脱いで、ゴーグルをつけて、
頭がおかしい連中の仲間になった。
海の中は、一回すっぽりと入ってしまうと意外にも寒くなかった。
コースは2周で1500mだが、半周だけして海から上がった。
去年もそうだったが、
海から上がると波に酔っていて、体がフラフラした。
翌日は、酔い止めを飲んで行こうと決めた。
当日は、
去年のように朝にコーヒーとジュースを飲んで、味噌汁を飲むのはひかえて
ジュースと味噌汁だけにした。
前日のペペロンチーノの影響か朝からおなかの具合が悪くて
トイレには2回も行った。
2回も行ったから大丈夫かと思ったら、会場に着いてからも、
もう一回行く羽目になった。
去年はトイレが少なくて長蛇の列だったが、
今年はそこそこの数が準備されていて、
困ることはなかったのが救いである。
おなかも、これで一段落ついた。
当日も、天気は曇りで風がきつかった。
しかし、
さすがにアドレナリンが出ていて
ロングジョンのウエットスーツだけなのに寒さはそんなに感じなかった。
それでも、市長の長いスピーチの間に寒くなってきた。
スタートは第3ウェーブ
第1ウェーブは黒、第2ウェーブは紺のキャップで
僕はピンクのキャップである。
(1分おきに140人づつスタートする方式で、その3番目のスタート)
偶然に並んだ場所が周回コースの一番内側で
スタートから大混雑に巻き込まれた。
前後左右どちらにもヒトがいて、接触しながら泳いでいる状態で
まったく思うように泳げない。
それでも、この集団と泳いでいる訳にはいかないので
とにかく人のいないところ(周回コースの外側)に向かった。
人がいなくなると、
今度は監視員が、
「こっちではない」と手を振ってコースに戻るように
サインを送ってくれている。
わかっちゃいるんだけど、しょうがない。
大外をがんばって泳ぐことにした。
それでも、
1周も泳ぐとほとんどの紺のキャップは抜き去って
黒のキャップの集団の中で2周目に入った。
2周目に入るときに、ピンクのキャップをかぶったヒトを探した。
(この時点でピンクのキャップをかぶったヒトは数人しかいなくて
その数人はここまでかなり速く泳いだヒトである。)
そして、その人のすぐ後ろにぴたりとついて泳いだ。
(ヒトの後ろを泳ぐと水の抵抗が少なくて楽に泳げるのである。)
案の定、この人はスピードがあった。
僕はそのすぐ後ろを泳ぐので、スピードは出ているがとても楽ちんであった。
スイムを終えたときには、
前には100人くらいしかいなくてスタートの混雑が嘘のようである。
トランジットのバイク置き場にも人はいない。
ピンクのグループは数人しかいないので、
広々とした状態でトランジット出来た。
(今から思えば、もっとテキパキとすべきだったと思うが・・・。)
バイクは、去年よりも練習していたので
そこそこがんばって走った。
去年は、バイクとランでかなり抜かれたが、
今年は、抜かれてもその人について走った。
途中でも、
去年のようにチェーンが外れたり、
トイレ休憩も入れないで走ることが出来た。
そのためにそんなに順位は落ちていないと思ったが、
意外とタイムは
去年より2分くらいしか短縮出来ていなかった。
今から思えば、確かにがんばって走っていたけど、
そんなにしんどくはなかった。
途中のエイドステーションで水を受け取ろうとしたが
走りながら水を受け取るのは至難の業であることが分かった。
とうとう一回も上手く水を受け取ることは出来なかった。
ボランティアのヒトの手から水を払い落としてしまうばかりだった。
バイクが終わって、ランに入るときにはさすがにトイレ休憩が必要になった。
必要なロスタイムというところだろう。
今年は、ランもそんなに多くには抜かれなかった。
めちゃ早いヒトには抜かれたけど・・・。
結果は総合で127位 エイジ(56−60才)ではなんと2位であった。
もう少しでエイジ優勝である。
しかし、トップとのタイム差は6分くらいもある。
ここから6分縮めるのは、相当がんばらないと・・・・。
まぁ、なにはともあれ、
家族やトライアスロンの先輩やまわりの皆さんのおかげで
こうしてがんばれたことに感謝である。
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