DIARY

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     4月 8日   2009
     
アイアンマンへの道(その3:琵琶湖攻略)
     ついに、満を持して、琵琶湖1周にチャレンジした。
って、なんのことはない、
高速料金が安くなったから、一丁いってみるべ!
ということなのであるが・・・。
僕一人では、心配だということで、
息子が付き添いで来てくれた。

朝早く起きて、出発して、車を置いて、
琵琶湖を1周して、またそこから車を運転して帰るのは
いささかハードなので、
4日に琵琶湖のほとりで一泊して、翌日に1周することにした。
ところが、ホテルがどこもかしこも満室でとれない。
大津周辺では無理だったので、
探しに探して(って息子が探してくれたんだけど)
彦根のホテルがとれた。

桜のシーズンで、宿泊施設は満杯であったことは
5日にバイクをこいでいて、痛感した。
とにかくいたる所が桜の回廊である。
(もっとも、まだ満開ではなかった。
 南の方で8分咲き、北の方では3分くらいだった。)

4日の夜に車で出かけたが、
大津まではすぐに着いた。
「同じ琵琶湖のほとりだから、彦根はそこからすぐだろう。」
と思っていたが、大きな考え違いであった。
大津の次に瀬田西、瀬田東、草津、栗東、竜王、八日市と
なんと6つもICがあった。
つまり、高速道路で7つ先のICが彦根なのである。
この事実は、車を運転しながら慄然とした。
だって、翌日には
自転車でその距離を走ることになるのである。
しかもそれは、
琵琶湖一周の一部に過ぎないのである。

5日の本番当日は8時に起きて、
しっかり朝食を食べて、張り切って出かけた。
心配していた天気予報の雨も、
前日くらいから晴れの予報に変わっていて、
その通りに、
当日はきれいな青空でさわやかな朝である。
彦根の町並みも城下町然に統一されていて
なかなかステキである。

せっかく、彦根まで来たので
まずは彦根城探索から始まった。
(早速、トレーニングはそっちのけである。)
城と桜とお堀は、
まさにお約束の景色で納得であった。
ふと気がつくと時刻は11時を回っていた。
このままだと、琵琶湖一周するには
少々時間がタイトである。
とにかく、スタートすることにしたが、

まずは琵琶湖探しからである。
(彦根城の周りには琵琶湖はないので・・・)
相手は大きな対象だけに、
コンパスでだいたいの方向に行くと
すぐに琵琶湖周遊道路に出た。

周遊道路は自転車・歩行者専用道路で
なかなか快適である。
桜の回廊をいくつも通って北に向かった。
反時計回りにしたのは、
最後の方に琵琶湖大橋があった方が
いよいよの時に
大橋を渡ってショートカット出来るという選択肢を
残しておくためである。

30kmくらい走ったら、
道は琵琶湖から離れてトンネルを抜けて、
周りは山ばかりになった。

琵琶湖のほとりに帰るには
どう考えても山を越えないといけない状況である。
これは道に迷ったのか?

とにかく進むしかない。

山の方に向かって進むと
山の麓の藪と道の境界には電線が張ってある。
「感電するのでさわってはいけない。」と書いてある。
「ん?」と思いながら進むと、
今度は、「熊出没注意!」の看板がある。
「北海道か?」

とにかく、
この道ではないことは確かなようである。
通りかかった自転車のおじいちゃんに道を聞くと
やはりとんでもない所に来ていたようである。
だいたいの方向を教えてもらって
ひたすら走ることにする。

何しろ琵琶湖は大きいので、
だいたいの方向に行けば、とにかく行き当たるからである。

その後も何回も道に迷った。
特に琵琶湖の北側は、突然に周遊道路が無くなる。

一度は、のどかな村の中に迷い込んだ。
選挙が近いのか、
バス停のそばに舛添要一のポスターが貼ってあった。
バス停を通り過ぎて、ひたすら走るが、
なかなか琵琶湖に着かない。
途中には工事中の看板があって、迂回路が示されている。
迂回して走っていると、
また舛添要一のポスターが・・・。
ふと脇を見ると見覚えのあるバス停・・・。


・・・・しょうがないので、
その前に道に迷った時に、
道を聞くために入ったローソンで
ついでに買ったおいなりさんを
バス停のベンチに広げてお昼ごはんにした。

のどかを絵に描いたようなお昼ごはんであった。

その後は方針変更して、
琵琶湖沿いの道を選ぶのではなく、
道が無くなったときや、道がはっきりしないときには
大きな幹線道路を走ることにした。

道に迷わないで、道が分かっているときには
かなり良いペースで走ってこれたが、
それでも、いっぱいのタイムロスがあって、
琵琶湖大橋にさしかかった時には
すでに夕方4時過ぎになっていた。
100km少し走った計算である。
もう、
行くにしても、戻るにしても
同じくらい走らないといけないが
とにかく、
車まで戻らないとどうしようもない所まで来ている。

そして、この時間で、この場所では、
ショートカットをしないと、日が暮れてしまいそうである。

仕方なくショートカットの選択をして、
その後は北上した。
琵琶湖西岸沿いを南向きに走っていた時は
向かい風だったので、
今度は北向きに琵琶湖東岸を走るのだから、
追い風だと思っていたが、
なぜだか、もっと向かい風になっていた。

ビュービューと向かい風が吹くし、
気温も下がって、(昼間は17度まで上がっていたのに)
10度になっていた。
寒いし、向かい風だし、自転車をこぎながら
向かい風がきつく吹くたびにへこたれてしまう。

気力が尽き果てそうになって走っていると、
ふとみると水茎焼きの工房がある。
へこたれついでに入ってみた。

水茎焼きは生活陶器で、
水色のうわぐすりが使われていて、
滋賀県の県鳥である「かいつぶり」のマークが入った
きれいな焼き物であった。
(琵琶湖の水面にはいっぱい「かいつぶり」がいた。
 ずっと、「かも」だと思っていたが
 これが「かいつぶり」だった。)

せっかくなのでいくつか買い求めて
ついでに暖を取った。(ストーブが焚かれていた。)

気を取り直して、再出発したが、
やっぱりへこたれてしまう。
疲れたのだろうか?

とにかく寒いので、
ファミリーマートに入って下着を着ることにした。
ついでに
鶏そぼろのおにぎりとチョコ味のバウムクーヘンと
温かい紅茶花伝を買った。
むさぼるようにして食べたがめちゃくちゃ旨かった。


なんのことはない、おなかが空いていたのである。
おなかが空くと、
力が出ないし、やたら寒いことが身にしみてわかった。

ちょっと元気になって、
再度、彦根に向けてこぎ出した。
やがて、道路の看板の表示が、
「彦根・米原方面」から
「彦根市街地」に変わった。

もうすぐである。

少し、周りが薄暗くなって、
太陽はオレンジ色に輝いて琵琶湖の湖面に長く反射している。

早くしないと日が暮れてしまう。

やがて、薄暗くなる頃に、
道路の看板は「彦根城」に変わった。
彦根城まで行けばほぼ終点である。

がんばって漕いでいるうちに、周りはみるみる暗くなってきた。
日没のことは考えてなかったので、
ライトや反射板はつけていない。
もう、道路は走れない。
自転車道をひたすら走ることにしたが、
自転車道には、車進入防止のポールが立ててある。
暗くなるとこれが見えない。
スピードが出ているとこれに突っ込んでしまう。
スピードも出せない。

それでも、もう彦根市に入っている。
着いたも同然である。

しかし、
いつの間にか道路の「彦根城」の看板を見なくなった。
不安でいっぱいになりながら走っていると
「琵琶湖ビューホテル」の前を通った。
「あれ?これって前にも通った?」

・・・・相当まずい状況である。


しょうがないので、ホテルの駐車場に入って
背中のバックからGPSを取り出して調べた。

彦根城は、遙か後ろの方にあった。

引き返すしかない。

しかし、どこから彦根市に入るのだろう?

考えてみたら、
彦根市から琵琶湖に向かうときに
何も考えていなかった。
大きな目標に向かって漫然とその方向に行けば
琵琶湖には突き当たるからである。
帰りのことは考えていなかった。

逆はピンポイントなのである。

いよいよ分からなくなったので、
最終手段である。
GPSを片手にナビゲーションをセットした。
そもそも、GPSはスイッチを入れても
こちらが動いていないと、
今どちらに向いているのかが分からない。

しかたがないのでGPSを片手に走った。
そこからは
GPSにガイドしてもらって、
ちゃんと無事に車までたどり着くことが出来た。


所要時間:7時間58分
移動距離:179.36km
ショートカットしたけど、いっぱい道に迷ったので
目標の180kmはほぼクリアー出来た。
(アイアンマンレースのバイクは180kmである。)

時間がかかったのは、
彦根城にも行ったし
寄り道もしたし、道に迷ったし、しょうがない。
走っているときはまぁまぁ良いペースで走ることが出来た。

あれから3日経過した今日もおしりが痛い。
サドルに擦れての皮膚の痛みである。
サドルは小さくて硬い方が良いという意味がわかった。
次にサドルを買うときは、クッションのないカーボン製にしよう。






     4月 2日    2009
     
50才過ぎたらマニュアル車
    先日、息子の車を借りて運転した。
    彼の車はマニュアル車で、
久々にシフトチェンジをしながら運転することになった。
長い間乗ってなくても、昔取った杵柄というか、問題なく運転出来た。
久々のマニュアル車の運転は、なかなか楽しかった。
所用で使っただけであったが、
車はきびきび動いてくれるし、もっとドライブしたい気分になった。
久々にマニュアル車を運転して分かったことだが、
オートマチック車の運転中は、何も考えていなかったけど、
マニュアル車では、結構脳はフル回転していた。
運転しながら、
「これは認知症の予防に役立つ!」と確信出来た。
 
    そういえば、
マニュアル車ならうっかりシフトを間違えたり、  
アクセルとブレーキを踏み間違えたりして起こる事故は
激減するはずである。

    実は、僕も
過去に2回、バックの時にアクセルとブレーキを踏み違えて
猛スピードでバックしたことがある。
すぐにブレーキを踏み直して事なきを得たが、
車のすぐ後ろに人がいたら、大変なことになっていた。
自分はそんなことを起こすはずもないと思っていたので
大変なショックを受けた。
2回目に起こしたときは、強烈なだめ押しだった。
呆けたのだろうか?

そこで、
「どうして、
 アクセルとブレーキを踏み違えるような
 単純でかつ重大なミスを犯したのか」
検証してみた。

答えは、車の構造にあった。
僕がミスをした車は欧州車で、
元々は左ハンドルであるが、
日本向けに右ハンドルに付け替えた車であった。
いつも乗っている車と何が違うかといえば

改造されていない普通の車では、
本来そこにはブレーキがある位置にもかかわらず
輸入車の右ハンドル車では、
そこにアクセルがついているのである。

にわかには信じられないかもしれないが、
前を向いて乗ったときには、
(無意識に体が対応しているからわかりにくいけど、)
はじめて乗った最初はアクセルを踏もうとすると
アクセルの位置にはアクセルがなくて
(あるいはアクセルと同時に)
車右前輪のタイヤを収納するアーチを踏むことになる。

そういえば、息子が免許を取ってから
欧州車の右ハンドル仕様の車にはじめて乗ったときに、
「アクセルを踏もうとすると、横の壁も踏んでしまって
 アクセルが踏みにくい。」といっていたことを思い出した。
教習所の車とアクセルの位置が違っていたからである。

欧州車の右ハンドル仕様では、
構造上アクセルやブレーキなどペダル全部が
本来改造されていない車に較べて
少し左寄りにずれてつけられているのである。

ずっと同じ車を運転しているヒトには、
それで何も問題は起こらない。
普段、改造されていない車に乗っている人が
欧州車の右ハンドル仕様に乗ってバックするとき

が怖いのである。

その逆はほぼ問題はない。
だって、アクセルを踏もうとしてブレーキを踏んでも
車は止まるだけである。
そして、新たにアクセルを踏むときは、
その前の状態は、足はブレーキペダルの上にあるか
ペダルを踏んでいない状態(車が止まっている状態)
だからである。

僕は、すべての欧州車の
右ハンドル仕様車を検証していないが
理屈は同じであるから
全部そうだと思った方が無難である。
本当に要注意である。

しかし、
それらの問題もマニュアル車にすれば、
咄嗟にクラッチを切ってしまうからブレーキは踏めないとしても
被害は最小にとどまるはずである。

   いずれにしても、
事故防止にも認知症の防止にも役に立つと思うので、
50才を過ぎたら、
次に買う車はマニュアル車をお勧めする。



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