軌道について



 <ボーアモデル>

 ニールス・ボーアは,ラザフォードのもとに留学し,原子核のまわりを電子が運動していることを知った。ボーアは,原子の中心に原子核があって,その周り をなぜか電子が等速円運動していると考えたモデルを作成した。そのモデル(ボーアモデル)は,水素原子のスペクトルを見事に説明した。

 <なぜ軌道が必要なのか?>

 ボーアモデルは,水素原子や1価のヘリウムイオンのような「電子を1 つもつ物質」にしか適応できなかった。それ以外の物質は実験結果を説明で きず,ボーアモデルの改良が求められた。
 ただし,定性的な説明をする場合,ボーアモデルは水素原子以外でも用い られている。

 <ボーアモデルの改良>

 ボーアモデルは実験に合わなかったが,他に案もないので,このモデルを15年間にもわたり改良し続けた。ゾンマーフェルトによって,電子の円運動を「楕 円運動」に変えて計算が行われた。軌道の形や向き,電子の入り方などが決定され研究が進み,電子のスピンも発見されたが,やはり実験結果を十分に説明でき なかった。そもそも,「原子核のまわりを電子が回っている」という考え方に問題があった。
 シュレーディンガーは,電子が波の性質を持つことから,従来から知られている波動方程式を応用してシュレーディンガー方程式を編み出し,最終的な決着を つけた。電子はどちらかというと粒子より波であったのである。

 <軌道>

 ボーアモデルと同じく,まず水素原子についてシュレーディンガー方程式が解かれた。シュレーディンガー方程式を解くと,電子のもつエネルギーと波の形が 同時に計算できる。その波は,一般的には複素数の解をもつのでわけがわからないが,波を二乗すると電子の存在確率になるようなので,「軌道」と言える。 しかも,特定の条件のときしか答えが出ないことが分かった。
 それによると,(n,l,m)という3つの数値が必要であり,

 n=1,2,3,…
 l=0,1,2,…,n-1
 m=0,±1,±2,…,±l

 まとめると,
 n l    m
 1 0    0
 2 0,1   0,±1
 3 0,1,2  0,±1,±2
 4 0,1,2,3 0,±1,±2,±3

 nは,電子が存在する領域の大きさを表す。
 lは,軌道の形を表す。
 mは,軌道の向きを表す。

 そこで,
 n=1をK殻,n=2をL殻,n=3をM殻,…
 l=0をs軌道,l=1をp軌道,l=2をd軌道,l=3をf軌道,…
 と呼ぶことにした。
 したがって,1s,2p,2s,3s,3p,3d,…となる。

 mの値からわかるように,s軌道は1つ,p軌道は2つ,d軌道は3つ,f軌道は5つある。
 
 電子は,磁場をかける実験から2通り「スピン」をもつことが分かった。電子は全く同じ状態になることはできないので,1つの軌道には電子は「2つ」まで 入ることができる。これを「パウリの排他原理」という。
 したがって,内側からn番目の殻には,最大で2n個の電子が収容できる。

 <軌道の形>

 シュレーディンガー方程式から導かれた軌道の形は驚くべきものであった。軌道(方程式の解の二乗)の中で,電子がどのように運動しているかは不明であ る。「 軌道の太いところは,電子がたくさんいる」ということである。図示された軌道は,電子が95%存在する確率を表している。この軌道の外にも5%の確率で電 子は存在しうるのである。K殻はs軌道のみなので分かりやすいが,L殻は,s軌道1つとp軌道3つからなる。
 sとpを足し合わせると,なんとなく球形に近づくのが分かるだろうか。



 <しゃへい効果>

 電子が2つ以上になると,新たな問題が起こる。最外殻電子が運動しているときに,内側の電子が反発して,中心の原子核の電荷が小さく感じられる。これを 「しゃへい(される)効果」という。しゃへい効果は,軌道の形によって異なり,軌道が細長いほど他の電子が入り込みやすくなるので,軌道はより外側にのび ることになる。これを説明すると,軌道外の電子はs軌道の中に入っていかないが,p軌道であれば,軌道外の電子は座標の原点まで近づくことができる。
 したがって,しゃへい効果は,「s軌道<p軌道<<d軌道<f軌道」となる。p軌道とd軌道の差が大きいことがポイントである。なお,相手をしゃへいする効果は,「s軌道>p軌道>>d軌道>f軌道」となるので,これを「しゃへい(する)効果」と定義する場合もある。

 −参考ー
 このしゃへい効果をだいたい見積もる方法を,軌道の大きさと形からスレーター(アメリカ)が考えた。

 原子を下記グループに分類する。
 (1s) (2s,2p) (3s,3p) (3d) (4s,4p) (4d) (4f) (5s,5p) …

 しゃへい効果は,つぎの B, C, D の和とする。
 A. 着目する電子より外側の軌道に関しては無視する。
 B. 着目する電子と同じグループにあるほかの電子からの寄与は電子1つにつき0.35(例外として1s軌道だけ0.30)とする。
 C. 着目する電子がsとpのグループにあるときは,1つ内側の殻の電子からの寄与を電子1個につき0.85とし,その他の内側の電子の寄与は電子1個につき 1.00とする。
 D. 着目する電子がdまたはfのグループのときは,それより内側にある電子の寄与を電子1個につき1.00とする。

 Mgは,
  1 × 0.35 + 8 × 0.85 + 2 × 1.00 = 9.15

 最外殻電子は+12の核電荷の影響を受けるが,しゃへい効果により核電荷が+2.85にまで減少する。
 Feは,
  1 × 0.35 + 14 × 0.85 + 10 × 1.00 = 22.25

 最外殻電子は+26の核電荷の影響を受けるが,しゃへい効果により核電荷が+3.75にまで減少する。

 <電子配置>

 K殻に2個→L殻に8個→M殻に8個→N殻に2個→M殻に10個

 高校の教科書では,このように電子が入る理由が分からない。これは,電子殻ではなく,軌道のエネルギーが低い順番に電子が入るからである(発展内容とし て記載がある)。
 水素原子では,spd軌道のエネルギーはそろっている。電子殻のエネルギーだけを考えればよい。ところが,ヘリウム以降の原子となると,やっかいであ る。
  電子が2つ以上になると,シュレーディンガー方程式は解くことができない(3体問題という)。そこで,電子1個としゃへい効果を考慮した原子核の電荷をつ かって計算する。本当は,電子は各軌道に存在するが,電子は球形に散らばっていると仮定する(トーマス・フェルミ近似)。どれくらいのしゃへい効果がある かはだいたいしか分からないので,しゃへいの大きさを変えながらエネルギーを計算し,その最低のものを正解とする。ただし,かなり粗い近似であることに注 意したい。軌道の大きさだけ(球形近似)で,軌道の形を全く考慮していないのである。

 そのように計算すると,しゃへい効果がエネルギーに影響し,s<p<d<f の順にエネルギーが分裂するのが分かる(しゃへいされると原子核からの引力 が小さくなり,エネルギーは上昇する)。したがって,1s→2s→2p→3s→3p→4s→3d→… となる。3d軌道のエネルギーが高いのは,しゃへい 効果が大きいためである。なお,磁場をかけると,mの数に応じて,エネルギーが分裂する。

 さらに,電子間の反発を考慮して,電子配置が決定された。

 H 1s(↑ )
 He 1s(↑↓)
 Li 1s(↑↓) 2s(↑ )
 Be 1s(↑↓) 2s(↑↓)
 B 1s(↑↓) 2s(↑↓) 2p(↑ )(  )(  )
 C 1s(↑↓) 2s(↑↓) 2p(↑ )(↑ )(  )
 N 1s(↑↓) 2s(↑↓) 2p(↑ )(↑ )(↑ )
 O 1s(↑↓) 2s(↑↓) 2p(↑↓)(↑ )(↑ )
 F 1s(↑↓) 2s(↑↓) 2p(↑↓)(↑↓)(↑ )
 Ne 1s(↑↓) 2s(↑↓) 2p(↑↓)(↑↓)(↑↓)

 ここで,↑や↓は電子を表す。
 電子は上向きの回転と下向きの回転の2種類あり,これをスピンという。また,エネルギーの同じ軌道には,別々に電子が入る。これをフントの規則という。 電車の席にバラバラに座るようなものである。その場合,電子のスピンは向きがそろって入る。向きがそろっていたほうが安定である。ただし,この安定化は小さいので,2s軌道がスピンを逆にしても先にペアになる。

 <3d軌道の電子配置>

 軌道に電子をつめていくと,原子核の電荷も増加し,原子核にひっぱられるので,軌道のエネルギーは下がってゆく。 ここで,4sと3dのエネルギー準位が交差していることに注目すべきである。 ただし,前述のトーマス・フェルミ近似により計算すると,交差点が原子番号27になっている。実測値は原子番号21である。ここに量子化学の難しさがあ る。
 ScやTiでは,3d軌道より4s軌道のほうがエネルギーが高いのである。

 Sc 4s(↑↓) 3d(↑ )(  )(  )(  )(  )
 Ti 4s(↑↓) 3d(↑ )(↑ )(  )(  )(  )
 V 4s(↑↓) 3d(↑ )(↑ )(↑ )(  )(  )
  Cr 4s(↑ ) 3d(↑ )(↑ )(↑ )(↑ )(↑ )
 Mn 4s(↑↓) 3d(↑ )(↑ )(↑ )(↑ )(↑ )
 Fe 4s(↑↓) 3d(↑↓)(↑ )(↑ )(↑ )(↑ )
 Co 4s(↑↓) 3d(↑↓)(↑↓)(↑ )(↑ )(↑ )
 Ni 4s(↑↓) 3d(↑↓)(↑↓)(↑↓)(↑ )(↑ )
  Cu 4s(↑ )3d(↑↓)(↑↓)(↑↓)(↑↓)(↑↓)
 Zn 4s(↑↓) 3d(↑↓)(↑↓)(↑↓)(↑↓)(↑↓)

 3d軌道に全部電子がつまった時と,半分つまった時(電子がバラバラに入る)が安定なので,4s軌道の電子は1つとなる。

 <Ti3+の電子配置>

 電子が内殻に入ると,外殻の電子は内殻の電子にしゃへいされて,原子核から引き付けられる力は弱くなっていく。したがって,イオンになるとき,4s軌道 の電 子から抜ける。
 Ti3+ 4s(  ) 3d(↑ )



 <オクテットとは何か>

 エネルギー順に7つのかたまりがあることが分かる。

 (1s)
 (2s,2p) (3s,3p)
 (4s,3d,4p) (5s,4d,5p)
 (6s,4f,5d,6p) (7s,5f,6d,7p)

 はじめは1sのみだが,かたまりの中で最もエネルギー準位が高いものは,p軌道である。この理由は,d軌道のしゃへい効果が大きいからである。
 したがっ て,p軌道が周期表の性質を決める。

 <軌道の混成>

 分子の形を説明するために,ポーリングによって考え出された。分子の形は,すでに分かっていたのである。

 例)  C 1s(↑↓) 2s(↑↓) 2p(↑ )(↑ )(   )

 CH4は4つ共有結合をしているが,上記の電子配置では2つしか結合しないような気がする。そこで,炭素に水素が近づくと,電子 の反発により,
 
   C 1s(↑↓) 2s(↑ ) 2p(↑ )(↑ )(↑ )

 になると仮定する。ここでs軌道とp軌道のエネルギー差が大きいとこうはならない。
 CH4は正四面体構造で,4本の結合は等価である。電子は波であるので,s軌道1つとp軌道3つが混じるとする。この4つの軌道 が混じったのち,「最も強く結合する位置」をポーリングは計算した。最も強く結合する位置とは,「軌道の重なりが最大」になる位置のことである。ポーリン グは,この体積を微積分を使って計算した。4つの軌道は,予測できることだが,正四面体になる。
 ここで注意すべきは,「なぜ混成するのか理由はない」ことである。軌道の重なりが大きいと結合の強さは増す。ポーリングは,s軌道に対してp軌道は 1.73倍の強さがあるが,s軌道に対してp軌道が混じると,結合の強さがs軌道に対して2倍になることを根拠としている。

 ーポーリングの計算方法ー

 z 軸方向のみ考える。
 シュレーデンガー方程式の解は,炭素原子では,
   s = 1 pz = 31/2  … @
 まず,s 軌道と pz 軌道の線形結合をとる。
   f1 = a s + b pz … A
 ここで,二つの軌道は,規格直交化しているので,
   a2 + b2 = 1  … B
 Aに,@とBを代入して,
   f1 = a + {3(1-a2)}1/2
 f1 を a で微分して極大になるのは,a = 1/2 である。
   f1 = (1/2) + (3/2)  ⇒ 最大 2 倍になる。

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