テレキャスター・ダンシング Monkey Strut 両谷承
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梅雨の湿り気とうそ寒さは、もうこの街の空気から消えてしまった。にじんだ汗が長袖のTシャツに吸われてゆくのをかんじながら尚美は砂利道を歩いてゆく。何度も通った道なのに、はじめて大音研の部室で和たちと会った時と同じような期待が、尚美の胸の中で広がってゆく。
テニスコート、駐車場。つやのある夏の光の下で、見慣れた風景がうるおいを帯びて映る。部室棟の裏にまわると、むせるような夏草の匂いがした。
ドアを開く。和がいた。
ソファに座って、テーブルに頬杖をついている。尚美が部室に入って来たのを認めると、和はとがめるような強い目を向けた。
尚美はもう、うろたえたりはしない。ギターをケースから出してツイン・リヴァーブにつなぎ、チューニングを始める。和は黙ったまま、テーブルの上の缶ビールをすすった。
いくつかコードを鳴らして、指ならしにブルースのスケール。それから、尚美はキース・リチャーズ直伝のロックンロール・ストロークを鳴らしはじめた。
いつかの楽譜にしるされていた曲。ストゥールに座ったままちょっと重たいけだるげなシャッフル・ビートを刻みながら、和の様子を窺い見る。尚美と目が合うと、和はぷいと目をそらして立ち上がった。
和はロッカーの陰からベースを取り出して肩から下げると、アンプに接続していきなり鳴らしはじめた。立ったまま、チューニングもせずに。
いきなり、火花が散ったように尚美は感じた。和と会わなかった一週間が、あっという間にけし飛んだような、そんな気分。
尚美の指先がギターの絃に触れている。電流が尚美の指先から出て絃に伝わり、シールドを通ってスピーカーから音になってほとばしる。音になった尚美の電流は和の電流とからみ合う。ふたつの音はいがみ合い、ののしり合い、同じ想いをわかち合おうとして響き合う。
何コーラスくらい、続いたのだろう。突然和がベースを止めた。無表情に、和は尚美を見下ろす。
「シャッフル、ねえ。やられたな、思ってもみなかった」
「この曲、あんたが書いたの」
「そうだよ。−−いいギター弾いてくれんじゃないの。あんな男のものにしとくにゃもったいねえよ」
「あたしも、そう思う」
「ああ?」
「あたしも、そう思った」和を見る目が三白眼になってるだろうな、と思いながら尚美はくり返す。「今のあたしに、あのひとはちょっと似合わない」
「おれの方が似合うだろ」
和は真顔のままだ。
「言ったでしょ。あんたの実力次第だって」 そう言って尚美は、和の目に見慣れた皮肉な輝きが戻るのを見届けた。
「試されるのは、気に入らねえな」
「お互いさまってやつよ。−−さっきの曲は、あんたのじゃないよ」
「今度は何だよ」
「あの曲はまだ出来上がってないでしょ。詞もついてないし。あれは、あたしたち三人の曲になる」
「ぬかしてろ。−−あれ、ドア閉まってたっけ」
和につられて尚美も首を回す。閉じた記憶のないドアが閉じている。尚美はストゥールから腰を上げて、確認しようとドアに手を伸ばす。
尚美の指先が触れる前にノブが回って、ちょうつがいが鳴った。
「演奏中は、ドアを開けてちゃだめだよ」
ドアの向こうに現れたハルさんはにっこりと笑って、そう言った。「もっとも、音が漏れる事には変わりないけどな」
ハルさんが部室に入って来ると、その後に一列縦隊でジャグラーズが続いた。サクソフォン、トロンボーン、トランペット−−それぞれが金色に光る楽器をぶら下げている。
「なんだよ。みんなで立ち聴きか」
「聴こえてきただけだよ」ちびが和に言い返す。「立ち聴きしたってしょうがねえだろ。おいらたちのお姫さんがてめえなんざと色っぽい事になるはずねえしよ」
思わず、和と尚美は顔を見合わせた。ドラム・セットを前に座ったハルさんがふたりに声を掛ける。
「リズムは、シャッフルでいいんだよな。今の曲、もっぺんやろうぜ」
「それはいいんですけど、ハルさん。なんでジャグラーズのみんなが楽器もってんですか」
「だってこの曲、歌詞がないだろ。及ばずながら協力しようと思ってさ」中背のジャグラーが首から下げたサクソフォンをぷぺれっ、と鳴らした。「おいらたち、ホーン・セクションも兼業してんだ。歌ほど上手くねえけどさ」
「歌詞なら、尚美が書くってよ。俺に向けてのラヴ・ソングにするんだと」
「馬鹿言ってんじゃないわよ」尚美が言い返すと和はウインクを送ってよこしたので、尚美はそれ以上何も続けられなくなってしまった。
−−いかれちまってるよ、あんた。どこまでいかれちまってんのか、確かめてやるからね。
口には出さずにつぶやく。
「そんじゃ、いくぜ。用意はいいな」
ハルさんの声に、尚美はテレキャスターを低く構える。スティックを打ち合わせる音が聴こえた。
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