有働式生活療法

序章〈有働式生活療法〉との出逢い

 物心ついた頃より、医者になることしか頭になかった筆者にとり、わが国における卒後2年間
の研修というものは、「この国にいては電気のないところで医者としてやっていけない!」と
思うような経験の連続であった。
 これを契機に、臨床神経症候学の真髄を学ぶべく、卒後2年間の神経精神科研修後、1984
年よりフランス、パリ大学サンタンヌ病院へ留学することになった。当時のパリ大学は、生粋の
フランス神経症候学の伝統を受け継ぐ教授陣が在任中で、まさに、電気のないところで神
経症候学を極め、病変の局在診断をCT・MRIなどよりも、より早期かつ正確につけるとい
う修業の毎日が続いた。2年間の予定に反し、思いがけず3年目より有給レジデントの職を与
えられた。これにより留学期間が延長され、脳外科での修業を含め約10年余りをフランスで過
ごすことになったのである。ここで〈生きる〉ということの定義を〈自分の力で動けて人生を楽
しめること〉と頭にたたき込まれて帰国した。

 その後、出産育児のため高齢者中心の病院に勤めることとなり、ここで目の当たりにした。
〈寝たきり状態〉の患者さん方の姿は、今も鮮明に心に焼き付いており、一種のカルチャー・シ
ョックを受けずにはいられないものであった。

 食べることも話すことも、ましてや動くこともできないまま、オムツをされ抑制されて点滴につな
がれ、まるで植物のように〈生かされておられる状態〉は、欧米での修業時代には見たことの
ない光景であった。この光景に加え、〈物理的延命中心〉のわが国の高齢者医療に対して、何
の疑問も感じないかの如く〈ルーチン・ワーク〉として治療・介護に携わっている医療職スタッフと
の心のギャップに悩みながら、日々、自らの医師としての日常業務に疑問を抱きつつ臨床に勤
しむなか、ある症例に出逢うこととなった。

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