演劇ラボ

[演出の学び]

【演出の技能知識】

【演出の基礎能力・自己理解・他己理解・観察力】

演出は日常から人間観察を続け、忍耐力と集中力を養わなければならない。
隠された感情を表す微細表情(口角の動き・目尻の動き・頬の動き)等、演出に必要な観察力は、
様々な方法を実践の中で学ぶ。

演出は人間に対する偏見やこだわりや先入観の無い認識力を必要とする。
人間の営みの中で、社会ルールや常識や習慣を離れて、人間の「ただ生きる」という視点から、
自分自身を取り巻く環境や社会を冷静に観察し、親、友人、仲間、関係者との関わりを評価してみる。
結果、自分の未熟さを知る、孤立している、我がままで迷惑をかけている、など様々な事に気がつく。
演出が自分自身を『あるがまま』受け入れたとき、人間が見えてくる。
その努力を続けている内に、俳優の資質を深く感知し、理解し受け入れる力が得られるだろう。
その時、戯曲に登場する人物の生きている姿を、具体的に推理想像する用意ができたと言える。

人の思いをどう理解すれば良いのか。
言葉ではなくその人の行為で判断しなければならない。
参考文献:『マンウォッチング』{作デズモンド・モリス 藤田統訳 人間観察学 小学館文庫}

演出は、舞台創造や演技創造、戯曲理解などに対する解答は常に複数あって、その中の一つを、
たまたま俳優やスタッフや観客に提示しているに過ぎないことを分かっていなければならない。
演出が答を一つしか考えられなくても、常に複数の答があることを忘れてはならない。
演出が扱う問題の答えは、立場や視点が異なるだけで常に複数解答があること、
言い換えれば正しい解答というものがなく、相対的に正しいと考えられるものという、
当座の妥協点に過ぎないことを忘れないことだ。
その相対的な解答を選択していくことこそが演出の演出することだ。

演出の技術と知識と積むべき経験は、非常に多岐に渡るが、凡そ三つの傾向に分けられる。

一つは人間と相対した時に、演出に求められる技術と知識と経験。
稽古場での日常的な会話の中から俳優の考えや資質、傾向を読み取るためには、
演出はシンボル分析・心理学(交流分析を含む)を学んで、体験しておくと良い。
特に、演技創造の基礎には、担当演出にセラピーやカウンセラーの体験を必要とするものがある。
出来れば、ゲシュタルトセラピーなどの体験がほしい。
実際には俳優(学生)に、セラピーが必要となるまでの集中の深度を求めないが、
俳優の資質によっては、時としてセラピストのように、呼吸法やリラクゼーション方法など、
メンタルケアを実施出来るように習得し、俳優を課題から離脱誘導していく必要がある。
演出が俳優から逃げ出したり、優柔不断な判断を下したりすることの無いように厳重に注意する。
離脱の失敗は2重の悲しみを俳優に与える。

一つは舞台空間を俳優の表現環境としていかに創造するかという、空間デザインの技術と知識と経験。
俳優を観客がどこから鑑賞するのか、という大きな課題がある。
グロトフスキーのように2階から1階を覗くとか、観世栄夫のように四方から囲むとか、
ピーターブルックのように砂漠に敷いたカーペットを囲んでとか、大昔から様々な取り組みがある。
そのライブ空間の中に存在する俳優を、どのように観客に見せるか
・・・いま思い付くアイデアは、おそらく先人の誰彼が挑戦したものである確率が99%ある中で・・・
誰より優れたものを生み出そうとする時、どのような観客が何時、何処で、どのように、俳優を見るかを想定し、
その上で空間のデザインを考えていかなくてはならない。
これには、絵画の分析や塑像の分析がおおいに役に立つ。
色彩、空間を占有する割合い、形の持つメッセージ、天地左右の意義。
照明の光と影、歴史(民族・民俗を含む)、あらゆるもののバランスとアンバランスの創造。
これらが演出の技術・知識・経験として、俳優をより活かすために求められる。

一つはマーケティングの発想。
何時公演するのか。
何処で上演するのか。
何を上演するのか。
誰に見せるのか。
集客告知の広告宣伝媒体 (電波(TV・Ra)・ネット・新聞・地域広報・地域情報紙・チラシ・口コミ)。
なぜ公演するのか。

現状の小劇団の活動(2018年日本)は、マーケティングを導入する事さえ馬鹿馬鹿しいと言える。
出演者の数が公演の損益を決定する状況は、興行ではないし、ましてや事業でもない。
例えれば、カルチャー教室の発表会と変わらない。

マーケティングを取り入れた演劇活動として。
第一歩は、なにを達成するか。
基本は資本を投入して継続した活動、持続可能な活動としての公演活動を達成する事。
出演者にもスタッフにも、相応の給与・謝礼を支払えないが。一回の公演費用とチケット販売収入が、
「プラスマイナスゼロ」となっている状況を確立する。
次回公演費用が、常にストックされている状況を作る。

第二歩は、なにを達成するか。
観客動員数の安定。毎回公演ごとの集客数の安定。
観客動員数が安定すれば、チラシやパンフレットの協賛広告が獲得し易く、
次回公演への資金ストックが増加できる。
また劇場との提携公演も依頼し易くなる。

第三歩は、なにを達成するか。
観客動員数の増加に向けての、マーケティングの実践。事業化を企図する。
公演費用の実費プラス広告宣伝費(パブリシティーや提携広告)にコストをかけて、
集客ターゲットの幅を広げる。
関係者の生活を担保する。つまり給与を支給する。

第四歩は、なにを達成するか。
次世代の表現者・スタッフの育成を企図する。
劇作家から演出、照明・音響・舞台装置、制作者、俳優。
それぞれの育成プログラムを実践し、事業としての演劇活動を継続する。

第五歩は、なにを達成するか。
組織哲学の刷新。時代とその要求するライブ芸術のあり方を研究し、
時代を半歩リードする、または時代を楽しませる作品づくりを企図して、
組織の存在理由を確立する。

【心理学からのアプローチ】

心理学の基礎的用語から、必要な知識の概略を列記してみよう。
●認識の構造
自分を取り囲む人やモノなど、環境として考えられる状況を人は認識している。
認識の基礎となるものは、コモンセンス(一般常識)と考えられている。
1.コモンセンス(一般常識)=社会人として身につけている筈の必要最低限の知識
(円滑な社会生活を営むために欠かせない一般的な判断の基礎となる感じかた)
2.コモンセンス(原語の意味)=共有の感覚「感覚生理学的な感覚」
●共通感覚
我々が外界の物を認知する時は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などの「個別感覚」を働かせ、
さらにこれら「個別感覚」の共通の基礎となり、その意味でより高次の総合的感覚が働いている。
外界の変化を的確にキャッチして、これに正確に対応した行動へとそれを変換する。
この変換を司っている感覚こそ共通感覚にほかならない。
アリストテレスに由来する共通感覚は、生体が環境の変化に適応して生きてゆく為に必要な、実践的感覚のことである。
○例:至近距離で車を避ける場合や野球で投手の球を打つバッターは、脳で考えるという知的活動無しで、
運動そのものを直接励起できる感覚を備えていると考えられる。
多くの場合視覚を経由して働いているように思われるけれども、実は聴覚にも触覚にも同じ事が当てはまる。
●言語行為の深層意識分析
特徴的な言語行為は、その深層意識の中に、表面に現れたものと全く別な相を生じているときがある。
演出は俳優の日常的な行為の中から、その深層意識を理解し、より自由な創造の為の場
(偏見からの脱出や抑圧からの解放など)を提供できるよう工夫する必要がある。

【シンボル分析からのアプローチ】

人は[モノ]と[ヒト]と[コト]と[シルシ・シンボル(象徴)]がつくる世界に生きている。
シンボル分析はこの内の[シルシ・シンボル(象徴)]を取り出し、その仕組みと人との係わりを研究する学問だ。
その[シルシ・シンボル(象徴)]の仕組み(構造)を考えてゆくと[シルシ・シンボル(象徴)]というものが、
必ず「なにか」を象徴し、「なんらか」の意味を持っていることが分かる。
見えているものとそれが含んでいる意味との関係を解き明かすことが、シンボル分析の重要な研究課題だ。
それはまた人間の研究でもある。
[モノ][ヒト][コト][シルシ・シンボル(象徴)]と分けたが、人にとってはこれらのいずれもが見えている。
見えているからそのすべてに意味を読み取る。
人間の生活環境の中にあるすべてに意味があって、その意味を読み取ることが、人間の[生]そのものだと言える。
その[生]の[シルシ]を解析することがシンボル分析からのアプローチだ。

●演技のシンボル分析
『おはよう』という言葉は、其れ自体「挨拶」と言う記号(シンボル)言語でしかない。
その言葉にアクセントやイントネーション、大声小声などの加工を加えることによって
何種類ものバリエーションをもったメッセージとすることができると考えられている。
問題=人はなぜたった1シラブルの言語に、多様な意味を持たせることが可能なのか?
問題=人はなぜたった1シラブルの言語から、多様な意味を読み取ることができるのか?

●シンボル行為の解析
人の自然な行為から、行為の無意識的な目的や意味を抽出することは可能だ。
人は[ヒト]自身も記号化する。外側に現れている表情、態度、物腰、服装、匂いなどから、
程度の差こそあれ人の生い立ち、生活環境、人格・性格、職業を推察している。
見ている外側は、[シンボル]として作用し、その人物の見えない中身を示唆している。
(実際に正しい生い立ち、生活環境、人格・性格、職業を理解しているかは疑問だ)
人は経験から両者を結び付ける「コード」を持っている。
それゆえ、人は自らの肉体に何らかの形で手を加え、作られた「シンボル」で装い、自らを記号化する。
大昔からの様々な髪型、化粧、入れ墨、装束などは肉体の記号化に他ならない。
一方表情や態度、しぐさも記号化される。
この種の記号がコミュニケーションの有力な手段として、ほとんどの文化圏で使われている。
『握手・ハグ・おじぎ・片手を振る・ETC』
意識的でなく、当たり前のこととして、仕種、目くばせ、顔色、表情の操作、手の動きが、
時には言葉以上に様々な意味を伝達している。

俳優の演技がどのような記号として機能するのか、どのようなメッセージを観客に発信しているのか。
それらを客観的に判断できる技能を、演出は獲得しなければならない。
その記号(演技=行動と会話)がもつ意味を具体的に解説出来なければならない。

演出への課題
○ボディランゲージとは、身体記号(風俗習慣が異なるとき、全く違う意味を持つ事を知る必要がある)
であることを検証しよう。なぜ行為がメッセージを持つのか?

○動物や人間の赤ちゃんが、ほ乳類共通の体形と泣き声をしているのは、記号として保護意識を喚起するもの。
触発される感情や行為を認識する必要がある。どんな感情か、どんな行為か?

○泣く行為、笑う行為、など喜怒哀楽を表現する身体表現は身体記号に他ならない理由を考えなさい。
記号という認識を、シンボルとして受け止めている事例から深めていく必要がある。

○観客に、表現者の一定の「よくある行為」で意識される表現記号は、
演劇ではフォームプレイ・形芝居や月並み芝居と呼ばれるが、
下手なストレートプレイよりよっぽど事件事実の伝達力がある。それは何故か?

○今も見ることができる伝統芸能として、能・狂言・歌舞伎・文楽・大衆演劇・壬生念仏・
田楽・太神楽・神楽を鑑賞し、なにが伝わってくるか考えよう。

●時代をシンボル化する記号への理解
・社会的な現象、ミニスカートの流行や黒色の流行など、現時点の社会を象徴する記号は世に氾濫している。
その記号・例えば「ミニスカートの流行」をどう解釈し、その記号の社会的な意味「女性の活発化・社会進出」
のレベルから個人的な意味「可愛いファッション」のレベル、評価「経済活性化・生地の在庫増で織物業界の不振?」
のレベルへと解析して時代を把握する努力が必要だ。
そこに演出として選択していくテーマがあり、観客に納得してもらえる表現方法を選びだす必要性がある。
逆に演出は、いま自分の生きているこの瞬間を、記号化または象徴するシンボルを見つけ出せる技能を習得しよう。
それが、いま観客に必要とされる舞台作品に導いてくれる。

●記号としての演出手法
江戸時代の美人画と現代美人を比較すれば、美人という感覚がまったく違っている事に気がつく。
美人という言葉と美人そのものは、時代の感覚によって実像が変化しているわけだ。
だから、美人という一つの価値観および美人そのものは、
同時代人にとってのみ共通する『記号(シンボル)』であるという事ができる。
同じように、見物客の感動する事も、時代と共に変化していることは容易に推測できる。
舞台を見て見物客が感動する様々な要因は、すべて美人という『記号』と同じように、
同時代のみに共通する『記号』によって表現されているといっても過言ではない。
「喜び」も「悲しみ」も、[現代だからこそ、このように表現される]という事があり、
それが同時代ゆえの『記号』なのだ。
演出は、正確な『記号』を読み取れる力を持たなくてはならないし、
的確な『記号』を発信するように、
舞台創造の関係者全員に求めなければならない。
また、まちがった『記号』を指摘し、正しい『記号』をアドバイスする努力が必要なのだ。
つまり演出の一面として「優れた同時代の見物人(観客)であれ」という事がいえる。
大事なのは、演出としての「今、観客が欲している感動は一体なにか」という答え
『記号(シンボル)』を見つけ出す感性だ。

【深層言語心理学からのアプローチ】

演出が戯曲の台詞をポドテキスト化するように、日常的な言葉にもポドテキストがある。
演出には日常の言動や行為から、俳優の深層心理を汲取る技能が必要だ。
これはまた、実際に舞台創造の現場で俳優の行為が、演出の目的とする表現を、
適切に創り出しているかどうか、評価できる能力にもつながる。

演出は感情や意図を、表情や態度、動作や視線などの行為から判断することが多い。
単純な身体行為は、深層心理をより分かりやすい形で表現していると言える。
 
コミュニケーションに限って考えれば、言語の占める割合が多く、言語活動を注視する必要がある。
実際の応用としては、言葉使いや言い回し、声そのものの抑揚や強弱アクセント、
その人の性格や他の場面での行為の観察が、深層心理を理解する大きな手立てとなる。

演出が日常的に言語活動を観察するのは義務に近い訓練だが、
ポドテキストのように明白な欲求を持たない深層心理を解析するには、一つの物差しが必要だ。
その物差しでも入門書でも、多湖輝氏の著作「深層言語術」が、気楽に読めて最適と思われる。
  その著書からの例題を掲げるので、何故そのような深層心理を考えられるか、考えてほしい。

○例=自称語
 ・「僕」を大人になっても連発するのは、幼児的性格の現れと考えられる
 ・「私達」という言葉は、自分一人の主観を強調したいためと考えられる

○例=他称語
 ・相手を名前で呼ぶのは、心理的距離を縮めて親しくなりたいためと考えられる
 ・優位の人間に「あなた」「…さん」を使うのは対等になりたいためと考えられる

○例=疑問語
 ・優位者が目下に発する問いは、婉曲な命令である(と考えられる)
 ・問い返しや同語反復の質問は、形を変えた反論(と考えられる)

○例=肯定語・否定語
 ・自分の話に「ええ」とうなづく人は、頑固で自説を曲げない(と考えられる)
 ・話しの途中で「わかった」というのは話を聞き続ける事の不安である(と考えられる)

○例=けなし言葉
 ・上役の悪口は、出世したい欲望の強さを現す(と考えられる)
 ・陰口の多い人は、強い劣等感にさいなまれている(と考えられる)等々


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