演劇ラボ

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【演出の技能知識】

【劇空間に関して】

空間デザインをする技術・知識
舞台空間とは、客観的には絵画的で漠然とした奥行を持つ限られた空間だ。
一方では、現実的な空間と、想像力によって創られる非現実的な空間(無限空間)が存在すると言える。
出来得るなら、俳優を現実空間から非現実空間に導きたい。
現実と非現実の連続時空体の中に存在してもらうことを可能としたいのだ。

舞台空間の空間デザインというのは、単に形や色を工夫構築することではない。
演出に必要なのは、観客には見やすく分かりやすい構造、 俳優の演技をより創造的にする仕掛けや機能、
俳優がより活き活きとする環境の設計に他ならない。

簡略化した舞台というだけでなく(演出と美術家が手抜きをしたというのではなく)、
極限的な抽象化によって創造された舞台は、演技者の想像・創造力を豊かにし、
無限の膨らみをもつ舞台イメージを作りだし、演技をより生き生きとさせるものである。
(と、演出と美術家は期待する)
但し、その舞台から受ける印象が、演技者も観客も食い違わない事が肝心だ。

《色彩からのアプローチ》
舞台上の色彩は照明によって変化するものであることを前提に考えなければならない。
色温度の違う照明によって、同じ赤や青の色でも、観客には全く異なって見えることを配慮すべきだ。
その上で、舞台上に溢れる色を考えてみよう。
照明が色として機能する最大の面積は、ホリゾント幕だ。
ホリゾント幕を照明で効果的に照らすことにより、朝・昼・夕方・夜・雨・風・波・川面・雪・etcを表現できる。
どんな芝居にも応用できるが、どんな芝居にも最適だとは言えない。
適合する芝居や不適切な芝居もあることを知っておくべきだ。

課題研究としては、『照明の色彩によるメッセージと絵画的な色彩によるメッセージ』を掲げよう。
照明の光学的な色彩が観客に提供する心理的なイメージを含めたメッセージ性と、
舞台装置や衣装、小道具が観客に提供する心理的なイメージを含めたメッセージ性を研究してみよう。
その前提には、日常的な中で色そのものの心理的メッセージがどのようなものかを研究する必要がある。
それを理解した上で、さらに日本の中の伝統的な意味のある色、社会慣習上メッセージ性の強い色を
理解しなければならない。
冠婚葬祭で決められた色、宗教や古典的身分制度の象徴としての色、建物等の伝統的色彩。
さまざまな色にさまざまなメッセージがあることを理解した上で、色彩を自由に駆使しよう。
参考資料
『カラーイメージスケール』講談社・『色彩の心理トリック』PHP文庫 

《空間からのアプローチ》
人間やモノがどこにあるか?ということは、舞台上重要な要素の一つである。
『空間位置による視覚的バランス』と『空間位置による心理的バランス』からくるメッセージを研究しよう。
バランスがとれていることが大切なのではなく、バランスをどのように利用するかが大切なのだ。
『伝統的な舞台の仕掛け』がどのようなニーズで生まれどのように変化し、現代に活用されているかも大きな課題だ。
例えば、歌舞伎の下手に置いてある小さな空間のバランスは視覚の錯覚と聴覚の錯覚から成り立っている。
人間の目は、そこにあるがままを、脳に伝えているわけではない。
心理的に必要と思えるもの、見たい聞きたいと思っていることを、より強調していることを忘れてはならない。
演出は客観的な理解の上に、空間のバランスを崩したり整えたりしながら、劇的なるものの創造に努める。
マウリッツ・エッシャー他、錯視芸術とはなにかを、研究しよう。
同じ大道具が舞台上の高低、上手下手、にあるだけで、印象が変わる事を調べよう。
絵画やマンガ週刊誌の作品が、どのような構図で、作者の意図を高めているか、分析しよう。

絵画を学ぼう。鑑賞するだけでも良い。                 


レンブラント 風車  正  レンブラント 風車  逆


ドラクロア 海から上がる馬 正  ドラクロア 海から上がる馬 逆

有名な絵画を、左右逆転してみて見る。何を感じるだろうか。
光の使い方、メッセージの鮮烈さと方向、描かれているものの存在感、なぜ作者は正の構図を選んだのか。
左右逆転すると何が変わるのか。これによって演出の学ぶべき空間の把握と使い方が分かる。
プロセミアムアーチの舞台は、絵画にも例えられる。バレエや歌舞伎の舞台は、絵画的な完成度も高い。
観客の集中を舞台上のどの場所に誘導するか、観客の驚きや期待や感動のために、
絵画の構図的な焦点も考慮しなければならない。

《形象からのアプローチ》
丸いもの、小さなもの、尖ったもの、見た目の形象は、人間の潜在意識に大きく働きかけている。
「どらエモン」と子犬・子猫・赤ん坊の頭部・体部・四肢の比率が一緒で、柔らかな丸みを帯びているのは偶然ではない。
商業デザインの中で、キャラクターデザインの原則は、子犬・子猫・赤ん坊の頭部・体部・四肢の比率を厳守することだ。
これは、人間の保護意識や所有意識を喚起するためだ。
このように、『形が伝えるメッセージ・・・記号化した形』は、人間の心理的な反応を導きやすい有効な手段だ。
『伝統的な図形』がさまざまな意味を持つものとして伝えられている。
ユダヤ教の六芒星や安倍清明の五芒星などが、神秘的な力を持つ形として伝えられている。
また地域の独自性から来る特殊な意味を持つ形もある。
幾何学的図形のメッセージ性なども、実は心理的な作用を計算に入れて研究された結果である。
演出は、形の具現化でも、俳優の演技創造を手助けする仕組みを忘れてはならない。

《音からのアプローチ》
音の効果について、演出は理解しておく必要がある。
「夏の蝉の鳴き声・秋の虫の声」のように季節のシンボルとして使えるものも有れば、
風の音や雨音、雷鳴等、場面の変化を明示する音もある。
この環境音・自然音などは、客席を舞台の状況と一体化させる効果がある。
BGMは、舞台では一場から二場の繋ぎ・ブリッジで使う事もあるが、あまり高い効果は望めない。
なぜブリッジを使うのか、その目的を理解しておく必要がある。
舞台転回に時間がかかる等、観客の気持ちが舞台から離れないよう、手当てするような目的が多い。
音楽については、クラシックから現代曲まで、自分の好みのまま親しむと良い。
古典芸能の音にも、一度は触れておいた方が、万一の時に驚かない。

芝居は観客を泣かすのに何十分もかかるが、楽曲は3分で済む事がある。
上手く取り入れる事が出来るなら、音楽を使う工夫をしてみるべきだろう。
歌舞伎でもセリフのBGMに三味線音楽を流す事がある。
具体的なプランが出来たら、専門パートと打合せ。知らない事は知らないと教えてもらうように。

《舞台装置からのアプローチ》
舞台装置は『演技の行われる場の環境の情景を示す、「仮象空間の構成の装飾」のひとつである』
『舞台装置は、舞台美術の一環として、演技を円滑に進めるため、その演出意図に基づき、
演じようとする舞台機構を参考にして、作品の内容を巧みに抽出した情景を最も効果的に、
他の要素と有機的に融合するように具現するもの。』
と田中良先生は言う。(現代語化 責=大谷)

舞台装置には、役者の演技が映えればいいと言うのが私の考えだけれども、さまざまな分類があるらしい。
芸術の形式主義的なものや実際の使い勝手の問題で分類されている気もするのだが、一応数えてみよう。

<写実的>
自然そのままを実際あるごとくに舞台上に装置する方法。
しかし写実だからといって、実物を飾れば真実性があって良いかと言うと決してそうではなく、
かえって効果なく貧弱となる。
舞台ではどんなに写実であっても芸術である以上、舞台上の演技者を含めた他の総ての要素に誇張が伴ってくる。
これと調和するためには、実物では到底及ばない。
そのため装置には実際にバランスがとれるように見える芸術的誇張が必要となる。
この装置の特徴は、観客にとても理解しやすい。
しかしあまり現実的になるに従い、実生活と比較が容易になって、芸術的雰囲気が低下する。

<象徴的(暗示的)>
自然の持つ特殊性を強調した形式を以て、他のものを連想させることを目的として装置する方法。
観客は連想によってその内容を把握することができるから、想像力が豊かである者にとっては
内容が良く理解されて余韻を感じ、興味もますます増大するわけでこの形式はそうした利点を持っている。
ただ難解な場合、観客に理解されずに自己満足に終わってしまうきらいもある。

<装飾的(様式的)>
装飾的あるいは図案的に装置する方法。画家が装置した場合にこうした傾向が多く見られる。

<形式的>
能舞台や歌舞伎の松羽目物やギリシャ劇場の建物や舞台に固定されたものをもって装置とする方法。

<塑造的>
平面的な装置の不合理な点を解決するために、立体的な装置を配置する方法。

<表現的>
後期印象派、立体派、未来派、野獣派などの表現主義の画家の主張『自然の一時的現象を超越して、
現実より偉大なものを要求把握せんとする』理論が舞台芸術に波及して、
この主義に基礎を置く演出に同調するように装置する方法。

<構成的>
『物理的個性を利用して、物理的、力学的に関係による芸術の再興』という主義で、
機械的に建設的に組み立てられたもの。
従って夢幻的でメカニックなもの等に応用して効果がある。

<超現実的>
『現実を超越した世界に真実の把握と表現を求める』という主義の演出に適応する装置法。

<単純化>・<集中化>
舞台の一部に最も演技と関係の深い必要なものだけを配置して、他を省略し、
特にその点を強調することによって目的を果たす方法。

以上、田中先生のお考え。
役者を圧倒するような舞台装置は、役者を畏縮させ、芝居そのものを潰してしまう。
演出はどのようなモノが必要か、より深く推理して舞台装置を考えなければならない。
優れた役者は、白い箱でさえさまざまなものに見せてくれる。
机や椅子はもちろんのコト、宝箱や別世界の入り口にさえ観客に見えてしまう。
最近は不思議なことに、舞台の仮想世界、例えば家の中にいても、浜辺にいても、
演技になんの変わりもない役者が多い。
舞台装置は単なるパネルや張子ではなく、観客に対する『場』の提示。
せっかくのイメージを、役者が台無しにしている。
役者は、自分がどこにいるのか、より注意深い表現が必要だ。
役者によって、舞台装置が観客の想像力に翼を与えたら、それは素晴らしい作品の幕開けだ。

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