即興性の強い練習では、演技はその場限りの行動(行動の一次性)ですが、 行動の論理が定着しているエチュードでは、演技は反復性、即ち演技本来の性格を持ちます。 先刻承知の事実、事件、行動に対して、初めて起こった事に対するように対処する、 つまりより複雑な条件の中で有機的過程を作り出す能力が要求されるのです。 エチュードでは、演技創造の全ての要素の同時参加が不可欠なため、 俳優技術と舞台創造をつなぐ環であると言えます。 それは、俳優の自己訓練の初期の技能を定着させ、次に脚本と役に対する仕事へと導きます。 ただエチュードでは、事件の発展や台詞、登場人物の行動の論理を[テキスト=台本]からではなく、 俳優自身が作り出していきます。 ○注意点… エチュードは基礎技術を学んでから始まり、課題と平行して進むのが望ましい。 しかし訓練に先行したり、訓練の代わりになってはならないのです。 エチュードを深めることというのは、その筋の発展や複雑化を意味するものではなく、 反対に最もシンプルな構成を重んじて、俳優に事実の氾濫で負担をかけないようにすることです。 大切なのは、俳優のエチュードの内容が生活観察から引き出されるようにする事です。 しかし、エチュードの多くのテーマが、俳優の個人的な生活の記憶からではなく、 演劇や映画、テレビ等の鑑賞の中から生まれ、未熟な俳優を自分の柄に合わない役に当てはめてしまいます。 彼らは、間違った「劇的な筋の工夫や表現」に囚われていくのです。 このようなエチュードから俳優を救い出さなくてはなりません。 ●エチュードの勉強は、即興的な方法によって生まれた最も成功した練習の発展と深耕から近づきましょう。 その時、訓練とエチュードに直接のつながりができるのです。 ○注意点… エチュード練習の多くの欠陥は、多くの演劇学校で行われている二つの過ちから生じています。 一つは、俳優達が有機的行動の諸要素や技術の習得ができていない、準備不足の段階でエチュードに進むことです。 私達は本来怠け者なので、難しい課題に立ち向かうとき、ついついより安易な、やり易い臭い演技「・・・らしい」、 (外面的)表現へ滑り込んでしまうのです。 これは職人芸的な技術を身に付け、生きた有機的創造(本当に見て感じて表現する)の技術には障害となるものです。 もう一つは、エチュードの勉強そのものの性格の中にあります。 エチュードの勉強はその量ではなく、その質を問題としなければなりません。 上っ面だけの数百のエチュードが、間に合わせの演技や職人芸を教えるとき、徹底的に行われたたった一つのエチュードは 、本当の創造へと俳優を導きます。 ■アイホールでは、課題「駅」……クラス全員のエチュードを行いました。 ・生徒は必ず一人または複数のサポートの生徒とともに、「観察と表現」の練習で獲得した演技「駅」の改札口付近で、 人を「待っている人」を演じます。 その順番は、サポートの生徒の出番や、自分がサポートにまわる都合にあわせて、生徒達自身によって組み立てられていきます。 中心となる表現をする主役+サポート以外の生徒は、出番が来るまで、出発する人、見送る人、改札係、売店の人、掃除する人 などの「駅」に働く様々な人々を演技創造して、駅という環境を作り出していきます。 このエチュードは舞台上の核となる演技と、駅という場を表現する即興的性格を持った演技から成り立つもので、 生徒は全員に共通した課題を解決していく事が求められます。 また、エチュードをより活性化する刺激として、場内アナウンスや電車の着発の効果音が用いられ、創造の方向を整えていきました。 ただ、駅という舞台装置は作られることなく、様々な見立てによる装置化が試みられました。 生徒一人一人に、その見立ての装置(脚立・ガイドポール・折りたたみ椅子etc)を、駅の改札・券売機・公衆電話・売店などといった、 リアリティーを観客に感じていただくよう、表現する事が求められたのです。 パントマイムでもなく、無対象行為でもなく、観客が納得してくれる表現が求められました。 |
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[中間発表「公開稽古」エチュード創造]■これまで行った稽古の成果を、様々なタイプの課題から成る公開の授業として実施します。 この公開の授業は、演技創造に必要な技術を、どのように身につけるかという過程を明らかにします。 また数少ない「公開の創造」という場を生徒達が経験して、基礎過程の重要さをより深く理解することを目的とします。 ○注意点… 初歩の俳優にとって、創造の反復性という条件のもとで、生き生きとした創造を続けることは大変困難です。 即興的な練習の中で、課題に対する無意識の反射的応答は、演技として何回も繰り返されると、 意識的に行われる身振りに転化してしまいます。つまり、演技らしい演技になってしまいます。 その為、演技のみずみずしさは簡単に失われ、ただの演劇ごっこ、行動のコピーに陥るのです。 生き生きとした創造を重要視するなら、この段階での公開の授業は、即興的性格の課題が大切です。 ●生徒達ひとり一人が、与えられた状況の中で本格的に自己の位置(自分に課せられた果たすべき役割や目標)を判断し、 自分自身の虚構(もしならば……という、自分が信じられるリアリティのある条件設定)によって状況に生気を与え、 生き生きとした創造の全ての段階を守りながら行為(演技)を実行する能力が、最も明確に現れるようにします。 ○注意点… もしあらかじめ仕上げておいた練習や単純なエチュードが用いられる時、それには特殊な教育的アプローチが必要になります。 行為の有機性を保つために、定期的にその条件を更新し、練習に新しい創造的「誘い・刺激・可能性」を 導入しなければならないのです。 例…想像上の糸と針でボタンをつけるとして、教師は途中で、針が指からすべって落ちたとか、糸が切れたとか、 付加条件を指示することが必要となります。 これらの新しい条件が、生徒の想像力の刺激となり、行為(演技)に生気を与えることもあります。 ●エチュードの最終課題は、稽古場などの普段の環境ではなく、舞台で観客に参加していただいく、 公開の創造という条件がのぞましい。 いつもと違う緊張し易い環境で、俳優が有機的行動を修得することが大切なのです。 その為観客との出会いは、これまでの課題を修得した時点で設けられなければなりません。 観客に授業を公開するときは、教師の解説をともなう、カリキュラムの内容に関する解説といった性質のものであっても良いのです。 しかし、慎重に考えられなければなりません。 教師自身のアピールや自慢ではなく、俳優達の自主的な創造のものでなければなりません。 この段階での勉強の質の指標となるものは、筋の面白さや演出上の処理ではなく、行動の有機性の獲得の度合いなのです。 そしてこれらの俳優個人の特徴や成長の記録は「カルテ」として残され、俳優が実際に俳優としてまたは社会人として巣立つときに、 彼らの今後の人生プログラムのために役立つ物でなければなりません。 |
アイホール演劇学校では、後期に入って作品を発表することになっていました。 約二十人近い生徒一人一人を、配役の軽重の無い演劇創造へと導くために、六人程度の芝居を3つ作ることにしました。 セリフの比重も均等に近く、テーマも様々な角度から見つけだせるように、生徒達と同時代の作家(199Q太陽族 岩崎氏)に 同時代を劇世界とするオリジナル作品を書き下ろしてもらいました。 その時演出としての私が注意した事は、同じ台詞の抑揚や同じミザンスツェーナーに生徒達を当てはめないことです。 一つの芝居をトリプルキャストでやるというのではなく、同じ芝居を三本全く違うように作ることに努力しました。 これは言うより行うほうが簡単です。 生徒達と一緒に作れば、三本必ず変わってきます。 生徒達の個性によって、全くテーマもコンセプトも違ってくるのです。 生徒達の個性を引き出しつつ、作品にいたるための「演技創造の実際」に必要なメソッドの修得に入りましょう。 ■演技・表現・具象化の要素[◆言葉によるコミュニケーション]■目的…「聞く力と聞いて判る力」の理解と習得舞台上の話し言葉の基本は台詞です。台詞は順序良く並んだ言葉のやり取りではありません。 相手役に鋭い反応を要求する言語の戦いです。従って話す力と聞く力を分けては考えられません。 台詞を話すこととは、ただ台詞を朗読するのではなく、自分の感情や意図を伝えて、相手を動かそうという働きかけであり、 聞くこととは、ただ音を耳にいれることではなく、相手役の言葉の印象たとえば抑揚や強弱、テンポリズムなどから 「意味や相手役の意志、目的、感情」を聞き取る(読み取る・汲み取る)ことです。 ○注意点…舞台の上で台詞を正確に聞き、しかも意味や相手役の意志、目的、感情を把握する能力を養うには、 相手役の行動、考え、抑揚を注意深く観察して、そのちょっとした変化も見落とさないようにすることを学んでいかなくてはなりません。 ●多くの俳優は、聞いてはいるがそれを理解していません。 相手役が何についてどんな具合に話しているのか、舞台上や稽古場で注意していないのです。 相手役が話している間、次に自分が言うべき台詞の準備や自分のことで精一杯なのです。 更に、自分の言うべき台詞の色彩(元気に明るく?陰うつに暗くetc)も声の抑揚も、前もってきちんと決めてしまっています。 彼は相手役の台詞が終わるのを待ち構え、観客の注意を自分の方に向けようと必死なのでしょう。 このような演技を言語行動とは言わないのです。 これは単なる「言いまわし」の技術に他ならない。 このような俳優に、メソッドを云々しても意味は無いのです。 ★課題 即興による台詞のやり取りを作る。俳優の実生活に根ざしたものがふさわしい。 ・教師が生徒に昨日あったことを訊ねてみます。具体的に、根ホリ葉ホリ…。 この結果、生徒に何らかの感情的表現が生まれるかも知れません。 ・次に今のは練習のためのゲームであった事を告げ、教師の代わりに生徒を立て、教師の言葉を再現しながら、 教師と生徒にかわされた言葉通りに繰り返してみます。 (何を練習するにしても、練習の度にそれをまるで初めて手掛けるように、生徒達に感じとって貰うことが大切) ・一方の行動の性格を変えると(冷淡にしてみる。または激情的に、あるいはやさしくなど)、 それは必ず相手役の行為の論理に相応の変化をもたらし、両者の行動を新しい色彩で色づけてくれます。 そして互いに相手の言葉を受け止める時間の長さも違ってくるし、相手の言葉に対する評価も変化し、 二人の置かれた状況の性格も違ってくる。 さらに、場面全体のテンポリズムが新しい息吹をもって動き出すのです。 ●この練習で攻撃の強さが自己防衛や逆襲の強さを規定し、それはさらに跳ね返って攻撃側の戦略を変えてしまうことを、 身をもって具体的に知ることが必要です。 「質問の調子が、返事の調子を創る」ということ。即ち、相手役の行為や言葉が、自分の行為や言葉を創るという事を理解しましょう。 ■アイホールでは、言葉の言い回しや的確さよりも、瞬間に生まれた行為の目的と、 その行為から生み出された言葉を正確に表現することを求めました。 例えば、年老いた親の説教から逃げたいという「大人になった子供」の行為が、「もう寝ましょう」という言葉を生むと言うように。 ○注意点… 即興の台詞で自然に生まれた感覚、抑揚、間、身振りなどを、その通りに再現しようとすればするほど 有機的行動から遠退いていくことを理解しなければならない。 自然に生まれた「とまどい、悔しさ、反抗、憤激」などの感情を、自由に再現することは不可能です。 そのことを、俳優は体験して納得しなければならない。 そのため俳優は、常に新しい感情を生み出すことを、注意深く実践しなければならないのです。 メイエルホリドはロシアの優れた舞台演出家ですが「台詞は行動の外郭をなぞる装飾である」と言っています。 つまり、目的を持った行動(アクション)を実行する時に、ついでに生まれてくる情動(感情・動機・欲望)が、 結果として生み出した「行為」・・・それが声であり言葉なのです。 人は言葉を持って生まれてくるのでは無く、自分の意志や感情を伝達するために、最終的に言葉を獲得するのです。 ●一度生まれた行動の形(軌跡)は、本来二度と繰り返されるものではなく、それを正確に再現しようとする試みは、 逆に行動自体の有機性を破壊してしまいます。 感情もまた私達の思いのままにはならない。だから注文通りにそれを呼び起こすことは出来ないのです。 ということは、かつて生まれた感情を再現することではなく、新たに生みだされる感情を表現すべきなのです。 身体および言語の相互行動の技術は、この要請に応えるものです。 ●相互行動の技術は、行動の最終的結果を再現するのではなく、それをもたらした原因を再現することにあります。 まず最初に事件の発展のなりゆきと、事件へ参加した人々それぞれの「行為の論理」を突き止めることが必要です。 しかし言語の相互行動の論理を、いかに丁寧に分析確認しても、それは形、即ち抑揚、リズム、言葉の活力、ニュアンス、 表情や動きなどの正確な再現をもたらしはしません。 有機的創造にあっては、言葉を産むのは「奴隷のような記憶力ではなく、心」なのですから、心の命ずるままに従うときは、 如何に稽古を重ねた場面であっても、決して二度と同じに出来上がることはないのです。 ●俳優は敏感なセンサーのように、もっとも些細な舞台状況の変化を自分の中に感じ取り、自分の行為に反映できなければならない。 自分の行為をいったんこうと決めた軌道に乗せ、舞台上の出来事や物事を見もせず、聞きもせず、受け止めもせず、 役を新鮮にする新しい刺激を受け付けもせず…では、生きた人間の表現は作り出せない。 生きた(新鮮な、みずみずしい)表現を保てないのです。 しかし有機的相互行動の、これほど繊細な技術を簡単に修得できると考えてはいけません。 初めの内は、自分を相手役に依存させながら(相手役の行為や言葉から受ける印象や思いに感じるままに)、 現実生活から取り出した簡単な台詞を続けるように努力しましょう。 ★課題 台詞をそのままにして、状況を変化させていく練習。 ・次のような簡単な台詞を作って、様々な状況をカードに記入して用意する。 状況のカード例…「初対面で」「愛の告白」「長い別離の前」「喧嘩の仲直り」等 例…「今日はいい天気(語尾は自由に)」 「うん、こんな天気は久しぶり(語尾は自由に)」 「9月はあんなにひどかったのに、10月にはいってからこの調子(語尾は自由に)……」 「この地方は、10月でも天気は良く暖かい(語尾は自由に)」 「ほんとの残暑(語尾は自由に)」 「何言ってるんだ、残暑なんてとっくに終わってる(語尾は自由に)」 「そう?」 ○注意点… 俳優はとかくいったんうまくいった台詞の抑揚や言いまわし方を繰り返したがり、自分自身だけに耳を傾けたがるものです。 言語の相互行動の練習システムは、それとは全く逆の効果をねらうものです。 つまり相手役の言葉を良く聞く能力を発達させ、唯一無二の表現が生まれる正常な条件を作り出すことを狙っています。 唯一無二の表現は、相手役同士の間に正しい相互行動が行われ、舞台状況がしっかりと把握考慮された時に生まれるのです。 ●相互行動の始まり……経験の無い俳優は、しばしば前もって、頭の中で自分はどう行動していくか、 のみならず相手役はどう行動していくか、までも決めてしまいます。 その結果、実際に相手役と出会った時、もっとも重要で、もっとも興味深い筈の[相互のオリエンテーション] (お互いのさぐり合いの瞬間)が、いいかげんなものになります。悪くするとなにも無くなってしまいます。 例えば…… 台本から、新入社員の小心で若いOL役の俳優が、自分は意地悪な先輩OLに苛められるのだからといって、先輩OLに呼び出された時に、 先輩OL役の俳優からまだなにも動機を与えられないうちに、敵対心で武装してしまうというようなことがあるのです。 このような論理の破壊を正すためには、言葉で指摘するのではなく、先輩OL役の俳優に、少しの間善良で繊細な心遣いをする人間に なってもらうように提案するだけでよいでしょう。 このような逆の状況の訓練を行うと、俳優は容易に自分の間違いを発見するものです。 ■アイホールでは、即興の中でお互いが言うべきことを打ち合わせして、実際には言わなかったことを、 聞いたつもりで動き出してしまう典型的な例が幾つも生まれました。 聞いている事の大切さや周りを見ていることの大切さは、常に変化する環境の中で、 なんらかの目的を達成する行為を求めていくと、以外と簡単に修得されていくようです。 |
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