2003年4月


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古典
2003年4月1日(火)
昔の学年誌の“ゆかいマンガ”では必ず
エイプリール・フールのネタが使われていて
最後はうそでした、という ゆる〜い笑いが
あったんですが。

今でも、『コロコロコミック』みたいな
まんがではこのネタ使われてるんだろうか。
それとも、もう「エイプリール・フール」と
いうものの有効性は存在しないのだろうか。

4月1日の日記では大ボラ吹いてみたいものだ
と考えていたのですが、楽しいネタが思い浮か
びませんでした。

案としては

●秋吉久美子さんと再婚することになりました

とか

●宝くじで3億円当たったので、中国の野生
パンダ保護センターに全額寄付しました

なんていうのがあったんですが、いわゆる
金、女・・・というオヤジ的発想がコアに
あって楽しくないなあ〜と思ってやめとき
ました。

来年こそは何か楽しいウソをつきますよ。
火星人が攻めてきたとか。(←疲れ?)

映画館での爆笑体験十選(3)
2003年4月2日(水)
「天国から来たチャンピオン」と
「ファール・プレイ」の二本立て
(両方とも1978年作品)

二本立てというと名画座?と思われるかもしれま
せんが、ロードショー館の“丸の内ピカデリー”
(←昔の)で観ました。1979年の4月。
たしか「天国から来たチャンピオン」はこの年の
1月?に地味に封切られていたはずですが、
口コミで評判が高まり、またアカデミー賞(3月)
にノミネートされたりして気運が高まっての再公開、
とラジオの映画紹介番組で聞いたような気がします。

この二本立て、(いまのところ)

マイ・ベスト映画鑑賞体験

と言えるものだと
思います。映画自体も良かったのですが、
観客のノリが良く・・・なんと言うか
上品でいて かつ楽しんでいるというムードが
良かったのです。まあチビの中学生の感じたこと
ですが。

今にして思うとこの二本とも、古いアメリカ映画
の感覚で作られた映画だったんですよね。
「天国・・・」は「幽霊紐育を歩く」のリメイク、
「ファール・プレイ」はヒッチコックの巻き込まれ
型サスペンスをベースにしていて。ヒロインが
ブロンド美人、というのがモロだけど演じるのが
ゴールディー・ホーン、というのがキャスティング
からしてパロディになっていたわけね。

大いに笑いつつ、なんとはなしにアメリカ映画の
面白さのフトコロの深さ、みたいなものを客席で
感じたような気がします。映画ファンというのは
やっぱり映画館の体験でなっていくもんなんだナ
と今では思うのであります。

それにしても「天国・・・」は今でも名作として
雑誌で紹介されたりしますが、「ファール・プレイ」
のほうは言の葉にあがることも少なく、私としては
少し寂しい気がします。相当面白かったけどなあ。
脇役で出演していたダドリー・ムーアの珍演、
代表作と言えるでしょう(先日のアカデミー賞の
メモリアル・コーナーで写真が出てきたので、えっ
亡くなってたの?とビックリしましたが)。

ちなみにこの映画鑑賞は、私の最後の「子供料金」
入場だったという意味でも記憶に残ってます。
中3まで・・・よくやったよな。

映画館での爆笑体験十選(4)
2003年4月3日(木)
「下落合焼き鳥ムービー」(1979年)

所ジョージが主演した映画です。彼の
オールナイト・ニッポンで試写会に
応募して当たり、九段会館で観ました。

入場する時になぜか当時刊行された
『BOMB!』という投稿雑誌(たしか創刊号)
が配布されました。学研がスポンサーの試写
だったのか。

さてこの映画、題名(説明するまでもないが
「ケンタッキー・フライド・ムービー」より)
からして私的にはかなり期待しており、
相当なワクワク状態で開映を迎えました。

冒頭、明るいキャンパスで突如女性軍団が
銃を乱射して革命を叫ぶという衝撃のオープニング
で、思わず爆笑。これは大変な映画かも知れない
と心が高鳴った・・・のも一瞬で、あとはもう
内容も覚えていないほどのつまらなさでした。
所ジョージの“影武者”として宇崎竜童が出てきた
ことぐらいしか。

つまり、一瞬の爆笑と限りない失望
−としてのみ記憶に残っている体験です。

その後この映画は一部で
“映画としての態をなしていない”
の意味で
「まるで『下落合焼き鳥ムービー』のような・・・」
という比喩としてのみ、語られているようです。

いまや所ジョージもTV界の重鎮、あの時
九段会館前に長い行列を作った若者たちも
多くは「不惑」と言われるトシに。
何をしみじみしている、と言いたいが。

映画館での爆笑体験十選(5)
2003年4月4日(金)
「ユーズド・カー」(1980年)

ロバート・ゼメキス監督の「抱きしめたい」に
次ぐデビュー第二作。ライバル同士の中古車店の
販売合戦のお話です。この当時のゼメキス情報としては
ボブ・ゲイルと組んで書いたシナリオ「1941」
がスピルバーグ監督で映画化された、ぐらいだった
のですが。私は「1941」が割と好きだったので
ゼメキスの監督作品も観ることにしたのです。

話、脱線しますが映画「1941」は、アメリカが
(日本軍潜水艦に)本土攻撃され・・・た、と
思い込んで、自滅?していく様を描いた作品でした。
珍騒動の果てに大きな家が倒壊するのを見て
ロバート・スタックが

「この戦争は長引くぞ」

とボソッとつぶやくのがこの映画の大ラスト。
作中でダン・エイクロイドが兵隊たちに

「ナチにディズニーがわかるか!」

というアジ演説をするシーンが好きだったのですが
これも今思うとアメリカの独善? エイクロイドは
最後発狂して「ボク、南京虫ちゃん」とか言ってた
けど。

閑話休題。

で、「ユーズド・カー」を学校帰り(高一か)に
横浜ピカデリーに観に行ったら、自分を入れて
観客は三人。

寂しいなあ、と思う。しかし、映画は面白く、
三人ともよく笑うんだこれが。

今まで(1)〜(4)は満員の映画館での体験記
でしたが、これは珍しい閑散とした中での爆笑。
こういうこともあるんだな〜、ト。

その後のゼメキス映画は
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にしても
「フォレスト・ガンプ」にしても満員の劇場で
笑いましたけどね。

映画館での爆笑体験十選(6)
2003年4月5日(土)
「ブルース・ブラザース」(1981年)

これも横浜ピカデリーで観ましたが、客の入りも良く
かなりウケていました。「地獄の黙示録」の翌年と
いうこともあり、ネオナチが“ワルキューレの騎行”
の曲と共に主人公たちを追跡するシーンなど、
ドッと沸きましたね。
封切で二度観て、のちにレーザーディスクを買って
何度も見返しましたが、これは本当に面白い。
WOWOWで「ディレクターズ・カット版」も
観ましたがこれもナカナカ良かったです。

色々好きなシーンがあるけど、一番気に入っているのは
パトカー軍団とのチェイスの果てに税金を納める建物に
ブルース=モビールが到着。二人、車から降り
ドアをバタン!と閉めるとガタン、バラバラと車が壊れる。
それを見たダン・エイクロイドが十字を切るところ。
感動で涙がにじむ名シーンです。

泣けるといえば例のネオナチ、最後に高速道路から墜落。
その落下する車中で部下が首領に「好きでした・・・」と
告白するシーンはあまりのバカバカしさに涙が出るほど
笑いました。

しかしこの映画は、音楽・破壊・逃走がなんとも
「無邪気に」行なわれていてハレバレとしたものが
あります。これだけ無心な映画は以後無いなあ。

映画館での爆笑体験十選(7)
2003年4月6日(日)
「家族ゲーム」(1983年)

馬車道の東宝会館・シネマ2にて、封切すぐに
観ました。8ミリ映画出身の森田芳光監督が
ATGで撮った映画、ということもありますが
やはり観に走った動機は

松田優作が家庭教師の役を演じる

というところにありました。

当時はもうスゴク人気があったわけですが、
私はそんなにファンというわけではなく。
唯一、「大都会PART2」というドラマの彼だけ
非常に好きだったのです。たしか「トク」という
あだ名の刑事で、暴力的なんだけどふざけてる
変な人物でした。視聴者には理解できない意味不明
のアドリブがおかしく、特に渡哲也と一緒のときは
なんともいえぬおかしみがありました。ビジュアル的
にもこの作品が一番カッコ良かったのでは?

とまあそういう人が家庭教師ですから、何か有る、
という期待があったわけです。

期待に反さぬ出来で、映画館はクスクス笑いが
絶えない状態でした。今では「オフビート」という
言葉で表現できるのですが、なんだかオカシイなあ
という・・・。団地に船でやってくる、母親に
「水のカルキがききすぎ」と言う、万引きした
生徒にコブラツイストをかける。
まあ、これより前の「野獣死すべし」のハード
ボイルド演技が既にコメディすれすれ、であった
ことから考えると「家族ゲーム」もその延長と
言えないこともないんですが、森田監督の笑いの
センスとベスト・マッチングであったように
思います。

評論家の川本三郎氏は森田芳光の感覚は
当時の小演劇(野田秀樹とか鴻上しょうじトカ)
に近い、と書いていたけれど、映画における
笑いの質って“森田以前”“森田以後”と区別
できるほど変わったと思う。私見なんですが。
大学の卒論ではそのへんを書きたかったのですが
うまく書けず、未達成感が未だに残っています。
まあそのへん今後もこだわっていきたいです。

ちなみにコブラツイストのシーンで松田優作から
代金を受け取って「今お釣持ってきます」と言う
書店員は金子修介(当時助監督)氏が演じており、
このシーンはけっこうウケてました。

映画館での爆笑体験十選(8)
2003年4月6日(日)
「メル・ブルックスの大脱走」(1983年)

この映画を映画館で観た、という人とは今まで
出会っていないのですが・・・。
でも私が封切りで観た時はソコソコお客さんも
入っていて、ナカナカ反応も良かったですよ。
馬車道・東宝会館の地下のほう、たぶん
横浜東宝シネマ2(奥の方)で観ました。

エルンスト・ルビッチ監督の「生きるべきか死ぬべきか」
のリメイクです。脇役のチャールズ・ダーニングとか
クリストファー・ロイドなんかが盛んに笑いをとって
いました。ユダヤ人劇団がナチスの迫害を逃れてポーランド
を脱出する話。

劇団の座長とその夫人がメル・ブルックスとアン・バンクロフト。
彼女の笑芸がこの映画の一つの見所であるのですが、この二人が
実生活でも夫婦というのが、私は昔から本当に不思議でした。
かたやダミ声のオヤジ、かたや「奇跡の人」のサリバン先生。
なのでこの映画でやっと、ああお似合いなのかも・・・と
納得がいった次第です。

私の記憶にこの映画が強く残っているのは、次のようなシーンが
あったからです。

もう逮捕寸前、という一座は“ある奇策”(←ひみつ)を用いて
ナチスの目をかいくぐって劇場を脱出、一路空港へ。
貨物飛行機に乗りこみプロペラも回って、さあ出発、なのだが...
座長婦人の飼っていた小犬(マルチーズだったかな?)がいない!
あわてていると小犬が空港の向こうから走ってくる。そしてその
後ろからはナチスのジープが!
離陸しようとする飛行機、必死にダッシュする犬。
離陸寸前、ジャンプして夫人の胸へ・・・。

のちに原典の「生きるべきか−」をリバイバル公開で観ましたが
このシーンは無く、まあ新作では“一つ見せ場を・・・”みたいな
感じで追加されたものだと思います。小犬というのも、なんとも
「あざとい」という気もするし、冷静に考えれば「かわいい犬なんだ
から、どの体制でも可愛がってもらえるだろ」みたいなことも
考えてしまいます。

しかし!

空港を無心に疾走するマルチーズを見て、
心が異常に騒いだのは何故でしょう。

最近の映画「マイノリティ・リポート」の宣伝コピーは
映画中の主人公のセリフを使っていました。


「誰でも逃げる」


誰でも逃げる。犬でも逃げる。何から?

映画の筋に関係ない小犬が妙に心打つのは、人間の本能を
図らずも映し出していたからかもしれません。
ちなみに映画館では犬が脱出を果たしたときに劇場全体が
「よかったね〜」という安堵の空気で包まれていました。

(補記)犬種はマルチーズじゃないかもしれません。

映画館での爆笑体験十選(9)
2003年4月7日(月)
「裸の銃<ガン>を持つ男」(1988年)

この映画がヒットしたことに ある感慨を持った
人は少なくないだろう。
日本でも映画パロディを楽しむ土壌が出来たか、
という少し肯定的な意見と、
この程度の“モノマネ”で満足していいのか、
という否定的な見解と。

わたし的には、こういう笑いだけになってしまう
のは憂慮すべきことだが、裏街道で楽しむ分には
いいんじゃないの・・・という意見。

恥ずかしいけれど、好きなんですZAZ映画。

ZAZとはこの映画を作った
ジェリー・ズッカー、ジム・エイブラハムズ、
デビッド・ズッカーの三人の頭文字より。
このZAZチームは
「ケンタッキー・フライド・ムービー」
「フライング・ハイ」「トップ・シークレット」
といった映画パロディものを作っていました。

脱力系で、良識ある人は見向きもしないであろう、
工夫も無く有名な映画をマネしたシーンの連続
という。

一例をあげれば「トップ・シークレット」、
画面の手前に大きく写っている電話。激しく鳴る。
緊迫した表情の男が画面奥から手前の電話に近づく。
とるかとるまいか逡巡する。意を決して電話をとる。
画面に大きく映っていた電話機は本当に“大きな”
電話で、男は両手で受話器を抱え持つ・・・

といった調子。普通の人には疲れる場面の連続です。

実は大学時代、このZAZ映画が大好きな後輩が
いて、彼の影響で私も観ました。

なかでも、
製作されたアメリカでは評判が悪く、短期間で
打ち切りになった30分TVシリーズ
「Police Squad」(ポリス・スクワード)
日本でのビデオ題名は

「フライング・コップ/知能指数0分署」

(かなり良いタイトルだ)
その彼の紹介で見たわけですが、これが異様に
ツボにはまりました。

昔の「シカゴ特捜隊M」みたいなコワモテ刑事もの
なのですが、前述のような疲れる場面の連続。

事件現場で被害者の跡が白チョークで描かれて
いるが、それがエジプトの壁画みたいな絵に
なっているとか・・・。
ラストで刑事二人が笑ってストップモーション、
と思いきや ただ息を止めて静止してるだけで
小刻みに震えてるとか・・・。

大いに楽しんで、心のポケットにそっと名前を
しまいこんだつもりだったその主人公−

ドレビン警部

彼に、数年の時を経て、スクリーンで再会できるとは。
しかも、満員の映画館で。
しかも!あの疲れる場面が爆笑で迎えられるとは。

人の世の不思議にうたれながら、アイラ・ニューボーン
作曲の「Police Squadのテーマ」をドルビーサウンド
で聴きました。昔、「フライング・コップ」のビデオ
からラジカセに録音して愛聴していた曲です。

映画館での爆笑体験十選(10)−前編−
2003年4月8日(火)
「ワンダとダイヤと優しい奴ら」(1988年)

私は、たとえば「江戸時代に暮らしてみたかった」とか
「60年代末の騒然とした時代を体験したかった」
といったような、別の時代に生まれたかった−という
ようなことは考えたことがない。時代に関して
“れば・たら”の気持ちは無い。

しかし。

一つだけ、時代に関して

「♪もしも願いがかなうなら」

という思いがある。それは


東京12チャンネルで「空飛ぶモンティ・パイソン」
を放映していた時に、夜10以降も起きていていい
年齢だったら!!!


ということです。(兄貴は見てた。悔じい)

広川太一郎・山田康雄・青野武・納谷悟朗・
飯塚昭三、古川登志夫・・・
が吹き替えしていたコメディ番組。

垂涎。

見たい(聴きたい)。ビデオではなく、TV放映で。
ああ、俺がビル・ゲイツみたいな大金持になれたら!
タイムマシンを開発し、その時代へ行って、見るぞ!

ジョン・クリーズ:納谷悟朗
グレアム・チャップマン:山田康雄
エリック・アイドル:広川太一郎
テリー・ジョーンズ:飯塚昭三
マイケル・ペリン:青野武
テリー・ギリアム:古川登志夫

こう書くと、めまいするね。

さて、この中の納谷悟朗、青野武が出演(それに相当)
したのが
「A Fish Called Wanda」

邦題は苦心の作と言われていて、
「わんダ」→「ダいヤ」→「ヤさしいやつら」
という“しりとり”になっているんだよね。
おかげで意味不明化。

でも、面白い、という口コミゆえか
封切りでは こういう映画にしては珍しく
お客さんは入っていました。よかった。

モンティ・パイソン映画じゃないけれど、
ジョン・クリーズがシナリオを書いているので
なかなか毒の強い話になっています。

銀行からダイヤを強奪した一味が欲にくらんで
仲間割れ、事件の弁護士も巻き込んで
さて行きつく先は?・・・という。

この映画については語りたいことがたくさん
あるけれど、やはり一言だけ言うならば

“ケビン・クラインがアカデミー助演男優賞受賞”

ということに尽きるでしょう。

空前絶後の名演技。

この映画のケビン・クラインのことだけを
一ヶ月この日記で書いてもいいぐらいだが、
それはまた今度・・・ということで。

映画館体験がまだ書かれてないけれど、前置きが
長くなったので明日に続くことにします。

(未完)

映画館での爆笑体験十選(10)−後編−
2003年4月9日(水)
この映画は同期入社のG君と横浜の
「相鉄ムービル」へ見に行きました。
私が誘ったのですが、その理由は。

G君は、今で言うと「アニマルていだん」の
おさる、という人に似ていたと思い出すのだが
人物を一言で言うと「女たらし」。誰彼かまわず
アプローチして おつきあいしては、次行こう、
みたいな男だった。マメ。ようやる。

「手と足が同時に出ていた事件」が発生。

ある時、私はある住宅地で、彼と妙齢の女性が
言い合いをしている現場を目撃。ヤバイ、と
思ったが回避できず、知らん顔して通り過ぎた。
そういえば彼は「ある奥さんとつきあってる」
と言っていたがまさかそれでは・・・。翌日、
知らないことにしておこう、と知らん顔して
いたら、みんなと一緒の昼休みに
「昨日、見ただろ〜」と言ってくる。
やっぱり奥さんと別れる修羅場だったそうだ。
それで「O、お前通りすぎる時に緊張
して手と足が同時に出ていたゾ」と、自分の
ことは棚に上げて俺を攻撃してくる。この一件
は彼の捨て身ディスクロージャーにより
なぜか、彼のフリン事件ではなく、
「O、手と足が同時に出ていた事件」として
私の事件になってしまった。悔しい。

彼には、少し落ち着いてもらいたい。
そんな願いを抱いて暮らしていたところ
この映画に出合った(最初は一人で観た)。
作中、精力絶倫で落ち着きの無い男(ケビン)
が最後にはローラーでコンクリートに
埋められてしまうシーンを見て、これは
彼に見せて 因果応報を感じてもらおう、
と思ったわけである。
セーラームーン風に言えば、
ジュピターちゃん(水野亜美ちゃん)の
「水でもかぶって反省しなさい!」
というセリフが私の気持ちか。

さて、男二人で映画を観た帰り道。彼は私と
同じく酒が飲めない。いつもファミレスで
甘いものを食べていたのであるが、その日も
チョコパフェ食べながら
「どうだった?」と感想を聞くと
たいへん面白かった、とのこと。
「オットー(ケビンのこと)ってさあ、
Gみたいだよな。これじゃいけないよな」
と水を向けてみたが
「いや、そんなことないよ」
それで終わり。

ただ、映画を観ただけに終わった。

彼は二年後に転職して、音信がないが
その後幸せな結婚をして子供が10人・・・
なんだろうか。わからぬ。


これで十選は終わりですが明日、
シリーズ総括します。

映画館での爆笑体験十選(終)
2003年4月10日(木)
1988年で終わってますが、それ以降の
15年間において映画館での爆笑体験が
ないのかというと、そういうこともない。
でも、最初から「これはコメディです」という
映画より「アクション・コメディ」とか
オーバージャンルの作品が多いので、取り上げ
なかっただけです。
それと、自分は笑っていても客席は意外と静か・・・
というケースも多く。「インディペンデンス・デイ」
なんか私はおかしくておかしくて仕方なかったけど
みんな真面目に観てたなあ。
最近はビデオ、というかWOWOW視聴が多いしね。

やっぱり映画は大画面で、というのが基本だし
劇場の雰囲気も含めて印象に残るものです。
料金がもう少し安ければなあ。子供料金は無理だから
特殊メイクで老人風に変装してシニア料金で観ようかな。
書類は偽造して。

横谷順子さんのホームページ
2003年4月11日(金)
私は あるまんが家さんのファンで、その方の旧作が再掲
されている雑誌を買って読んでいました。
その雑誌に、ほぼ毎号作品が掲載されていたのが
横谷順子さん。他にどのようなものを描かれているのか、
とネット検索したところ、ご自身のHPがあることを知り
ました。

http://members.jcom.home.ne.jp/yokotani/

このHPを見ると・・・はしばしに この横谷さんという
人のたくまざるユーモア?が垣間見え、面白いです。

いきなりトップページから
「発売中です〜〜〜!買ってください〜!!(切望)」
ですからねえ。この「(切望)」がいいですね。
HP全体的に、このようにカッコで付された
セリフが、何かおかしいです。

「単行本紹介」コーナーで、「静かなる夜のほとりで」の
単行本の続刊が出ないことを憂うコメント、泣きの画像と
ともにデカいフォントで
「秋田書店さん 出してください。お願いします。」
という叫びが。・・・ここで書いても、届くのかどうか。

「旧作情報」ではデビュー前の作品を含む初期作について
コメントしているのですが、なにか不思議な題材の作品
ばかりで非常に興味をそそられます。

ともあれ、4/14(月)から原作のTVドラマが
放映開始になるようなので・・・

その勢いで、「静かなる夜のほとりで」の続刊が出ると
いいですね!
既刊3巻は近く購入する予定です(フォロー?)。

「ヘルター・スケルター」
2003年4月12日(土)
岡崎京子さんの単行本未収録作品
「ヘルター・スケルター」
が単行本化されました(祥伝社・刊、1200円)。
ようやっと読めました。
これに先立ち雑誌『フィールヤング』で再録を
連載で掲載していたけれどそれは読まず、
単行本を待っていました。
ある秘密を持つスーパーモデルの成功と転落の
物語。タイトルになっているビートルズの曲の
「てっぺんまでいったら どんぞこに行って
 それでまたキミに会おう」といった歌詞、
あの激しい曲調を髣髴とさせるハードな作品です。
生卵を手に握って、力を入れたら割れるぞ割れるぞ、
といった感覚を味わさせる作品でした。

5月初旬にはやはり未収録作品の
「うたかたの日々」
が宝島社より単行本刊行されるそうです。
ハードカバー入りで1600円とのこと。


まんがとは関係ない話。
昔、映画監督の大森一樹氏がエッセイで、8ミリ映画
を撮った人は必ず一度はビートルズの曲を自分のフィルム
のつけてしまう、と書いていたのを読んだことがあります。

私も一度やりました。
「ヘルター・スケルター」で。

大学三年の時、映研部員それぞれが2〜3分のショート
フィルムを撮って、それをオムニバスとして一本に
まとめる、という企画がありました。前の年にオムニバス
映画「トワイライトゾーン」が公開された影響もありまして。

私がその中で作ったのが、

「轟二郎はいつまでも若い」

というタイトルの一編です。

内容は、
恋人を奪われた男が、そのカップルのデートに乱入し、
女に花束を捧げるが拒絶され、池のほとりで倒れ伏す・・・
というものです。

多くの人には意味不明と思われます。
TV番組「うわさのチャンネル!」で、轟二郎が木の葉のこ
に求愛してすっ転ぶ、という繰り返しギャグをやっていたのを
覚えている人は・・・いませんか・・・?

映画中で、女性に花束を捧げては すっ転ぶのを3回繰り返す
男は、私が自演しました。轟二郎になりきりました。

あれを自分でやりたくて・・・どうしても どうしても
自分でやりたくて・・・ やってしまったわけです。

人はそれを“自己満足”と呼ぶ。

タイトルは大島渚のTVドキュメンタリー
「死者はいつまでも若い」をパクりました。
不謹慎きわまりないです。

この意味不明・小コントに「ヘルター・スケルター」を
付けた当事の私の意図は何か。

たしかホワイトアルバム収録だったと思いますが
ライナーの訳詞は「(意味不明)」ということで
掲載されてなかったと記憶しています。

それは“叫び”だった。

狂おしいまでの轟二郎ギャグへのリスペクトの気持ちを
そこに重ね合わせたものと推測されます。

しかし、
レノン&マッカートニー と
轟二郎&木の葉のこ
というのは何と言う取り合わせの悪さ。

若かったとは言え、恥ずかしいことです。
しかし、これが自分そのもの、という感もあります・・・。

「リロ&スティッチ」
2003年4月13日(日)
ディズニーの話題作「リロ&スティッチ」を観ました。
ナカナカ面白かったけれど・・・う〜ん、肝心な
ナニカが足りないような。
元々、「背景を水彩画で処理」という新聞記事を
読んで、技術的な関心から観たのでありますが。

今の気持ちにフィットする言葉はというと。
昔、「天平の瓦」という映画がありまして、
これについて製作会社の東宝のエライ人が
言った

「チックがあって ロマンが無い」

というセリフがあてはまるでしょうか。
ロマンチックでないト。
色々な、心沸き立たす要素、断片は散りばめられて
いるんだけど、いっこうに胸に響いてこないと
いいますか。

脇役が充実、細かいギャグも面白いし、主人公の
少女リロの心理描写=アニメート表現も巧いなあ
と思うけれど。無理にバタバタさせている、という
カンジの話の展開に問題があるような。

とは言うものの、1時間半ギッシリ楽しませる
のはたいしたものだと思うけどね。

ちなみに、日本語吹き替え版で観ました。
脇役の三ツ矢雄二がサスガに名調子でした。

「GO」
2003年4月14日(月)
WOWOWで行定勲監督の「GO」が放映された
ので観ました。劇場封切りで観ていたので2度目。

この映画の窪塚洋介、いいですね〜。もしも私が
女性だったら、この映画のヒロイン同様、あの眼で
ニラまれたら好きになっちゃうかも。ワハハ。

多くの人が指摘してると思うけど、面白いのが
「月はどっちに出ている」で民族差別的な人物を
演じた萩原聖人が、この映画ではそんなこと
ぜ〜んぜん気にしない、ヨワっちい警官を演じている
ところ。この人ってホントに演技巧いっつーか
演技してないような演技するところがすごいや。
一種の天才なんでしょうな。

ところどころ横浜でロケしてるみたいですね。
ちなみに横浜にも朝鮮民族学校があって、
高校時代、横浜駅で乗り換える時にチマチョゴリの
女学生を見かけては「あの服 キレイだな〜」と
思ってました。

「金魚屋古書店出納帳」第一巻
2003年4月15日(火)
芳崎せいむ・著「金魚屋古書店出納帳」という
まんがを読みました(少年画報社・刊)。
6月に続刊が出るそうですが、今回は第一巻
です。キング系の雑誌に掲載されていたそうで
まったく知りませんでしたが、人に教えて
もらいまして。

「金魚屋」という古書店をめぐる人間ドラマで、
必ず、まんが作品(古本まんが)が関わってくる
という趣向です。

人と、文学作品の関わりというと近年では
高野文子「黄色い本」という『チボー家の人々』
をめぐる超傑作がありました。

人と、映画ならば古いですけどピーター・
ボグダノビッチ監督の「ラスト・ショー」が
40〜50年代の娯楽映画をうまく人間ドラマ
に絡ませて秀逸でした。

歌だと「『いちご白書』をもう一度」なんていう
有名なのがありますね。青春映画のリバイバル
公開をメタファーにして人生の無常感?を描き
出しています。ああ、でも私は映画『いちご白書』
あんまり好きじゃないんで
「『いちご白書』はもう二度と」
って頭の中で置き換えてますけど。

あまり覚えている人はいないけれど、とんねるず
が初めて主演したTVドラマ「おぼっチャマには
わかるまい!」では、主人公二人が学校を卒業する
時に観た映画が(たしか)「アニマル・ハウス」。
これは凝りすぎで、今一つ巧く使われていなかった
ケース。

このパターンは、成功すると爆発的な効果が
あり、多くの創作者がその誘惑にかられ
挑みつづけています。

「金魚屋古書店出納帳」は、エピソードによって
バラつきはありますけど、かなり成功しているん
じゃないでしょうか。
病気で死の近づいた男が姪に「河童の三平」を
探究させるエピソードには泣きました。




脱線。

元・創作者志望(笑)だった私も、やりたかった
ネタがいくつかありまして。何かの話の
ワン・エピソードにしたかったものをご紹介。


ある学生カップルがいる。彼女は普通の人なのだが
彼は“東宝特撮映画”のマニアで、ゴジラの話ばかり
するし、伊福部昭の曲ばかり聴いている。一緒に
いるのに寂しい・・・。彼女は次第についていけない
ものを感じ、彼のもとを去るのであった。

そして10年の月日が流れた。
今では幸せな結婚をした彼女、今日は小学校の
子供の初めての運動会である。父母席で息子の
活躍を見つめる彼女、何か怪しい雰囲気を感じる。
ここは、何か変だ・・・。
そう、運動会に流れるBGMのマーチ曲が、
普通の曲じゃなくて・・・すべて、伊福部昭の
「地球防衛軍のテーマ」や「宇宙大戦争のマーチ」
なのである。まさか、と本部テントを見ると
今は小学校教師になった彼が、伊福部昭CD全集を
手にして子供たちにゴジラ・レクチャーを
しまくっているのだった。ため息をつく彼女・・・


(講評)
それぞれの道を歩む二人、すれちがった青春への
愛惜の念が表現された良いラストシーンだと
思います(←自己満足)。

嘘つき
2003年4月16日(水)
みんくるグッズ収集に燃える私。
都営バスの券売所にて(場所は秘す)。

窓口にはおばちゃん二人(A・Bとする)

わたし「みんくるの『カラーメモ』一つ下さい」
おばA「はい。250円です」
わたし「(受け取り)あと、無料でもらえる
シールがあるって聞いたんですけど」
おばA「あったかしら。無いんじゃない?」
おばB「・・・内緒だけど少しあるの。
(奥から)ハイ、他には黙っててね」
わたし「(嬉しい表情が浮かぶ)」
おばA「(それを見逃さず)みんくるって
可愛いわよね〜」
わたし「え、ええ・・・娘が好きなもんで」
おばB「アラ、お嬢さん おいくつ?」
わたし「あ、あの・・・む、6つです」
おばA「子供はねえ、私たちなんかとは
好きなものが違うのよね。なんだか
不思議なものが好きなのよ」
おばB「この『ぷくぷくみんくる』なんか、
私、孫にあげたんだけど喜んだわよ」
おばA「この、羽根が可愛いのよね〜」
わたし「そうそう、羽根はポイントですよね」
おばB「みんくるグッズって、キャラクター
グッズにしては安いわよ」
おばA「でも残念なのが、種類が少ないのよ」
わたし「都の交通局に言わなきゃですよね」
おばB「お嬢さんに『ぷくぷくみんくる』
買ってあげたら?ボールみたいに
投げて遊んだりできて楽しいわよ」
わたし「今度、買いますね。じゃまた」


娘は、いない。
39歳の女の子なら家にいるが・・・。
嘘はついてはいけない。しかし、とっさに
ついてしまった。別に、自分が好きだと言えば
よかったのに。

水でもかぶって反省します
2003年4月17日(木)
あー恥ずかしい。

4/9の日記で、
> ジュピターちゃん(水野亜美ちゃん)
と書いてしましましたが、
当然亜美ちゃんは「セーラーマーキュリー」です。
(ジュピターは木野まことチャン)

これがどの程度のミステイクかと言うと、
「科学忍者隊ガッチャマン」の登場人物について

みみずくのジョー

と書いてしまった、ぐらいのインパクトです。
疲れてるのかな・・・。自分が信じられないです。


こうなると、セーラームーンについて何か書かざるをえない
状況に追い詰められた感があります。

今、部屋に「セーラームーン・ワールド カレンダー」が
貼ってあります、などと正直に書くのはいかがなものかと
思いますので、回想モードにてちょこっとだけ。


デパートで行なわれた「セーラームーン」の催しがあり、
仕事で(←強調。仕事で)ゲームの進行をやったことが
あります。「ルナの口にポーンとボールを入れてネ」と
いう、他愛も無いゲームだったのですが、やはり子供に
楽しんでほしいので、超・ハイテンションで
「ガンバレ〜」とか「じょうずじょうず!」とか
「ヤッタ〜」とか一日絶叫しまくり。華厳の滝のように
汗をかきながら勤め上げました。
恐怖だったのが、会場に来ている子供達の親は私と同年輩。
地元・横浜のデパートだったので「知り合いに会いたく
ない・・・」とおびえました。それにしてもこの時は
たしか1stシリーズが大ヒットした直後で、もう会場は
すごい盛り上がりでした。


今住んでいるところに引っ越す前にいたアパートでのこと。
隣の上の部屋のIさんのところに「めぐみちゃん」という
小さな女の子がいました。ナカナカひとなつっこい子で、
あいさつなんかも元気にしていました。彼女はまだ幼稚園に
行ってなかったと思うが・・・ある時アパートの前の駐車場で
「セーラームーン」の絵本を読んでいました。
同居人がのぞき込むと、めぐみちゃんは本の一箇所

ルナ(るな)の め が キラリ(きらり)と ひかりました

の『め』のところを指差して

「めぐみの『め』」

と言いました。字を覚えているんだね・・・。
子供はこの可愛さで親に一生分の孝行をしているのでしょう。


上の2エピソードで両方「ルナ」の名前がでてきますが
藩恵子さんが声をやっている猫です。藩さんといえば
ベテランの名・声優さんですが、わたし的には映画
「スター・ウォーズ」(最初のやつね)の日本公開前に
放送されたラジオ・ドラマで“レイア姫”を演じた人で
あるのです。ちなみにこのラジオ版は

ルーク=神谷明
レイア姫=藩恵子
ハン・ソロ=羽佐間道夫
オビ=ワン・ケノービ=納谷悟朗
ターキン総督=山田康雄

という豪華版でした。

ちなみにレイア姫とハン・ソロは映画シリーズの後のほうで
仲良くなるのですが、私は映画館で
「藩とハンが・・・」
と密かに感慨にひたっていたのでした...。
(A Long Time Ago,...)

オリビア・来日=してた
2003年4月19日(土)
そういえば先日、定食屋でスポーツ新聞みたら
オリビア・ニュートン=ジョンのインタビュー記事が
載っていて、ああそうだ来日したんだった、と
気付いた次第。

http://www.h2.dion.ne.jp/~newton/

まあちょっと冗談で、「前にイルカのことで叱られたし
今度はアザラシのことで何か言われないかな・・・」と
構えていたのですが、それについてのコメントは無かった様子。

この日記でも何度か彼女のことはふれているので
繰り返しにならないよう注意しつつ。


この間TVで映画「GO」を観ていたら同居人が
「山本太郎が高校生なんて!やっていいことと悪いことが
あるだろう」と言っていたが、やはりこういうケースで
まっさきに思い出すのは「グリース」のオリビアであろう。
たしかトラボルタ28、オリビア31という年齢で高校生
を演じていたが、結論だけハッキリ言おう

ノー・プロブレム

この「グリース」という映画、時をへだてて何度か見直し
ているが、やっぱり面白いんだよね。監督(ランダル・クレイザー)
が若いこともあって、趣味が悪いとかそんなことはぶっ飛ばす
エネルギーがある。今度観たら注意してほしいのだが、
ラストの卒業フェスティバルのモッブ・シーン、特に
“We Go Together”のナンバー、画面の後ろの
後ろの遠〜くの人物まで、よく動いてますよ。これが画面に
異様な熱気を与えてるんだよな〜。オリビアの話じゃないけど。
彼女も冒頭の“SummerNights”のナンバーなんか
ハツラツとして魅力的だった。ここでの男の子チームと女の子
チームのカット・バック描写は非常に良かったです。


彼女の代表作の一つに「ジョリーン」という曲があります。
「ジョジョの奇妙な冒険Part6〜ストーン・オーシャン」
の主人公=空承徐倫(くうじょう・ジョリーン)の名前にもなり
現在もジャンプ300万読者に親しまれています。

中学1年の遠足の時、バスの中で前からマイクを順番にまわして
ひとりずつ歌う、という場面がありました。みんな歌謡曲やフォーク
ソングみたいのを唄っていたのですが、ただ一人 セガミ君が洋楽に
挑戦(英語です!)、唄ったのが「ジョリーン」でした。ただこの曲
手拍子が入れずらく、彼の高音部も苦しく(特に裏声部)、
けっこう緊張を強いられた時間として印象に残っています。
でもオケ無しで唄いきった彼はエライ! ちなみに私がその時に
うたったのは多分ピンク・レディーの「S・O・S」だと思います。


映画「セカンド・チャンス」は観ているんだけど、実は
「ザナドゥ」を観てないんです。サントラCDは持ってるんだけど。
かなり評判が悪い作品だけれど、一度は観てみたいと思います。
ちなみにアルバム一曲目のELO“I’m Alive”は
たしか一度「ザ・MANZAI」のオープニング・タイトルで
使われていました。だから何、と言われると困るけど。

神奈川県民(候補)
2003年4月20日(日)
何度も書いてしまうということは、もしかしたら
私も関心があるのかもしれない、某アザラシの話。
何やら、埼玉県の川に現われたとのこと。

わが横浜市の西区がこの野生動物に住民票を発行して、
住民票を取得できない人から抗議があった事件が記憶に
新しいですが・・・行政の冗談って難しいですね。

どこかがアトムを県民にしたいと手塚プロに要請した
なんて話も何かで見ましたが、こういうのがハヤリ
なんでしょうか。


「だったら神奈川県でも何かキャラクターを県民に
 しようよ」と同居人に持ちかけたのが以下の会話。

M=オレ、F=ヤツ

M「やっぱり神奈川県大会を盛り上げた明訓ナインだろうね」
F「岩鬼って関西弁しゃべってるよ」
M「ああ、あれは育ててくれた人が関西の人なんだよ」
F「越境入学の人もいるんじゃない?」
M「うーん、そもそも明訓ってどこにあるんだろう」
F「左門豊作はどうなの」
M「大洋ホエールズ、川崎だったね。でも九州キャラだし」
F「野球以外は?」
M「『おれは男だ!』のモリケンは鎌倉に住んでたね」
F「そこから離れなよ。・・・あの人を県の顔にしたくない」
M「アニメの『コメットさん』も鎌倉が舞台だったナ」
F「・・・マニア」
M「ヤマトの古代クンの実家って横須賀じゃなかったっけ」
F「・・・知らない」
M「まんがで何かない?」
F「ええと、北島マヤが大晦日に出前しまくって、チケット
を追って山下公園で海に飛び込んでなかった?」
M「そうだ、マヤちゃんを横浜市民にしよう」
F「じゃあ決まり」
M「いや!今思い出したが、島村ジョーが久里浜鑑別所に
いたから・・・ジョーを県民にしよう」
F「・・・住んでたわけじゃないし、喜ばないと思う」

「かみなりの石」で進化
2003年4月21日(月)
今日帰りに本屋で「出版ダイジェスト」なる4ページの
タブロイド紙を手に取りました。村上春樹と柴田元幸の
対談が載っていたので。当然、村上新訳の「ライ麦畑で
つかまえて」の話である。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(1600円・税別)

のっけから申し訳ないが、このタイトルどうですか。
ピカチュウの進化形、ライチュウの「ラ〜イ」という
野太い声を連想しませんか。

ロングセラー本ですが、ちょうど本屋でバイトしていた
ときに新書版・白水Uブックスのが刊行されました。
あの本は良く出たねえ。

特に好きな本ではないのですが、なぜか今まで三回読んで
います。なんでかな?小説をあまり読まない私にしては
珍しい。

楽しい話でもないのにね。なんでか知らないが、よく
わからないままに読んでるっつーか。共感もぜんぜん
できないしなあ。

あの、畑の見張り役になりたいってところがいいのかな。

話ちがうが、畑といえば 樹村みのりさんのまんがで
「菜の花畑」シリーズというのがあって、この作品は
見方を変えると“まあちゃん”という小さい妹を
口の悪いお姉さんたちが守ってる、と言うことも
できないだろうか。こじつけか。
最終エピソードでその子は大きな壁にぶつかって
「生きていたくない」とまで言う。遊び場の畑から
転落するところか。それをお姉さんが懸命に守る。
さらに口の悪い女集団の中に連れて行って、その子は
「雪」と「花」の混ざった夢を見る。どちらも
はかないもので、いつかは融けたり枯れたりするもの
ではあるが・・・。でもいまこの時の寝顔は安らかである。
このエピソードでは毎年子供の元に訪問するある架空の
人物が登場するが、その人物は「くりかえし訪れるもの、
決して失われないもの」を良く知っている。
こんなまんがを描ける作者こそが、畑の見張り役である
ようだ。ちょっとわけわからない話でスマン。

そういえばこの小説の主人公の名前はホールデン君だが
我々としてはウィリアム・ホールデンという俳優さんに
馴染んでいるだけに、ホールデンって苗字じゃないの?
という違和感がぬぐえない。これは日本で言えば
宮崎緑と緑魔子、小島聖と聖千秋、といった事例を
思い起こして解消するしかないだろう。
ウィリアム・ホールデン好きなんだよ〜。「サンセット大通り」
「麗しのサブリナ」「戦場にかける橋」「ピクニック」。
なんといっても最高なのは「第十七捕虜収容所」ですね。

せっかく珍しく小説について書こうと思ったのに、結局は
アニメ・まんが・映画のことしか書けなかったヨ。

よし、次回から脱線なしで小説について書くぞ!

ああ言い忘れた。村上×柴田対談はわりとよかったので
本屋にあったら取って読んでね。
それより肝心なことは・・・新訳も、そのうち読みます。

野茂100勝
2003年4月22日(火)
(野球の話じゃん、と思った方へ。小説の話になりますので
ご安心下さい。)

20日(日本時間21日)に野茂英雄投手が大リーグ通算100勝
を達成。すごいことです。大拍手だね。

野茂は佐野元春のファンらしいく、お尻も大きく一重瞼である−と
いう共通点もあるので私は結構好きなのです。

あれは1995年、野茂が大リーグ行った年のこと。

私は小売業で、「日本の夏の贈答習慣」に基づいたある仕事で特設
部門の責任者を任命され、いつもと違う場所で仕事してました。
思わぬトラブルが連発して、40日間連続出勤、しかもオール深夜
まで残業、というハードな状況をむかえました。

肉体的にヘロヘロだったこの時に、私の精神的な支えになっていた
のが、野茂の活躍だったのです。

開幕からなかなか勝てなかった彼は、私がプロジェクト配属された
6月2日にメジャー初勝利。そこから七月にかけて6連勝したんです
よね。ちょうど私が一番フラフラだった時に。
ラジオや新聞でニュースを見て「ああ野茂がまた勝った。俺もここで
倒れるわけにはいかない・・・」と、なんとか頑張りました。
職場に若いメンバーでたまたまファンが二人いたので、ラジカセで
ガンガン佐野元春を聴きながら必死に伝票をさばきまくりましたよ。

そして七月の終わり、日本の夏の贈答慣習の季節も終わり、
プロジェクトが解散すると同時、7/25には野茂の連勝も止まり
私の熱い夏は終わりを告げました。

さて、野球の連続記録に己の思いを託すタフな男、というと・・・

映画「さらば愛しき女よ」(75年)で、ロバート・ミッチャムが
演じた私立探偵=フィリップ・マーロウ。
彼はラジオでヤンキースのジョー・ディマジオの連続安打を気にして
います。1941年の5月15日からの56試合連続安打という記録。
全米で注目されたニュースで、7月17日で記録は止まったそうです。
季節的にも一致(笑)。

レイモンド・チャンドラーの原作では、このエピソードは冒頭に
ちょこっと登場します。私チャンドラー好きなんです、いちおう。
ディマジオといえば、ヘミングウェイの『老人と海』の主人公の
老漁師=サンチャゴも彼の大ファンでしたね。高校の時に読みました。

(いちおう小説の話になったでしょ。)

「映画探偵の事件メモ」
2003年4月23日(水)
古い話の前に、新しい話を一つ。

映画雑誌『PREMIEREプレミア日本版』

の先月号から、七世理央(ななせ・りお)という方の

「映画探偵の事件メモ」

という小説の連載が始まりました。

初回(2003年5月号)は

「第1話 盗まれたクイーン」(4頁)

最近発売された6月号では

「第2話 フィルムの中の眼 その1」(2頁)

が掲載されています。

主人公は日夏美果・26歳。ビデオメーカーのソフト
制作課に勤めるOLなのですが、持ち前の好奇心と
推理力で事件を解決するという・・・素人探偵の
活躍を描いたミステリーです。

タイトルから「古本探偵の事件簿」(紀田順一郎・著)
を連想する人もいるかもしれませんが、各事件が
“映画”に関わるお話になっているのです。

読み切りの第一話はグレース・ケリーの直筆サイン入り
ポートレート盗難事件、

第二話からは連続ものになるようですが、京都を舞台に
戦前からの時代劇スターの死に殺人の疑いが・・・と
いう事件に美果探偵が挑むようです。

この小説、小道具の扱いや情景の描写が洒落ているし
表現が簡潔。テンポよく読めて、しかも作者の「こだわり」
はシッカリあるという、ナカナカ優れたミステリです。

そもそも映画雑誌に小説が掲載される、というのは私が
知る限りでは初めてのことです。
雑誌としてもチャレンジだと思いますが、この小説は
「洋画雑誌」にスッと馴染む“洗練度”があります。
短いページでの連載ですが、楽しみに読みたいと思います。

もしも本屋か図書館で見かけたら読んでみて下さい。

映画は原作を超える
2003年4月24日(木)
□小説へむかう流れ・その4(1977〜79年)□

そういうことで昔の話。児童文学のことは前に
書いたので、中学校以降のことから。


中学生の時に読んだのは映画の原作本ばかりだ。

横溝正史「八つ墓村」「悪魔の手毬唄」「獄門島」
森村誠一「人間の証明」「野生の証明」
西村寿行「犬笛」
新田次郎「八甲田山死の彷徨」

といったものが思い起こされる。出版社の宣伝に
踊らされた哀れな少年の姿が浮き彫りになったわけ
である。上に挙げた本、どれも面白くなかったなあ。
特に「野生の証明」が超最悪。森村氏は調査して書く、
というのが売りだったが、イキナリ証拠品のコンクリート
片について、学術書から引き写したような石の話が
延々50ページぐらい(←印象で書いてます)続く。
廊下の照明がどうした、って話がまた延々50ページ。
たしか文庫本で500ページぐらいあったが、苦痛の
極みでした。映画のコピーに「映画は原作を超えられるか」
というのがあったが、この原作なら椎名桜子が撮っても
超えられるよ。と思う。さすがにこの原作を読んでは
映画を観る気にならない。今でも。

前にも書きました通り、中学校時代は体育会系でしたし、
試験勉強なんかもマニアックにやっていたしラジオを聴く
のも忙しく、マンガ以外の本はあまり読んでいないんです
よね。

ちょっと学年はズレますが、「750ライダー」というまんが
で喫茶店のマスターが、早川光に身内(?)に本を届けてくれ
と頼むシーンがあった。彼が思春期に読んだ本ということで
たしか「伊豆の踊り子」とか「潮騒」とかそんなようなもの
だったと思う。何が言いたいかというと、私が将来甥っ子から
「おじさんはどんな本を読んだの?」と聞かれた時に
「『人間の証明』とか・・・」と言わなければならないのが
身を引き裂かれるほどツラい、ということだ。


中学では部活動の他に、週一回の「クラブ」というのが
ありました。
一年の時はハンドボール、二年は忘れた、そして三年の時は
「本を読むクラブ」でした。一言だけ言わせて下さい、
ハンドボールは大嫌いです。なんで入ってしまったのか。
疲れるだけだし、あのシュートする時の形相(みんな同じ顔になる)
が最悪です。今日の文は愚痴が多いな〜。

で、「本を読むクラブ」ですが、その名の通り、本を読むクラブ
でした。何故「読書クラブ」と呼称しなかったのかは、不明です。
このクラブは感想文を書かせるわけでもなく、ただ黙って1時間
本を読んだら終わり、という素敵なクラブでした。

このクラブの時間、私は「ハヤカワ文庫NV」を読むことに
専念しました。NVは「ノベライズ」の略で、映画の
ノベライズや原作を集めたシリーズでした。読んだのは

アリステア・マクリーンの「ナバロンの要塞」「ナバロンの嵐」
アイザック・アシモフによるノベライズ「ミクロの決死圏」
バック・ヘンリーのシナリオ風「卒業」
原作本の「ペーパームーン」
その他NVで「小さな恋のメロディ」「スティング」

などが覚えているタイトルです。それ以外に角川文庫の

「ジョニーは戦場に行った」

も読んだか。皆それぞれに良かったです。「ペーパームーン」は
小説の前半が映画になった部分で、後半はアディーが金持ちの
家に引き取られるが・・・という話。印象に残っているのが、
彼女とロングボーイ(=映画ではモーゼ)が、一緒に
“リスのシチュー”を食べるシーン。・・・リスって食べるの?
と驚き、アメリカ中西部恐るべし、と身が震えました。


本当に本当に、映画以外の本を読んでいないのか、よーく
脳内を点検してみたんだけど、本当に無い、というのが
驚きである。

ようやっと一つ思い出したのが、井上ひさしの「偽原始人」。
これは私が小学生の時に朝日新聞に連載されていたもので、
その連載中に楽しく読んでいました。単行本になったものを、
再読したというわけです。


読まなかった本、というのがありました。明日書きます。

Sの悲劇
2003年4月25日(金)
□小説シリーズ・その5(1979年)□

中3の時にクラスの帰国子女(フロリダ帰り)の
女の子が好きになったという話は前にも書きました。
いつもイニシャルというのも芸が無いので、アニメ
「ピュンピュン丸」に摸して“さゆりちゃん”と
しておきます(これに芸があるとも思えない)。

1学期に一緒に学級委員をやって・・・ここで
脱線しますが、私は中学3年間である記録を
持っていまして、それは各学年で

必ず一学期に学級委員長になった

というものです。立候補じゃないですよ。
だいたい、クラス替えの直後で、まだ誰が誰とも
判らない状態でクラス委員に推される人間というのは

1.容姿端麗、眉目秀麗、長身痩躯、学業優秀の人
2.休み時間にバカなことをしている道化師

のいずれかと申せましょう。私がどちらかはご想像に
お任せします。

余談はさておき、まあそのさゆりちゃんと一緒に
委員をやったわけです。その時は仕事のことと
(遠足の準備とかそんなの)で話したりする機会も
あったのですが、二学期以降は話すきっかけもなく
寂しい状況だったわけです。
そんなある日、さゆりちゃんの机の上をフト見ると
一冊の文庫本が置いてありました。カバーもかけずに。
この人は、脳もアメリカンで、あまりこだわりがない
んだよね。で、その本がなんだったかというと

「Zの悲劇」(エラリー・クィーン/ハヤカワ文庫)

でした。


この本を読んで、話のきっかけを作る。

そのような想念が私の頭に浮かんだとしても、
誰も私をとがめることは出来ないでしょう。

・・・
本屋の文庫コーナーに立った私は書棚を見つめる。
そこに並ぶタイトルは

「Xの悲劇」
「Yの悲劇」
「Zの悲劇」

・・・シ、シリーズなのか。
ここで素直に「Zの悲劇」を取ってカウンターに
持っていけないのが私の性格だ。

シリーズものは、1から読まなきゃいけない。

すると、Zに到達する前にXとYも読まなきゃだ。

受験勉強があるんだから、そんな時間ねーよ。

こうなると、それを肯定することを考えようとする
のが、俺の性格悲劇(Sの悲劇)である。
合理化って奴。

「そもそも、こういう姑息な理由で本を読んでも
いいものだろうか?これで仮に読んでさゆりちゃんと
話をしたとしても、それが真実の姿なのだろうか?」

結論から言うと「Zの悲劇」は読まなかった。

何度も書くが歴史に「れば・たら」は無いわけだが、
もしもあの時に机の上にあったのが「Xの悲劇」
だったとすれば、くだらない理由を付けることなく
読んでいただろう。


とまあ、読んでない本のことをくどくど書いて
見ました。
今日に至るまでその本を読んでいないわけだが、
そろそろ老境に入った私、こだわりを捨てて読んで
みようかな。命短し、読まずに死ねるか − という
言葉もあることだし(←ねーよ)。


P.S.
さゆりちゃんシリーズ、他にもネタあります。
読みたいという方はリクエスト下さい。ひとつ
でもリクあれば、7回ぐらい連続でやります(笑)。

(中略)部分は気にしないで欲しい。
2003年4月26日(土)
□小説シリーズ・その6(1980年)□

中学を卒業して高校に入学した時の印象は、

全く新しい世界

でした。
英訳すれば「ア・ホール・ニュー・ワールド」か。

千明初美さんのまんが「蕗子の春」冒頭、高校生に
なったばかりの蕗子のモノローグを借りて言えば・・・

「そうよ高校生に
なったんだから
もうお調子者のふうこは
卒業するの」

「本をたくさん
読んで
おもいっきり
クラブやって
それから・・・」

(中略)

「とにかく受験から
解放されてやりたい
ことがいっぱい」

「希望がいっぱいの
新学期なのです」

・・・といったところだが、引用長すぎ。
【千明初美「蕗子の春」、
集英社、『蕗子の春』、1977年4月10日発行、
P.8】


1年の時のクラス担任が現代国語の教師で、
やたらと余談の好きな人でしたが この雑談が
たいへん面白く、好きな先生でした。

で、このS先生が頻繁に小説を読めと
アジるわけです。
「○○はいいよ〜」(○○は作家名)
「××は是非読み給え」(××は題名)

こちらも、新しい知識、新しい世界に関心の
ある小僧たちですから、そういったものを
読もうとしたわけです。

クラス仲間と学校帰りにU隣堂・本店に行って
「ああ、××があるよ」「○○とはこれか」
と手に取る。
ケーキ屋さんで女の人が
「あら、あなたモンブラン?」
「あっ、レアチーズもいいわね」
と言うのと同じようなノリで
「あら、あなたヘミングウェイ?」
「あっ、カフカもいいわね」
といった具合に購入したことがありました。
書きながら顔が赤くなるけど、15の春のこと
だから許してほしい。私も、41歳の春(←
元祖天才バカボンのED歌詞より)が近いので
♪冷たい眼で見ないで

後半、小説の話じゃなくなってる
2003年4月27日(日)
□小説シリーズ・その7(1980年)□

それにしても、「新潮文庫の100冊」というのは
今も変わらず若者の小説・入門編であるのだろう。
新潮社の営業力もたいしたものである。

私も、入門者として新潮文庫の100冊の本ばかり
読んでいたようです。

ヘミングウェイ「老人と海」「誰がために鐘は鳴る」
スタインベック「怒りの葡萄」「二十日鼠と人間」
シェイクスピア「ハムレット」「マクベス」
カフカ「変身」

なんていうのを高校一年の春〜初夏にかけて
ガーーーッと読みました。

誰もが持ったであろう感想で
代わり映えがしないと思うが、

今まで読んでいた子供向けSF小説や
ベストセラーのミステリー小説とは“何か”が違う

と感じました。その“何か”が何なのかは明確に
わからなかったです。ただ、読むのがしんどくても
「野生の証明」(←恨み骨髄)とは違って、
途中で放り出せない魅力がありました。

最初は上に挙げたような翻訳ものから入って、
だんだん日本ものに向かいまして

川端康成「伊豆の踊子」「雪国」
芥川龍之介の諸作
志賀直哉の諸作
夏目漱石「三四郎」「それから」「門」

といった作品を読んでいきました。普通の人なら
中学生ぐらいから読んでいるのでしょうが、私は
たいへんデビューが遅くて、書いていて
情けないです。


さて、古典ものはそれとして、高校のクラスの
人達は、他にどのような小説を読んでいたので
しょうか。現代もの、といいますか。

これが、実は良く判らないんだよね。
極わずかな見聞では、筒井康隆とか片岡義男
なんかを読んでる人がいたみたいだけど・・・。

同居人(一学年上)に、高校の時ってみんな
どんな小説読んでたの?と聞いてみたところ
「森瑤子とか、やっぱり片岡義男なんかカナ。
それから、皆んな読んでたのが
三浦綾子の『塩狩峠』と
塩森恵子の『希林館通り』だね」
とのこと。最後のタイトルは小説ではナイ・・・。

私も賞をとった三田誠広の「僕って何」を
読んだけど、「コレって何?」って感じで
ぽかーんとしてしまいました。
これに限らず、私は比較的若い人が書いた現代小説は
なんだかダメで、そのあとも
栗本薫「ぼくらの時代」
川西蘭「春一番が吹くまで」
宮本輝「青が散る」
といった話題の作品にいまいちピンと来なかった
です。きっと、文学的な感性が無いんだと思います。


昨日の冒頭のS先生、この人のおすすめの本は、
高校時代に読めなかったものも、後に読んでいます。
大江健三郎「芽むしり子撃ち」なんてのは大学でやっと
読みましたが、ちょっと理解できなかったなア。
まだ井伏鱒二とか、未読のもの いくつか頭の中に
メモが残っているのでボチボチ読んでいきたいと思います。



しかしあの頃のS先生の年齢を(大きく)超えて
しまっている私。

私も、若い人にアジらなければならない。


「樹村みのりはいいよ〜」(敬称略)

「『海辺のカイン』は是非読み給え」
(『海辺のカフカ』じゃないよ!)


残念なのが(仮に)これを聞いた若者がU隣堂・本館に
行っても、その本が店頭にないことだ!!!!!

出版社さん、お願いします。出してください(切望

オレンジ色の本
2003年4月28日(月)
□小説シリーズ・その8(1980年)□

先日、第7回の手塚治虫文化賞のマンガ大賞に
高野文子さんの「黄色い本」が決定、との記事を
見ました。
http://www.asahi.com/tezuka/

朝日新聞の朝刊1面で「高野文子」という
文字を見る不思議。


高校3年生の女の子が学校の図書館で借りた
「チボー家の人々」(全5巻)を読んでいる、
読み終わった、ということを描いた作品。
けっして分かり易いマンガではなく、私も
作品の意図を全然理解していないわけだけど、
長い小説を熱中して読んでいる日々の感覚が
表現されているということに関しては
非常に こころをうつものがありました。

登場人物と会話しているような気持ちや、
場面に立ち会っているような感覚。
そしてなにより、その空想世界と
日々の生活の落差。


このマンガを読んで思い起こした一つの経験
がありまして、それは高校一年の夏に

「レ・ミゼラブル」

を読んだ時のことです。
子供向きの「コゼットちゃんものがたり」とか
泉昌之調で言えば「アーム・ジョー」の
「あゝ無常」は読んだことあったんですが。

「長いものを読んだほうがいいよ〜」という
S先生のススメもあり、夏休みのチャレンジは
この新潮文庫・全5巻にしてみたわけです。

夏休み前から読み始めて、夏休みチョイ終わり頃
まで、たぶん50日ぐらいかけて読み終えました。
1冊10日。読むのが遅い上に辞書を引きながら
読んだので。
また、状況説明の部分が長くて(戦争とか、政治の
様子)、そこを読み返し読み返し進めたこともあって。
こういう贅沢な読み方は以後していないなあ。
この説明部分が長いんだけど、読んで読んで読み進めて
いくと、必ず最後のほうで登場人物にカチッと絡んで
くるのに驚きました。特に、戦場の描写がエンエンと
続いて、最後に出てくる兵隊が「テナルディエ」と
名乗る(こいつ、コゼットちゃんを苛める悪いオヤジ)
シーンなんか、ゾクゾクしましたねえ〜。

1980年の夏は、私は頭半分19世紀のフランスに
いました。客観的に言うと「ぼうっとしてるだけ」で
いつもと変わらないんだけど。

コゼットちゃんのお母さんの死に様に泣き、
テナルディエ夫妻の苛めに怒り、
コゼットちゃんがに救出されるシーンでは心底ホッとする。
しかしなっつてもジャン・バルジャン。
ボブ・サップ並みの怪力に驚くが、
船から飛び降りて脱出するシーンとか
地下水道を手負いの状態で脱出する場面、
刑事(←名前ど忘れ)のしつこさも忘れがたい。
コゼットちゃんも大人になって、青年と恋をする。
ジャン・バルジャンの心中穏やかならぬ様も
そうでしょうそうでしょう。

場面として、一番印象に残っているのが
革命の市街戦の中で、子供がバリケードの前で
銃撃されるところ。いや〜ここの描写は映画で
いえばサイレントのスローモーションといった
映像効果でまざまざと脳裏に浮かびましたね。


最後の一行を読み終えて、「ハア〜〜〜」と
ため息をついた時、これはまったくまったく
何とも言えない瞬間でありました。

その後あんまり長い小説を読まない私としては
唯一のディープ読書サマー体験となりました。

ほとんど小説を読まないくせに、小説のことを
書こうとしているのは、この夏休み経験があるから
かもしれませぬ。


購入したU隣堂書店は文庫本のカバー色が選べて、
この本にはオレンジ色のがかかってました。
今では実家の押し入れの奥の段ボール箱の中で
「日本沈没」や「リトル・ロマンス」にはさまれて
眠っています。


名前思い出しました。ジャベール。警部だったかな。

ありきたりな、あまりにも ありきたりな
2003年4月29日(火)
□小説シリーズ・その9(1980年)□

まあ、本当に数えるほどしかない読書体験を
さも大変なことのように書いていることは
顔から火が出るほど恥ずかしいことではあるの
ですが、恥をしのんで も少し続けることと
します。

さて、私が小説をあまり読まないことの理由の
一つは、自らの能力不足によることなのですが、
書いてある文章から映像イメージを読み取れ
なくて、ジリジリしているうちに嫌になって
しまう、というものです。

小説好きな人に「情景描写とかエンエン続いて
いるとイヤになっちゃうんですけど」と言うと
「君には小説を楽しむ素養が無い」と言われます。
まあ、その通りでありましょう。


例外的に、「オオ〜」と言うほどのビジュアル
イメージを脳裏に爆発させてくれる作家が
いまして、それが

芥川龍之介

です。高1の時に新潮文庫版で読みましたが、
いやいや凄いですね。初めて読んだ時、何これ、
って思いましたよ。何、っていうのは漢字が
多くて古くさい話かと思いきや、内容が新しい
ことに驚いたんだよね。今にして思えば単なる

Boy meets the 古典.

ということなのだが。古くて新しいもの、それ
こそ古典ナリ、という・・・。

しかしこの人の短編、本当にすごいものばかり
で驚きました。と、同時に映画少年なりはじめ
だった者にとって、作品中の映像がまざまざと
浮かぶのが強烈な印象で。たとえば「蜜柑」と
いう作品で、列車の窓からパッと みかんを放る
場面があるんだけど、その鮮やかな色を見た
ように思う不思議・・・。

いくつかの作品の“炎”、「奉教人の死」
「地獄変」なんかが強烈な印象。

夢か現実か、というのが作品タイトルにも
なっている「花火」「雛」といった好短編。

動的なイメージだと「トロッコ」ですね。
トロッコで滑走する時の流れる風景や
帰路の薄闇の空気、やっと目に入って来た
自分の町の景色なんかは、ありありと眼に
浮かぶようです。

ありきたりな感想ですみません、としか
言いようがないんですが。でもまあ、比較的
若いうちに素晴らしい作家の作品と出合えて
幸せでした、といえましょう。

甥っ子が大きくなったら
「杜子春」「蜘蛛の糸」といった童話を
薦めてみようかな。

なお、たいへんお恥ずかしい話しではありますが
大学の時に芥川龍之介の「芋粥」をシナリオ化
してみたことがあります。現代を舞台にセリフ
を“片岡義男”調にしたものでタイトルがたしか
「ポテト・スープは一杯だけ」っていう・・・。
若気の至りとはいえ、恐ろしいことです。ちなみ
に、ミュージカル仕様でした。


志賀直哉も同時期に読んで(といっても短編
のみですが)こちらは芥川ほどグイグイは
来ませんでしたが良かったです。本当に文章が
簡潔で、短いセンテンスでサッと情景を描写
してしまうのが、読んでいてすごいなあと
思います。

時代ものの短編「赤西蠣太」というのが好きで、
何度も読み返しています。少女マンガみたいな
話です(笑)。市川崑監督によりテレビドラマ
化されたことがありまして、これはスゴク
良かったです(前に書いた感想)。


ありきたりなことしか書けないな〜。

「八月の風船」
2003年4月30日(水)
□小説シリーズ・その10(1980〜82年)□

「国語」の教科書には、小説が載っています。
それをキッカケとして、その小説家の他の作品を
読む、というパターンが多かったです。
そういう人は きっと多いと思うけれど、あまり
それを口に出す人はいないようです。
やはりそれは、教科書に載るということは
国家のお墨付きを得たものであり、それをありがたがる
ということは「体制に従順」というような・・・
そんなマイナスイメージがあるからでしょうか?
まあ教科書には「毒のある」ものは載らないし。
「万人が認める」「さしさわりが無い」っつーもの
は若い人にはツマラないからねえ。


「坊っちゃん」の抜粋版(教師になる前まで)があれば
全編読みたくなるし(←これは中学の時か)、夏目漱石の
他の代表作でも読もうかということで「三四郎」なんかを
読みましたか。その後松田優作主演で映画化されるとは
思わなかった「それから」、その後 住んでいるところの
裏の崖が崩落の危機を迎え行政に陳情することになるとは
思わなかった「門」など。


開高健の「裸の王様」も抜粋版が載っていましたな。
「パニック」「巨人と玩具」それと「日本三文オペラ」
を読みましたがこの人のパワーには圧倒されました。

中島敦も教科書載ってたかな。たしか「山月記」か。
角川文庫版の小説集を読んだけれど、どの短編も素晴らし
かった。「名人伝」とか。中身を覚えてないんだけど
「悟浄出世」っていう作品が良かった。読み直したい。
ちなみに高校入学初日、隣の席に座った男の名前が
「ナカジマアツシ」でした。


高校の現代国語の教科書は角川書店のものだったのですが
野坂昭如の「赤とんぼとあぶら虫」という短編が載って
いました。特攻隊の少年が一匹の油虫を飼う話。読んだ後
新宿の紀伊国屋書店の書棚で野坂昭如の『戦争童話集』を
パラパラ見たらこれが入っていて、ああコレだったのか、
ということでこの本を買い求めました。
読んで・・・いや〜〜〜この作品集には感銘を受けました。
特に私は

「八月の風船」

という一編に奇妙なまでに感じ入ってしまいました。

(未読の方は、以下内容に触れますのでご注意下さい)

日本が第二次大戦中に開発した“風船爆弾”という
兵器があります。爆弾をくくりつけたデカイ風船で、
偏西風(だったか)に乗ってアメリカまで流れ着いた
ところで爆発する仕掛けになっている兵器で、たしか
2発ぐらいたどりついて、山火事を起こしたり怪我人
を出したりしてるはずです。なので、9.11の時、
アメリカが初めて本土攻撃を受けた、という表現が
散見されましたが初めてでは無かった訳です。

さて、「八月の風船」はその風船爆弾を作る工場で
働く少年たちを描いた作品。手元に本が無いんで記憶
ちがいかもしれないけど、たしかコンニャクとか糊
とかそんなので毎日毎日必死に作るんだけど、巨大な
モノなのでなかなか完成しない。そうしているうちに
空襲で友達が死んだりして、米国に復讐だ〜と必死に
作業しているうちに、終戦になってしまう。
もうこんなものは作らなくていい、ということに
なるんだけど、呆然としていた少年たち、突如フーフー
息を吹き込んで、風船を膨らまそうとする。みんな
空腹なので倒れたりするんだけど入れ替わり立ち代りに
息を吹き込む。二酸化炭素をいれても、本当は浮かぶ
はずもないんだけど、膨らんだ風船はゆっくり空を
漂って行く。
たしか、夕暮れの鈍い色の空を巨大な風船がゆっくりと
遠ざかっていくのを、少年たちがボンヤリ見つめている
のがラストシーン。

風船の巨大さが少年たちの虚しさのメタファーになって
いるとか、あてどなく漂っていく風船がやはり行き場の
無い思いを象徴しているとか、と言葉で言うと野暮くさい
けれど、不思議と高校時代の精神状態とマッチしてしまい
長く心に残るイメージとなってしまいました。

体制に準じた努力や精神論は、結局は全て虚しく空を漂う
しかないのだっつーことか・・・。


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