2002年12月


日記の目次に戻る

「お正月映画」
2002年12月1日(日)

12月になりました。「お正月映画」という
響きには格別なものがあります。

やっぱり今年は

「とっとこハム太郎・劇場版
 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス」

でしょう。

ハム太郎の夢の中、お姫様の助けを求める声
「お願い・・・助けて・・・ここへ来て・・・」

これはまるで、イスカンダルのスターシャか、
テレザート星のテレサか。

かくしてハム太郎はシェーラ姫を助けに
砂漠の王国へ旅立つ・・・のだそうだ。

これを期待せずして何を期待するというのか?!

ショックです
2002年12月2日(月)

むかし雑誌『りぼん』で活躍されていたまんが家さんの

久木田律子さん

が、お亡くなりになっていたことを、私は今日知りました。

なんと・・・。
単行本は全部持ってます。『りぼん』誌でも読んでました。
ファンというわけではありませんが、しかし・・・。

今日、コンビニで
「ぜったい泣けるラブストーリー」
(宙出版・刊)
というA5判まんが誌をフト手にとると、表紙に

メモリアルシアター 久木田律子「ロクが帰る日」

とありました。

メモリアルっていったい...
すわ中を見たら作品の扉ページに

久木田先生は先年、惜しまれながら他界されました。
この作品は、発表当時の内容のままで掲載してます。

という編集部のコメントが付いているではないですか。


久木田律子先生のご冥福をお祈りいたします。
安らかにお眠り下さい。

久木田律子作品の思い出(前編)
2002年12月3日(火)

ちがっているかもしれないので
うかつなことは書けないのですが、
私の記憶が確かならば、
久木田律子さんは同業の(まんが家の)
Y氏とご結婚されていたはずです。
で、数年前にY氏が書いた本(文章)
で、奥さんが病気であるという個所が
あり、何か胸騒ぎはしていたのですが。

あるHPによると生年は1951年
とのことなので、まだ50ぐらいという
若さだったのに。本当に はやすぎます。

70年代の「りぼん」は幅広い年齢層に
人気が高く発行部数も多かったですから、
思い入れもひとしおの方がたくさん
たくさんいらっしゃると思います。
(私は末端の部外者、って感じ)

陸奥A子・田渕由美子・太刀掛秀子・篠崎まこと
の4人組プラス荒井裕子さんがメイン
(一条ゆかり先生は別格!)で
いわゆるカワイイ恋物語をつむいで、
佐伯かよの・坂東江利子さんが娯楽作品、
金子節子・千明初美・久木田律子といった人たちが
生活もの・・・というバラエティに富んだ誌面。
これが、私が読み始めたころの「りぼん」の
イメージであり、私にとっての少女まんが
黄金パターンです(人とは違うかも)。

作家の皆さんはその後もそれぞれに各誌でご活躍されて
おられますが、いつの日か全員集合!して
「りぼん 同窓会特別号」とかいって、「YOU」の
別冊でもいいから出ないかなー、と密かに期待して
いたのですが。

(番外編)
2002年12月3日(火)

この「日記うぇぶ」、表示できる日記は
100日分なのです。今日から、書き込み
していくと最初の方が消えていきます。
8月26日から始めたのですが、もうそんな
に経つんですねえ。
過去ログを取り寄せて、元HPに置いて
おきました。もしも最初の方が見たいという
方は、

「HOME」→「パンダの住む山」→「イロイロ」

と進むと、過去ログがありますのでよろしく。

久木田律子作品の思い出(後編)
2002年12月4日(水)

実のところを言うと、久木田作品の共通テーマ
である 貧困・病苦・肉親(や動物)との離別、
といったところがどうにも重く、離れた時期が
ありました。
時代は80年代前半、ニューウエーブ全盛の頃
であり、新感覚の作家さんの方に夢中になって
ましたので・・・。

久木田作品と再会したのは、4〜5年前か。
たまたま単行本『ありがとうの一言を・・・』を
再読。「イルカよ海へ」を読んでハッとしました。
イルカが好きな女の子がたまたま?イルカを飼う
ことになるが、悪人による開発や利権がからんで、
というストーリー。

昔読んでいた時には気付かなかったのですが、
この人の“好き・好きパワー”って凄い!

とにかく、まんがを描く事が好きなのでしょう、
そのパワーがビシビシ伝わってきます。うまいとか
下手とかを越えた創作エネルギーにあふれた
絵・絵・絵、に圧倒されます。

それから、とにかく登場人物が好きなのでしょう、
悲しいシーンは本当に悲しく、
喜ぶシーンは本当にうれしそう。


あふれる感情

それは、ニューウエーブ系の人たちが
作品全体の構成上、慎重に表現を避けて
いたものでありました。まあ、当時の
自分もそれを強く支持していたのだけれど。

今でも、喜怒哀楽を大爆発させる表現は
流行らないのかもしれないけど、
久木田作品の“好き”パワーに基づく
作品群は、読者の内部の何かを解放する
ものがあると思います。


次号の「ぜったい泣けるラブストーリー」
にもメモリアル掲載があるそうですが、
できれば文庫、一冊、でもいいから読める
状況にしてもらいたいものです。

書初め
2002年12月5日(木)

もういくつ寝るとお正月、ということで関連ネタ。

今でも子供たちは「書初め」の宿題があると思います。

・初日の出
・希望の新年
・光さす海

とか、そんな新年の希望に満ちた文言を書くやつですね。

私の最後の書初めは、中学3年の時。西暦1980年の新年。
で、私は1979年の年末に「何と書こうかなあ・・・」と
悩んでいました。

「ひらがなは苦手なので、漢字でビシっと いきたいな」。

考えてるうちに冬休み最終日。結局「字画が良いナ」ということで、
ある漢字5文字を麗麗と書いて、翌日提出しました。

みんなが書いた書初めは、教室の後ろに貼りだされたのですが、
私のは − みんなと離れたところに貼られました。
何て書いたかというと















なんです。お正月映画でしたね。字画が良いでしょ?
担任の先生が横に「ふざけてるで賞」と札を付けました。
札付きかよ。

ついでに言うと、もう一人同じ賞をもらったバカがいました。
そいつが書いたのは

















・・・確かに字画は良い(若い人へ:JRの前身です)。
鉄道マニアのMの作でした。
ただ、ひとこと言わせてもらえば、私のはお正月映画だし、
「時代は俺たちに何をさせようとしているのか!?」と
いう新年にふさわしいメッセージが込められていますが、
ヤツの作品には季節感がない。

まあ、私としては、
マニア界でも最も濃いといわれる“鉄っちゃん”と
張り合えたという、若き日の勲章の一つといえるでしょう。
全然うれしくないけど。

(補記:Mは後に国鉄に入社しました。これには脱帽!)

ボキャブラ天国
2002年12月6日(金)

「Queen’S Fellows:
yuming 30th anniversary cover album」
という、松任谷由実のデビュー30周年記念
カヴァー・アルバムが発売とのこと

・・・っていうのはいいんだけど、
春よ、来い/槙原敬之
っつーのは・・・
TVの「ボキャブラ天国」を見ていた人は、
ちょっと笑ってしまうかもしれません。
悪いんだけど。


「ボキャブラ天国」けっこう好きだったんですよ。
いくつかのボキャブラ曲は、今でもオリジナル以上の
インパクトで口を突いて出ます。

♪青梅街道
(松田聖子「白いパラソル」 ♪お願いよ)

♪レーニンです
(小林麻美「雨音はショパンの調べ」 ♪レイニーデイズ)

♪海女だ〜 あ〜
(CM「ネスカフェゴールドブレンド」 ♪ダバダ〜ア〜)
※前半がもっとあるんですが、忘れてしましました

♪アイワの製品〜
(ロッド・スチュアート「セイリング」♪アイアムセイリ〜ン)

♪じいさんのコサック
(パープル・シャドウズ「小さなスナック」 ♪ちいさなスナック)

♪オバケのQ 耳がないな
(小泉今日子「夜明けのMEW」 ♪夜明けのミュー 君が泣いた)

♪兄は夜更け過ぎに「ゆきえ」に変わるだろう
(山下達郎「クリスマスイブ」
♪雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう)
※映像、兄貴が女装してるんだよね


なかでも、私はこれが一番・・・


♪ランボー 出た 風呂 蒲田〜
(平尾・畑中「カナダからの手紙」 ♪ラブレターフロ〜ムカナダ〜)


・・・通勤電車で蒲田駅を通過する時、いつも頭に浮かんで
すごく困ってます!!
映画「ランボー」のスタローンの扮装をした男が、銃を持って
蒲田駅前の雑踏を走り抜けるあの映像が・・・。

ボケーとしてる時に思うこと
2002年12月7日(土)

特にきっかけはないんだけど、よく思い起こす
映画の名シーンがあります。

映画はジュールス・ダッシン監督の「裸の町」
(まだ観てない人は以下は読まないほうがいいです)

50数年前の白黒映画です。
高校の時にテレビで観ました。当時黒澤明の「野良犬」
にいたく感動した私は、本でこの映画の元ネタ、と書いて
あるのを読んで、是非観たかったものです。
ドキュメンタリー・タッチで犯罪事件を追う刑事を
描いた映画なんだけど、終盤、刑事が犯人を見つけて
追跡します。犯人は走って逃げて逃げて、何か塔?
だったか、逃げ切れるわけでもないのにハシゴを
どんどん よじのぼって行く。
このシーンの途中ででてくるのが、
上から見下ろした俯瞰で
犯人のうしろに、テニスコートが写るロングショット。
息も絶え絶えの犯罪者と、のんびりテニスに興じる人たち。

この画(え)には驚きました。まあ言葉にしてしまえば
「対比」「コントラスト」という一語になってしまうん
だけど・・・。モノクロのせいもあってか、ものすごく
印象に残る画でした。

こちらが年をとったせいもあるのか、最近映画でこういう
ガーンとくる絵を観ないですね。映画そのものがなんと
いうか・・・「お話し」が進行するばかりで、
「画」で何かを語るものがないような。

まあ、たまたま私が観てないだけなんでしょうけどね。

語彙の貧困に悩む
2002年12月8日(日)

映画について言ったり書いたりする時に

「面白かった」「つまらなかった」
「良かった」「良くなかった」

という4つしか感想の言葉が無い
のが自分のことながら情けないです。

料理について

「おいしかった」「まずかった」

しか感想の言葉がないのと同じで。

食べてすぐに「ダシが○○で」とか
「△△と××の組み合わせが」とか
人がアッサリ言うのを聞くとすごいと
思うねえ。

美味礼賛というのも知識と感覚の
世界だけれど、結局のところ
行き着くところは

センス

というものでしょうか。
センスというのは鍛錬ではどうしようも
ない部分だからなあ。

まあ、自分には批評センスがないと
自覚しつつ、分をわきまえて
歩んで行くしかありませんね。

はあーあ。
寒い週末だ。ストーブつけよう。

マリコさんと僕(←アホ)
2002年12月9日(月)

逢坂えみこさんの「永遠の野原」というのは
けっこう好きなまんがなのですが、この中で
主人公の二太郎くんが通学の電車の中で
お嬢様学校の一人の女生徒が好きになって・・・
という展開がありました。

これにまつわる話。
私が通学していたのは京浜東北線(根岸線)沿いの
高校です。私鉄線で横浜に出て、
横浜→桜木町→関内→石川町 を経て、
山手駅で下車。
やや受験ノイローゼ気味だったので、いつも
電車の中では参考書読んでました。

さて、三年間の高校生活を終え、大学四年を経て
社会人になったわたしは、こんな会話をかわして
人を驚かせてしまいました

その人「高校どこだったの?」
わたし「横浜の山手の×××です」
その人「山手って石川町の次だよね。じゃあ
フェリス女学院の近くじゃない。仲良くできた?」
わたし「え、フェリス女学院って石川町にあったんですか?」
その人「・・・(絶句)」

アウト・オブ・マイ・サイト
全然知りませんでした。
フェリス女学院自体は、高倉健の映画「冬の華」で
池上季美子が通ってるという設定だったので知って
いたのですが、そんな近くにあったのか。

お嬢様たちと同じ電車に乗っていたのね。
少女まんが的なシチュエーションを逃したなあ!
(知っていてもどうなっていたわけではないが!)


若者たちへ: 書を捨てよ 周りを見よう

しばらくお待ち下さい
2002年12月10日(火)

用事があってNTT東日本に電話。
担当部署にまわされるしばしの時間、
お待ちくださいミュージックが
ビージーズの
How Deep Is Your Love
(愛はきらめきの中に)
でした。

しみじみ。

やっぱり、大企業は主要な顧客層の心の琴線に
響く曲を選ぶのでしょうか。

初期は、ドクトルジバコの「ラーラのテーマ」とか、
「シバの女王」「ラブミーテンダー」といった
スタンダード曲、
のちに「グリーンスリーブス」「グリーンフィールズ」
みたいなカレッジフォークときて、
カーペンターズ「トップオブザワールド」などの
70年代ポップスへ。

いつか、J−POPも大企業のお待ち曲になるかな。
ELTの「Time Goes By」とか。

「何がタイム・ゴーズ・バイだ、待たせるな!」って
怒られそうだけど。

自分の守備位置
2002年12月11日(水)

自分はどこのポジションにいるのか。
内野か外野かハッキリしないような。

たとえばアニメーションが好きで、
普通の人の中では「なんか詳しい人」と
扱われるが、本当のアニメーション研究者
と相対すると素人同然、という状態。

まあ、ただの愛好者であるから、別に
素人というステータスで良いじゃん、とは
思うんですけどね。

内野を守りたいなら内野の守備練習を
すればいいわけで。内野は打球が強い。
心してかからないと。

とりあえず今は外野にいます。

宣言、って大げさな。
2002年12月12日(木)

「そんなの当たり前じゃん」というリアクションがあります。

“すでに定評のある事物”を称揚することへの反応です。
たとえば、アニメマニアの人に「宮崎駿っていいですよね」などと
言うと、相手はちょっと白けたような眼をして こう言うでしょう

「そんなの当たり前じゃん」。

まあ、相手が幼児であれば「そうだね」ぐらいで終わるんだろうけど、
マニア・研究者にとっては相手が大人であれば「つまらないことを
俺に言うな」という態度になってしまうのでしょう。
マニア・研究者にとっては、“新事実・新解釈”がなければ、
ベーシックな部分に反応することはないのでしょう。

私はいいや。マニア・研究者になるつもり、ないわ。

詳しい人にとっては“当たり前”なことでも、好きなものは
好きだと言い続ける「ファン」でありつづけることをここに
宣言しよう。

次から少し“当たり前”シリーズで行きます。

リチャード・ロジャース生誕100年
2002年12月13日(金)

年内に書いておかねばならなかったことを
すべりこみで。
今年(2002年)は、作曲家のリチャード・ロジャース氏の
生誕100周年でした。1902年6月28日生まれ。
1979年12月30日、77歳で亡くなられましたが
その時にNHK−FMの関光夫氏の映画音楽の番組
(当時はまだ「ポピュラー・アラカルト」だったかな)
で追悼特集を聴いたのを覚えています。

ズルですが略歴はこちらをご覧下さい(無断リンク失礼)
http://www.ne.jp/asahi/yu-yu/usastreet/memo-2.htm


まあ説明の必要も無い大巨匠ですよね。オールウェイズ
JRのコマーシャルで曲も流れているし(「私のお気に入り」)。

ミュージカルの作曲家はたくさんいるけれど、これだけ耳に残り、
かつ「すぐ口ずさめる」曲を大量に生み出したのはこの人に
まさる人はいないでしょう。
私は舞台ではなくて映画で観ただけですが、どの作品も
名曲のオンパレードですよね。「南太平洋」「回転木馬」
「オクラホマ!」「サウンド・オブ・ミュージック」・・・

なかでも大好きなのは「王様と私」。
繰り返しになるけどほんとうにイイ曲が多い。
主題歌の「シャル・ウイ・ダンス」だけで殿堂入りだが、
「口笛ふいて」「ハロー・ヤング・ラバーズ」も良い良い。
わけても素晴らしいのが
「仲良くしましょう」(Getting to know you)
です! いまさら私が言うまでも無い名曲。
「あなたを 知れば知るほど」愛情が深まる、という歌詞と
テンポ良く美しい旋律のかけあわせの素晴らしさは比類なし。
ついでに言うと映画のこのナンバーの振り付けは最高。
子供が手をつないでスカートのすそになって回転する
アイデアには完璧脱帽です。

CMでは「私のお気に入り」はメロディしか流れませんが、
聴いた子供たちは将来「あ、ミュージカルの曲だったのか」と
気が付くことでしょう。この「サウンド・オブ・ミュージック」
は一度舞台で観てみたいなあ。

デボラがダイスキ
2002年12月14日(土)

昨日「王様と私」のことを書きましたが
その関連で。

新卒で会社に入った時に新入社員研修の
同じ班にいたT君は口数少なく福島訛りが
抜けない男で、聞けば郷里では商売をやっており、
いつかはそれを継いで社長になるとのことでした。
さて、一次配属で私は事務職、T君はセールス
と決まり、明日から研修も別コースですな・・・
いうことで二人で飲みに行きました。

なんやらかんやら話していたのですが、
私が映画が好きなので映画の話を始めると
T君は「俺はあんまり映画は観ん」とのこと。
たしかに色々聞いても「E.T」「南極物語」の
ようなヒット映画も、「ローマの休日」「大脱走」
といったクラシック映画も観ていない様子。
ところがしばらく話していると、彼の眼がキラリと
光り、こう言いました。

「『黒水仙』観とる?」

タイトルは知っていたが観ていないのでそう
答えると

「デボラ・カー観とらんの?」

とたたみかけてくる。
「・・・『地上より永遠に』と『悲しみよこんにちは』
 ぐらいかな・・・」
と答えると彼は続ける

「『王様と私』も観とらんの?」

・・・どうもT君は、
女優のデボラ・カーのファンらしいのである。

誰?という声が聞こえてきそうですが、容姿と略歴は
こちらをご覧下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_actress_html/jap_actress_kerr.htm
http://homepage2.nifty.com/tomolovely/deborah.html
(無断リンクで失礼)
後に作品を観て、エレガントだし知的だしユーモアも
あってしかも演技力は確か、と私も絶賛モードに入ったけど
当時はそんなに・・・作品もやや地味だし、注目して
いませんでした。

そもそも、うちらの世代(1964年生まれ前後)で
デボラ・カーが好きだという人間は極めてまれです。
しかも、映画ファンでもないのにデボラ・カーの映画
だけは観ているという人間は、天文学的な確率でしか
存在しないでしょう。

その天文学的に稀な人間に からまれ始めました。

「『めぐり逢い』は?観とらん?
『お茶と同情』は?観とらん?
『クォ・ヴァディス』は?観とらん?
(その他、私が知らないタイトルが続く)
おま、何も観とらん〜」

T君からは、もうわかった、じゃあ他は観なくてもいいから
「王様と私」だけは観ろ、と繰り返し繰り返し言われました。

その日のあとは、部門も分かれて会う機会もなく、
2年ぐらいしてT君はやっぱり家業を継ぐため
郷里に帰った、と人づてに聞きました。

最近では、トム・ハンクス&メグ・ライアンの「めぐり逢えたら」
がヒットしたので「めぐり逢い」を観てデボラ・カーを知る人が
増えたかもしれません。

T君お薦めの「王様と私」は僕もたいへん気に入り、
その後何度か観返しています。
確かにこの映画のデボラ・カーは大変素晴らしい。
ユル・ブリナー扮する王様の特異なキャラを包容しつつ
威厳とユーモアで作品を成立させていて、スゴイと思います。
好きなのは、王様から、俺が一番偉いんだから俺より
頭を低くしろ、といわれて、ニラみながらだんだんかがんで
いってペタンと床に着いちゃうシーン。非常にチャーミング
です。

T君には教えてくれてアリガトと感謝したいところ。
まあそれにしても、世の中いろんな人がいるものです。

集英社の雑誌ですっ
2002年12月15日(日)

先日、「ボキャブラ天国」のことを書きました。
それに先行する「空耳アワー」も好きですが
こういった、既存の歌曲の一節を別の文脈に
挿入して差異を楽しむ、ということについて

ラジオ番組の「欽ちゃんのドンといってみよう」
における
『レコード大作戦』

を原点として心に抱えている人が多いでしょう。
『レコード大作戦』の個々ネタを覚えてないので
ラジオ番組「欽ドン」について。

ニッポン放送の夜9時からの
「大入りダイヤル まだ宵の口」
のワンコーナーで確か21:30ぐらい?からの
オンエアだったと記憶しています。
後の番組がラジオ小説の番組で
「日本沈没」とか「ゼロの世界」とか
やっていたような・・・いかんせん
小学校3・4年生
の頃のことなので、細かくは覚えていない。

覚えてる範囲で番組進行を書いてみる

「キミの心をつかむ
 集英社がおおくりする
 欽ドン!」

ズンズンズンズン チャンチャンチャンチャン
(音楽にあわせてナレーション)
(女声コーラス)
パンパパンパー パパパパパパパーパパー
パーパパーパパーパヤパパー パンパンパパパー
(ナレーション終了)

CM開始

「♪しゅ〜えいしゃ〜のざっしですっ」

【ノンノのCM】
ナレーションの後ろに女声コーラス
「♪のんの〜うう〜のんの〜
のんの〜うううう〜
のんの〜 ああ〜あ〜
あ〜 のんの〜お う〜う〜
のんの〜」
「ノンノ12月号発売中」

番組開始

「レコード大作戦!」
音楽
チャッチャラチャッチャ〜チャチャチャ〜チャ〜

ネタ読み上げ(略)

CM
「♪しゅ〜えいしゃ〜のざっしですっ」

*ジングルのみ書く

「♪り・ぼ・んーーー」

「♪しょうせつ ジュニア〜」

「♪ロードショ〜」

CM終了

受賞者決定のコメント
番組終了

ズンズンズンズン チャンチャンチャンチャン
(音楽にあわせてナレーション)
(女声コーラス)
パンパパンパー パパパパパパパーパパー
パーパパーパパーパヤパパー パンパンパパパー
(ナレーション終了)


全然知らない人には何のことやらサッパリで
あろうが、死滅していた脳細胞のいくつかが
活性化した人もいるかと思う。

しかし恐ろしいのは、番組内容はきれいに
忘れているが、CMの断片だけは 記憶・鮮明
であることだ。
スポンサー「集英社」の術中にまんまとハマった。
その後「ロードショー」「りぼん」の愛読者に
なったのは“サブリミナル効果”のせいかも
しれない。そういえばコーラやポップコーンが
欲しくなったような気もする。


このラジオ番組「欽ドン」、人気が高く
その後TV番組「欽ちゃんのドンとやってみよう」
も出来たようだが、そちらはあまり見ていない
ので書くことも無い。ただ、確かレギュラー番組
になる前に一度SP版が放映されたのですが、
その冒頭部分のみ覚えてる。
人名のクレジットタイトルが
「田中角栄 高見山 荒船清十郎 王貞治・・・」
と何十人も延々と流れ、最後に
「以上、出演いたしません」
と出るんです。これはおかしかった。

散文以外(前編)
2002年12月16日(月)

小・中学校で「国語」という授業がありました。
好きな科目だったのですが、散文以外の・・・
韻文っていうんですか、

詩・短歌

・・・これらが苦手で苦手で
しかたがありませんでした。
当時の正直な感想は
「何いってんだかわかんねーよ」
というもの。

やっと「ん、これは・・・」と思ったのは
高校の時、通信教育のテキストで
谷川俊太郎の詩を読んでからです。
小学生のとき愛読していたツル・コミックス
のスヌーピー(ピーナツ)シリーズの
翻訳者として名前を認識していた人で、
やっぱり入り口はマンガか。。。

そして「詩はいいなあ」というところに
いたったのは、漫画家の“樹村みのり”さんの
作品を読んでからです。具体名をあげれば
「贈り物」「見えない秋」といった24ページ
の短編作品。これは、マンガというか、詩です。
同じ作者のイラスト詩「季節の刻み」というのも
好きで、何度も何度も読み返しました。

まあ もちろん「詩とはなんぞや」というのは
かけらもわからんのですが、
昔の「何いってんだかわかんねーよ」という
ところから、
「わかんなくてもOK」
と感じられるようになったのは我ながら
たいへんうれしいことでした。

小学校低学年の時に、和田誠さんのイラストに
惹かれて買ってもらった、北杜夫氏のユーモア小説
「ぼくのおじさん」で引用されていた

私の耳は 貝の殻
海の響きを なつかしむ

これ、MY BESTです(コクトー/堀口大學)。

散文以外(後編)
2002年12月17日(火)

そういえば高校の時は片岡義男・訳の
「ビートルズ詩集」(角川文庫)なんか読んで
ましたね。どこかで「アクロス・ザ・ユニバース」は
芭蕉の俳句にインスパイアされたもの、ときいて
原文とにらめっこしたり。

俳句はともかく、新聞とかに載っている・・・
サラリーマン川柳とか、時事川柳なんかが好きです。
サラ川では、リストラ最盛期によまれた



精鋭が 去って 少数 のみ残り



というのが鋭く胸を刺しました。

数年前のですが気に入っているのがコレ。
たしか女子学生の作品



おじいちゃん ノラクロじゃない ユニクロよ



いいねえ〜。この、やんわりとした指摘が
なんともイイ味だしてます。
それから、お茶メーカーの伊藤園が
俳句コンクール?みたいのやっていて
ペットボトルとかに印刷してあるけど、
ある一句を読んで私はたいへん感動しました。
たしか小学生の部で受賞したものでしたが



寝る前に もう一度見る 雪だるま



思わず泣いてしまいました、これには。
明日には融けているかもしれない彼への、
知ってか知らずかの優しいまなざしが
胸かきむしるような感情をかきたてますね。

簡潔でいて、限りなく想像力をかきたてる
ことばたちに今後も出合いたいものです。

苦手
2002年12月18日(水)

かつて国語の授業でニガ手だったものは、
「散文以外」に「作文」がありました。

本当に、「作文」「読書感想文」の類は
超苦手でした。小学校の時の「読書感想文」
なんかはもう書けないんでしようがなく
ストーリーの要約を書いていって先生に
怒られたりしてました。

ブレイクスルーしたのは中学の時、
「書けない」ことは判った、と開き直り、
「どんな課題を与えられても、自分の
書ける分野に無理矢理持ち込む」ことに
挑みました。

よって、「私の家族」という題目が来ても
無理矢理「チャップリンの映画」のことを書き、

「将来どんな仕事をしたいか」も「チャップリン
の映画」のことを書いて切り抜けました
(評価はともかく)。

モンティ・パイソンの「困った時の宗教裁判!」
じゃないけれど、「困った時のチャップリン!」
頼みで、随分お世話になりました。

特別チャップリン映画のファンじゃないんだけどね。

高島ヒゲ武の・・・
2002年12月19日(木)

作文の苦手なワリには書いていたものもあって。

中学1年の時、班別に壁新聞を書くならわしが
ありました。「美化新聞」とか「風紀新聞」とか。

私は“統計班”でした。今にして思うと“統計班”
って何なんだろう。クラスで統計を取った覚えは
一度も無い。

「統計新聞」は、完全な“サブカルチャー新聞”で
ありました。ハッキリ言って一人で書いてたんだけど。
「これから公開される映画一覧」とか、「プロ野球
順位予想」とか「今週のヒットチャート」とか。

一番最初に書いたのは、ラジオ番組
「大入りダイヤルまだ宵の口」特集でした。
ミュージック・イン・ハイフォニックとか
何時何分から何のプログラム・・・っていうのを
書きましたねえ。

それから20年後。

仕事であるプロジェクトが終了した際の打ち上げの
飲み会で、コンピュータメーカーの・・・仮に
日本HAL社・・・としておきますが、
その会社の女性の方と同席しました。
彼女は私より年上でしたがパワフルな仕事ぶりで
プロジェクトを引っ張った人でした。

で、何やらかんやら話していたら、彼女は
草刈正雄の大ファンだった、ということが
判明しました。
そこで私は
「あの〜、昔ラジオ番組の『大入りダイヤルまだ宵の口』で

『草刈正雄の空が少しずつ』

っていうプログラムがあったんですが、聴いてました?」
と尋ねたところ、



当たり前でしょ!!!



というお答えが返ってきました。
ちなみに彼女は草刈正雄主演の「沖田総司」という映画を
数十回観たそうです。
実は私も彼は好きです。秋吉久美子とのカップリング
「あにいもうと」「誘惑者」がベストですね。

とまあ、好きなことなら昔も今も、読んでる人のことは
おかまいなし、であれば書けるわけです。

実家の押入れの奥深いところにまだ「統計新聞」は
あるはず・・・。読んだら寿命が縮まりそうだ。

ラヂオ
2002年12月20日(金)

「ラヂオ」・・・というザ・ぼんちの曲がありました。
映画ではウディ・アレンの「ラジオ・デイズ」、
三谷幸喜の「ラジオの時間」。
佐野元春の「悲しきRADIO」なんて名曲も。

中学・高校の時はよく聴きました。それ以降は
全然聴いてないけど。

最近ニッポン放送ネタが続いたので締めくくりで
「オールナイト・ニッポン」のことを。


兄貴が聴いていたのが自切俳人とか鶴光。入れ替わりに
聴き出した私の頃はというと・・・

月曜:
(1部)途中から中島みゆきになったが、その前
誰だっけ?(2部)糸居五郎

火曜:
(1部)所ジョージ。映画「下落合焼き鳥ムービー」の
試写が当たりました
(2部)近田春夫だったか

水曜:
(1部)タモリ。そばやそば〜や
(2部)誰だっけ?

木曜:
(1部)南こうせつ?
中で「長渕剛の裸一貫ギターで勝負」
とかいうコーナーがあった
(2部)だれだっけ・・・山崎ハコ?

金曜:
(1部)つぼイノリオ。聴き始めたころは1・2部ぶっつづけ
だったが。
(2部)コッペだったよね。ニュイニュイ。

土曜:鶴光


聴いていたわりには、覚えていないものだね。
中学時代の1977年〜1979年の頃です。

一番好きだったのはつぼイノリオ。下ネタ多かったし。

タモリとか所ジョージも当時はまだ(今に比べると)
アングラっぽい感じが良かったんだけどね。
所ジョージが当時リリースしたシングル曲
「いいかげんにしろよ」「Do-Do-Do」
「東京Night&Day」なんかは
今でもソラで唄える。

NSPの人とか、松山千春とかもやってた?
サザンとか谷山浩子とか・・・時期的にも記憶混濁。

しかし若かったとはいえ、毎日よく朝の5時まで
聴いてたもんだよな〜。

ちなみに、オールナイト・ニッポン=テーマ曲の
ハーブ・アルバート&ティファナ・ブラス
「ビタースイート・サンバ」は
わが地元商店街の宣伝カーから流れる曲でも
あります。

ニッポン放送以外
2002年12月21日(土)

ニッポン放送が一番受信状態が良かったせいか、
ほとんどこの局を聴いていました。
プロ野球中継もショウアップナイター。
長嶋が引退する年、1974年の中継では、
長嶋が打った時に

「♪やった!

いいぞ!

ナ・ガ・シ・マ〜 ♪」

というジングルが流れました。


ニッポン放送以外で聴いてたのは、
映画関係の番組。たしか文化放送だった
と思うが、映画監督の

山根成之

さんがパーソナリティをつとめていた
「オレンジ通りの映画館」。
テーマ曲が「愛と誠」の曲でした。

参考までにいうと、横浜の映画館で
流れるコマーシャルフィルム
「トヨペット乗用車センター」で、
佐藤蛾次郎が「ジョウセン、ジョウセン」
といいながら走るバージョンを覚えてる
人もいるかと思いますが、
あのCFに流れる曲は山根成之監督の
「さらば夏の光よ」の流用です。

「今さら」
2002年12月22日(日)

クリスマスといえば「ジングル・ベル」、
と季節ネタで行きたいところですが、
「番組の節目に流れる短い曲」=「ジングル」
をきっかけといたしまして。

スマップの誰かが出てる番組で、ジングルが
「♪シャランラ〜」っていう「魔女っ子メグちゃん」
のイントロ使ってるのがありますね。まあ、
昨日今日始まったものじゃないけど。

今さら、って話で申し訳ないんだけど、
「前川陽子さん」のアニメソングの歌唱は最高ですね。
アニメソングの歌い手さんとしては堀江美都子さんとか
大杉久美子さんが超有名ですが、
「前川陽子さん」
は、歌はバリバリに知っていても歌い手の名前は知らない、
という人が意外と多いみたいです。
私が百万言を費やすより、こちらをご覧下さい。
http://www3.airnet.ne.jp/haramaki/youko/
(無断リンクでごめんなさい)

私が一番好きなのはピュンピュン丸の「風といっしょに」
ですね。「♪ピュンピュンまァるわっ」の「ァ」の部分が
特に・・・。・・・読んでる人、完全に引いてますね。

高音で伸びる母音の響きに独特なものがあります。

日本中で知らぬ人のない名曲「魔女っ子メグちゃん」
「キューティーハニー」ですが、
楽曲の良さもさることながら、
前川氏以外の歌唱はもう考えられません。

「♪シャランラ シャランラ
ヘイヘヘイ イエイエ
シャランラ」

特に「ヘイヘヘイ イエイエ」のグルーヴ感が圧巻。
どんな歌手が歌っても、表現できないと思います。

「キューティーハニー」の方はどっちかと言うと
楽曲の独創性がきわだっていると思います。
特にあのイントロ! 腰が砕けます。

ただ、実を言うと両作とも本放送で観てはいたんだけれど、
あんまり作品的には熱中してなかったんですよね。
「メグ」の方は美術デザインが、「ハニー」の方は
増山江威子さんの声が・・・ニガ手で。

でも、両方とも「OPタイトル」は格好良かったですね。
画面構成とかカット割りが。
後世、「MTV」をはじめミュージック・ビデオが流行
しましたが、日本でそれを受け入れる素地を作ったのは
アニメのOPタイトルだ・・・という推論を立てています。


しかし、私は本当は前川陽子さんについて書く資格が無い。

「リボンの騎士」を観てなかったんです。

あまり再放送されていなかったような気がします。
曲も、ず〜〜〜っと後になって聴きました。

この「リボンの騎士」の主題歌、めちゃくちゃにイイですね。

って言われても「今さら」ってリアクションしかないでしょう
けれど。「前川高音」の魅力爆発。
「♪あかいマントひらひら〜」部分には卒倒しそうです。

(関連項目に続きます)

「今さら」Part2
2002年12月23日(月)

(昨日の分の、やや続き)

私の母は戦前の生まれ(日米開戦の前・日中開戦の後)で
幼少期・思春期前期を戦中・戦後混乱期に過ごしたせいか
いわゆる“サブカルチャー”への関心が薄く、そういった
ものへの意見を言うのを聞いたことがありませんでした。
それゆえ、ある時こんなことを言ったのが非常に印象に
残っています。それは

「『ジャングル大帝』の曲はいいねえ」

♪あーあーあーあーひびーくこだまー
であります。さて、昨日私が卒倒したという「リボンの騎士」
もこれも作曲は冨田勲氏なのであります。

劇作家の三谷幸喜氏は、少年時代テレビっ子だったという
エッセイの中で、こんなようなことを書いていました。

面白い、という映画の「監督」の名前はいつも同じ名だった
ので、その名前を覚えた。それはビリー・ワイルダー。

細かい文章は忘れたが大意はこんな感じ。ややキザっちい
とも思いますが、誰でもこういう経験はあるでしょう。
好きだったA作品とB作品が、後で、同じ作者が作っている
と知って驚いたりしたことが。

私も、多くの人と同じように、歌謡・アニメ・特撮部門で
少年時代に名前を覚えた人がいます。音楽部門で言えば

筒美京平
冨田勲
山下毅雄

といった人たちが代表ですね。他にもたくさんいるけど。

筒美京平氏については、どちらもレコード擦り切れるまで
聴いた「ブルーライト・ヨコハマ」と「怪物くん」が同一
作者だと知ったときの驚きといったら!

山下毅雄氏については、「スーパー・ジェッター」
「ジャイアント・ロボ」「ルパン三世」ときてはもう
何も言うことはありません。

冨田勲氏については、出会いはレコードでした。兄貴の
持っていた「マイティ・ジャック」の。この特撮番組、
観たことないんですが、このレコードの曲はもう、もう〜〜

シビレるほどカッコいい

これに尽きます。壮大なオーケストレーション、
勇壮な男性コーラス、間奏のジャズタッチ、
この重層な“サウンド・ウォール”体験を経ては
フィル・スペクターがナンボのもんじゃい!と
叫ばざるをえないです。

虫プロのアニメをあんまり観てないんでえらそうなことは
いえないんですが、「どろろ」「リボンの騎士」
「ジャングル大帝」、どれも手塚作品への批評プラス
拮抗するクリエーターの力があって、凡百の主題歌を
超えてると思います。

それにしても「リボンの騎士」の主題歌は凄いよ。
女声コーラス→ピッコロ→ピアノ→前川陽子→
(繰り返し)→オーケストラ
という凝った構成で、音楽史上でこれに対抗できるのは
クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」くらいしか
無いでしょう。ちなみに、「ボヘミアン・・・」は
長すぎるので「リボンの騎士」の勝ち。まあこれは冗談。

しからば、前川陽子さんはフレディ・マーキュリーにも
匹敵するスーパー・ボーカリストなり、と結論付けて
冗漫な小文の締めくくりとします。

魁!!サウス中学
2002年12月24日(火)

クイーンのフレディ・マーキュリーの名前を
出したので、ひとことふたこと。

テレビ神奈川とかMXテレビでやっているアニメ
「ビッグオー」ですが、あの主題歌。
観た人はイッパツでわかるようになってますが
クイーンの「フラッシュ・ゴードンのテーマ」の
もろパクリ。ブライアン・メイのギターの模倣、最高。
こっそりパクリじゃなくて、ここまでヌケヌケと
やられると、爽やかです。

ついでに言うと映画「フラッシュ・ゴードン」って
評判最悪だけど、今にして思うとあのバッド・テイスト
が妙に懐かしい。
当時の思い出として、共産党の機関紙「赤旗」に
この映画の紹介記事が載ったんだけど、その中で

「滝沢修のような名優が悪役を嬉々として演じている」

と書いてありました。たしかにマックス・フォン・シドー
のミン皇帝は(特にメイクが)楽しかったけど、ここで
民芸の“滝沢修”を引き合いに出すところがナントナク
おかしいです。微妙なおかしみ。

閑話休題。
今年、いつだったか忘れたが、朝日新聞でフレディの
ことを書いた記事があったんだけど、その記事のリード
(導入部)が、

「魁!!クロマティ高校」でキャラクターとして登場する
など今でも親しまれている

みたいな文章で爆笑。あの「フレディ」はねえ・・・。

ここでマジな話。
「魁!!クロマティ高校」は、ギャグまんがとして人気が
あり私もまんが喫茶で読みました。
読んで、妙な既視感がありました。主人公にも非常に
共感。これは・・・。
そう、中学3年のクラスが、あんな感じだったのです。
こいつホントに学生?っていうヤーサンみたいな人、
フレディみたいにしゃべらないコワイ人、
ロボットみたいな人、
総じて「危険」なクラスでした。
時に1979年、秋にはTBSテレビで
「3年B組金八先生」が始まった時です。
校内暴力の嵐が吹き荒れていました。
わがサウス中学(仮称)は荒れ具合で有名でした。
そんな中で、あの池上遼一キャラの主人公のように
ボケかまし、私は平坦な戦場を生き抜いてきました。
「魁!クロマティ高校」は、そんな“戦中”の感覚
を呼び覚ます作品でした。

「生きろ」

アニメ映画のコピーのようなメッセージを
このギャグまんがからもらいました。

♪アニメ夜更け過ぎに
2002年12月25日(水)

洗濯やらメール打ちやらしながら、
NHK BS−2で22時から放映された
アニメソングの番組を見ました。
最近この日記で書いた人やら番組やらが
ぞろぞろ出てきて、自分もなんと言うか
NHKの紹介番組レベルなのだなあ、
このニヤけたアナウンサー並みなんだなあと
納得するやら寂しいやら。
しかし、この番組、つまらなかった。
大杉久美子・堀江美都子・前川陽子と
「三大テノール」並みのメンツを揃えながら
・・・一言で言えば、


愛が無い


これに尽きる。
ゲストが凄いんだからフィルム部分が長すぎ。
現在の歌い手の声質に合わせてアレンジしてほしい。
などなど。
まあ、NHK番組に多くを求めても仕方ないか。
自分も、反省しよう。

それにしても、なんだか毎年
クリスマスの夜は洗濯してるなあ。
田渕由美子さんのまんがタイトルをもじって言えば
「聖夜・洗濯粉ふりしぼる」といったところか。
(正:「聖夜・粉雪ふりしきる」)

『ルパン三世よ永遠に−山田康雄メモリアル−』
2002年12月25日
パイオニアLDCから復刻された
『ルパン三世よ永遠に−山田康雄メモリアル−』という本。
http://www.ld-dvd.co.jp/special/lupin.html

山田氏が亡くなられて半年後に出た本なので追悼色がかなり強い
ですが、貴重な資料もあり、重要な本です。

作品リストを見て驚いたのは、山田氏ってアニメの仕事は
本当に少なかったんですねえ。いや、私はちょうどTVアニメを
見始めた頃に「ルパン」と「アンデルセン物語」(ズッコ役)が
あったものだから・・・。ズッコとキャンティー、好きだったん
だよね。山田=増山の『エメラルドの秘密』コンビ。
エンディングの「♪ズッコのズ〜は・・・」っていう歌も
良かったです。山田氏の合いの手が最高。

本の巻末に一緒に仕事をした人たちの「追悼コメント集」が
あります。若い女性の声優さんのコメント群から、どれだけ
山田=ルパンが愛されていたかの厚みを感じます。

その中で私が特に感じ入ったのが佐久間レイさんのコメント。
わたし的には佐久間さんといえば「ハム太郎」のマフラーちゃん
なのですがそれはさておき。彼女のコメントはいくつかの
質問になっていて、その中での

「あなたは心から笑ったことがあるのですか?」

「あなたがほんとうに欲しいものは手に入りましたか?」

という問いかけ。

フィクションのキャラクターが、豊かな感性に愛された
幸福な出会いだと思います。

横浜U書店にて
2002年12月26日(木)

学生時代、本屋でバイトしてたんですが、
ある年末にこんなことがありました。
あれは1983年、昭和58年だったか。
文芸書コーナーの担当だったのですが
受け持ち範囲に「戦記コーナー」が
ありました。ダスキンみたいなので
掃除してたときに・・・人名は忘れたので
仮に青井君と佐藤君としておきます。

初老の紳士が二人立ち読みをしていて
片方の人がもう一人の人をちらちら見て、
そのうち近づいてこう言った
「佐藤少尉殿ではありませんか?」
言われた方は怪訝な顔、そして
まじまじと相手の顔を見て
「青井か?」

・・・この二人、軍隊で一緒だったようなの
ですが、終戦時に除隊になったのではなく
戦闘行動の中でか、転進(?)する中でか
別れ別れになっていたらしいのです!!

「○○の後でどうしたんだ!」
「実は××で、その後△△・・・」
(地名など、聞き慣れない言葉が続く)

「よく無事だったなあ・・・」
「本当に・・・お互いに・・・」

二人とも、泣いてました。
そのとき、戦後38年。生きていてよかった。


いま、開戦前夜と言われています。
われわれは、たえずアニメ「遊星仮面」の
主題歌の一節をシャウトすべきでしょう

「戦争をやめろ!」

2002年の「重大」ニュース発表
2002年12月27日(金)

今年もあと数日で終わりですね。
12月には「今年の10大ニュース」的なものが
色々な媒体に掲載されましたが、

私も自分の価値観に基づく
今年の10大・・・じゃなく「重大」ニュースを
発表してみようかな。

順位はありません。思いつくままに。

【自分部門】
○指に生えてる体毛に白髪を発見した(鼻毛にも)
○本牧市民プールに一週間連続で通った(暑い夏)
○メガネのフレームが折れた(FROM1996、合掌)
○ギックリ腰みたいになった(腰を痛めたのは生涯初)
○借りたDVDで「ウルトラQ」全話を観れた(やっと)
○買ってから10年寝かせていた古本まんが
 「わたしのあきらクン」をやっと読んだ(久々)

【映画・芸能音楽・スポーツ部門】
○市川崑監督の新作TVドラマ放映
 「逃亡」「黒い十人の女」(&「盤嶽の一生」)
○「おさかな天国」大ヒット
○リバイバル曲「亜麻色の髪の乙女」大ヒット
○CD「武満徹全集」発売
○プロ野球 秋山幸二選手引退

【まんが・アニメ部門】
○ナカナカ読めなかったまんが家サン作品の復刻なる
 水野英子さん・西谷祥子さん
○空前のTVアニメブーム(過去最多の放映本数)
○宮崎駿監督、「千と千尋の神隠し」ベルリン国際映画祭
 金熊賞受賞の記者会見で現在のアニメ界に一喝
○TVアニメ「おジャ魔女どれみ」シリーズ終了決定


どこが重大ニュースやねん!と思われるものも
あるかもしれませんが、あくまでも私にとっての
インパクトなので・・・。

人波におごれや
2002年12月28日(土)

「コミックマーケット63」に行って来ました。
12/28〜30の三日間やっていますが、
私は本日のみの参加です。

例によって相棒が同行しました。彼のレポート
をご覧下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ud4i-ookb/mountain/panda/gallery/comike63.html

帰路、りんかい線の国際展示場前駅は人でごったがえし。
来た電車に乗車、満員の車内に
「まもなく電車発車いたします。なお、発車ベルが
壊れていますので、ベル鳴らずに発車します。お気をつけ下さい」
という車掌さんのアナウンスが流れると車内爆笑。
ところどころから「壊れてんじゃねーよ」という
女の子の罵声が。
このノリは・・・何か懐かしい・・・。
そう、この車内の一体感は「修学旅行」だよ。
ふと見るとなぜか周りは女性ばかり。
まずい。ここでもしも事故でもあって閉じ込められたら
「おこれ!男だ」の石橋正次(※)になってしまう、と
ちょっと恐れたのでした。

※女性ばかりのエレベーターに男一人閉じ込められて
女性恐怖症になってしまうエピソードがあった。たしか。

Hello Farewell
2002年12月29日(日)

12/28(土)朝日新聞・夕刊を開くと
ジョージ・ロイ・ヒル監督死去、の記事が載っていた。

享年81歳というのに驚く。
記事によると第二次大戦の従軍体験もあるとのこと。
いわゆる「ニューシネマ」の代表作の一つ
「明日に向って撃て!」の人なので
若い人というイメージを持っていたが。

昔名画座(たしか銀座ロキシー)で観た「スティング」
も良かったけれど、やっぱりこの人について語る場合は、
この二本の間に撮ったカート・ヴォネガット原作の映画

「スローターハウス5」

を外すわけにはいかないでしょう。
(↓ちょっとだけ解説あり)
http://www.stingray-jp.com/allcinema/prog/show_c.php3?num_c=12282

わたし的にはこれは10本の指に入るほどの作品です。
映画を観た後原作も読みましたが、どちらも良いです。

「悲惨な戦争体験をSFの設定で描いた作品」という
ことになりますが、主人公を“時間旅行者”にして
時空を行き来させる構成が卓抜。
子供時代・従軍・戦後の飛行機事故・妻の自動車事故、
息子のベトナム従軍・・・
どの時代を行き来しても暴力・事故のオンパレードである。
非常に即物的にバンバン人が死んでいく。

主人公を拉致するトラルファマドール星人は自在に
時間を行き来する能力がある。彼らは未来を見ることが
できてしまうので、初めて人と会ってもいつか離別・死別
することが見えてしまう。ゆえにトラルファマドール星人の
初対面のあいさつはこう言われるのです

Hello Farewell

(こんにちは さようなら)


・・・SFではありますが、これは極端な真実であります。
私の好きなまんが家サンでもこういった「会者必離」と
いった基調低音の作品を書かれた人がいました。

しかしこの作品は、本当に無意味な死に様のかずかずと、
反対にこういう瞬間のために生きているのもいい、
という美しいいくつかのイメージを持っています。
作品の核心に迫る部分は書きませんが(DVDも出てます
のでご関心のある方はご覧下さい)、主人公がどうにか
生き延びて終戦時に太陽の光を見るシーンが印象的でした。

ジョージ・ロイ・ヒル監督はその10年後に
「ガープの世界」という映画を撮っていますが、
こちらも多様な暴力が描かれた作品で、

「暴力に翻弄される人間の生」

みたいなものが彼のテーマだったのかな、などとも
思ったりもします。

そのテーマは今も有効でなおかつ最前面の問題でもあります。
二本ともあまりヒットしなかったようです。
「ガープの世界」は封切で観たんですが、横浜東宝会館の
東宝エルムは観客は私を入れて3人でした。かくして
2週間で打ち切りになりました。

次の「リトル・ドラマー・ガール」も封切りで観ましたが
その後はどうしたんだろう?と思っていましたが、長く
病気をされていたそうです。

ご冥福をお祈りいたします。
お別れですが、作品はこれから多くの人と
出合いがあるでしょう。

テレビマンガの主題歌
2002年12月30日(月)

先日、ひさしぶりにカラオケに行きました。
すごい久々。2年ぶりぐらいかも。
年末のせいかガラ空き。

人のふんどしで相撲をとって(※)申し訳ありませんが
こちらをご覧下さい(無断リンク)

http://www.touaken.org/main/waltz_b.htm

http://member.nifty.ne.jp/mo-mi/waltz.html


「三拍子」のアニメソングがリストアップされています。

私が好んで歌うのは、こういう曲です。このリストの中では
「ひみつのアッコちゃん」「エッちゃん」「夢の世界へ」
「砂の十字架」「きっと明日は」
なんかが愛唱曲。カラオケにはいってないけど
「デラ's SONG」「Morning Grace」「Raspberry heaven」
なんかもあれば唄いたいですね。

「エッちゃん」は「さるとびエッちゃん」の主題歌
ですが、佳曲ですね(アニメはそんなに良くなかった)。
作曲は宇野誠一郎氏。昔から井上ひさし氏との
コンビで、最近は こまつ座の劇伴曲を書かれています。
ミュージカル調の「長靴をはいた猫」の音楽は最高でしたが
ここでピエール役だった藤田淑子さんとのコンビで放った
「ムーミン」主題歌 は超イイですね。間奏部分の高まりが
心震わせます。「悟空の大冒険マーチ」も興奮の名曲。

・・・と、いうぐあいに唄っていくと、特にアニソン好きで
ない相方はヘキエキしてしまうわけですが。

「きみたちさあ
 終日 テレビマンガの主題歌歌ってさわいでおれば
(中略)女の子の一人もものにできんわねえ
(中略)それは勝手だけどサー」

すでに25年前に発せられた、先行世代からの
この嘆きに我々はどう回答していくのか。

来年もこれは大きなテーマとなるでしょう(永遠のテーマ)。


(※)
「ふんどしじゃねえ、まわしだ!」という竹中直人の
セリフを思い出します(映画「シコふんじゃった。」より)

映画「本日休診」
2002年12月31日(火)

12月に、久々に映画館で古い映画を観ました。
井伏鱒二原作、渋谷実監督の「本日休診」。
1952(昭和27)年の松竹映画です。
http://www.shochiku.co.jp/video/v50s/sb0091.html
ビデオでは出ていたんですが何となく映画館で
観たいと思っているうちに長い年月がたってしまい
ました。今回、たまたま機会があり鑑賞。

舞台となっているのが昭和25年頃の蒲田かいわい。
爆撃であいた穴ぼこに雨水がたまったとおぼしい沼?が
目を引きます。
医者が主人公なのですが、診察事例に出産が多いこと!
セリフでも「どうしてこうポンポン産まれるんだい」と
あります。この頃誕生したのが、「団塊の世代」という
わけですね。
若き日の三国連太郎が出演しているのが観たかった理由の
一つだったのですが、この50年前の映画でもすごいです。
戦争で頭がおかしくなった復員兵の若者の役なのですが、
うつろな視線の流し方とか、完全にキてます。人の口に饅頭を
押し込むシーンがあるのですが、相手の岸恵子(若くて丸顔)
が三国の気合にマジで嫌がって、カメラ後ろのスタッフ?
に向って「イヤッ助けて!」という目線を投げる、NG寸前
の演技をしています(笑)。

(このあとラストシーンに言及してますので
 未見の方はご遠慮下さい)

昭和20年代の映画は、戦争の影が濃い。
あれだけの人が死んだ後であるから、当然とも言えるが。
このへんの考察は

川本三郎「今ひとたびの戦後日本映画」(岩波書店)

という名著に詳しいので、関心のある方はお読み下さい。
文庫になっています。

復員兵の三国は、精神がまだ戦時下にあるのだが、
雁を飼っていてそれを「少年航空兵」と思っている。
雁は劇中、逃げてしまうのだが、
主人公の医者がある患者の看病をした後、
(このとき、映画の登場人物が集合している)
外で朝焼けの空をながめると、雁の群れが飛んでいる。
医者は三国に「少年航空兵が故郷に帰るのだ」と言うと
三国が号令をかけて、全員が雁の群れに向って敬礼する。
嬉しそうな笑顔を見せる三国に、母親がとにかく生きて
帰って来てくれてよかった、と涙を流す。

このラストシーン、三国連太郎のフォトジェニックな
表情に泣けました。
当然のことではありますが、常日頃われわれは
生きていて良かった、といちいち思っていません。
肉親や自分に死が隣り合わせだった時代をぬけた
ばかりの、この頃の映画を観ることは、興味関心以上の
何かがあるような気がします。


日記の目次に戻る