寄稿

養蚕農家の現状から感じたこと
- 「プラスα」に期待する


S.S


                 
 先日、高崎近くの築105年という養蚕農家を見る機会があった。1階が8畳4つと土間からなる居室、2階が蚕に繭を作らせる部屋、そこから登れる高い屋根裏が資材置き場になっている。その梁も柱も天井も、最近の木造建築にはとても見られない立派な木材で、古材のリサイクル利用を待っているというので見せて貰ったのだった。その大きな建物に並んで同じくらい大きな、こちらは新建材を使った家屋が新築されていて、そのため古い建物は不要になり、取り壊すに際してせめて再利用してほしいということと了解した。
60歳代と見えるご主人が案内して下さったのだが、10年前にはずっと養蚕を続けるつもりであったことや、その後中国から安い製品が入るようになって、断念するに至ったことが感情を抑えた少ない言葉で語られた。足元にはまだ仕事中のように、沢山の繭がこぼれ、屋根裏には藁で編んだ「繭の床(まぶし=簇)」が積まれていた。
古材の一部とともに、その木を見て来た仕事の様子を継ごうと、私はご主人に養蚕のことを尋ねた。桑の葉を食わせて育てるのはこれまた大きな別棟の建物で、今は車庫と納屋としてゆったりと利用されていた。そこで4回脱皮した蚕が繭を作る前に、この2階に移し、一匹づつ縦横10区画に仕切られたまぶしの1区画に入れていく。そしてこの100匹の虫の入ったまぶしの四隅を柱で固定していくつか重ね、底面に受け皿を置くのだそうだ。さなぎになる前に多量のオシッコをするのを受けるためだ。それから蚕は区画の中でまず繭を固定するために糸を吐き、その中に繭を作る。繭をとるためにはこの固定用のクモの巣のような糸を掻きとる作業が要るそうで、その時出来た繊維の短い真綿のようなものが部屋の隅で埃をかぶっていた。こうした虫の飼育を、5月に始めて9月まで、一回に数万匹、3回反復するそうで、5月には30余日で済むが、8月から9月の時は40日ほどかかるという。ご主人は蚕のことを話すときは自信に満ちて、饒舌だった。
帰ってから私は丹波育ちの父にこの話をした。90歳を超して体が思うように動かず、気弱になっている父だが、「それはジョウゾク(上簇)というのだ。蚕が指くらいになって透きとおったようになったのを、一匹づつ入れてやるのだ」と、あの時のご主人のようにしっかりした語調でいった。
生き物相手の仕事は、蚕でも牛でも魚でも、また農作物や林産物でも、天候に支配されることが多く、苦労が絶えないことと思う。しかしこうして命の営みを見守り、その犠牲の下に自らが生かされていることを自覚する生活は、自ずと生きるものすべてへの共感に満ちた循環型生産システムに向かう必然性を持っているように思う。それが今は生き物の有用部分だけを目的に手段を選ばず生物種を改造し、安ければ国土がどうなろうと、自給の先行きが危うかろうと輸入品に頼り、生き物を工業生産物と同様に扱うのが大勢になっている。それは循環型に逆行する資本本位の生産で、生態系と生物種の多様性を危うくし、ひいてはヒトの存続を危うくするものだ。建材にするまで50年育てた木材を、耐用年数20年として新建材とともに野焼きのゴミにしている建築のあり方に批判の声が高まっているが、生物愛好者の自然保護運動もこうした地域の農林漁業やゴミ問題との連携が必要と思うし、「プラスα」で小林さんはそんな気持ちを表現したいのかと思った。 

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