地方自治を考えよう

平成の大合併によせて市民の手で政策評価を!


赤松



 近代国家の建設をめざして行われた明治期の大合併、分権型教育体制を確立できる財政基盤をつくろうと進められた昭和の大合併、そして中央政府の景気対策の結果悪化した地方財政を建て直すという・名・目で進められている平成の大合併。それぞれの地域特有の事情と自分達の地域は自分達の手でつくるというどこの地域にも共通する点。
 平塚では、前吉野市政の下で突然に湘南市構想が表面化することとなり、その後先の統一地方選で大蔵律子市政が誕生したことなどで構想はストップすることとなった。しかし、今後も合併問題は様々な形で取り上げられると考えられるので、ここで少し何を論点として考えるべきか述べてみたい。
 まず平成の大合併を進めるにあたって、その根拠として指摘される財政問題についてである。確かに中央政府の推進する景気対策や地方制度改革による地方財政制度の改変は自治体の財政に大きな影響を与える。しかし、中央政府の公共事業を中心とした改革の遅れや自治体の権限への権限・財源をセットでの移譲が行われない中で、自治体の合併が進むのならば中央の改革を遅らせる手段としての合併になってしまうことが懸念される。そもそも、地方制度改革の推進には受け皿としての自治体の基盤を強めることが欠かせないといった指摘も、地方財政制度の改変というムチと合併特例債というアメで自治体に合併を求める政策と大きく矛盾するものと言える。なぜなら、地方分権に耐え得る自治体となる為には規模の大小を問わず自治体が積極的に創意工夫の下改革を進め、その基盤を強化し、並行して中央政府は権限・財源をセットで移譲すれば良いからである。現在の大小様々な自治体を見ても規模が大きいから効率的で、小さければ非効率などと単純に傾向化出来るものでは決してない。むしろ、一定の規模以上の自治体では特に自治体内の分権に取り組み、そのことによって自治体の経営を改革しようと必死に取り組んでいるところである。その取り組みの背景には、地域のことをより身近な人々が顔を突き合わせて解決していくことが何より大切で効率的であるという考えがある。
 合併を進める必要が指摘される際には、自治体に求められるサービスが多様化・高度化しているからということもしばしば強調される。しかし、この点も合併して自治体が大きくなれば対応可能となるということにはならないだろう。多様化・高度化する地域の要求にはどのような体制でサービスを供給することが最も効率的なのか、広域的な対応が最適解なのか、むしろ地域密着型で局所的に対応することが最適なのか、身近な自治体の中で判断されることが何より大切なのではないだろうか。
 今、日本は高齢化が急速に進み、財政基盤の強化が重要な課題であることは確かである。しかし、だからこそ、目配りが効き、小回りが効き、柔軟性のある小さな自治の重要性がある。高齢者になればそれだけ活動範囲も狭まり、自家用車を運転しての移動が困難になることもあるだろう。また、効率的な政策の確立の為に、地域の住民達が顔を突き合わせて政策について語り合い、活動していくことも益々重要になるだろう。だからこそ、小さな自治を大切にしなければならない。現実に大きな自治体でなければ取り組めない事業があることは確かである。しかし、一方で組織が大きくなれば見通し・風通しが必然的に悪くなるであろう。
 民間企業は、合併したり、分社化したり時代に応じてその姿を柔軟に変える。自治体にも大きくなることのみが必然なのではなく、時代や地域の事情に応じて様々に組織を変化させ得ることこそが求められていると思う。

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