20代が語る環境問題

環境問題の責任と課題


鈴木



 今日の環境問題はますます地球規模に広りつつある。オゾンホールや温暖化はその最たるものだ。そして、地球規模になることによって、問題の中身がより複雑化してきている。さらに、複雑化して行く中で、その責任が曖昧にされているのが現状と言える。いくつかの事例をもとに、何が原因なのか、何がいけないのかを数回にわけて考えていきたい。
 かつて、日本で公害が大きな社会問題となったことは多くの方もご存知であろう。日本の公害で当然外すことができないのが四大公害病である。熊本県と新潟県で起きた、水銀が原因の水俣病。富山県ではカドミウムが原因でイタイイタイ病。三重県では亜硫酸ガスが原因で四日市喘息が発生した。これらは多くの犠牲者を出し、その悲惨さは今でも社会科の教科書で扱われている。そして、日本での環境への意識が高まったきっかけと言えよう。
 現在では、四大公害病は原告が勝訴、工場排水・排煙は浄化されてから放出されている。これだけを見ると、環境汚染は軽減されたかに見える。だが、最近では産業廃棄物という問題が大きくなっているのである。
 フリージャーナリストの高杉晋吾氏の著書、「産業廃棄物」(岩波新書)では、有害物質が含まれた汚泥の処理の実態が紹介されている。嘔吐、無気力、肝臓障害などを引き起こすPCBや、発ガン性が指摘される六価クロムの汚泥が山となっているのである。最終処分場に持っていき、有害物質が外に出ないように管理されているわけではない。最終処分場で処理すれば解決するとも言えないが、これではやがて有害物質が雨で流されることになる。流れるものは最終的に海に辿り着く。そうして流れた有害物質が魚介類を通してヒトの体に入っていくことも十分考えられる。
 では、なぜこのような有害物質が積み上げられたままになっているのだろうか。ここに、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(以下「廃掃法」)の問題点が出てくる。汚泥は本来なら最終処分場での処分になるはずである。ところが高杉氏は、PCBヘドロが積み上げられてる兵庫県高砂市の話を紹介した際、汚泥処理は例外扱いが多いことに触れている。高砂市の場合、これはPCB汚染された水底土砂であった。廃掃法では、しゅんせつによって生じた土砂は産業廃棄物扱いにならないのである。しかし、このPCBも元々工場から出されたものである。工場からの有害物質が産業廃棄物として扱われないようでは、法律に不備があるとしか考えられない。法整備ができていない事実は重大である。
 ところで近年、農作物や魚介類などの一次産品の汚染の報告が見つかるケースが増えているように思える。その中には我々の主食、米もある。米を汚染している物質は、あのイタイイタイ病の原因であるカドミウムだ。イタイイタイ病の場合、神通川の上流、岐阜県の神岡鉱山から流れたカドミウムが水田を汚染したことが原因であった。そのカドミウム汚染は少なくなっていく傾向にあったのだが、1990年代からまた増加傾向に転じた。日本国内の鉱山は数を減らしているはずなのに。
 その原因は電池であった。充電式のニカド電池である。充電式の品物が増えたことにより、当然電池のごみも増える。その処理が不十分であったのだ。また、ジャーナリストの天笠啓祐氏は「食品汚染読本」(緑風出版)の中で、低公害自動車の開発も電池開発に拍車をかけたと指摘する。低公害のはずなのにカドミウム汚染の原因の一つになってしまっていたのだ。現在、ニカド電池の回収率は20〜25%とのこと。毎年1200〜1300トンのカドミウムが環境を汚染していると天笠氏は推定する。
 四大公害病が過去のものとなりつつある今、新たな形で環境汚染が続いている。公害防止技術が向上したとは言え、汚染物質が出ていることに変わりはないのだ。汚染源の企業の責任や法の不備が問われるべき問題であろう。

 参考文献
 高杉晋吾著「産業廃棄物」岩波新書
 天笠啓祐著「食品汚染読本」緑風出版

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