+α平塚市民情報誌‐健康という幸

いのちの本質を問いかけるno9

健康という幸


石井



 目前の川(座禅川)で魚が大量死した。それは昭和59年(1984年)一般廃棄物最終処分場が出来た直後の事です。その年末、愛猫がびっこを引き始め、飛び上がったりした。眼球が飛び出し、皮膚も糜爛(びらん)が広がる等の症状の末、昭和63年(1988年)全臓器壊死での死。
 昭和60年(1985年)蛇口からの井戸水(掘抜き湧水)がシャボン玉のように膨らみ始め、次々の水の変容に、もう使用限界と、上水道使用を申請したが、許可がなかなかおりず3ケ月間井戸水を使い続けた。お茶は黒褐色に粘りご飯、まな板、洗濯物は赤紫色に、布巾は黄色く黒くなり、私は様々な症状が急激に表れ体調が崩れた。
 昭和55年(1980年)から、〔水・汚すまじ〕と自治会と運動するも、行政は管理型の無公害施設、水は汚さないと言い切ってきた。が、この状態に。ゴミ問題から目を離す事は絶対出来ない。苦渋が嵩む程に、ゴミの事やらねばと思いが募る。
 飲食水をミネラル水に替えてから小康状態を得て、社会情勢を幅広く捉え活動する私の子供、孫年令の環境問題研究家(ボランティア)に仲間入りさせて貰って、団欒を兼ねた集いにお邪魔虫した時、之からの活動方針等の話が出て、「ネー、あなた方、ボランティア活動にひた走ってきたんでしょう。今回の無所属候補多立選挙で地方、国とも政策多少変わると思うし、環境や生き方に連なる言葉を多く見聞きするようになったから一休みなさったら。あなた方が目指す方向への余地も出そうよ」と老婆心から言うと。「あちこちの問題をこんなに把握していて、一休みしている方が切ないよ。将来や子供達の事を考えると」と彼。「でも、今現れている問題は氷山の一角よ」の彼女の声に、「凄いねー」と研究の結果を行動に結びつける相互の能力に賛辞。頑張らなくてはの一同の端正さに、「有り難う」と声せず言う。
 皆、子育て期にあろうに、無我に活動する人達に贈り物はあるのだろうか?優、愛、強、相持ちつ健全社会に向けて活動する人たちに、健康という何にも優る幸が贈られることを思う。その幸が奪われないように文明社会の経済尊重論説に飲み込まれない節度ある生活者になりたい。身体異常発症来、自分の体の存在感から抜け切れぬ不快日常の中で、昭和の終わりから生物生態の大異常の姿を今もひきずる小動物、植物の形態に自分を重ねています。

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