いのちの本質を問いかけるno7

飽食に酔い痴れないで


石井



 平塚市遠藤原一般廃棄物最終処分場設置地区との声に、"水が汚れる"と、心が騒ぐ。
 当事者(市)は、「管理型・無公害施設だから大丈夫」と。その構造を言う。内容は、埋め立て地全面に遮水シート(1.5mm厚さの合成ゴムシート)を張り、浸出水集水菅を設け、高度の浸出水処理施設を完備するからと。「水が汚れる事は絶対なし」との自信の程を。 
 1.5mmのゴムシートや、集水菅が機能し得る期間は幾許や、浸出水処理施設が浄化し得る有害性物質はどれ程にあろうかと、多様な有害物質を含む、廃棄物焼却残渣に対して思う中、遮水用合成ゴムシートの耐用年数は「60年」と、環境に心寄せる人の集まりの席で言い(工事関連者)、20p弱角の合成ゴムシートを手に、「引っ張っても、引っ吊っても損傷を来たさない」と。
 それにの異議に、鉛筆の芯でそのゴムシートを突き、「突いても穴はあきません」と。
 昭和52年(1997年)廃掃法に変わってからの、処分場形態で、この法ができてからの、経緯年数は短い中で無公害施設と言い切れる程のデータが得られたのだろうかと?「ゴミ。処分場で水が汚れる」と。清水源の地に処分場を集める国是行政策に、住民が声を出しているのに、"水は汚れないと"住民を置き去りにして走る所管者や市長に、飽食呆けの感を覚え、経済成長に酔って、命の基の泉の価値を汲み取らず、飽食の負の産物を過疎地と見る里山に定める事の先にある不安を隠し切れない。
 昭和58年(1984年)4月
 神奈川県外の一般廃棄物の最終処分場建設場所 に名指された地区に行った。「自分の市の処分場地に来たと錯覚しちゃった」とへたる私に、「エッ!!そっちも同じ地形。水源の地へ処分場を持ってくるような街は、うち等だけと思っていて、何を根拠にこの街はと思いあぐねていたが、之を知って黙って居たらこの国の水どうなる。身近にある清水がなくなってしまう」と言いつつ、差しのべられた手に立つ。その手が繋がれ合った輪から『頑張ろう』と異口同音。
 未着工の処分場指定地は、春陽に穏やか。その景と、「孫・子等に恥ずることのない様に」の声に送られて、新緑や桃色の花が目につく里の道を抜けて、飽食謳歌の街筋に入る。電車に乗り換え、やがて、富士山を仰ぎ、水が張られる田にむかえられて家に。掘り抜き井戸に湧き出る水を直接に飲む。甘露。天恵に感謝す。
 この地には、神奈川県企業庁水道局の持つ地下水源地が二ヶ所ある。この泉永久にとも念ずる。
 昭和59年(1984年)3月28日 平塚市遠藤原一般廃棄物最終処分場、竣工式。…無公害施設と耳目集めつ。翌月4月1日より稼動。その月末4月29日、処分場からの水を抱え込む川で、魚が大量死(座禅川)。
 当時撮影した写真。魚は大量に死んでいたが、沈んでいたので撮影は出来なかった。 平塚市遠藤原一般廃棄物最終処分場建設計画案に対し住民が、「水が汚れる。」と反対の意を表している中、平塚市の建設に向けての動きが伝わる。私は、平塚市総面積の約8%の面積中の清水を保つ地にゴミ(一般廃棄物最終処分場)を集めるのだろうと下水上一般廃棄物最終処分場についでの処分場建設計画構想にこの地に住む者と、行政サイドにある人との丘陵緑地帯に対する価値観の相違に暗然とする。ゴミの実情を学ばねばと思う。

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