いのちの本質を問いかける no3

地下水の宝庫上に一般廃棄物処分場が!


石井



昭和55(1980)年、平塚市全住民のゴミの焼却残渣(灰)を持ち込む−一般廃棄物の最終処分場が清水貯わうこの地に来るとの声に、旧来の友を頼り、直ぐにした電話に、「エッどうして。掘りぬき井戸のある地下水の宝庫の地に、汚してしまったら元には戻らないのに、貴女の家でのおいしいお茶の味、失わないようにね。」と。環境に心置く人を即時の紹介に。…
公害や環境問題に早くから取組まれている方々。環境保全・自然保護団体の輪に抱かれて、処分場予定地の見分や学習会の機を得る。友が、私の方向音痴を気遣ってのいつもの待ち合わせ行動で心に余裕を与えられる。又、会場までの話題に感銘。 清廉な方々と学ぶ日夜は、強靭な信念とボランティア活動の力の輪に包まれて、充足して壮快。
"水"飽食のゴミで汚すまい。"丘陵緑地帯"廃棄物の最終処分場で削り減らすまいと強く思う。
急激な自然破壊大勢で地球(自然)の仕組みが見えなくなってしまっての廃棄物最終処分場は、丘陵緑地帯の谷あいが適地との法則か?国はそうした法づけはしていないと言うが、自治体は国の法に随っていると胸を張る上での処分場地の選択という。
人の知力では絶対造り出せない、摂理の賜の清水を汚す行政施策や社会体制に、生物が戸惑っている。
生物必需の水を人の手で汚して、……。液体である水をどう区分けして、どう汚染物質を完璧に取り除くことが出来るのだろう。
環境先駆者が示すデータや実態報告を通して処分場がある地域に住み居て、黙っていることへの罪悪感をも思えて、学び居る土屋の人達と市への問題提起をする。当時使用中の下水上一般廃棄物最終処分場の近辺に住む井戸水で生活をしている人達が、処分場下の三笠川に魚が居なくなったことを市に告げ、地下水への汚れを懸念して井戸水の検査や、上水道の導入を申し入れ、市はそれらへ対処したとの声が聞こえた。折しも下水上一般廃棄物最終処分場が問題視されている時に、再びこの地(遠藤原)の建設計画案に対して十分な検討を行わず実施方向にのみ向かう のは何故であろうか。管理型だから無公害というが、実体のない設計図面上だけでの安全宣言に追従は難しい。
自然は、無謀な人間の行為を受けると人の命に不利になる答えを出す。限りある地球に住み、自然の恩恵に命を委ねる生物(人間)が、知恵を自負して文明(飽食)希求の生活がもたらす廃棄物(ゴミ)で、命の根源の水や大気を汚す。大仰な科学技術頼りの策から逃れたいと思う。
新処方箋が待たれるところです。



平塚市は、昭和56年7月1日神奈川県環境影響評価条例が施行される直前の同年5月26日に遠藤原一般廃棄物最終処分場の施行を届出ました。また、2期工事では、条例で敷地面積として規制を受ける3ヘクタールに満たない25、600uで建設しました。仮に今後3期工事が行われ3ヘクタール未満で届出すれば、環境アセスメントは不要です。平塚市に環境アセスメントによって住民の健康を守る気持ちがあるのか疑問です。 コメント:小林

建設以前の遠藤原谷戸
昭和59年に作成された資料(1期分)
        
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