いのちの本質を問いかける no11

限られた地球に命 話と和繋げて


石井



 仮舗装道を本舗装するとの県からの知らせは急。その工事は夜間作業。一夜明けたら昨夕迄は本来の道幅3mの仮舗装道路だったのが、6m幅程の本舗装道路になっていて、路面は仮舗装時の路面より60cm程高くなっており、道路壁はおおよそ1.2m高さに築かれている。この道と宅地との間に幅、深さとも40〜50cm程にあった素掘りの溝が、幅70〜80cm深さの道路壁高に準ずる深さの側溝形態になっているのだが、その側溝壁は側溝底より20cmまでしか造られておらず(図1)、工事従前まで大正年間から架けてあったコンクリートの橋が取り外された儘で、その跡形もない。隣接地から盲構造(暗渠)となり、元の側溝底より60〜70cm程上げての施工となっている。(図2)田耕作期間は、この側溝の上面を通水させての稲作りの日々が続く他、大雨等による増水時に於ける宅地冠水は自明の上でのこの工事の状況を、工事進行順位によるものかと待つ中、「工事終了の知らせ」が。即、担当部課へ現状査察を要請。職員が一人見える。「工事終了の知らせ間違いないですか」と私。「ハイ」「之でですか」「工事終了です」「工事の実態具に見て下さい」「見ました。完璧工事です。手落ちはありません」「今までここに橋が架けてあったんですけど」無言。「側溝壁はどうなるのでしょう」「之でおしまいですよ」「田耕作期間、大雨の時などはどうなるの。この工法構造結果の上で?宅地への冠水は明白ですよね。それでも。…設計ミス?」「設計ミスではありません」「之では仮橋を架けようもなく道路に出られないんですよ」「お宅が絶対必要条件なら自分でやればいいでしょ」「費用は」「自分持ちに決まってるでしょ」「エッ」と洩れた声に「今回の工事予算全額使用で残金ないんですよ」
 一人の人の意向と答だけではと関連所轄へ歩を。管理者、責任者にも工事結果、工事前の形態を話すのだが返る言葉は同じ。
 自施工に向けて、公地との接点を確かめると、橋の設計図を提出せよ。業者は公(県)指定業者と言う。製作図者無記名の橋設計図書が届く。「公図写し」との図に書かれている橋の位置が現場と違うことを指摘し、この側溝路は元来公図には載っていない筈と確認を求めたが、返答回答なし。自筆ではない「道路自費工事許可申請書」「承認文書」「設計図書制作費納入の知らせ」が手許に。その橋の費用、夫月収の二ケ月分。
 工事施工期間は申請の日から20日以内とし、工事についてはすべて所轄土木事務所長の指示及び検査を受け、申請書に添付してある図書の通り施工し(中略)この処分に不服がある場合は(中略)60日以内に県知事に異議申し立てすることが出来る。とあるがすぐに行った異議申し立てに返なし。施工完了期間は申請の日から20日間以内とする中で何おやである。
 この工事当初に現場を見て以来、この事にふれぬ夫の親に内情を話すことが阻まれて父に、「工事前に個人に係わる施工範囲の話をしてくれていれば、この結果に之程の衝撃を受けなかったろうに、お金の事は後にして、民主主義を謳って20年なのに否定と命令調の対応が続く経験をして、子供らへの接し方、戸惑ちゃう。この工事のお金全部借金だわ。頭痛いんだわ」と言うと。「病気で痛い頭じゃないんだろ。悩むな借金のことで。病気のことならそうは行かないが。真面目にコツコツ働いていれば金は返せるから。親が真面目に生活していれば、子供達はひとりでに生き方を覚えて行くから」そこが時代の変化の中で気になるんだよと思い乍ら。夫の親もいつか同じ事を言っていたなと気が楽になった時、「橋、夏休みの内に出来上がるな。良かったな孫らの為に」と言う父。
 検査に職員が二人来てOK。ホットした時「工事予算大部残りました。そのうち慰労会をやりましょう」今何故?この橋の上で、話しが済んだばかりの時に。見えなかったの私が。私有地が無断で本舗装されてしまった事にもふれず、車の騒音、運転手の怒声に悩まされていることも口にせず、有力者に依存することもせず、指令に只管に随っている我が家の人間は田舎住まいの実直者。つまりは愚者としての侮りか。もの言わぬ地球を軽視し、自然の穏やかな丘陵地域から土の切り出しを端にして、心の落ち着きがなくなりそうな気配を見せ始めた1960年代のこと。権力を好まぬ愚直者、弱者切り捨てで進む時、地球のバランスが崩れてしまわないかと、変わる風景の中で清水湧く丘陵緑地帯に居て思う。
 成金希求。お金そのものが人の命を保ってくれるものではない。自然、人、大事にし合って、文明に推し潰されぬ文化国家であってほしいと思うのでした。そして、話と和を繋げ合わせる努力をしていて下さる方々に感謝の日々です。

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