KUMUの食卓






目次

'Aha'aina
バナナおじさん
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'Aha'aina

KUMUの家に滞在する間、何度となく'Aha'aina (アハアイナ)と言う言葉を耳にし、それを体験することがあります。'Aha は会合とか集会、'Aina は食事のことで、'Aha'aina は宴とか晩餐会、パーティーをあらわすハワイ語です。まさに晩餐会にふさわしい、結婚式や誕生日、卒業パーティー、イベントの打ち上げといった大がかりなものから、ちょっとした客が来たとき、日本から生徒が来たり、帰ったりといったお食事会程度のささやかなものまで、いろんな'Aha'aina が行われます。

食を分かち合うこと、食事を共にすることで、人とのコミュニケーションを深めていくというのは、食卓に上る料理の違いこそあれ、どこの国も同じようで、特に言葉の壁がある同士でも結構話が盛り上がったりするものです。

お料理は正式なもの以外は、特別に凝ったものではなく、普段食べている食事に一品足したり、デザートをつけたりする程度で、お客を招待すればその客がホームメードのお菓子や得意な料理を携えてやってきます。急に、今夜は'Aha'aina、 なんて決まったときは、中華屋さんからテイクアウトしたり、ピザだけなんて時もありました。料理の種類や数ではなく、家族や客が同じ食卓を囲んで、同じ食事を頂き、話をすることに重きをおいているのです。

KUMUのキッチンは、日本流に言えばオープン式のDLKで、寝ている時以外は家族はほとんどここで過ごしています。誰かが料理を始めれば、みな何か手伝わざるを得ないし、もう食事の準備の時から'Aha'aina は始まっていると言っていいほどです。KUMUは料理を作るのが好きらしく、伝統的なハワイアン料理から独創的な無名料理まで、楽しそうに作っています。 翌朝私が日本に帰るという日の 'Aha'aina は、手羽肉を何種類ものソースや醤油で煮込んだ“しょうゆチキン”、春雨と蒸し鶏のスープ、サラダにパンとPOI(ポイ)白いご飯でした。盛りつけにはあまり(全然)こだわらず、皿に銘々が好きなものを好きなだけ取って食べるビュッフェスタイルで、大体の料理が終わり、家族が揃うと'Aha'aina の開始です。


流しで洗い物をしたり、皿を並べたりする者がまだいても、KUMUのお祈りは突然始まります。そうすると、皆はなにはさておきKUMUの周りに集まって頭を下げてお祈りに加わるのです。早口のハワイ語で何をお祈りしているのかはわかりませんが、時々私の名がでてきたりするところや雰囲気から、無事にレッスンを終えて明日帰るので、その道中が安全でありますようにとか、こうして皆で食卓を囲めることへの感謝などをのべているようです。

お祈りが終わって、KUMUの「さあ、食べよう」の声で、各自お皿を手に料理を取りにいき、好きなところに座って食べ始めます。食事中の話題は、もっぱら滞在中のエピソードや味つけのことについて。料理が新作だったりすると、その作り方や味つけの話で盛り上がります。食事が終わっても食卓を離れる者はいなくて、デザートを食べたりお茶を飲んだりして約2時間はおしゃべりが続きます。KUMUがお皿を流しに下げるのを合図のように、皆あと片づけにとりかかりますが、それもほとんど全員が揃ったキッチンですから手を動かしながらも会話は途切れることはありません。

あと片付けの時には、先ほどメインで料理を作った人は手伝いに回ります。残った料理を密閉容器に入れて冷蔵庫にしまう人、食器を洗う人、拭く人、食器棚に片づける人、手分けをしてやればあっと言う間に終わってしまいます。'Aha'aina の主役の特典は、なんといってもこの後かたづけの輪に加わらなくていいことなのですが、さすがに私の場合、KUMUが食器を拭いたり、大先輩がお皿を洗ったりするそばで、ボーッとしているわけにもいかず、あっちにうろうろ、こっちにうろうろして邪魔にされてしまいました。

このほかいろんな'Aha'aina に、KUMUに連れていってもらいましたが、どれも訪問者をあたたかく迎え、会話を楽しみ、心尽くしの料理を味わう、ほっとするものばかりでした。こうして何かことあるごとに催される'Aha'aina の習慣を、私も何とかうまく自分の暮らしに取り入れられたらいいな、と思っています。気張ったり、かしこまったりせずに自然体で人をもてなす秘訣もハワイから学びたいものの一つです。


バナナおじさん


(Photo By Tsutomu Okabe)


2年ほど前のちょっと古い話ですが、ハワイで会った忘れられないおじさんの話です。オアフのワイキキ、カピオラニ公園に近いクヒオビーチのベンチで小一時間ほどおしゃべりしただけで、名前も住所も知らない日系のおじいさんだが、"バナナおじさん"として私の大切な想い出の一つです。
フラの友人と一緒にマウイ島のケイキフラを見た帰りのこと。カウアイ、オアフと延泊をした人達も、一人帰り、二人帰り、とうとう私一人で2日ほど過ごし、いよいよ今日の午後の便で日本に帰るという日の朝のことでした。前日にモアナサーフライダーホテルでサンデーブランチを楽しんだ私は、土産にいただいたココナツケーキを棄てるわけにもいかず、その日の朝食にすることに決め、ABCストアーでコーヒーを買いクヒオビーチのベンチへと向かいました。
ココナツケーキはホテルのウエイトレスさんに、「去年食べたココナツケーキがおいしくてまた来ました」というと、「今年はデザイン(?)がちょっと違うけどおいしさでは負けていないわよ」とお皿に取ってきてくれ、「もう残り少ないから」と箱に2つ入れて持たせてくれたものだった。いくら美味しいとは言え、夜にまた1コ食べるのが関の山で、翌日に持ち越したものなのだった。
朝日がまだダイアモンドヘッドから顔を出す前で、海はまだ沈んだブルーだったが、サーフィンをする人をケーキをかじりながら見ていると、2、3度私のベンチの前を行ったり来たりしていたおじいさんが声をかけてきた。「朝からケーキなんか食べてると体に悪いよ。これは栄養が一杯あるから、これも食べなさい」と 少したどたどしい日本語で話しかけ、今まさにだぶだぶの半ズボンのポケットからバナナを取り出すところだった。
びっくりして顔を上げた私に、おじさんはにこにこしながら大きなバナナを差し出した。「コーヒーとケーキだけじゃダメ。これおいしいよ」と再び言う。何だか断ることも出来ずに、「ありがとうございます」と素直に受け取ってしまった。
ベンチの隣に腰を下ろしたおじさんとの会話は、どこから来て、いつ帰るのとか、自分の両親の出身地の話とか、ごく普通の旅行者と地元の人の会話だった。サーフィンをする人を見ながら、「僕も若い頃はサーフィンをしたけど、今は耳が悪くなって水に入れない」と言う。そして、突然「僕は今ね、ドロボーなのよ」と、これもにこにこしながら言う。びっくりして、泥棒? と聞き返す私におじさんは「そう、ドロボー。もう働けないので年金もらっているから、僕はドロボー」と笑う。
「年金をもらうのは当然でしょう? 泥棒なんかじゃないわ」という私に、首を横に振りながら、「若い人のお金を、取っているからやっぱりドロボーね」とおじさんは言う。いただいたバナナをぱくついていた私は、今までの幸せな気分から一転、何だか急に悲しくなった。長い間働いて、リタイアしたら年金でのんびり暮らすのは当然、と私は考えていたけど、このおじさんにとっては、とても恥ずかしくて後ろめたいことのように思えるのだろう。だから自虐的に「僕はドロボー」などと表現するのだろう。「そんなこと絶対ないですよ。誰もそんなこと思っていませんよ」と必死に言う私に、おじさんは話題を変えるように「ほらダイアモンドヘッドに朝日がのぞきだしたよ」と言った。


その通り、ダイアモンドヘッドからちょうど朝日が顔を出し、公園の緑も、海も一斉に輝きだした。おじさんもさっきの話は忘れたかのように、「ダイアモンドヘッドの向こうは、ここよりももっと素敵なところだよ。観光客はあまり行かないけど、本当にきれいなところだよ。僕が車を持っていたら案内して上げるのにね」と言う。しばらくダイアモンドヘッドの向こう側の話を聞くうちに、そろそろホテルに戻り帰りの準備をしなくてはいけない時間になり、おじさんにお礼とお別れを言う。

「また会えたらいいですね」というと、「僕はいつもここにいるよ。毎朝10時過ぎにお友達がここを通るから、それを待っているんだ。きのうは友達に会えなかったかったけど今日は来るかな」と笑う。
今は8時過ぎ。7時頃からここにいたことになるから、そのお友達が通る時間まで、ここでいつも海を見たり、仲間とおしゃべりをしたりして時間をつぶしているのかもしれない。あのバナナはおじさんのお昼ごはんか、おやつだったかも知れないと思うと、胸が痛くなった。ビーチで朝からのんびりとしている老人の姿は、幸せの象徴のような気がしていたが、仕事をなくし、年金暮らしの老人が、日がな一日何もすることもなく、来るか来ないかわからない友人を何時間も待つことはなんとも悲しい事なのではないだろうか。しかし、それでも見ず知らずの観光客にバナナを分け与え、体を心配してくれるのは、心は常に豊かな証拠だと考えることにした。そして、おじさんがいつまでもにこにこして友達と毎朝会えることを願った。
「来年また来れたら、かならずここに来てみます」と言ってお別れをしたが、翌年の11月に行ったときは、おじさんの姿は見えなかった。もう昼近くになっていたので、おじさんはお友達と会ったあとどこかに行ったかもしれないし、たまたま用事があってその日はビーチにこれなかったのかもしれない。今年もまたハワイに行ったら、必ずおじさんを探してみたいと思う。今度はお礼のバナナを持って・・・。
この話を帰ってから家族に話すと、そのおじさんからみたら、朝御飯も買えない、よほど貧しい日本人に見えたんじゃないの、と笑われた。その後バナナを食べるときは必ず、バナナおじさん今日もビーチにでてるかな、と思い出す。少し若くて甘酸っぱいバナナを食べるときはなおさらだ。


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