沿革

 

尾戸焼は承応2年(1653)土佐藩二代藩主・山内忠義公の頃に大阪より陶工・久野正伯(くのしょうはく)を招いて、高知城の北、尾戸(現在の小津町)に山内藩の御庭焼として開窯され陶器が制作され、文政3年(1820)には能茶山に移窯されました。1820年より明治に至る50年あまりの間には、能茶山で磁器の生産もされておりました。現在も当窯では、尾戸焼古来よりの蹴轆轤などの技術や、松竹梅・雲鶴など伝統的図柄を絵付けし、轆轤は端正で薄作りの作風を先人の技術に劣る事のない様に努力を重ねております。