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日本古典文学演習7

あて宮求婚譚の存在意味―仲忠・涼優劣争いから見るー

日本語日本文学科3年97001017 伊藤 禎子

第一章

『うつほ物語』は、「俊蔭」の巻から始まっている。が、果たして元々「俊蔭」の巻から始まっていたのだろうか、という疑問が今までに何度かあがってきている。つまり、元々は「藤原の君」の巻が最初であって、その後で「俊蔭」の巻が追加された、というような考えである。(1)というのも、『うつほ物語』には様々な矛盾が生じているからである。そこで解釈するために、ある想定された読者を設定し、『うつほ物語』の成立そのものを論じてきたわけである。しかしその反面、そのような論争に疑問を抱き、今まで矛盾と思われていたことが本当に矛盾なのかどうか、筋の通る話として読むことは出来ないのかどうか、という論もしばしばあがっている。(2)私も後者の考えであり、「俊蔭」の巻から始まって「藤原の君」の巻へつながると見ることは可能であり、かつ、そう見ることによって矛盾が生じることはないと思っている。

そこで問題とするのがあて宮求婚譚の存在意味である。『うつほ物語』は、「俊蔭」の巻の音楽伝承譚から始まり、「藤原の君」の巻からあて宮求婚譚が始まっていて、物語中の雰囲気というものが異なっており(「忠こそ」の巻は継子いじめ譚の内容となっており、これもまた短編の小説のようなものが間に挟まっている状態になっている。)、あて宮が東宮に入内してあて宮求婚譚が終了すると、再び仲忠を中心とする音楽伝承譚が始まっているように読める物語である。しかし果たしてそうなのだろうか。『うつほ物語』は、音楽伝承譚→あて宮求婚譚→音楽伝承譚となって、あて宮求婚譚は単に間に挿入されたものなのだろうか、はたまた、元々はあて宮求婚譚が存在していて音楽伝承譚の開始である「俊蔭」の巻は追加されたものなのだろうか。「俊蔭」の巻からあて宮求婚譚の内容、そして再び登場する音楽伝承譚の内容は一貫していないのだろうか。そのような疑問を提示して、これを解明すべく考察を進めていくこととする。

第二章

前章で述べたように、あて宮求婚譚の存在意味を見ていくわけであるが、ここでは求婚者の中でも、仲忠と涼を中心にして考えていく。

多くの人があて宮に求婚するわけだが、その中でも仲忠はあて宮から一目置かれている。その仲忠と琴の面で並べられている、いわば琴のライバルである涼は、その他の求婚者と同様の扱いを受けている。では、仲忠があて宮にどのように見られているか、涼はどのような扱いを受けているか、実際に『うつほ物語』の本文から引いてみる。

あて宮御覧じて、人々の中に、こともなしと思す人なれば、かく書きつけて賜ふ。(春日詣)

あて宮はこの歌をごらんになって、仲忠は多くの懸想人のなかでも非の打ちどころもない人とお思い

なので、このように書きつけて返歌をくださる。

…孫王の君に、「これ折あらば」とて取らす。持て参りたれば、あて宮見たまふ。(嵯峨の院)

「この歌を、もし機会があったらあて宮にお渡ししてください。」といって渡す。孫王の君がその仲忠

の歌を持っていくと、あて宮はそれをごらんになる。

九の君と聞こゆれど、仲忠には御目とどめたまふ。いかではつかにも見むと思へど、さるべき折もな

し。馴れ馴れしき気色もなくて、まれに見ゆるは、いとめでたく清らにて、時々うち見えてさらに馴

れず。さればいと心憎くて、をかしき者になむ思しける。(嵯峨の院)

さすがの九の君も仲忠にはお目をとめられる。仲忠は、あて宮をなんとかしてほのかにも見たいもの

だと思うが、しかるべき機会もない。仲忠は馴れ親しもうとする様子もなくて、まれに姿を見せる様

子はじつに立派で美しく、ときどきおいでになっても決してなれなれしくない。それゆえあて宮は、

仲忠を、まことに奥ゆかしくて、すばらしいお方だとお思いである。

…とうち歌ふ声、いとめでたし。九の君、いとをかしと聞きたまふ。いと人気なき者には思さずなむ

ありける。(嵯峨の院)

…と歌う声がまことに結構である。九の君は非常に興趣があると、お聞きになる。そして仲忠を人並

の者とは思わないのであった。

以上は、あて宮から仲忠をどのように見ているかがわかる部分である。あて宮は仲忠に一目置いていることがわかる。他の求婚者から届いた文には、目もくれない描写があったり、仲介者のお願いがあって初めて文に目をとめる描写があるにもかかわらず、仲忠の文の場合は、仲介者の孫王の君が届けるとすぐにその文を見ているところに違いがある。また、仲忠が、誰に、というわけでもなく歌っているその声をあて宮は耳にとめているのである。そのことからもあて宮の仲忠に対する気持ちが伝わってくる。では、仲忠と涼に対する対応に違いはあるのかを見ていこう。

 

歌数

父の介入

その他の介入

あて宮の返歌

代返

仲忠

13

歌数の違いは、仲忠よりも涼の方が後に登場してきたことによる。父正頼は、あて宮に届いた涼の文にのみ目を通し、意見を述べる。あて宮は仲忠の歌には返事を返している(孫王の君に頼まれる場合も含む)が、涼には全く返歌をしていない。あて宮に贈り物をしてきた仲忠・涼のうち、仲忠にはあて宮から、涼には他の人から返歌をおくっている。

あて宮から二人はどのような扱いを受けていたか、その違いはどうであったか、上の表を見てもらえれば理解できるだろう。仲忠はあて宮に気に入られていたようである。ではあて宮求婚譚の決着は仲忠で決まりになるのだろうか…、といったらそうはならない。なぜなら、平安時代の婚姻は父親に決定権があるからである。(この場合、母親の意見が重視されていることも多い。)(3)あて宮の父正頼も当然あて宮の婿決定に中心となって働いているのである。(4)それではその中心人物である父正頼から、二人はどのように見られているのだろうか。(A:あて宮入内前、B:あて宮入内後)

A〈〈 →仲忠 〉〉

…『なほ遊ばせ。禄にらうたしと思ふ娘奉らむ』といひたらば、下り走り、舞踏して、になき声調べ

て、いとあまたの手弾きつる。すべていふよしなく、父おとど涙落したまひつ。げにはたいとめでた

き人にこそあれ。遊びたるさまも、さらにこと人似るべうもあらず。(俊蔭)

…やはり弾きなさい。ご褒美にはわたしが一番かわいがっている娘をさしあげよう、といいましたら、

階下に走り下りて排舞をして、比類もない音に調子をととのえて、じつにたくさんの曲を弾きました。

そのすべてがいいようもないほどすばらしく、父の右大将殿は、涙さえお落としになっておられまし

た。まったくじつにまた立派な人物です。演奏している様子も、すべてほかの人とは比べものになり

ません

この箇所からは、正頼が仲忠を褒めていることがわかる。褒めているといっても、それは特に「琴を弾く仲忠」である。この場面で正頼は仲忠に、「禄にらうたしと思ふ娘奉らむ」と言っているが、これは酒の席(=宴)での戯れであって、本音ではない。また、戯れであって本音ではないということはなにも正頼だけの考えではなく、酒の席にいる人全員の共通の考えであったであろうことは、現在の酒の席での状態を考えれば理解できる。そのことは、宴の後に家に帰った兼雅の発言からもわかる(5)

…才の徳に、たはぶれにても、大将の君ののたまはぬことなり。東宮ののたまはするにも出だし立て

られぬ娘、取らせむとのたまふぞありがたき。さばかり天の下の人の、肝絶えてまどふ君を。真実に

はあらねど、うれしくこそあれ。(俊蔭)

琴の技能のおかげで、冗談にも左大将殿が娘をやるなどとはおっしゃらないことですが、東宮がご所

望になられても入内させようとなさらない娘を、仲忠にあげようとおっしゃるなど、めったにないこ

とです。あれほど世間の男達が心を痛めて恋いこがれている娘をですよ。たとえ本当ではなくても

そうおっしゃってくださったのはうれしいことです。

同じような場面が、ほかにも見えるので紹介しておこう。

「今宵、かの御徳のうれしさは、ぬしのおはしたるなり。かの碁手物は、今宵神わざにもあるを、今

一度かのものの声聞かせたまへらば、ただ今も奉りてむかし」と欺きたまひて、御琴取うでて、切に

弾かせたまへども、さらに手も触れず。(嵯峨の院)

「今夜はあのあて宮のおかげでうれしいことは、あなたがおいでになったことです。あのときの碁手

のものは、今夜は神楽もありますから、もう一度あの見事な琴の音をお聞かせくださったら、たった

今でもさしあげましょう」と嘘をおっしゃって、御琴を取り出してしいて弾かせようとなさるけれど

も、仲忠はいっこうに手も触れない。

この場面も前と同様に宴の場面である。前回も今回も正頼は、あて宮を利用して仲忠に琴を弾かせようとしている。あて宮をえさにすれば仲忠は琴を弾くかもしれないと思っているわけで、そんな嘘をついてまで正頼は仲忠の琴が聞きたいと思っていることになる。ということは、正頼は仲忠の琴の腕を高く買っていることになり、ここでも仲忠を、「琴を弾く仲忠」として褒めていることになる。つまり仲忠を〈芸の人〉と見て褒めているのである。

かの人は、只今の世一にて、うちにも、ここにも雲井より降りたるまうとに思ひ聞こえ給ふ人を。

(菊の宴)

あなたは、只今の世の一人者で、帝も正頼も、天人のように大事な方だとお考えになっている人です。

この場面は涼と琴を弾いて帝から禄を与えられたシーンから出ているので、ここで言う「雲井より降りたるまうと」という褒め言葉は、仲忠を才芸の面から見ていることによる。

もちろん仲忠を〈芸の人〉ではなく、純粋に人として褒めている場面も存在する。

殿の内には、宮もおとども、いと恥づかしく心憎き者に思したり。(嵯峨の院)

邸内では、大宮も左大将殿も、この仲忠を非常に立派で奥ゆかしい人物だとお思いになっている。

〈〈 →涼 〉〉

紀伊国の吹上の君の御もとより、いかでと思ひけるを、人さへ語り聞かせたまへれば、静心なく覚え

ければ、あるが中に才ある童して、かく聞こえたてまつる。

「おぼつかないかで心を筑波嶺のますかげなしと嘆くなるらむ

かつはあさましくなむ」と聞こえたまへり。大将のおとど見たまひて、「ただ今ののしる人にこそはあ

んめれ。上達部になりぬべき君なめれば、つれなくいひくたしたるなめりかし」などのたまひて、…

(祭の使)

紀伊国の吹上の源氏の君のところからも、便りがしたいと思っていたところが、他人までがあて宮の

噂をお聞かせ申すので、落ち着いてもいられなくて、童の中でも特に気のきいた者を使いとして、こ

のような歌をお贈り申しあげる。

「ほんとうに心もとないことです。どうして人々はあなたに心を尽くして、あなたほどの女性はいな

いと嘆いているのでしょう。不安に思いながらも、一方ではあきれるほどに思っております」と申し

あげる。左大将殿がこの歌をごらんになって、「今世間で大騒ぎをしている評判の人でしょう。当然上

達部におなりになるはずのことだから、冷淡に人々をいい落としたのでしょう」などとおっしゃった。

近きほどだにかく思ほしいらるめれば、まして紀伊国の源氏、限りなく思ひ嘆くままに、かたち清ら

に心ある童べ、人の子どもに、装束を清らにせさせて、時々にめづらしき花、紅葉、おもしろき枝に

ありがたき紙に書きて、日に従ひて奉らるるにかくなむ。

「数知らぬ身よりあまれる思ひにはなぐさの浜のかひもなきかな

とのみなむ。いでや塵もこそ積もる所あなれ、とまる影も覚えぬこそおぼつかなけれ」など聞こえた

り。おとど見たまひて、「上衆の所にうち出でたるに、かたはらいたからぬ文かな」などのたまへど、

(祭の使)

このようにあて宮の周辺におられる人でさえ、恋こがれているようなのに、ましてや紀伊国の源氏は、

このうえなく思い嘆くままに、容姿の美しい気のきいた童べや子供たちに、美しい装束をさせて、四

季折々の珍しい花や紅葉の風情ある枝に、立派な紙に書いた手紙を付けて、毎日のようにお贈りにな

るが、その一つにこのようにある。

「数えきれないほどにわたしの身からあふれ出る物思いには、心を慰めるという名のなぐさの浜にい

ても、なんのかいもありません。とばかり思っております。いや、目に見えない塵さえも積もるとこ

ろがあるというのに、あなたの面影も思い出せないのが、心もとないことです」などと申しあげた。

左大将殿がごらんになって、「高貴な方々のあたりに出しても恥ずかしくないお手紙だな」などとおほ

めになったけれど

以上の二つの場面は、正頼がまだ涼に対面したことのない時期の内容であるから、ここでは、正頼は「今世間で評判の涼」ということで気になっている場面といえる。

初雪降る日、涼の中将、

雲居より袂に降れる初雪のうちとけゆかむ待つが久しき

おとど見たまひて、「九月に仰せられしを思ひたるなめりかし。警策なる人にあれば、かしこをば人に

こそ頼み聞こえたれ」などのたまふ。(吹上 下)

初雪の降る日、涼の中将、

雲の上からわたしの袂に降る初雪が解けるのを待っているのも、久しいことです。

左大将殿がこの歌をごらんになって、「九月に帝が仰せになったことを思っているのでしょう。すべて

に優れた人だから、あの涼を優れた人として帝も信頼なさっておられるのです」などとおっしゃる。

正頼は、「警策なる人(=人柄や容姿が優れた人)」として涼を評価していることがわかる。

以上、(A:あて宮入内前)について見てきたが、結局正頼は仲忠も涼も褒めていることがわかる。あて宮も仲忠に一目置いていたし、正頼も仲忠を高く評価しているから、やはりあて宮求婚譚は仲忠で決まりのはずである。しかし物語はそのようには展開しない。

人のしきにつきて見たまへしに、親王たち、上達部、ある限り参りたまふ中に、右大将、侍従、一つ

に奉りて下りたまひしこそ、ありがたく見えしか。そが中にも、侍従を見たまへしこそ、常はいとは

しき女の子のよき欲しかりしかな」とのたまふ。(祭の使)

人の有様について見ても、親王たちや上達部がすべて参内なさるなかで、右大将と侍従が一つ車にお

乗りになってお下りになったお姿などは、まことにめったにないほど立派に見えました。そのなかで

も、侍従仲忠を見ました時は、いつもはあまり欲しいと思わない女子ですが、仲忠を婿にするよ

うな娘が欲しいとつくづく思いました」などとおっしゃる。

正頼の女子のうち、未婚はあて宮以下の六人である。が、あて宮以下の五人の女君は裳着をすませていないので、今すぐに婿取りを行うわけにはいかない。あて宮ならすぐに婿取りを行えるのにもかかわらず、そのあて宮の存在は考えずにその他の娘のことを考えて、「仲忠を婿取りしたくても娘がいない」としていることから、初めから仲忠をあて宮の婿候補には考えていないことがわかる。さらに、

「ここにも、それをなむ思ふ。兵部卿の宮、右大将などは、ただ人にても、こともなき人にこそあめ

れ」。「それも、いと切にのたまふなれど。……(嵯峨の院)―*「菊の宴」重複部分も同様。

「わたしもそのことを考えているのです。兵部卿の宮もよいと思うし、右大将などは臣下の身分であ

っても難点のないお人のようです」。大宮、「その方々もじつに熱心にお気持を訴えられているようで

すけれど。……

あて宮の婿候補を大宮と相談している部分において、あがってくる名前は「兵部卿の宮」「右大将兼雅」であって、仲忠・涼ではない。正頼は仲忠を(特に)琴の腕について褒めていたが、それはあて宮求婚譚の中では決して+(プラス)に働いてはいないことがわかる。あて宮求婚譚において、仲忠も涼もメインとして働いておらず、共に脇役にまわってしまっているのである。

このことはおそらくこの物語が書かれた時代の影響を受けていることによるのであろう。本文中(「菊の宴」)にも「心ざしてもこそは参らすれ」(東宮からの御懇請を待たず、こちらから進んでも差し上げるのが当世です)という発言があることからも言える。つまり、正頼は、政治の世界に生きる男として、当然の婿選びをしているのである。たとえ『うつほ物語』が琴の物語から始まっていたとしても、正頼は〈芸の人〉の仲忠に向くこともなく、すばらしい演奏をして帝からあて宮を与えるという宣旨を下された涼に向くこともない。ここから、仲忠が〈芸の人〉であることに対して、正頼は〈政治の人〉ということが出来る。(6)正頼と仲忠は、生きる世界が違うのである。だから(A:あて宮入内前)において、仲忠は正頼に、主に琴(=芸)の面でばかり褒められていたのである。仲忠が芸の面で褒められ、(主に)芸の面を認められることによって、正頼の生きる政治の世界から切り離されていたと言うことが出来る。

ではなぜ婿候補にあがるはずもない仲忠に、あて宮はわざわざ一目置く存在として登場してきたのだろうか。

あて宮の入内前は、正頼による政治の世界の物語であったため、〈芸の人〉である仲忠は脇役にまわらざるを得なかったが、あて宮の入内後、女一の宮の婿となり、身分が上がり、政治の世界にも参加するようになって、いわば〈政治〉の世界と〈芸〉の世界が一つになっていく。あて宮は、〈政治〉の世界の一員でありながら、入内前から仲忠を認めていることで、いつかは一つの世界になるであろう〈政治〉の世界と〈芸〉の世界とをあらかじめつないでおく働きを持った存在なのではなかろうか。

B:あて宮入内後

あて宮の入内後は、仲忠と涼が主に婿候補としてあがってくる。帝の宣旨を下されたことからも、この二人の優劣を比べるとなると、やはり琴の腕が重要になってくる。それでは、正頼だけでなく、院の帝(=嵯峨の院)、帝(=朱雀帝)もこの二人をどのように見ていたか、考察する。

〈〈 院の帝→涼 〉〉

御遊び始まりて、上、琵琶の御琴、仲忠に和琴、仲頼に筝の琴、源氏に琴の御琴賜ひて遊ばす。つつ

むことなく、おぼめくことなし。「いかでかくはし習ひけむ」と仰せたまひて、また、筝の御琴賜ひて

弾かせたまふ。いづれもいといとめでたし。こくばくの上手どもにまされり。御琴を取りてさぶらふ

を御覧じて、

昨日まで二葉の松と聞こえしを陰さすまでもなりにけるかな (吹上 下)

管絃の御遊びが始まって、院は琵琶の御琴、仲忠には和琴、仲頼には筝の琴、源氏の君に琴の御琴を

与えられて、演奏あそばされる。源氏の君の琴の演奏は、技を惜しみ隠すこともなく、怖じてまごつ

くこともない。院は、「どうしてこんなにもよく練習したのだろう」と仰せになって、今度は筝の御琴

をお与えになってお弾かせになる。どちらの弾奏もじつに見事である。その技量は、多くの名人たち

にも勝っている。御琴を前に置いて伺候しているのを院はごらんあそばされて、

昨日までは幼くて二葉の松だと聞いていましたのに、いつの間にか枝葉が繁って陰ができるまでにも

なったのですね。

〈〈 院の帝→仲忠 〉〉

仲忠、俊蔭が後といへども、俊蔭隠れて三十年、仲忠世間に悟りありといへども、かれが時に合はず。

琴におきては娘に伝ふ。娘仲忠に伝ふ。それだにありがたし。書の道さへやは、俊蔭女子に教えけむ。

すべて、仲忠、仲頼はいとあやし。変化の者なり。 (吹上 下)

仲忠は俊蔭の子孫とはいっても、俊蔭が亡くなってすでに三十年、仲忠が世に評判の利発者であって

も、俊蔭の存世中には生まれていないはずである。だから琴についていえば、俊蔭はその秘手を娘に

伝え、それから娘が仲忠に伝えたことになる。そうした直伝でなくてさえ、仲忠は世にも稀な技量を

持っている。しかし学問の道までを俊蔭は娘に伝えたであろうか。すべてにつけて仲忠、仲頼は、ま

ったく不思議な者たちだ。きっと神仏の生まれ変わりなのであろう

まず、院の帝は涼に対し、その琴の腕を「こくばくの上手どもにまされり」、つまり「多くの名人たちにも勝っている」と言っている。しかし多くの名人と比べて上手だと言っているだけであって、決して仲忠と比べて上手だ、勝っているとは言っていないのである。それに比べて仲忠に対しては、誰かと比べて勝っている、というふうには言っておらず、しかも「変化の者なり」とまで言っていて、褒め言葉のレベルが涼のそれとは比べ物にならないことがわかるであろう。

それでは次に、帝の宣旨とその周辺について見ていく。帝の宣旨は「涼にあて宮を与える」、というものであって、そうすると、弾奏が仲忠よりも涼のほうが優れていたのではないかという気がしてこなくもない。(7)だが、本当にそうであろうか。

〈〈 帝→仲忠・涼 〉〉

「いはゆるあてこそ。それこそはよき今宵の禄なれ。涼にはあてこそ、仲忠には、そこに一の内親王

ものせらるらむ、それを賜ふ」

帝、「世間で評判のあて宮、それこそ今夜のもっともよい禄ではないか。涼にはあて宮、仲忠には、そ

なたのところに第一皇女がおられるであろう。それを与えよう。」

かの人は只今の世一にて、うちにも、ここにも雲井より降りたるまうとに思ひ聞こえ給ふ人を。さる

ついでにしか仰せられぬ

あなたは只今の世の一人者で、帝も正頼も、天人のように大事な方だとお考えになっている人です。

そういう方だから、あの折内親王をと仰せられたのです

以上の部分と次の部分を合わせて考えてもらいたい。

宮「…頭中将にこそ娘一人とらせて、子いで来ば、琴ついてもさせむと思ひつれ。…」おとど「上も

さ思ほして、御心とどめて物のたまふにこそあめれ。…」 (沖つ白波)

大宮、「仲忠にこそ、娘を一人やって、子が生まれたらそれに琴を習わせようと思ったのに。」正頼「

もそなたと同じようなお考えで、仲忠には女一の宮をとの思召しで、特別御注意遊ばしてお扱いにな

っているようだ。

帝は本当に「女一の宮に仲忠を」と考えていることがわかる。ということは宣旨の「仲忠に一の内親王を」という言葉は帝の言葉として特別な意味を持っているのである。つまり、女一の宮は帝の娘であるから、琴を伝授していってくれるであろう仲忠は、帝にとってもぜひほしい人物であり、だからこそ宣旨の場面で帝はあのような発言をしたのである。琴の腕が勝っていたのは涼ではなく、やはり秘琴伝授の家の子である仲忠なのであって、自分の娘に婿取りしたいのは涼ではなく仲忠なのである。そうすると、では涼には誰を与えると言えば良いだろうか、となると、今世間で評判のあて宮を与えると言えば涼も満足するはずだ、となり、だから帝は「涼にあてこそ」と言ったのである。(いわば涼に与える禄は仲忠に合わせて考えられたもの、と言える。)

以上見てきたことから、院の帝も、帝も、琴(=芸)の面において、涼よりも仲忠のほうを上としていることがわかる。

ところで、(A:あて宮入内前)においては仲忠も涼も、正頼の婿選びにおいて単なる脇役に過ぎなかったが、(B:あて宮入内後)の正頼家の婿選びにはこの二人がメインとなっていることは先に述べた。そこで正頼と大宮二人の相談において、この二人はどちらがすばらしいとされているのか、またどちらをぜひとも婿取りしたいと思っているのであろうか。


(*下線―涼/二重線―仲忠)


「さは源中将も仲忠の朝臣にいづこかは劣れる。更に劣り勝りたることなき人にこそあなれ」

(涼も仲忠にどこが劣るというのでしょう。ちっとも優劣はないではありませんか。)

源中将は勢こよなく勝りたなり。さりとも、け劣るは。人柄はいと等しきを、心恥しげさと才とは、


頭の中将はなほ勝りたらむ。…ただこの世にここばくの容面、らうある人のなかにも、すぐれたる人、


この二人にこそはあれ。…」

(涼は裕福な点ではこの上なく勝っている。それにしても仲忠には劣っています。人柄は同じくらい

優れていますが、こちらが恥ずかしくなるような美点や、様々な優れた才能では、頭中将の方が勝っ

ているでしょう。…ただ世間の多くの顔かたちが優れ、熟練している人々のなかでも、優れている人

は仲忠と涼の二人だけである。)

「なほ正頼は、この頭中将こそいとほしけれ。世の常の人にもあらず、めでたき公卿の一人子にて、


よろづのこと心もとなからぬ。此の世の人の限りなくあらまほしきになむ。…源中将はいとめもあや


に、ひとつものなりとみればこそ、ふさいにはおぼえぬ。…」

(やはり私はこの仲忠がかわいい。並々な人ではなく、すばらしい公卿の一人子であって、何をして

も見る者に不安を感じさせることがない。世の人がどこまでもこうありたいと思う理想的な人です。

…涼は美しいうえに、同じ源氏だと思うと他人とは思えない。)

頭中将にこそ娘一人とらせて、子いで来ば、琴ついてもさせむと思ひつれ。


(仲忠にこそ、娘一人やって、子が生まれたらそれに琴を習わせようと思ったのに。)

源氏の中将も殊に劣らぬ人にしも、かたちも才も司冠もおなじごと、ただいきほひなるのみなん思

ふにはあらぬ。

(涼も仲忠にこうと言って劣らない方で、容姿も才能も位も同じようなもの、ですが、ただ人望、威

徳の点では涼は仲忠におよばない。)

以上の事柄をわかりやすく表でまとめると、下のようになる。

仲忠

 

 

 

人柄

裕福さ

心恥しげさ

威徳・人望

 

 

 

涼の場合は外見的な条件を、仲忠の場合は内面的な条件を、それぞれあげては褒めている。大宮においては、仲忠を婿に欲しい理由はやはり“琴”の点である。また正頼の褒める仲忠の“才”とは、Aで見てきたように、“琴”の才能である。涼の琴の才能も褒めてはいるがそれは「おなじごと」であって、決して仲忠を超えるものではない。これは院の帝の言っていた言葉「こくばくの上手どもにまされり」からも言えることである。よって、Aの場合は、正頼の政治の世界であったため脇役にまわされた仲忠と涼であったが、Bの場合は、正頼の婿取りのメインになり、芸の世界に生きている仲忠と涼のあらそいになっている。が、以上見てきたように、琴の点では仲忠が涼を上回り、かつ正頼夫婦が仲忠を欲しがっていることから(結局琴の腕が優れている仲忠を帝が婿取りしたので涼を婿取りすることになったが。)、琴の点で婿取りの決着を左右していることがわかる。

第三章

前章までで、『うつほ物語』においては、仲忠・涼は琴の腕がその運命ともいうものを左右していることを述べた。ここで、内容を少し変えて、読者達は一体仲忠・涼のどちらがすばらしいと見ているかについて考えていく。『枕草子』に仲忠・涼優劣争いのシーンがあるので、それを見ていこう。(8)

御前に、人々いとおほく、うへ人などさぶらひて、ものがたりのよきあしき、にくき所なんどをぞ、

さだめ、いひそしる。すずし・なかただなどがこと、御まへにも、おとりまさりたるほどなど、おほ

せられける。まづ、これはいかに。とくことわれ。なかただがわらはおひのあやしさを、せちに仰せ

らるるぞなどいへば、なにか、きんなども、天人のおるばかりひきいで、いとわるき人なる。御門の

御むすめやはえたるといへば、なかただがかた人ども、所をえて、さればよなどいふに、(七十八段)

御前に、女房が随分大勢詰めているし、殿上人たちも参上していて、物語のよしあしや、好みに合わ

ない欠点などを評論し、批判する。涼と仲忠のことを、中宮様までが、短所や長所なんかを、お口に

なさっていたのだった。「ちょっとこれはどういうことでしょう。早く弁護してください。中宮様は、

仲忠の生い立ちの賤しさを、しきりにおっしゃるのです。」などと言うので、「どうして、(仲忠は)琴

なんかも天人が天降るほどにすばらしく演奏して(帝の御女をもらいましたし)、そんな下品な人なも

のですか。(涼は)皇女様をもらいましたか(そうじゃないじゃありませんか)」というと、仲忠びい

きの人達は、元気づいて、「やっぱりねえ」なんていうので、

一読者として、定子は涼を、清少納言は仲忠を、と思っているようである。定子が涼をと思った理由は、「仲忠の生い立ちの賤しさ」が気になるからであって、特に涼の琴の腕を買っているから、というわけではないようだ。清少納言が仲忠をと思った理由も、「仲忠が女一の宮をもらったから」であって、特に涼よりも琴の腕が優れているからということは考えていないようだ。ここが一読者と『うつほ物語』の一主題(=琴の家の物語)との違いである。『うつほ物語』の中では、たとえ富豪の家の生まれであれ、一世の源氏であれ、代々秘琴を伝授してきた家の仲忠には、生い立ちの賤しさは乗り越えられる問題で、涼は仲忠に及ぶはずもないのである。もちろん定子のように仲忠の生い立ちの賤しさが頭から消えないのは、『うつほ物語』の中でも(9)その当時でも現代でも当然のことである。(当然のことであるからこそ、女房達は定子の意見に反論できなかったのである。)また、清少納言は仲忠が女一の宮をもらったことにおいて評価しているが、『うつほ物語』の中で仲忠が女一の宮をもらうことになった理由は何であったか。琴の腕が、涼よりも優れていたからである。そうでなければ仲忠が皇女をもらうことなど実現しなかったはずである。清少納言に仲忠が評価されたのも、琴の腕が優れていた事実があればこそ、なのである。

よって、『うつほ物語』において、仲忠・涼の琴の腕、芸の才能、というのは重要なキーワードとなろう。

第四章

(B:あて宮入内後)において、仲忠のそれほどまでにすばらしい琴の腕が、また、それほどまでにすばらしい琴の家の人間であることが、+(プラス)に働いていることがわかった。しかし(A:あて宮入内前)においては、−(マイナス)に働いていた。つまり琴の家の人間であることが+(プラス)に働く場合と−(マイナス)に働く場合とに書き分けられていることがわかるのである。

第一章で疑問を提示しておいたが、ここまで見てきたことによって、『うつほ物語』は、音楽伝承譚の間にあて宮求婚譚が意味無く挟まっているわけでもなければ、あて宮求婚譚があってその後に「俊蔭」の巻ができたのでもない、ということがわかるであろう。「俊蔭」の巻で音楽伝承譚開始が話され、仲忠が、音楽の人であり芸の家の人であるということを十分に読者に印象づけさせておいたのである。そして、普通ならば主人公が、つまり芸の家の人である仲忠があて宮をどのようにして得ていくかを読者に期待させておきながら、結局東宮に入内してしまうという展開をさせる。つまり仲忠が芸の家の人であるということを−(マイナス)に働かせているのである。あて宮求婚譚終了後、再び音楽伝承譚が始まり、そこでは+(プラス)に働く。読者にとってみれば、「待ってました!」の瞬間である。よって、あて宮求婚譚は音楽伝承譚の一過程となっているということができる。「俊蔭」の巻から「藤原の君」の巻、そして「あて宮」の巻以降へ、物語の主題(=琴の家の物語)は一貫して通っているのである。

〈〈 参考文献 〉〉

  1. 野口元大「うつほ物語の形成―首巻をめぐっての問題」(「国語と国文学」1955年12月)

[『古代物語の構造』(1969年5月 有精堂)収録]

(2) 室城秀之「序章1 うつほ物語研究の現在の課題」(「解釈と鑑賞」1980年9月)

[『うつほ物語の表現と論理』1996年12月]

(3) 服藤早苗「第1章 さまざまな結婚のかたち」(『平安朝の母と子 』1991年1月)

高嶋めぐみ『わが国における婚姻の実態的変遷』1997年4月

(4) 江守五夫『物語にみる婚姻と女性『宇津保物語』その他』1990年10月

(5) 室城秀之前著「序章2 宴と酒と音楽と」

(6) 同上 「第一章 1 あて宮春宮入内決定の論理」

あて宮の春宮入内は、正頼家の現実的・政治的な状況判断によって選びとられたものであり、そこには、

一世源氏として臣籍に降下させられた正頼の王権獲得を目指す意志がある。物語は、あて宮求婚譚を、

政治的な<横の系図の論理>によって王権獲得を目指す<家>の物語として展開させてゆくのである。

そして、その<家>の物語においては、求婚譚はあくまでも春宮と<上達部・親王たち>の争いであっ

て、琴の<家>の物語の主人公である仲忠でさえも、そこでは単なる脇役の一人でしかない。…

秘琴伝授をめぐる俊蔭一族の物語も、やはり<家>の物語であって、この二つの<家>の物語の主人公

である仲忠とあて宮は、結ばれ得べくもないのである。『うつほ物語』は、二つの<家>の物語である。

(7) 中野幸一『うつほ物語@』小学館 日本古典文学全集―「吹上 下」本文・注

(8) 萩谷朴『枕草子解環二』

(9)本文「内侍のかみ」の巻

(10)本文引用には、小学館・日本古典文学全集と岩波書店・日本古典文学大系を利用した。

 

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