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〈自由研究〉薫物について

長谷川 真琴

【薫物とは】

・薫物…沈・白檀・丁子など種々の香を練り合わせて作った練香。合香。合薫物。

・合香…香料を練り合わせて作った香。陶器の香合に入れる。練りともいう。

・合薫物…香の一種。数種の香料を細かくして甲香を混ぜ、蜜または甘葛などで練り合わせたもの。香料の配分により、侍従、黒方、梅花などの名がある。あわせごう。練香。

・練香…香の一種。麝香、龍脳、沈香などの粉末に甲香を混ぜ、蜜で練り合わせたもの。あわせこう。あわせたきもの。(日本国語大事典より)

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「薫物」とは、後世の香道のように香木そのものをくゆらすのではなく、調合して自分の好みの香りを作る練香である。

【香料の種類】

1沈(沈香)…@ジンチョウゲ科の常緑高木。インドから東南アジアに分布する。幹は高さ二〇bにも達する。葉は長さ五〜七センチbの長楕円形で先は尾状にとがる。花は先が深裂した鐘形で白色。果実は長さ約五センチbの楕円状で、熟すと二裂する。材は香木として珍重され、インドでは薬用にもする。じん。A@から製した天然香料。生木または古木を土中に埋めて腐敗させ、樹脂を採集したもの。光沢のある黒色の優良品を伽羅という。

(沈が入れ物、あるいは人形などに加工されている例)

かくて、種松調ぜさするほど、贈り物に、一所に、白銀の旅籠一掛、山の心はへ組み据ゑて、それに唐綾・薄物など入れて、白銀の馬に沈の結鞍置きて、白銀の男に引かせたり。沈の檜破子一掛、合はせ薫物・沈を、同じやうに、沈の男に引かせ、丁子の薫衣香・麝香などを破子の籠ごとには入れ、薬・香などを、飯などの様にて入れて、沈の男に担はせたり。(うつほ物語 吹上・上)

(訳)こうして、種松が用意したのは、贈り物として、白銀製の旅籠(旅行用の食物を入れる容器)に山の様子を装飾して、それに唐綾・薄物などを入れて、白銀製の馬に沈製の結鞍を置いて、その上に旅籠を乗せ、それを白銀製の男に引かせた。沈製の檜破子・合わせ薫物・沈を、同じように、沈製の男に引かせ、丁子・薫衣香・麝香などを、破子の区分ごとに入れ、薬・香などをご飯の様に入れて、沈製の男に背負わせた。

2白檀…@ビャクダン科の半寄生の常緑高木。インド原産で、熱帯各地で栽培されている。高さ七bに達する。葉は柄をもち対生し、葉身は黄緑色を帯び、長さ五〜八センチb。雌雄異株。花は枝先に円錐状に付き、はじめ緑白色で、すぐ赤く変わる。果実は径約一センチbの球体で黒く熟す。心材は黄白色で、芳香があり、古くから香料として珍重されている。また、仏像や美術品の彫刻材とされる。材からセンダン油を製する。栴檀。A白檀香の略。白檀香…香の一種。白檀からつくったもの。白檀。

(白檀を仏像の材木に使った例)

阿弥陀仏、けうじの菩薩、をの白檀して造り奉りたる、こまかにうつくしげなり。(源氏物語 鈴虫)

(訳)阿弥陀仏、脇侍の両菩薩ともそれぞれ白檀の木でお造り申し上げたのが、きめがこまかく美しい。3丁子…フトモモ科の常緑高木。モルッカ諸島原産で、アジアの、主に熱帯で広く栽培されている。幹は高さ一〇bくらい。葉は長さ約七センチbの先のとがった長楕円形で、対生し光沢があり革質で油点を散在する。花はつぼみで白色、やがて淡紅色の小さな筒状花で枝先に集まって咲く。花弁は落ちやすく、多数のおしべを持ち、目立ち、はげしい芳香がある。果実は紡錘形で長さ二センチbくらい。つぼみを乾燥させたものを丁子、あるいは丁香といい、古来、有名な香料の一つで、紀元前からギリシアや漢に知られ、日本では正倉院御物に見られる。香料や健胃、防腐など多方面に用いる。クローブ。4麝香…ジャコウジカの下腹部にある鶏卵大の麝香腺を乾燥して得られる香料。紫褐色の粉末で芳香がきわめて強く、強心剤、気付け薬など種々の薬料としても用いられる。麝香のへそ。5龍脳…龍脳樹、ラベンダー油などに含まれるアルコールの一種。龍脳香。6甲香…合薫物に用いるさざえなどのあきがいのふた。香料に混ぜてたたく。

【薫物の種類】

A侍従…香の一つ。沈香、丁子香、甲香、甘松香、鬱金香または麝香などを練り合わせて作る。

       ※甘松香…オミナエシ科の多年草。ヒマラヤ地方原産。茎は高さ四〜八センチb。葉は楕円形で、根生葉と一〜二対の茎葉がある。花は小形で多数頂生する。根茎を乾燥したものは芳香があり、薬用、香料とする。

       ※鬱金香…ショウガ科の多年草。また、ときにその根。熱帯アジア原産で、根茎は黄色染色、香料に、また止血、健胃の薬用とする。古くから栽培され、日本では九州の一部と沖縄に自生する。地下に黄色の大きな根茎があり、バショウに似た長さ四〇センチbほどの長楕円形の葉がでる。秋、淡黄色の小さな花が咲く。

B黒方…薫物の一つ。沈香・丁子香・甲香・麝香・薫陸香・白檀香などを蜜で練り合わせてつくる。冬の薫物で、幽玄をあらわすとされた。

  ※薫陸香…インド・イランなどに産する樹のやにの一種。盛夏に砂上に流れ出て、固まって石のようになったもの。香料・薬用となる。乳頭状のものは乳香という。C梅花(梅花方)…梅花の香のする薫物。沈香・占唐香・甲香・甘松香・白檀香・丁子香・麝香・薫陸香を練り合わせて作る。春に用いる。一説に、右のうち占唐香および白檀香を除く。

  ※占唐香( 糖香)…香の名。 糖樹の枝葉を煎じてつくったもの。糖に似ていて黒い。 糖樹は橘に似た木で、中国南部の地で産するという。

D荷葉…はすの花の香に似せたもの。沈香、丁子香、甲香、霍香、白檀香、甘松香、鬱金香を練り合わせたものといわれるが、別の説もある。夏に用いる。

E薫衣香…衣服にたきしめる香。甲香、丁子香、白膠香、沈香、蘇合香、甘松、麝香、白檀、薫陸香、その他二、三種類を混ぜて作った練香。

  ※蘇合香…小アジア地方に産するマンサク科の落葉高木の樹皮から取った樹脂を香料にしたもの。あるいは諸種の香草を煎じた汁から製した香料ともいう。

Fえび香…各種の香料を調合して作った薫物の一種。衣服にたきしめる。また、栴檀の葉皮を臼でついて、ふるいにかけて作るともいう。

※香を作るには、基本的に右のような材料を用いたが、そこに個人の工夫と創意を加え、またその方(合わせ方)は秘伝とされた。

[秘伝]

 おとゞは、寝殿に離れおはしまして、承和の御いましめの二つのほうを、いかでか御耳には伝へ給けん、心にしめて合はせ給。上は、東の中の放出に、御しつらひことに深うしなさせ給て、八条の式部卿の御ほうを伝へて、かたみにいどみ合はせ給ほど、いみじう秘し給へば、「匂ひの深さ浅さも、勝ち負けの定めあるべし」と、おとゞの給、人の御親げなき御争い心なり。いづ方にも、御前にさぶらふ人あまたならず。(源氏物語 梅枝)

(訳) 源氏の大臣は、一人寝殿に離れていらっしゃって、承和の帝(仁明天皇)が男子にお禁じになった黒方・侍従の二つの調合方法を、どうやって伝承なさったのであろうか、心を入れて調合なさった。紫の上は、東の対の中央を屏風、几帳などでお囲みになって、その中で八条の式部卿の調合法で作っており、源氏も紫の上もおたがいに張り合って、たいそう秘密にしていらっしゃったので、「匂いの深さ浅さも、勝ち負けを決めることにしましょう」と源氏がおっしゃるのは、人の親とも思えない、気の若い競争心である。二人とも、御前に仕える女房は少数であった。

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    夫婦であっても方を秘密にし、手伝う女房も厳選されている。

[個性]

 さらにいづれともなきなかに、斎院の御黒ぼう、さ言へども、心にくゝしづやかなる匂ひことなり。侍従は、おとゞの御は、すぐれてなまめかしうなつかしき香なり、と定め給。対の上の御は、三種あるなかに、梅花ははなやかにいまめかしう、すこしはやき心しらひを添へて、めづらしきかほり加はれり。「このごろの風にたぐへんには、さらにこれにまさる匂ひあらじ」とめで給。夏の御方には、人 のかう心  にいどみ給なる中に、数  にも立ち出でずやと、煙をさへ思ひ消え給へる御心にて、たゞ荷葉を一種合はせ給へり。さま変はり、しめやかなる香して、あはれになつかし。冬の御方にも、ときときによれる匂ひの定まれるに、消たれんもあいなしとおぼして、薫衣香のほうのすぐれたるは、前の朱雀院のをうつさせ給て、公忠の朝臣の、ことに選ひ仕うまつれりし百歩のほうなど思えて、世に似ずなまめかしさを取り集めたる、心をきてすぐれたり、といづれをも無徳ならず定め給ふを、「心ぎたなき判者なめり」と聞こえ給。(源氏物語 梅枝)

(訳)

 まったく優劣つけがたい薫物の中で、斎院が調合なさった黒方は、そうは言っても、奥ゆかしく、落ち着いている匂いが格別である。侍従は、源氏の調合したものがすぐれて優雅で慕わしい、と兵部卿宮はお決めになった。紫の上の薫物は、三種類ある中で、梅花がはなやかで当世風であり、珍しい香りの加わったものだった。兵部卿宮は、「この時節の風に匂わせるには、これに勝る香りはないでしょう」と感心なさっていた。花散里の君は、人々がこう思い思いに競っていらっしゃる中に、自分のような者がいくつもの薫物を出さない方がよいだろうと、調合することにさえ消極的なお気持ちで、ただ荷葉を一種類だけ調合なさった。ちょっと変わった、落ち着いた香りで、しみじみとして慕わしかった。明石の君も、時節に応じた薫物が決まっているので、定石通りの調合をして見劣りがするのも面白くないとお思いになって、薫衣香の調合法で優れているのは、前の朱雀院のをうつさせなさって、公忠の朝臣が、とくにお選び申し上げた百歩の方などを参考にして、この上なくすぐれて優雅なのをとり集めたのは、とくに優れている、とどれも誉めていらっしゃるのを、源氏は「ひどい判定者だ」と申し上げなさった。

[うつほ物語における用例]※うつほ物語には、梅花と荷葉は登場しない。

 かくて、六日になりぬ。女御、麝香ども、多く抉り集めさせ給ひて、 衣・丁子、鉄臼に入れて搗かせ給ふ。練り絹を、綿入れて、袋に縫はせ給ひつつ、一袋づつ入れて、間ごとに、御簾に添へて懸けさせ給ひて、大いなる白銀の狛犬四つに、腹に、同じ薫炉据ゑて、香の合はせの薫物絶えず薫きて、御帳の隅々に据ゑたり。廂のわたりには、大いなる薫炉に、よきほどに埋みて、よき沈・合はせ薫物、多く焼べて、籠覆ひつつ、あまた据ゑわたしたり。御帳の帷子・壁代などは、よき移しどもに入れ染めたれば、そのおとどのあたりは、よそにても、いと香ばし。まして、内には、さらにも言はず。しるしばかりうちほのめく蒜の香などは、ことにもあらず。(蔵開・上)

(訳) こうして、いぬ宮誕生から六日目になった。女御は、麝香などを多くそろえ集めさせなさって、 衣・丁子を鉄臼に入れて搗かせなさった。練り絹に綿を入れて、袋に縫わせなさりながら、一袋ごとに麝香や 衣・丁子を入れて、柱と柱の間にある御簾に袋をおかけなさって、大きな白銀製の狛犬四つの腹に、同じ薫炉を据えて、合わせ薫物を絶えず薫いて、御帳の四隅に据えた。廂のあたりには、大きな薫炉に火を入れ、上等の沈や合わせ薫物を多くくべて、籠を覆いつつ、いくつも据えておいた。御帳の垂れ布や壁などは、上等の移しの香などでたき染めたので、その御殿のあたりは、他のところよりも香りがいい。まして、内側はいうまでもない。少しばかりのにんにくの香りなどは消されてしまう。右大将殿、大いなる海形をして、蓬莱の山の下の亀の腹には、香ぐはしき 衣を入れたり。山には、黒方・侍従・香衣香・合はせ薫物どもを土にて、小鳥・玉の枝並み立ちたり。海の面に、色黒き鶴四つ、皆、しとどに濡れて連なり、色は、いと黒し。白きも六つ、大きさ、例の鶴ほどにて、白銀を腹ふくらに鋳させたり。それには、麝香・よろづのありがたき薬、一腹づつ入れたり。(国譲・中)

(訳) 右大将殿(仲忠)は、大きな海の形を作って、蓬莱山の下にいる亀の腹に香りの良い 衣香を入れた。山は黒方・侍従・香衣香などの合わせ薫物を土にして、小鳥や玉の枝が立ち並んでいた。海辺には、沈製の黒い鶴が四羽、びっしょり濡れて連なり、色は真っ黒だった。白銀製の白い鶴も六羽、大きさは普通の鶴くらいあって、白銀で腹をふくらまして作ってあった。そこには、麝香やいろいろな珍しい薬がそれぞれ入っていた。

        ↓それを薫くと…

 (略)御薫炉召して、山の土所々試みさせ給へば、さらに類なき香す。鶴の香も、似る物なし。「白き鶴は」と見給へば、麝香の臍、半らほどばかり入れたり。取う出て、香を試み給へば、いとなつかしく香ばしきものの、例に似ず。

(訳) 御薫炉をお取りになって、山の土を所々たいてごらんになると、比類ないすばらしい香りがした。黒い鶴の香も、いままでにない香りだった。「白い鶴は」とごらんになると、腹に麝香が半分ほど入っていた。取り出して、香をおたきになると、たいそう慕わしくよい香りがするのだが、普通の香りではない。

【『うつほ物語』と『源氏物語』の比較】

 薫物に関する言葉の用例数でいえば、『うつほ物語』は『源氏物語』の倍以上ある。しかし、その用例一つ一つを見てみると、『うつほ』で薫物をたくシーンというのはとても少なく、前述の二箇所しかない。その他は、沈でそれを作った、あれは黒方でできている、というような、実物の描写でしかない。つまり視覚に比重をおいた描写である。それ故に、視覚でとらえられない「香り」に関する表現が非常に漠然としていて、この薫物はどんな香りなのか、ということが分かりにくい。それに比べて『源氏物語』では、「梅枝」で顕著に表れているが、薫物の香りで、合わせた人の人柄がしのばれるような記述になっている。ここには視覚や嗅覚よりも、美的感覚に比重をおいた描写がなされているとはいえないだろうか。

【まとめ】

 平安時代、香木は輸入物で非常に高価なものだったと思われる。それが日常で使用され、文化として大成していったのは、美的感覚を追求する貴族生活の中で、嗅覚もまた芸術の対象とされたからであろう。紫式部は、その芸術の中心ともいうべき後宮にあって、『源氏物語』に貴族の美的感覚を存分に取り入れることができた。一方『うつほ物語』の作者は不明だが、身分のそれほど高くない男性官人の手になるといわれている。つまり芸術の中心にいた人物が書いたものではない。『うつほ物語』とは、芸術の中心を外から視覚的に捉えたものなのではないだろうか。

 そう考えると、『源氏物語』と『うつほ物語』は、貴族社会という文化・芸術の中心地を内側から、外側からとらえた作品だといえよう。

 

〈参考文献〉

・ 『うつほ物語の総合研究』 室城秀之ほか編 一九九九 勉誠出版

・ 『うつほ物語 全』 室城秀之校注 平成七 おうふう

・ 『源氏物語大成』 一九五三 中央公論社

・ 『新日本古典文学大系 源氏物語』 岩波書店

・ 『平安時代の文学と生活』 池田亀鑑著 一九六六 至文堂

・ 『源氏の薫り』 尾崎左永子著 一九八六 求龍堂

・ 『日本国語大事典』 小学館

「薫り・香りについて」 澤野奈緒 

うつほ物語 楼の上・下〈現代語訳〉

長谷川 真琴

 かくして、いぬ宮は、一日で多くの曲を習いとることもおできになるはずだけれども、一日に二、三曲づつお教え申し上げながら過ごしていらっしゃいます。庭の山、前栽も秋の深まりとともにたいそう趣深くなっていきました。いぬ宮は、南の山の方をご覧になって、独り言に「母宮に、ご一緒にお見せしたいのに。」とおっしゃったのを、大将がお聞きになって、かわいそうにとお思いになって、「今、この琴をよく練習なさってすっかり覚えたら、母宮はおいでになって一緒に見ようとおっしゃっていましたよ」とおっしゃると、いぬ宮は独り言を大将に聞かれたのがはずかしくて、なにもおっしゃいませんでした。夕暮れ時や昼間などに、内侍のかみも大将も琴を弾く手をお休めになって、いぬ宮の弾く琴をお聞きになっていると、お習いになったのをいささかもまちがえることなく弾いていらっしゃいました。内侍のかみも仲忠も、ほんとうにいとしく、(天才ゆえの薄命を案じて)恐ろしさを覚えていらっしゃいます。

 何の時だったでしょうか、いぬ宮が内侍のかみ様に、「下仕えを召して、侍従乳母を呼んでほしいのです」と申し上げなさったので、侍従を呼びました。いぬ宮は昨年からは乳を飲みたがらなくなりましたが、侍従の方がいぬ宮をおかわいがり申し上げ、まだいぬ宮のもとに参上し続けていたので、仲忠も二人の間柄を大事に思って、京極にも侍従をお連れになったのでした。いぬ宮が琴に心を入れながらも、やはり一人離れていることのさびしさに堪えきれぬ思いをしているのを、大将はかわいそうとお思いになっていらっしゃいます。侍従が来て、「琴は弾けるようにおなりですか」と申し上げなさると、「弾けると思いますよ。母宮がなさるように琴をそばにおいて、今ではいつでも弾いているのです」などとお話なさっているのを、傍らで仲忠は聞いています。夜もずいぶんと更けて月がはるか天空に澄み渡る頃、{内侍のかみと仲忠の}両人が合奏なさって、いぬ宮に同じ曲をお弾かせ申し上げました。まったく同じ調べをお弾かせ申し上げたのです。その弾き方が自分や内侍のかみとそっくり同じなのを、大将はうれしくお思いになりました。

 あて宮は、たいそうねたましく、うらやましくお思いになっていましたが、女一宮が京極殿に行かないのを少しうれしくお思いになりました。藤壺に大殿{正頼}が参上なさって、あて宮が「女一宮は何と思っていらっしゃるでしょう。私に皇女が生まれていたら、羨ましかったでしょうね」と申し上げなさると、正頼はお笑いになって、「東宮がいらっしゃることのほかに、あなたが羨ましがることがありましょうか。女一宮は大将をちっとも顧みず、かのいぬ宮と終日雛遊びをして一緒に暮らしていらっしゃったのに、長い間、とてもそんなことができずに過ごさなくてはならないのですよ。内侍のかみをも引き離して、楼に連れていらっしゃったので、こちらでもあちらでも、仲忠を恨んで、右大臣{兼雅}は今更、昔のように恋文を書き送っていらっしゃいます。いつぞや院{朱雀院}がおっしゃっていました。『私が文を仲忠に読ませようと数日宮中に留めた間、仲忠は一晩でも千年を暮らすように長いと思っていたのだから、女一宮と仲忠の間は並々のことではあるまい。さぞかし、一人前の妻として愛してくれているだろう』などと仰っていましたよ。女一宮のことをうらやましくお思いになるとは変ですね」などと申し上げなさると、「めったにないことで、今からそのように教え申し上げていることこそ、またとない伝授でしょう。それに比べて我が子の親王たちは遊びにばかり熱中していらっしゃることよ。かの梨壷腹の皇子は、たいそう慕わしく、かわいらしくお書きになり、文も読んでいらっしゃるので、春宮もお教え申し上げれば、そのようにおなりになるだろうに、みな人々はそれぞれの縁故をひいきにして競い合っているので、宮たちも勉強に力を入れず、お教え申し上げる人もいないのでしょう。」

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