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    “薫り・香り”について   (日本古典文学演習7)

                      日文2年 98001040  澤野 奈緒

 私は“薫りと香り”について、『宇津保物語』と『源氏物語』を比較しながら調べました。まず、香道とその歴史についてです。

 優雅をその生活目標とした平安時代の人々は、仏に供える供香として出発した香をも芸術化して薫物と称し、室内にくゆらせ衣服に焚き染めたばかりか、遊戯化して薫物合(香合)と呼び,香を競い合うようにもなりました。

 薫物の原料として香木が日本に渡来してきたのは『日本書紀』によると推古天皇の三年(五九五)に記事がみえます。

    推古天皇三年  乙卯

    三年夏四月。沈水漂著於淡路島。其大

    一囲。島人不知沈水。以交薪焼於 。

    其煙気遠薫。則異以献之。

 しかし実際には、仏教の伝来とともに香木や合香の法が伝えられ、六世紀ころでは主に仏前を潔めるための材料として寺院において供香として用いられていたにすぎないのでした。8世紀ころから次第に香を実用的な面にも使用するようになり、部屋にたきこめたり、衣服に焚き染める空薫物が盛んになってきました。

 次は、香の原料と種類についてです。

 香の原料としては、南方の香木である沈香、丁字から採った丁字香、白檀樹などのような樹皮の皮・葉・根などの粉末や、薫陸香・乳香・安息香などの芳香のある樹脂より作る植物性のものと、麝香鹿より採取した麝香、あき貝の蓋から作った貝香、竜涎香などの動物性のものなどがあります。

 香は香木(名香)と練香(合香)とに分けられます。香木は樹木そのものを小さくしてそのまま用いるものであり、練香は何種類かの香を粉末にした中に、たとえば動物性の麝香皮などを溶かし加えて蜜などで練り合わせたものをたくのであります。

 これらの香の原料を種々に調合した結果、黒方・梅花・侍従・荷葉・菊花・落葉などの種類を生じ、それぞれは自然の香をあらわし四季に従ってたかれました。それについては、次のように記されています。

    春は梅花。むめの花の香に似たり。夏は荷葉。はすの花の香に通へり。秋は落葉

   もみぢ散頃ほに出てまねくなるすすきのよそほひも覚ゆなり。冬は菊花。きくのは

   なむらむらうつろふ色。露にかほり水にうつす香にことならず。小野実頼宮殿の御

   秘法には長生久視の香なりとしるされたり。黒方。冬ふかくさえたるに。あさから

   ぬ気をふくめるにより。四季にわたりて身にしむ色のなつかしき匂ひかねたり。侍

   従。秋風蕭颯たる夕。心にくきおりふしものあはれにて。むかし覚ゆる匂によそへ

   たり。                    (『後伏見院辰翰薫物方』)

 次ぎに、レジュメの3枚目を先に開いて下さい。ここに『宇津保物語』と『源氏物語』に出てくる、香りに関する言葉を各項目ごとに載せておきました。ほとんどの香りが2つの物語に共通して使われています。

 これらを参考に2枚目に戻って、『宇津保物語』と『源氏物語』の空薫物について、本文にそって見ていきたいと思います。

    かくて其時になりて、御車数のごとし。御供の人しなじなサうぞくきて、日の暮

   るるをまち給ふほどに、仲忠の中将の御許より蒔絵の置口の箱四に、沈の挿櫛より

   はじめてよろつ。御梳髪の具、御髪上の御調度四。御すゑ、蔽髪、さい子、元結、

   彫櫛よりはじめてありがタくて。御鏡、畳紙、歯黒よりはじめて一具。薫物の箱、

   銀の御箱に唐の合せ薫物入れて、沈のおものに銀ノ箸、ひとり一番沈の灰入れて黒

   方ヲ薫物の炭のやうにして、銀の炭取の小さきに入レなどして、細やかに美しげに

   入れて奉るとて、御髪の箱にかく書きて奉りたり。        「あて宮」

<訳> こうしてその頃になると、御車が指定した数通りそろった。御供の人は身分に応

   じた装束をして、日が暮れるのをお待ちになっている時に、仲忠の中将の御許から、

   蒔絵の置口の箱四つに、沈木で作った飾櫛をはじめとして、その装飾用の髪飾りが

   四通り。仮髻、蔽髪等をはじめとして、全てがこの世にない珍しい物ばかり。御鏡

   畳紙、歯黒をはじめとして一式道具。薫物の箱、銀の御箱に唐の合せ薫物を入れて

   沈の食前に造って銀の箸、火とりに沈の灰を入れて、黒方を薫物の炭のようにして

   銀の炭取の小さな物に入れるなどして、細やかに美しく入れて差し上げます、と御

   髪の箱にこう書いて献上した。

    かくて、六日になりぬ。女御麝香ども多く具しり集めさせ給ひて、えび、丁子、

   かな臼に入れて搗かせ給ふ。練絹を綿入れて、袋に縫はせ給ひつつ、一袋づつ入れ

   て、間ごとに御簾に添へて懸けさせ給ひて、大いなる銀の狛犬四にはるに同じ火取

   据えて、香の合せの薫物絶えず焚きて、御張の隅々に据えたり。庇のわたりには大

   いなる火取によき程に埋みて、よき沈、合せ薫物多くくべて籠覆ひつつ数多据えわ

   たしたり。御張の帷、壁代などはよきうつしどもに入れしめたれば、その大殿のあ

   たりは他所にてもいと芳し。まして内には更にもいはず、しるしばかりうちほのめ

   く、ひるの香などはことにもあらず。             「蔵開・上」

<訳> こうして犬宮生誕から六日目になった。女一の宮の母君仁寿殿は香の材料を多く

   そろえ集めさせなさって、えび、丁子を鉄の臼でつかせなさる。練絹に真綿を入れ

   て袋に縫わせながら、一袋ごとに丁子とえびを粉にした香を入れる。柱と柱との間

   にある御簾に袋を懸けさせなさって、同じ銀製の狛犬の中に、同じ香炉を供えて、

   香の合せ薫物を絶えず焚いて、御張の四隅に置いた。庇の間には大きい香炉に火を

   入れて、価値のある沈香や合薫物を多く燃やして籠を覆いながら数多く庇一杯に置

   いた。御張の垂れ布や、壁白などは香を移す上等の香炉に入れて、染み込ませたの

   で、その御殿のあたりは他のところよりも香がよい。まして内側では、いうまでも

   なく、ほんの少しくさい蒜の香などは消されてしまう。

 ここでは部屋に香をたきしめる実際の様子が仔細にうかがわれるます。当時の暮らしの中の薫香は、前に例を上げた室内にくゆらす「名香」と、衣類に香をつける「衣香」の三つに大別できます。

    仏の御日、内侍のかみ御堂に詣で給ひて、念誦し給ふ。御前にて年老いたる人名

   香取散らして着き居たり。                  「楼上・下」

<訳> 第三画面は念誦堂で、北方が御参りして念誦をなさっているところ。その前に老

   女が名高いお香を焚いている。

 着物に香をたきしめる時は、火取香炉を用い、さらに衣服を身につけた後に小さな香炉を手にして袖の中までもたきしめました。

 また、手紙などにたきしめた例は『源氏物語』の次の各巻にみられます。

    文など書きておこする、手など、きたなげなく書きて、よき唐の色紙の、かうば

   しき香につめつつ、「をかしう書きたる」と思ひたる言葉ぞ、いと、だみたる。

                       (「玉鬘」大夫監から玉鬘への恋文)

    唐の縹の紙の、いとなつかしう、しみ、ふかうにほへるを、いと細く、小さく結

   びたるあり。               (「胡蝶」柏木から玉鬘への恋文)

    ありしながらの、御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまで、染みたり。

                        (「夢浮橋」薫から浮舟への手紙)

 細心の注意で選ばれた紙、心づかいして書かれた筆の跡、そしてほのかに薫る香は何よりも強烈に手紙の主の姿を思い描かせる効果が大きかったといえます。『枕草子』にも「よくたきしめたる薫物の、昨日、一昨日、今日など忘れたるに、ひきあけたるに、煙の残りたるは、ただいまの香よりもめでたし」とあって、たきしめた直後よりもなお数日たってからほのかに匂う良さが認められています。

    亮の君下りて拝して参り給ひぬ。中納言奉り給へる物どもを取り寄せて見給へば、

   甕に練りたる打綾、一には練絹いとよき、口もとまで畳み入れ、折櫃どもには、一

   には銀の鯉、同じき鯛一折櫃、沈の鰹造りて入れ、一には沈芳をよくよく切りて一

   折櫃、合せ薫物三種、龍脳香、黄金の壷の大きやかなるに入れて一折櫃、海松のや

   うにして一折櫃、白き物を入れたり。今二にはえび、丁子を鰹つきの削り物のやう

   にて入れたり。                       「蔵開・上」

<訳> 亮の君は階を下りて拝舞して宮中からの奉物を取り寄せてご覧になると、二斗入

   りのかめには、紅の練絹の光沢を出した打綾が一杯入っているし、一方のかめには

   紅の練絹の大変上等なのが、かめの口もとまで、畳んで入っているし、折櫃の一つ

   には銀製の鯉、一つには銀製の鯛、一つには沈製の鰹を入れ、一つには沈や蘇芳を

   小さく切って切り身のようにして一折櫃、合せ薫物を三種類(龍脳香)を黄金の壷

   で大きなものに入れて一折櫃、海松とかきつけて、赤絹を少し、白い絹を縫い目は

   なくて、糊などをくっつけて海松のようにして一折櫃、おしろいを一折櫃入れた。

   その次に、えびの香と丁子を鰹節のように揃えて各々の折櫃に入れた。

    かくて、楼にのぼり給ふべきほどの呉橋は色色の木をまぜまぜに造りて、下より

   流るる水は涼しく見ゆべく造る。楼の天井には鏡形、雲の形を織りたる高麗錦を張

   りたり。板敷にも錦を張らせさせ給ふ。わが御座所にはただ唐綾のうすらかなるを

   天井にも、張りたる板にも敷かせ給ふ。西の楼には、かんのおとどの御座所、東の

   楼には犬宮の御座所なり。濱床をのみぞ、犬宮の御料はささやかにせさせ給へる。

   その濱床には紫檀、浅香、白檀、蘇芳をさそて、螺鈿すり、玉入れたり。

                                 「楼上・上」

<訳> こうして、楼にお登りなさる床の高い庫にかける梯子、階段は立派な木を幾種も

   趣味深く取り合せて造り、下に流れる水は涼しく見えるように造る。楼の天井には、

   鏡形(六角)や雲形を織出した高麗製の錦を張る。板敷にも錦を張らせなさる。仲

   忠の御座所にはただ唐綾でうっすらしているものを天井にも、張ってある板にも張

   らせなさる。西の楼は母北方の、東の楼は犬宮の御座所である。浜床だけは、犬宮

   の方が小さくさせなさる。その浜床は、尺を使って紫檀や浅香や白檀や蘇芳で揃え、

   螺鈿で鏤め、玉を嵌めて飾る。

 以上、本文からの引用でした。各語句の意味は、レジュメの四枚目を参考にして下さい。

 次は、薫物合についてです。薫物は次第に発達して、新しい調合のものが多く現れ、命名を競い合って楽しむ「薫物合」が、しばしば催されるようになりました。薫物合は、二種類の薫物の優劣を匂いの面からばかりでなく、薫物の銘(草花銘・動物銘・天体銘・出所銘・姓氏銘・故実銘・文学銘など)の適不適といった方面までを同時に判断に入れて決定する優雅な遊びで判定には判者を置きます。

 『源氏物語』の「梅枝」巻の薫物合は、平安貴族の高貴な趣味性と情趣的な日常生活を、もっとも端的、象徴的にものがたる娯楽のひとつでありますが、同時に彼らの重要な教養でもありました。物語中の評と人物とを対照してみると、単なる形而上的、印象的批評ではなく、薫香に投影する「人々の心々」を「いと興多」く見取っている点に注意すべきです。

 薫物合は香の配合のよしあしを競ったもので、その流行は鎌倉、室町の両時代を通して続いていましたが、足利時代の初期にはいると、新たに一つの香質を争う「名香合」が、また末期に至ると鼻織(聞き分け)を競う「組香」という新しい方式が生まれました。組香とは二種類以上の薫物または香木を用いて一定のテーマを匂いの世界で表現することであり、江戸時代中期の「源氏香」はこの組香の発達したものです。

 次に、『宇津保物語』と『源氏物語』との比較について考察したいと思います。

 これまでに上げた引用文を参考に上げてみると、『宇津保物語』と『源氏物語』では、いくつか異なった描写方法が見えてきます。まず『宇津保』についてですが、この文章は漢文句調で、表現が簡潔で力がありますが、粗野で『源氏』のような微妙な心理描写も、精密な環境の叙述も、生彩ある人物の活写も見られません。ただ、経済的視点から貴族の生活を観察し、唯物的に数字的に表現した点、当時の貴族のあらゆるタイプを典型的に描いた点が、この物語の独自的表現方法なのでしょう。どのような場面においても、例えば道具であったり、薫香の種類であったり、名詞を連ねることによって、その場面の様子を描こうとしています。これは、作者が源順(仮説)という男であったり、しかもそれほど身分の高くない男子の作だということが、文体・用語などの面からわかってしまう点からも、教養に満ち、中宮彰子に仕える身分で、女性である紫式部との表現上の大きな違いの理由だとも言えるでしょう。

 要するに、『宇津保』は、権勢・恋愛・芸術という王朝人の最大関心事について、芸術こそ永遠で至上なることを主人公仲忠を描くことによって語っています。ただ、ところどころ『竹取物語』以来の伝奇的傾向をうけて、超自然的な描写があるのと、空疎な和漢の美辞麗句で事を叙しているのは、読者の感興を妨げますが、その数世代にわたる貴族社会の唯物的・数字的・客観的描写は、素朴ですがユニークで、世界最大の長編小説たる栄誉を荷わせています。

 また、『源氏』は、『宇津保』なくしては決して出現しなかったと言えます。この物語は平安朝の貴族が理想とした生活・風俗の極限の美を描き出しています。登場する多くの男女たちの容貌・容姿・衣服等の美しさが細かに描写され、それがその人物の心性の美を際立たせ、邸宅・部屋の調度類の美と調和し合っています。空薫物についても、「香りの理想のあり方とは、もっとそれとなくほのかに漂うべきものだ」と、繊細にくどくない書き方で、平安人の美意識を語っています。また四季の自然の美も作者の、そして当時の貴族たち一般の鋭敏な美的感覚によってとらえられ描き尽くされています。そしてその自然描写は常に事件と人物とが深く関わりあっており、物語の進展と密接に結びついています。

 最後にまとめです。平安時代は、やりとりされる言葉の一つ、手紙の中の和歌の一首それを書く紙の色、たきしめた香りに至るまで、時に適った趣味の良さの問われる、日常生活が文化性そのものである時代でありました。必然的に、文化性は切磋琢磨を要求され、洗練された感覚と教養とが実にシビアに競い合われる形になりました。そういった貴族の美を追求する暮らしの中で「香り」は、時には微妙に交じり合い、追い風に乗って遠くまで香り、その時々の情趣を見事に演出しています。そして多くの戦乱をくぐって今日の日本人の生活に、不可思議で玄妙な薫りの魅力がどこかで消えそうになりながらも、生き残っているのではないのでしょうか。

 参考文献は六枚目に載せておきました。

 以上で、“薫り・香り”についての発表を終わります。

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